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9.  泡沫

何度目かのため息。
美冬は海のように広がる街の灯りを気が抜けた瞳で見つめていた。
いや、正確には見ていたかは定かではない。
正面を向いているものの、その横顔は何かを考え込んでいる風で。
手すりに手を置き、ストレッチをするように腕を伸ばす動作。
俯いて軽く頭を横に振る。

「悩み事か」

突然聞こえた低い声音。
驚き、振り返った先にいたのは今にも闇に溶けてしまいそうなウォークライだった。
目を引く長身、一つにまとめた髪、黒づくめの風貌。
黒い瞳が美冬を見据える。
一見機嫌が悪いようにも見えるが、それが彼にとっては普通であり。
「うーちゃん」
隣に並び、彼女に影を落とす。
美冬は取り繕うように微笑もうとするが、それは口元を歪ませただけだった。
「何で分かるの?」
「比良坂の人間がここに来る時は、大抵悩み事か考え事がある時だ」
そう言って、眉を上げてみせる。

ここは比良坂事務所の入る雑居ビルの屋上。
確かに言われてみれば自分を含め、他のメンバーもその傾向がある気がした。
特別、珍しい景色が見えるわけでもない殺風景な場所ではあるが
気分が沈む度に自然と足が向く。
灰色の空を見上げ、ビルに囲まれて排ガス混じりの風を吸う。
こう言うと味気なく感じるが、美冬にとっては十分に気分転換が出来た。

「それに、そんな顔をして隠してるつもりだったか?」
「え?」
「まるで電池切れだ」
苦笑混じりの声に、つられて困った表情で微笑んでみせる。
雨を予感させる風になびく髪を押さえ、見上げた。
「何ていうかな。あたしじゃなくて、真雪の事なの」
数秒後、迷ったように黙りこくっていた美冬が言う。
コンクリートの地面を打つ靴音。
「先週、真雪が死亡確認に行ってさ。すごくヘコんでたんだよね。
詳しくは聞いてないんだけど、
ターゲットが保険金殺人事件の犯人じゃないかって言われてた人らしくて」
ウォークライは美冬を見下ろしたまま、わずかに顎を引いて頷いた。
これから夜の始まる時刻、薄暗い屋上に遠くからの灯りが届く。
横顔を照らす、まばゆい光。
「その人、死亡宣告の時に『自分が殺した』って言ったんだって。
でも真雪はソレを知ってたのに何も出来なくて悩んでたみたい」
沈む声、暗いだけの空を見上げる顔。
「それに、いつも人が死ぬ所ばっかり見て壊れちゃいそうって。
自分はチェイサーとしてイレギュラーを、死神として人を殺す人殺しだって」
美冬が眉間にしわを寄せたまま、硬く目を閉じた。
痛みを堪えている横顔。
聞こえるのは他人事な下界からの街の声。
耳に入るそばから抜けていく。
「あたし、何も言えなかったんだ。
真雪があんなにヘコんでるのに励ます事が出来なかったの」
沈んだ表情でため息をつく美冬を、ただ見つめるウォークライ。
その表情から感情を読み取る事はできず。
「いざって時に何もできないし、何も言えない。何のためのパートナーだろうって」
力がこもる手。
その声は自分を責めるように強い口調で吐き出した。

「死神の仕事なんて人殺し」
不意に頭上から降り注いだ声に美冬は顔を上げた。
ぶつかる視線は寂しげに微笑み、遠く離れた光の洪水に向けられる。
「死亡宣告しなけりゃ、そいつは生きていられる。
俺の言葉で人が死ぬんだ――これは、以前レイヴンが言った言葉だが」
「俺の、言葉で」
「そう。確かにその通りかもしれないが、その考え方は悲しすぎる。
俺達は好き好んで人に死を与えている訳ではなく必要に迫られての事だ」
頬にかかる髪をかきあげる姿勢で静止した。
不意に訪れる静寂。
ウォークライは言葉を選んでいるのだろうか、口をつぐんだまま。
「奴は……死神は天職ではないのだろう」
「天職、ではない」
「優しすぎるのだ」
2人の間を風が通り抜ける。
夜気の中に混じる此岸と人外の匂い。
苦笑混じりの言葉に、美冬も小さく頷いた。
「優しすぎて、死を割り切って考える事が出来ずに苦しむ。
不器用だから目をそらす事も出来ずに悩む」
「うん」
「だが、奴は死神として生きる。死神は、それ以外にはなれない」
美冬は見上げたまま、視線をそらす事も出来ずにただ見つめた。
口の中で言葉を反芻するかのように。

「死神という仕事は」
何かを考えるような無言の時間が数分続いた後、
ウォークライは口の端をあげて話し始めた。
それは自嘲的な小さな笑み。
「人の夢の中に入って死を宣告するだけの仕事と言ってしまえばそれまでだが
決して、そうではない」
「うん」
「そこには感情がある。命数が尽きた人間にも、死神にも」
低く呟く。
その声は何気なく話しているようでも、何故か心を揺さぶるような響きがある。
「機械であれば、どんなに楽だろうと思う。
絶望し、泣き、助けを乞う人間を何人も見る羽目になるからな。
自分の言葉が引き金となり死ぬ人間や、
その倒れた者にすがって泣き叫ぶ人間も見なければならない」
伏せられる瞳。
「レイヴンではないが、まるで自分が殺す気分になる事もある。
気分が良いとは言い難い」
淡々と話す声が美冬に向けられた。
ウォークライは自分を見つめる顔を凝視した後、小さく苦笑を漏らす。
「……そんな顔をするな」
「だ、だって」
「どうしていいか分からなくなる」
美冬はうるむ目をこすり、唇を噛んだ。
気を緩めてしまえば涙が出てしまいそうな気がする。
目元が熱を帯びているような感覚。
「笑え、ラプター」
「え?」
「お前は笑っていればいい。
死神がどんな生き物か知った上で笑っている事が、何よりの助けになる」
意外な言葉に美冬は驚いた表情のまま、目を大きくしばたたかせた。
その表情を楽しむようにウォークライは口元で笑う。
「お前は何も出来ないと思っているようだが、それは大きな間違いだ。
奴にとって、お前が側にいる事がどんなに大きいか」
「そう、なの?」
「ああ。お前自身が分かっていないだけだ」
「え? ええ!? 意味分からないよ。どういう意味?」
「分からなくてもいい。その方がお前らしい」
美冬の頭に手が置かれる。
怪訝そうに首を傾げる姿に、喉を鳴らすような笑い声が聞こえた。
「それに、お前がそんな顔でいてはレイヴンも元気になれないだろう」
「そうかなぁ」
「もし、元気になるきっかけが必要なのであれば力を貸すが」
下には光の川のような車の流れ。
驚いたように、ウォークライを見つめた。
「え?」
「お前を元気にする為なら、言霊の力を使うのも悪くない」

美冬は思いがけない言葉に動きを止める。
言霊――それはウォークライが持つ、此岸でも珍しい能力。
言葉に宿る力を使い、
発する事でそれの表す事柄を具現化するという。
確か彼は過去に起きた何らかの事件がきっかけで
言霊の能力を使う事はあまりない筈だったが。

「でも、うーちゃんって言霊の力は……」
と、美冬が言いかけた時。
背後で鳴くような硬質な音が聞こえた。

「失礼、お話し中でしたか」

聞き慣れた冷たさを含む声と共に、夜に支配された屋上に光の帯が差し込む。
振り向くと、ドアを掴んだままの姿勢でノクティルカが立っていた。
「来たな、サド眼鏡」
「その呼び方は、やめて下さい」
近づいてくる足音。
眼鏡を指の腹で押し上げる動作をしながら、ウォークライを軽く睨むように一瞥する。
「ウォークライ、所長がお呼びですよ。
プラモデルの組み立てが終わったのでスミ入れを手伝って欲しいとの事ですが」
「ああ」
ウォークライは口元を歪ませながら、苦笑を浮かべると片手を挙げた。
「ノクティルカ、手を出せ」
「はい?」
戸惑いがちに左手を顔の横に上げたノクティルカ。
そして、すれ違いざまにウォークライの手が彼の手をハイタッチするかのように叩く。
「子供のおもり、交代だ。喋りすぎて具合が悪くなってきた」
大きな背中が笑いながら言う。
振り向き、楽しげに目を細める顔。
ノクティルカはわずかに驚いた顔をしていたが、意味を理解したのか笑みを浮かべた。
「了解です、お大事に」
それまで、ノクティルカとウォークライを交互に見比べていた美冬は
やっと意味が分かったのか、我に返って頬を膨らませてみせる。
「ちょっとぉ! それってどういう意味―!?」
「怒るという事は自覚しているのか」
「キィイイ! もー、うーちゃんのバカ!」
辺りに響く怒鳴り声に笑う声が重なる。
黒い影が消えると、ドアの閉まる音を合図に再び闇と静寂が訪れた。
「まったく! ノクティルカさん、うーちゃん酷いと思わない?」
「そうですね」
ドアを指差しながら不満そうな表情を浮かべる美冬に、笑いをこらえながら答えるノクティルカ。
肩が小さく揺れていた。
「もー、ノクティルカさんまで! なんだよ、みんな子供扱いしちゃってさ」
「子供じゃないですか」
「子供じゃないもん!」
「大人は、人が座ろうとしている椅子の上にコケシを置いたりしないんですよ?」
ノクティルカが美冬の隣で手すりを背もたれ代わりにすると、首を傾げて見せる。
にわかに強く吹いた風に、ジャケットの裾がはためいた。
遠くから届く大型量販店の看板の明かりは影を作り出す。
視界に広がる無数の灯りの群れは、眠る事を許さないとでも言っているように。
「失敬だな。それはお茶目さんだもん」
美冬は唇を尖らせ。
「でも大人だって悪戯するでしょ。
ほら、前なんて所長が麦茶のボトルにウィスキー入れてたし」
「あれはダメな大人の例です」
「うーちゃんだって、ノクティルカさんの眼鏡を鼻眼鏡にすり替えてたじゃん」
「ですから、あれもダメな大人の例です」
ため息に一緒に言葉を吐き出す。
額に人差し指を当てると、首を横に振る仕草。
何かを言おうとしたノクティルカは口を開きかけた所で、動きを止めた。
目を見開いて真正面を凝視する。
「ん? どうしたの?」
笑みを浮かべたまま美冬がノクティルカを見、そのまま視線を辿った。
ゆっくりと振り返る。

そこに居たのは、黒い袴姿の少女。
一見すると闇と同化しているように見えるが、彼女は強い視線をこちらに向けていた。
正確には美冬を。

息をするのも、瞬きも忘れ。
一切の音が自分の耳に届かなくなるのを美冬は感じた。
そればかりか隣にノクティルカがいる事さえも頭から消え去る。
この世界に立っているのは、ウタカタと自分のみである錯覚。
見つめ合い、無言の言葉を交わす。
「……ウタカタ」
無意識に言葉が滑り落ちた。
早まる鼓動を抑えようと胸に手を当てるが視線はそらせない。
風の温度も分からない。
ここが何処であるかも一瞬、曖昧になった。
「聞きたい事がたくさんあるの」
呆然と呟く。
目を開けて夢を見ている、と心のどこかで呟いた。
「あたしは、何?」
長い沈黙の後、唇が動く。
本当に声を発しているかどうか定かではない。
そして、その声は相手に届いているかどうかも。
「あたしは人間じゃないって本当?」
ウタカタは動かずにただ見つめていた。
美冬をすり抜けて、さらに奥の景色を見ているようにも思える。
風が吹いても髪も着物も動いていない。
「答えて」
音は全て消え、自分の声が大きく響く。
「人が死ぬのは貴方のせいなの?」
知らない間に拳を握っている事に気が付いた。
「人が変な事言って死んだりしてるのは貴方のせいなの?」
この世界から色が全て消えてしまった錯覚の中、問う。
足元から力が抜けて今にも倒れそうな気がして必死で意識を保とうとしていた。
「答えてよ」

『夜は 万人に 訪れる』

美冬は息を飲んだ。
耳に息がかかるような感触に思わず顔をゆがめる。
『夜と 朝の 狭間に 在るのは』
ウタカタの唇は動かず、声は頭の中に響く。
その声は頭を揺さぶり眩暈を誘った。
『君だ』
「あた、し?」
『君が 人を 殺したの だろう?』
「……何言ってるの?」
『君が 人を 殺すの だろう?』
途切れがちにつむがれる声に戦慄を覚える。
驚きを滲ませた表情のままで、首を小さく横に振る。
「違う、違う。あたしは殺さない」
不意に美冬を見つめていた感情も光も宿さないウタカタの瞳が隣に移った。
視線の先はノクティルカ。
目が合い、彼はわずかに眉を寄せる。

『次は 彼を 殺すのか』

表情は驚きのまま、凍りつく。
美冬がシャツの胸元を強く握った。
声なく動いていた唇から、小さくうめくような声が発せられる。
「……がう。違う……!」
『彼を 食らうのか』
「違う! あたしは、あたしはこの人を殺さない! 誰も殺さない!」
『ならば 他に 誰が 食らうと?』
「あたしはこの人を殺せない!」
耳元にまとわりつく声を振り払いたいのか、首を大きく何度も横に振った。
半ば叫ぶような美冬の声があたりに響く。
「どうしてそんな事言うの!? あたしが殺すって根拠はなんだって言うのよ!」
ウタカタが目を細め、微笑んだ。
ゆっくりと口角を上げる。
そして。

『死と 共に 生きろ』

その言葉が何もない空間で響いた。
気が付けばウタカタの姿はどこにもなく、全てが幻であったかのように。
美冬が崩れ落ち、地面に座り込んだ。
うなだれ、俯く。
「……違う……あたしは違う」
足元から体温を奪われるようなコンクリートの冷たさも、
視界に散らばる光も今は感じることが出来ない。
考えては消えていく思考の中で、状況を把握しようとする事に必死だった。


「ラプター」
まるで夢から覚めるように現実へ意識を戻したのは心配げに降り注ぐ声。
視界にうつるのは自分の前に片膝をついて、しゃがみ込んでいるらしい
ノクティルカの足だった。
ゆっくりを顔を上げると安堵したように息をつく顔がある。
「……良かった。ずっと声をかけても返事がないので心配しました」
今まで感じなかった湿気を多く含んだ風。
少し前よりも濃い雨の匂いを感じ、思わず空を仰いだ。
「大丈夫ですか?」
美冬は肩を落とすように頷く。
「さっきの見たよね?」
「はい」
「そっか。じゃあ、やっぱり夢じゃないんだ」
うなだれる、沈んだ声。
俯いたままで髪に触れた。

「ねえ、ノクティルカさん」
長い沈黙を破ったのは聞き逃してしまいそうなほど小さく切り出した美冬の声。
ノクティルカは返事をしようとした瞬間、強く腕を掴まれてわずかに驚く。
美冬の口が何度か震え、眉がゆがんだ。
今にも泣き出しそうな顔を見つめるノクティルカの瞳。
「あたし、ノクティルカさんの事を殺そうとなんてしてない」
苦痛の中で言葉を搾り出す。
「本当だよ。ウタカタはあんな事言ってたけど、あたしは人を殺そうとした事なんてない。
殺さないし、殺せない。違う、違うの!」
「……ラプター」
「あたしはノクティルカさんを殺せないよ。殺せるワケなんてないのに!」
「ラプター」
「どうして? どうして、あたしが殺すって言うの!?」
声が聞こえていないかのように苛立ちを口にする。
俯いたままノクティルカの胸元に頭をつけ、目を硬く閉じた。
震える、スーツを握り締める手。
何かに耐えるように身体を縮める。

「少し落ち着きましょう」
ノクティルカは軽く息をついて、美冬の背中に触れた。
「確かに死兆星は貴方に殺すのかと尋ねました。
けれど彼女が何を指し、どんな意味で言ったのか現在の私達には分かりかねます」
なだめ、言い聞かせるように穏やかな口調が語りかける。
「あんな事を言われたら動揺するのは当たり前かもしれませんが、
今の貴方は冷静さを欠いている」
「でも」
美冬は顔を上げて唇を噛む。
視線の先には、眼鏡の奥の微笑む瞳。
「怖くないの? ウタカタは、ノクティルカさんをあたしが殺すのかって言ってたんだよ。
どうして普通でいられるの?」
数秒考えるように視線をそらした後、もう一度美冬に視線を合わせる。
おかしそうに笑う口元。
「分かってるつもりですから」
「え?」
「貴方が、そんな事が出来ない事くらい分かってます。
少なくとも死兆星より、貴方の事を知っているつもりなんですけどね」
悪戯っぽく微笑む顔につられ、泣き出しそうな顔のまま小さく笑う。
髪を撫でられる感触に目を細めた。
「大丈夫ですよ、ラプター。何も怖がる必要はありません」
笑む声が繰り返した。
ノクティルカは美冬を自分の胸元に押し付けるように柔らかく後頭部を抱える。
下界に広がる光の海、頭上に広がるのは漆黒。
暗くなる事も眠る事さえも忘れた夜の中、二人はたたずんだ。


「ノクティルカさん」
「はい?」
「もし、ウタカタが言った事が本当だったらどうする?」
真剣に見つめられて動きを止める。
口の中で小さく唸り、片眉を上げる仕草。
「ラプターが途中で諦めるのではないですかね」
不思議そうな視線に顔を向け、目を細めて微笑んだ。
数秒の間。

「私、しぶといので」

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