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8.  D&D

「なんだよ、真雪のケチ」
面白くなさそうに吐き出された声に真雪はため息をついた。
声の主である美冬はソファに座ってクッションを抱きしめたまま拗ねた表情を浮かべる。
「お前な。遊びに行くんじゃねえんだぞ?」
「分かってるもん、そんなの」
「わざわざ人が死ぬのを見に行く事ねえって」
真雪はネクタイを締めながら窓辺に立ち、外を眺めた。
土曜日だからだろうか、いつもよりも景色が穏やかに見える。
まるで時が流れている事すら忘れてしまいそうなほど。
遠くに聞こえる鳥のさえずりと、子供達が歓声を上げて走り去る気配。
「でも、一緒にいけば何か助けられるかもしれないでしょ」
「これは死神の仕事だから」
「そうだけどさ」
「気持ちだけ受け取っておくわ」
ため息混じりに口元に笑みを作ってみせる。
これからの事を考えると気が重く、無意識に表情が曇った。
もしかしたらうまく笑えていなかったかもしれない。
真雪は重い足取りで、黒で統一された自室を歩き回る。

『4月19日 14時02分、須藤明美』
テーブルに置かれたメモを見て軽くため息をつく。
この場所に待ち受けているのは死であり、死神としての役割。
命数が尽きても生き続ける者が予定通りに死を迎えたかどうかを見届ける
死亡確認という仕事が待っているのだ。
目の前で、自分の死亡宣告を引き金に人が死ぬ。
仕事だと言い聞かせても、いつまで経っても慣れる事は出来ず
何度も目をそらしたい衝動に駆られた。

「美冬は留守番しててくれ」
「……本当に一人で大丈夫なの?」
遠慮がちに伺う声。
その顔は心底不安そうな色が浮かんでいる。
「何でだよ。今までも一人でちゃんとやってたっつーの」
「だって、すごく辛そうな顔してる」
「これから人が死ぬの見に行くのに鼻歌混じりでいく奴なんざいねえだろ」
「そうだけどさ」
言葉を飲み込み、何か言いたげな表情のまま黙りこくる美冬。
真雪は苦笑を小さく漏らすと彼女の艶やかなストレートの髪を撫でた。
「大丈夫だから。心配すんな」
曖昧に頷く様子を見て寂しげに口の端をあげる。
頭を数回叩くように手を置き、気配は離れた。
物憂げな空気を身にまとって。
「さて、と。ちょっと早いけど行ってくるか」
ジャケットを羽織り直す仕草、壁に掛けられた時計に視線を走らせる。
独白の隙間のため息。
言葉少ない重い沈黙の中で足音ばかりが部屋を動く。
見つめる視線は彼を追い続けていた。

「じゃあな、美冬。ちょっと行ってくるわ」
決して広くはない玄関のスペース。
髪をかきあげると首を傾げるようにして言った。
美冬は相変わらず何か言いたげな表情のまま頷く。
分かっている、何が言いたいのか。
おそらく彼女は真雪を心配しているのだろう。
自分が同行した所で何も出来ないのも、
何度聞いても同じ答えが返ってくるのも承知の上なのだ。
気持ちが交錯する中、二人は黙る。
「気をつけてね」
「ああ」
短いやり取りの後、真雪は背中を向けた。
ドアノブを掴む手。
けれどドアは開かなかった。
長い静止と沈黙が続く。
考え込んでいるような様子に美冬は不審な眼差しを向け。
閑散とした室内。
外の平穏な空気とかけ離れた息苦しい沈黙がこの部屋に立ち込めている。
「なあ」
絞り出す声に顔を向ける。
今までの口調に更に硬さを増した声。
「死んだら、それで許されちまうのかな」
「え?」
言葉の意味が分からず聞き返す。
口の中で何度も繰り返し、その意味を考えるが答えには辿り着かなかった。
「どういう、意味?」
「悪い事しても、死んで地獄に行きゃ許されるモンなのかな」
真雪が背中越しに顔だけを向けて見つめている。
答えを待つように黙った。
笑い飛ばしたり、かわしたり出来る雰囲気ではないのは
彼の瞳の奥に真剣さが見えたから。
美冬は数秒後、ゆっくりと首を横に振った。
髪がそれにあわせてスローモーションのように揺れる。
何故か口を開くのもためらう。
「そんな事ない」
声は呟く。
「死んで解決するワケないじゃん。だって、地獄なんてないし」
真雪は動きを止めたまま、耳を澄ませるように。
色濃く漂う疲労感に似た何か。

「この世が天国で地獄だから」

そういうと、美冬は自分を見つめる瞳が微笑んだように感じた。
それにつられて口元だけで微笑む。
突拍子もない問いの意味を聞く事も出来ずにただ佇んでいた。
そして聞こえた、ドアが閉まる音。
真雪が部屋を出て行く時に見えた背中越しの空の色は
恨めしいほどに澄み切った青だった。



真雪はジャケットの内ポケットから取り出した紙に視線を走らせた。
無感情でそっけない、印字された文字が並ぶ。
けれど、そこにあるのは紛れもない人の運命。
日時や住所を確認すると元の場所へ戻し、目的地を目指す。
徒歩10分ほどの距離であるはずなのに妙に長く感じるのは
気が進まないからだとでもいうのか。
「この世が天国で地獄だから、か」
すれ違う人々を眺めながら小さく漏らした。
笑顔やはしゃぐ声に自分が浮いている事を痛感して自嘲気味に微笑む。
こんな顔をしているのは、この世界で自分だけなのではないかと。

やはり美冬と一緒の方が良かったのだろうかと真雪は思い返した。
同行して欲しいと頼めば彼女は断らないだろう。
二人の方が自分の気持ちも楽だと思う。
けれど、これは死神の仕事だ。
何より彼女にこんな物を見せて辛い思いはさせたくなかった。

電信柱に張り付いた住所表示を眺め、目的地が近づいている事に気が付く。
おそらく今回のターゲット――須藤明美の自宅はこの辺らしい。
部活動をしているらしい学生達の声が響く校庭の脇の歩道を歩きながら
真雪は空を仰いだ。
微笑む日差しが穏やかに降り注いでいる。
光を浴びた木々の緑はまぶしいほど鮮やかな色で輝いていた。
自分の靴音ばかりが大きく響く。
考えたくもないのに次々と浮かんでは消える憂鬱な考え。
丸みを帯びた暖かな風は真雪をあざ笑うように駆け抜けて行った。

「ん?」
大通りを左折し、細い道に入った所で思わず声を漏らす。
視線の先には閑静な住宅街とは似つかわしくない光景が広がっている。
ある住宅の入り口を固めるように群がる人々。
「なんだ、ありゃ?」
疑問を口にした所で合点がいった。
よく見ればそれがどんな場所で群がる彼らが何者なのかが分かる。
家を縁取るように置かれた脚立、路上に駐車された見覚えのあるテレビ局のロゴマーク。
そして、まるで武器のようにカメラや照明等を構える大勢の人間。
立ち止まっている事に気が付き、我に返ったように歩を進めると。
人垣の隙間から『須藤』と書かれた表札が見えた。
そう、ここが夢で話した須藤明美の自宅だ。

「東京都中津区で発生した会社経営・須藤邦明さんが死亡した事件は
ここに来て保険金殺人の疑いが出ています。
邦明さんの妻であるAさんは警察から任意同行を求められていますが――」
明美の自宅の塀を背にしたリポーターらしき女性が深刻な顔つきで語る姿を
真雪は近所の人間らしき人々に紛れて遠巻きに眺めていた。
漏れ聞こえる声から察するに、どうやら明美は重要参考人という扱いらしい。
好奇を滲ませた声は彼女は犯人なのではないか、
前夫達も彼女の仕業だろうと推測を口にしている。
「だって須藤さんちの奥さんって、よく若い男と一緒にいるって言うじゃない」
「旦那さんが亡くなって間もないのに、ねぇ」
真雪は、そんなやり取りを聞くともなしに聞きながら
視線は明美の自宅を凝視していた。
まるで混雑した電車の中のような周囲。
小さな動作で時計を見ると、針は13時49分を示している。
おそらく明美は自宅にいるのだろう。
直接彼女の死を確認する事は出来ないかもしれないが、そうなった場合は死臭が漂い
何よりもマスコミが黙っていないはずだ。
自分は野次馬を決め込んで、ここ見ていればいいと心の中で呟く。

時間が経つのを待つ沈黙の時間。
真雪は波のように遠慮がちにざわめく声に囲まれながら、あの光景を思い出していた。
死亡宣告、明美の夢の中。
『そうよ。けれど、それが何?だから何だって言うの?
ここで私が貴方に罪を告白しても誰にもどうすることはできないわ。そうよね?』
彼女は確かにそう言った。
真雪に怒りをぶつけ、怯えを隠した目で。
『私は逃げてみせる』
決意であり、自信。
その声が幾重にも自分の内側で響き渡り、支配する。
 彼女は何故、自分に罪を告白したのだろうか。
自分に言っても罪から逃れられるという自信からか?
それとも内に秘めた真実に耐え切れなくなったからか?
そもそも明美の告白は真実なのか、真雪には知る由もなく。
また、知った所でどうする事も出来ない。

「須藤さん! 須藤さーん!」
突然、あたりが騒然となる。
顔を上げると玄関が開き、人垣からは多数のフラッシュが焚かれていた。
人垣の中央、視線の集まる場所にいたのは。
「お話伺えませんか?」
「もう何度も同じ事言わせないで! 私から話す事なんてないわ!」
赤い唇を歪ませて怒りをあらわにした女、明美だった。
以前よりやつれ、疲れているように見えるが派手な印象は相変わらずに思える。
「貴方達、迷惑なのよ。お願いだから帰ってよ!」
人の隙間から見える鮮やかな赤はワンピースの色だろうか。
真雪は無表情のまま、ただ前を見据えた。
離れた位置でも明瞭に聞こえる声に耳を澄ませる。
「逮捕は時間の問題なんでしょ?」
「ねえ。毎日警察の人が来てるし、ずっと張り込んでるじゃない」
「須藤さん! 保険金殺人の疑いが掛けられていますが!」
あらゆる距離から飛び交う声。
一帯は死んだように静まり返っているというのに、この周囲だけは異様な雰囲気だ。
「もう勝手にしてよ。私はやってないわ」
「以前にも旦那さんが亡くなられてるという事ですが!」
穏やかな昼下がりは、ここには微塵もない。
ただ明美を囲む人々は罵倒に似た質問を投げるのみで。
「須藤さん!」
「貴方達、名誉毀損で……」

「本当に殺したのですか!」

動きが止まった。
今まで苛立ちを隠そうとせず方々に怒鳴っていた明美が口をつぐみ、目を見開いたまま。
その声は他の声に紛れて飲み込まれかけていたが、
明美にはどんな声よりも大きく聞こえたようだった。
「今……なんて?」
震える声。
「誰が、さっき言ったの?」
人の中心で、視線だけをせわしなく動かして恐々と問う。
周囲は突然訪れた明美の変化に唖然とした様子で
先ほどまでのように問い質す者は誰一人いなかった。
張り詰めていく空気を感じる。
わざめきと戸惑いが辺りを支配し、人は明美を凝視した。
靴音一つも響く静けさ。
「死神が、私に言ったのよ」
明美は俯きがちで落ち着きなく辺りを見渡し、自分を抱きしめる。
「死者は真実を語るって。
私が嘘を付くなら暴いて、隠そうとすれば真実を語るって」
「死神、とは?」
「死神は死神よ」
真雪は数メートル先の動揺した明美を見つめていた。
彼女の全身を包むベールは時間が経つにしたがって色濃くなっていく。
死神の能力が見せる幻は、彼女に死が迫っている事を饒舌に語る。
「でも、私はやってない。嘘なんかついてない。隠してる事なんてない!
だから怯える事なんてないの! 怖がる必要なんて何処にもないわ」
親指の爪を噛む仕草。
目を見開いたまま、汗を滲ませて早口でまくし立てた。
立ち込める怯えに似た感情。
憑かれたような様に、周囲は押し黙る。
「だから大丈夫。死ぬなんて嘘よ。
あの人が言った事は全部デタラメ。怖くないわ。そう、何も怖く……」

何かに呼ばれたように顔を上げる明美。
その瞬間、彼女は。
人垣を挟んで離れた位置に自分を見つめる黒いスーツの青年を見た。

こられきれず、あげる悲鳴。
口を押さえるが声は周囲に轟く。
何事かと顔を見合わせ、問い、いぶかしげに見つめる視線を気にする暇はない。
ただ震え。

あの夢は真実であった事を、その身で知る。

「は! あ……ああ! あぁああ! 死に、し、死神! 死神が! 死に……!」
「須藤さん! 大丈夫ですか!?」
「しにが、死神が! 死神!来ないで、お願い! 私を殺さないで!」
肩を揺さぶられても顔を真雪から離そうとせずに絶叫するように懇願する。
流れる涙は何を意味するのか。
震え、泣き叫ぶ明美を真雪は見つめた。
家々に反響する声、それでも焚かれるフラッシュと、
人々の困惑と興味の入り混じった視線。
「10秒前」
真雪は腕時計を一瞥し、低く呟いた。
周囲の人間には明美の視線の先の彼が見えていないのか、関心を持つこともなく。
ただ狂ったように我を忘れる女を見、立ちつくした。
「何でも話すわ! 本当の事! お願い、殺さないで! 嘘でしょう!?」
髪を振り乱し、首を横に振る姿。
人を掻き分けてスーツ姿の男達が明美に何かを言い、なだめようとしているのが見える。
「死ぬのは罰じゃないんでしょ!?」
「3」
「死にたくない! 嘘だって言ってよ!」
「2」
重なる明美の声と真雪の声は、対照的に聞こえた。
動かず、作り物の世界の中で二人は見つめ合う。
「答えて死神!」
「1」
「死……!」

「ゼロ」

その声と共に明美の叫び声は途切れ。
この場から音も動きさえも消えた。
目にしみるような赤が地面に倒れている。
明美を囲んでいた警察関係者らしい男たちですら、動けずにいた。
「救急車!! 急げ!」
「須藤さん、須藤さん!?」
一瞬の静寂から一転、周囲は再び騒然となる。
真雪は俯いたまま動かなかった。
手を強く握り締めて懸命に何かに耐えるように唇を噛む。
空気ですら、己を攻撃する刃のように感じた。
「4月19日 14時02分、確認完了」
状況を把握しようと身を乗り出す輪の中で呟く声。
俯いた顔は髪で隠され、真雪がどんな顔をしているのか知る事は出来なかった。
ただその声は何かを押し殺すようでもあり。

それを聞いた者はなく、
彼を死神と知る由もない。

やがて人の輪から離れ、聞こえる足音。
黒いスーツの姿は小さくなる。
「やっぱり俺は人殺しだ」
漏れた声は誰にも届かなかった。

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