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7. 花散ル

「美冬っ! 美冬、聞いた?」
「おはよー。由香、どしたの?」
「……って、あんた朝から何でそんなヘビーなモノ食べられんだよ」
チーズかつサンドを手に持った美冬が自分の席に手をつき
身を乗り出す少女に穏やかに笑う。
私立東ノ宮大付属高等学校、3年2組。
普段なら授業の時間だというのに、一向に始まる気配はなく。
教室全体は大きなざわめきが広がる。
誰もがいつもと違う空気を感じていた。
「美味しいよ。ひとくち食べる?」
「食べない! つーか、食べてる場合じゃないの」
「何で?」
「現国の樋口、死んだんだって!」
一呼吸おいて吐き出された緊迫した言葉に、口を開いたままの表情で固まる。
大きく数回瞬いた。
「……食あたり?」
「ちっがーう! 真面目に聞け!
だからぁ、なんかの例えとかじゃなくてマジで死んだらしいんだって!」
一気にまくし立てる苛立った声。
自分の席に座っている美冬は周囲を見渡し、
目の前で険しい表情を浮かべるショートヘアのクラスメイトを見つめる。
聞き耳を立てるとクラスのあちこちで同じような会話をしているのが聞こえた。
「何それ。死んでたのって、今日?」
「そ。なんか朝、廊下でぶっ倒れてたんだって」
「何でまた。誰かに刺されたとかいうオチじゃないよね?」
「いや、よく分かんないけど病気らしいよ……ってかさぁ」
急に小声になる。
由香は前の席に座ると、美冬の方に身体を向けた。
他人に聞かれたくない話なのか深刻そうな顔を近づけてくる。
「実は、ソレ絡みで変な話聞いちゃったんだよねぇ」
「変な話?」
口を動かしながら美冬が首を傾げる。
由香の視線が周囲を見渡し、短い沈黙。
つばを飲み込む動作が見えた。

「なんかさ、黒い袴の女の子見ると死ぬらしいって」

その言葉に動きを止めたのは美冬だった。
ひそめているはずの声が内側で大きく、何度も響く。
「職員室で聞いちゃったんだ。
樋口が黒い袴の女の子がどーのって数日前から言ってたんだってよ」
由香は黙りこくった美冬の様子を気にするわけでもなく
椅子の背もたれを抱く格好のままで視線を宙にさまよわせた。
「んでね、更にさ。あーちんの知り合いの友達も黒い袴の女の子見えるって言ってて
いきなり死んじゃったらしいんだわ。おっかなくね?」
「……」
「あれ? 美冬、どした?」
身体を起こし、自分を凝視する瞳に尋ねた。
けれど、それは自分の方を向いているのに見えていないようでもあり。
由香は美冬の顔の前で手を振ってみせる。
「おーい?」
「あ」
「美冬どしたの? 中の人、また留守になってた?」
「いや、そうじゃないんだけど」
我に返った美冬は、上の空のままでぎこちなく笑って唇を噛んだ。

一昨日の花屋の隣のビルからの飛び降り自殺に続き、また人が死ぬ話だ。
こんなにも立て続けにこんな話を聞くとは。
しかも、由香の言っていた『黒袴の女の子』の噂。
それはウタカタという名の死兆星の事ではないのか。
以前の彼女の言葉やダンデライオンの語っていた内容を思い出せば、
あながち自分の憶測は間違っていない気がする。
美冬の頭の中に疑問が駆け巡った。
疑問の中に浮かぶのは漠然とした不安に似た予感。
打ち消そうとしても、それは雲のように広がっていく。

「……立て続けにそんな話聞いたなって思って」
ため息混じりに呟くと、由香は好奇心をたたえた目を向ける。
所詮ごく身近な人間のものでない限り、死は他人事なのだと実感する。
手に持ったままのかつサンドを頬張りながら、指で唇をぬぐった。
「一昨日も飛び降り自殺の現場に居合わせてさ。あたしは直接見てないんだけど」
「えぇ、マジで!? どこ?」
「緑ヶ丘の花屋さん。ほら、奈々ちゃんが好みっつってた店員さんのいるお店だよ」
肩を掴まんばかりで食いついてくる声に苦笑する。
美冬の顔に広がるのは憂鬱な色。
「友達が見たんだけど、ちょっと変だったらしいよ? って、いうのがさ……」
声にかぶるようにして聞こえたドアが開く音。
ざわめきを断ち切るそれに視線が集中し、
クラスメイト達は自分の席に慌てたように着席した。
「おら、席付けー! ホームルームはじめっぞー」
室内に響く太い男の声。
驚いたように静止していた美冬は、慌ててパンを口に入れようとする。
「藤堂! おめえ、家で朝メシ食って来いって言ってるだろーが」
呆れた声と共に壇上から視線を向けられ、肩をすくめた。
「むぐぅ」
「……コイツ、家でも朝飯ちゃんと食べてんだけどね」
前の席の由香の背中が小さく呟くのが聞こえる。
離れた位置に見えるジャージ姿の男性教師の話に耳を傾けながら
美冬は咀嚼を続けていた。


3時限目。
美冬は通り抜ける声を聞きながら窓の外を眺めていた。
校庭では体育の授業をしているらしく鮮やかな色の点が散らばっているのが見える。
朝から学校は奇妙な雰囲気のままで、どの授業でも話す話題は同じ。
生徒も教師も興味は男性教師の突然死に向けられていて、どこか上の空だった。
美冬は無意識のうちにため息をつく。
黒板に書かれた文字をノートに写しつつ、頭の中に浮かぶのは今朝聞いた噂。
そして、一昨日の飛び降り自殺。
「……ページ、3行目。この文が示すのは」
眠気を誘う声の中で周囲を見渡すと、広がっているのは相変わらずの風景。
机に突っ伏している者、ノートに写している者や
引き出しに隠した何かを読んでいるらしい者の姿が見える。
けだるささえ感じる静寂に満ちた空気。
気が付くと答えが出そうもないことを考えている事に気が付いた。

こんなにも立て続けに人が死ぬものなのだろうかと心の中で呟く。
偶然か、それとも必然か。
真雪から聞いた話では一昨日の飛び降り自殺も異常なものであったらしい。
花を持ち、童話を語る男。
死は美冬にとって身近なものだった。
此岸に身を置き、チェイサーという仕事をやっていれば嫌でも死を見ることになり
自殺のニュースも毎日のように報道されている。
けれど何なのだろう、この違和感は。
漠然としていて分からないが、どうしても――

「……ハーメルンの街に1人の笛吹き男がやってきた」

静寂をざわめきに変える声。
美冬が弾かれたように視線が集中している方向を見た。
席を立つ音。
教壇の目の前の席の男子生徒が机を見つめたままで呆然と呟いている。
夢でも見ているのか。
「ネズミの被害に悩む人々に彼は言う『残らずネズミを退治しましょう』」
「椎名? どうした、椎名」
周囲の人間が恐る恐る声をかけても反応はない。
その様子は声が聞こえていないようでもあった。
波のように広がる戸惑いと不安、そして戦慄。
「どうしたんだ? 大丈夫か?」
教師が肩を掴んで椎名を揺すっても反応はなく。
されるがまま、力なく身体が揺れる様は人形を思わせた。
顔を上げる。
気が抜けた表情、焦点の定まらない瞳。
「それと引き換えに望むのはお金」
何処か遠くを見つめ、どこか微笑む声で言葉をつむぐ。
美冬は、数メートル先の椎名を怪訝な目で見つめた。
心が揺れているのが分かる。
「人々は笛吹き男に頼んだ『この町のネズミを1匹残らず退治してくれ』と」
静かな声が夢心地で言う。
この教室からまどろみの時間は消えうせ、全ての目が椎名に向けられていた。
「椎名! おい、しっかりしろよ!」
「……何アレ。ちょっとヤバくない?」
クラスのあちこちから漏れる言葉。
息を飲み見つめる美冬の腕を指がつつく。
我に返って顔を向けると由香が身体ごと振り返り、眉間にしわを深く刻んでいた。
「ねえ、どうしちゃったの?」
「……由香」
「あんなクソ真面目な椎名が、あんなんになるとか有り得なくね?」
「ねえ、由香」
小声につられて、つい声を潜め名前を呼ぶ。
周囲を見渡して前かがみになった。
そんな真似をしなくても周囲の人間の耳に届かないと思いつつも。
「同じだよ」
「へ? 何が」
「同じなの、椎名君が」
「だから何と?」
訴えるような声に由香が困惑気味に聞き返す。
美冬と椎名を交互に見る視線。
「……笛吹き男はねずみを笛でおびき寄せた」
「飛び降り自殺した人とだよ。椎名君、多分その人と同じコト言ってる」
「はぁあ!?」
「川に沈め、人々の望みを叶えた」
声が入り混じる。
騒然とする教室。
椎名の肩を男子生徒が掴んで怒鳴るが反応はない。
声の調子も声量も変わらず、淡々と語り続ける彼は機械を思わせた。
「ちょ、ちょっと待って。どういう意味?」
「だってハーメルンって……真雪が言ってた」
怪訝な視線に畳み掛けるように。
「真雪が飛び降り自殺の人がハーメルンの話してたって言ってたんだよ」
美冬が張り詰めた声で自分に言い聞かせるように呟く。
その視線の先。
椎名は不意に右手を上げた。
彼を囲むように立っていたクラスメイトや教師は一瞬怯み、動きを止める。
次の瞬間、美冬が見たのは。

握られた右手をゆっくり開く椎名。
舞い落ちる、目に染みるほど白い花一輪。
スローモーションで踊るように床に落ちる。
誰もが目で追った。

「!」
美冬は目を見開いたままで思わず口に手をあてた。
驚きの声を上げるのを抑える。
「けれど人々は……金を……は」
突如、椎名は視界から消え。
糸が切れたように足元から崩れ落ちた。

叫び声と机や椅子がぶつかる派手な音が混じりあい、更に教室は騒然する。
追い討ちのように大きく響く床に倒れこむ音。
ここに日常はない。
動揺は感染し、大きな波となった。
「椎名! おい、椎名!!」
「救急車!」
「しっかりしろよ!」
一拍置いて怒号に似た声が飛び交い、足音が激しく行き交う。
ドアを力任せに開け放ち、廊下を掛ける音。
強い口調で指示する声、悲鳴に似た呼びかけ。

混沌の中
美冬は固まり、ただ呆然とするしかなかった。



「ハーメルンの笛吹き男の話をして倒れた?」
昇降口から出た所で真雪が顔をゆがめて声に戸惑いを滲ませた。
ブレザーとワイシャツの前の開け、制服を着崩した彼の隣で
沈んだ表情の美冬は力なく頷く。
下校時間には早すぎる昼前の時刻、校舎から吐き出される無数の生徒。
多くの人影に追い抜かされながら2人は今にも止まりそうな速度で歩いていた。
「その話はよく知らないんだけど……多分、そうだと思う。ハーメルンの街って言ってたし」
「またその話か。なんなんだ? 一体」
空を仰いで、顔をゆがめると苛立ったように呟いた。
「……しっかし、人が倒れたぐれーで臨時休校ってのも変な話だよな。
いや、倒れたくらいって表現はちょっとおかしいけど」
「言ってる意味は分かるよ。普通じゃ考えられないよね」
「ああ。確かに動揺してるからっつー理由は分からないでもないけど
どーも過敏すぎる気がすんだよな、反応がさ」
自分を包む暖かな日の光も今は感じることが出来ない。
周囲の笑い声混じりの話し声も耳に入った側からすり抜けていった。
「それは樋口先生が亡くなったからでしょ?
同じ日に2人もそうなっちゃったら仕方ないんじゃないかな」
ため息混じりに呟く。
真雪が動きの動きが止まり、顔を向けた。
「今日倒れた奴、死んだのか?」
「助かる可能性は低いんじゃないかって言ってた。教室で倒れた時点で呼吸とか止まって……」
美冬の足が止まる。
考え込むように何もない前方を睨むように見つめていた。
視線が何かを求めるように動き、唇を噛む。

「どうした?」
数歩先で立ち止まった真雪が振り返った。
何か言いたそうに見つめる顔に視線を向け、言葉を待つ。
「真雪、やっぱり椎名君は飛び降り自殺した人と同じだと思うんだ」
「なんだよ、急に」
「共通点が多すぎるの。どうしても偶然には思えなくて」
「今回は自殺じゃねえじゃん。倒れたんだろ?」
「そうだけど」
下校する生徒の視線を感じる。
人通りの多い校門までの道で男女2人が立ち止まり、
深刻な顔をしていれば興味を惹くのは当たり前かもしれない。
「でも、白い花持ってたしさ。それに……」

「天使じゃなかった」

歩き出そうとした真雪の動きが止まる。
静止する時間。
「天使のベールが見えなかったの。
普通、瀕死の人だったらベールは見えるんだよね?」
「ああ。またか?」
搾り出すような声に美冬が無言で頷く。

真雪の脳裏に浮かぶのは血にまみれた飛び降り自殺の光景。
あの時は気が付かなかったが、
考えてみれば息も絶え絶えだった彼にベールは見えなかった。
死期の近い人間であれば見えるはずの白い衣。
それは一時的に死に直面した人間にも見えるはずなのに。

「1回ならともかく2回もなんて。
しかもベールだけじゃなくて白い花も一緒なんだよ?」
不安げに瞳が揺れ、伏せられた。
視界の端で身を踊らせた木々の葉ずれの音が聞こえる。
押し黙る2人の間に割り込むように吹く風。
俯いたままで唇を噛む美冬の頭に手を乗せた。
驚いて顔を上げた先にあるのは、軽く息をつく穏やかな顔。
言葉を選ぶ無言の後、真雪が口を開きかけると。

「立花君、彼女を泣かせてはダメよ?」

二人を追い抜く微笑含みの楽しげな声。
その声の方向に思わず顔を向ける。
真雪の顔に広がる苦笑と呆れ。
「泣かせてねーっつーんだよ」
「ユキの浮気者。僕がいながら他の女の子に手を出すなんて」
「変な事言うんじゃねえ、千里! お前がそういう事言うから……!」
黒髪の女子生徒と中性的な顔立ちの男子生徒が並んで校門へ向かうのが見えた。
ため息をついて髪をかきあげる。
振り向き笑う2人に苦笑しながら小さく手を振ってみせる真雪の隣で
美冬は不思議そうに見比べていた。
「浮気者?」
「違うって、あれは俺の友達とその彼女だ。あーやって俺の事よくからかうんだ」
「……僕がいながら?」
「だーかーら! ……だー! もう、あいつらのせいで完全に調子狂った!」
怪訝そうな声に答える疲れた声。
真雪は美冬の髪を乱すように強めの力で頭を撫でる。
「考えるのやめだ! こんなの俺達が考えても分かりゃしねえよ」
「え?! ってか、髪の毛ぐちゃぐちゃにしないでよぉ」
「出かけんぞ、美冬。付き合え」
頬を膨らませて髪を手櫛で整える美冬を真雪が笑う。
今までの重い雰囲気を変えようとするかのように。
「どーせ事務所に行くには早い時間だからメシ、食いに行こう。気分変えようぜ」
「へえ?! い、いいけど……でもさ」
「『でも』はナシだ。このままだと必要以上に暗くなっちまいそうだしな」
背中を軽く押すように触れる手。
真雪は口元に笑みを浮かべて歩き始めた。
呆気に取られたように呆然と見つめ立ちつくす美冬に振り向く。

「笑え。しかめっ面ばっかしてんの、かわいくねーぞ」

笑いを含んだ声が前を向き、歩き始めた。
数秒の沈黙。
光を放つような緑の中、美冬は慌てて前を歩く背中を追いかける。
アスファルトを叩く靴音が周囲の笑う喧騒の中に溶けた。

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