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6. black or white

雲の隙間から光の帯が伸びていた。
金色の光と厚くなった人の波で、夕暮れの時刻が始まった事を知る。
曇天模様であるせいか、いつもよりも日暮れが早い。
差し込む光が辺りをオレンジ色に染めていた。
闇と逝く太陽の色が混ざり合う、わずかな時間。
街は非現実的な景色になる。
「どうした?」
隣を歩く美冬が空を気にして、仰いだままでいる事に気付いた真雪は
不審そうに尋ねた。
視線を辿るが、特に変わったものはない。
「あ、ううん」
声と視線に気付き、曖昧な返事が返ってくる。
マフラーに顎を埋めながら歩く美冬の足は、今にも止まりそうだった。
心ここにあらず、といった風情で脳裏では何かを思案しているように見える。
「何か見つけたか? 俺は何も感じねえけど」
「ん、そうじゃないんだけどさ」
「腹、減った?」
「いや、そういうワケでもなくて」
警戒感をあらわにした問いに、人ごみの中で苦笑する。
翡翠色の瞳が真雪を見るものの、すぐに視線は周囲に向けられた。
瞳が何かを探している。
「よく分からないんだけど、なんだか違和感があるんだよね」
「違和感?」
「うん。何に対してかとか、どうしておかしいと思ってるのかも分からないんだ。
ただ、なんていうのかなぁ」
軽く唸りながら唇を尖らせる横顔。
美冬が再度、空を仰いだ。

「なんだか、今年の冬はいつもと違う」

小さく呟いた声が辺りに響いた気がした。
真雪は動きを止め、隣の少女を見つめる。
何の変哲もない言葉であるはずなのに、脳裏にこびりついて離れない。
何故、自分はその言葉を気にしているのか――それは、真雪自身にも分からなかった。
「クソ寒いとか、そういう話じゃなくて。変な胸騒ぎがするんだよね。
ワケもなくソワソワしてるっていうか。単に死ぬ人が多いからって理由じゃない気がする」
表情を険しくしたまま呟く。
警戒をしているのか時折周囲を窺っていた。
食い入るように見つめる真雪の様子は気にしていない。
「こんなに様子がおかしいのに、どうしてみんな気付かないんだろ。
ねえ、真雪。本当に何にも感じない?」
「何かって……うーん」
眉間にしわを寄せたのは問いのせいか、それとも寒さのせいか。
人の間を掻き分けながら吹き抜ける風に体温を奪われていく。
露出した肌は、容赦なく刺す冷気で感覚が麻痺しかけていた。
思わず肩をすくめ、身体を縮ませる。
「それと関係あるかは分からねえけど、此岸が妙に静かだよな」
「此岸?」
「そう。最近、全然動きがねえだろ。毎年この時期は、どっからか湧いて出たバカが
ぎゃーぎゃー騒いでるのにさ。それどころか小競合いひとつ起きてねえ」
「あ、言われてみれば」
駅前の喧騒を背にした二人が見つめ合った。
わずかに驚いた表情で見つめる美冬に、真雪が頷いてみせる。
信号待ちの人ごみに紛れ、どちらからともなく黙り込んでいた。
周囲からは無邪気な笑い声と、話し声。
イルミネーションで化粧した街並みから聞こえてくるクリスマスソングに重なる。
「こんなの、今まであったか? 多かれ少なかれ、いつもトラブルが起きてたのに。
まあ、ゴタゴタしてるのが普通っていうのも考え物だけどさ」
信号が青に変わり、一斉に歩き出した靴音の中で真雪が苦笑気味に漏らした。
眉を上げて、おどけた表情を隣に向けてみせる。
色鮮やかな街の景色とは裏腹に、人の波は重く暗い色をしていた。
見えない何かに急かされた無数の人影が二人を追い越す。
「そういやワーズワースも同じ事言ってたな。『平和すぎて怖い。絶対何かある』
とか何とか。もっとも、アイツがそうやって心配して大事になった例がねえけどな」
「あの人は苦労性だから。ギルド側は、そう思うのが普通なのかもしれないよ。
ほら、嵐の前の静けさって事も有り得るし」
「怖いこと言うなよ。シャレにならねえ」
眉をひそめた真雪を見て、美冬が笑った。
大型電器量販店の店内アナウンスを聞きながら路地へ足を踏み入れる。
賑やかな大通りとはうってかわって、そこは既に夜だった。
両側をビルで挟まれた場所は暗く、冷気が一層濃く漂っている気分になる。
「とりあえず思い過ごしで済む事を祈るよ。これ以上、濃い一年にしたくねえ」
「同感。なんだか今年は、やたら長く感じるわ」
お互い顔を見合わせて疲れた表情で頷き合う。
ビルの隙間から覗く漆黒の空を仰ぎながら溜息をついた真雪は、
吹き上げる風に身震いをした。
首を縮めて目を細める。
「つーか、マジで寒いな。なんでこんな時に限って買い物なんか頼むんだ、あの親父は。
しかも絵本買って来いとかワケ分からねえ事言いやがって」
「さっきまでサボれるって喜んでたクセに」
「こんなに寒いなんて思ってなかったんだよ。凍死するぞ、コレ」
「バカね、東京で凍死するワケないでしょ。まったく大袈裟なんだか……」
 
突然。
今まで呆れた表情を浮かべていた美冬が、弾かれたような反応を見せた。
指に触れた体温に驚き、静止する。
息を飲む表情、大きく揺れた肩。
何か言いたげに数度口を動かすが、言葉になっていなかった。
「どうした、そんな猫みてえな反応して」
「『どうした』は、こっちのセリフよ! きゅ、急に手ェ掴まれたら驚くじゃない!」
「いや、寒いから手ェ暖めようと思ってさ。驚かせるつもりはなかったんだけど」
「ビックリしたよ、もう!」
予想外の反応に、真雪は唖然とした表情を浮かべる。
繋いだ手は驚いた拍子に離れ、宙に浮いたままだった。
そんなに驚くような事をした覚えはないのだが――真雪は心の中で呟くと、
何事かをごちながら、視線を合わせようとしない美冬を見つめる。
身体の内側には鼓動が響いているが、どちらの物かは分からなかった。
「そんなに驚く事ねえじゃん。しょっちゅう手ェ繋いでくるクセにさ」
「それとこれとは別! あたしはいいの、あたしは」
「意味分からねえよ。それより、なんでお前赤くなってんの?」
「ううううるさい! 赤くない! 赤くなんてなってないもん、真雪のバカ!」
不貞腐れた口調が怒鳴り声に変わる。
美冬は赤くなりながら、顔を覗き込もうとする死神の腕を何度も殴っていた。
怪訝と困惑をあらわにしていた真雪の顔に、からかいの色が浮かぶ。
「なに、手ェ握られて照れてんだ? 可愛いなぁ、美冬は」
「うっさい、バカ! 可愛いって言うな!」
「『急にそんな事されたら、どんな顔していいか分からない』?」
「心の中、勝手に読まないでよー!」
怒声と笑い声が重なって響く。
再度繰り出された攻撃を、避けるシルエットが見える。

美冬は一体どうしたのだろう、と真雪は考えていた。
普段の彼女なら手を繋ぐ事は日常茶飯事で、ここまで驚かないはずだが。
だが、今の彼女は手が触れた事に過剰な反応を見せている。
赤くなり、目を合わせようとしない。
何がきっかけだったのかを思い出そうとしても、思い当たる節はなかった。
 
「……そ、そんな事されたら……」
「あ? なんだよ」
「何でもないわよ! 独り言だもん、でっかい独り言だもん!」
「やあねえ、最近の子供はキレやすくて」
薄暗い道の真ん中で仁王立ちになり、何か言いたげに睨む美冬。
そんな様子を見て、真雪は苦笑しながら歩き出した。
数メートル離れた所で、立ち止まってる美冬に向かって手招きをしてみせる。
二人の間を通り過ぎる、雪の匂いを含んだ風。
拗ねた視線と笑う視線がぶつかる。
「ほら、からかって悪かったってば。兄ちゃんが悪かった」
「ホントだよ」
「だから、とっとと買い物済ませて帰ろうぜ」
「……手」
ぶっきらぼうに放たれた言葉に、離れた位置にいる真雪が首を傾げた。
瞳が、その意味を問う。
相手がどんな表情をしているのか、背後にあるネオンの光が邪魔して
お互い分からなかった。
黙り込むと、周囲から街の喧騒が耳に飛び込んでくる。
呼吸も躊躇いがちになるほどの静寂の中では、それはひどく他人事に聞こえた。
「手、繋いでくれたら機嫌直す」
白い息を生みながら、美冬は言った。
視線は真雪を捉えるものの、すぐにそらされる。
数メートル先へと差し伸べられた手。
その姿は、まるで駄々をこねている子供だった。
ややあって、彼女の顔と手を交互に見ていた真雪が息をつくように微笑む。
そして。

「本当? じゃあ、繋いであげる」

その声は、真雪のものではなかった。
小さく漏れる笑いと楽しげな調子。
二人の動きが止まり、こわばった表情で声の方向に顔を向ける。
空気が変わり、周囲の色彩が抜け落ちた感覚。
真雪は振り返り、美冬は仁王立ちの格好のままで固まっていた。
強く握る拳が警戒と緊張感を表している。
静まりかえった一帯に、風だけが通り過ぎた。
「寒いね。けど、今日は雪にはならないらしいよ。降っても雨だろうってさ」
街の灯でシルエットが浮かび上がる。
ゆっくりと近付いてくる足音は、鼓動と同じリズムを刻んでいた。
それは街の喧騒を飲み込み、静けさに変えていく。
全てが止まった景色の中で唯一動く影。
「冬の雨って一番タチが悪いよね。濡れるし、余計寒く感じるんだもん。
いっそ雪の方が、寒くても諦めがつくのに」
あどけなさを残した声音ではあったが、口調は落ち着いていた。
現れたのは美冬と同じくらいの身長か、数センチ高い程度の少年。
高い位置で緋色の髪をまとめた彼は、二人と数メートル離れた位置で立ち止まる。
中性的な顔立ちをしていたが目と頬の辺りに傷跡が走っている。
口元は微笑んでいるのに、瞳には敵意が宿っていた。
「いい夜だね。いや、『はじめまして』って言った方がいいかな?」
間をすり抜ける微風に少年のロングコートが揺れる。
無言で見据える二人の姿を見比べて、吹き出すように笑みを漏らした。
「そんなに警戒しないでよ。僕がいじめっ子みたいじゃないか」
「……あんた、誰よ」
「ちょっと話しかけただけで、そういう反応するかなぁ」
からかうような口調に美冬が不機嫌そうに目を細める。
足元から少年を観察すると、隣に並んだ真雪に目配せをした。
ぶつかる視線。
真雪の表情から、彼も相手の正体を探っているのが分かる。
 
以前から自分達を知っているらしい少年の反応に、美冬は戸惑っていた。
そして、彼が纏うのは死臭と血の匂いだ。
間違いなく此岸の人間だろう。
何故、自分達に話しかけてきたのか。エニグマだという事を知っているのか。
攻撃してくるのか。それならば、どう動くのか。
頭の中には疑問ばかりが浮かぶ。
冷静になろうと思えば思うほど、どこからか焦りに似た感情が生まれた。
 
「お前、俺達に何の用だ?」
「怖い顔しないでってば。僕、興味があるだけなんだ。お兄さん達ってエニグマなんでしょ?」
面倒臭そうな口調で話していた真雪の動きが止まる。
たった一つの単語で眼光が鋭くなった。
足元の砂利を踏む音が大きく響く。
表情は平静を装っていたが、後退した右足やコートのポケットに突っ込まれた手が
警戒している事を饒舌に語る。
「そんなに驚く事かな? 此岸じゃエニグマを知らない人間なんていないよ。
『生と死の象徴』だっけ? まあ、大体空気を――」
「いいから質問に答えろ。お前は誰だって聞いてんだよ」
「それはこっちのセリフだよ。教えて欲しいなら、僕の質問にも答えるべきじゃない?
それとも、そういう口の利き方するのはケンカ売ってるってコト?」
頬に触れる髪を指で払うと、目を細めて見せる少年。
一見何も考えずに立っているように思えるが、瞳は二人の些細な動きに対して
敏感に反応していた。
漆黒の中で、彼の白いコートだけが浮いて見える。
まるで雪を思わせる色だった。
「まあ、名前くらい教えてあげても問題ないか。どうせ知る事になるんだもんね」
聞こえた独白。
気が付くと周囲は暗くなり、黄昏の気配もなくなっている。
曇天か夜空なのかも分からないほどの闇が街に広がっていた。
遠くから車の往来の音と、場違いなほど陽気なクリスマスソングが聞こえる。
「僕はヒルデマール。君達と同じ種類の人間だよ」
「同じ種類?」
「そう、人殺しと死体の上でしか生きられないモノ。死体の山の上に立ち、
雪が降るのを待っている」
言葉と舌打ちが重なった。
美冬は拳を更に強く握り締めると眉間に深くしわを寄せる。
何かを言おうと口を開くが、言葉を伴わずに強く唇を噛むだけだった。
「一緒にするなって顔してるね。自分は違うって言いたい?
だけど、今までを思い出してみてよ。本当にそんな風に言える?」
「ケンカ売ってるのは、あんたじゃないの。いい加減な事を言うのはやめてよ。
人を怒らせて何が楽しいの?」
「そこで怒ると図星を指されてキレたって取るよ、エニグマのお姉さん。
口じゃ否定してるけど、心のどこかじゃ分かってるんでしょ。顔に書いてある」
怒りを押し殺す様子を見て、ヒルデマールの声に笑みが浮かぶ。
手を後ろで結び、前かがみになって美冬の顔を覗き込んだ。
薄笑いを浮かべたままで反応を伺う顔と、嫌悪感をあらわにする顔。
対峙した三人は、無言のまま見つめ合う。
「じゃあ、今度は僕の質問に答えてもらおうかな。聞きたい事は山ほどあるんだ」
耳元で風が唸った。
ヒルデマールはコートの中に手を突っ込むと背中に手を回す。
数メートル先にある、睨む顔を眺めたままで微笑むように目を細めた。
何かの気配を察知した真雪が、ポケットに突っ込んだままの左手を出す。
何事かを呟く唇。
耳鳴りを伴う沈黙が漂った。
些細な動きにも互いの瞳が反応する。

「死体を殺した気分って、どんな感じ?」

一瞬、息が詰まった。
音の一切が消え、投げかけられた問いの意味がを捉え損ねる。
数秒間の空白。
鼓動が早まり、息をするのにも力がいる。
動かない身体に反し、瞳だけが落ち着きなく動いていた。
「な、に言って……」
「あれ、忘れちゃった? 4月頃、チャリオットって人が死んで生き返ったでしょ。
あの人を殺したのは君達だって聞いたんだけど」

その言葉が終わるか否かのタイミングで、風が大きく動く。
闇の中で動く影。
見えたのは翡翠色の髪が流れる残像、真紅、銀色の鋭い光を放つ刀身。

「美冬、ダメだ!」
「それをどこで聞いた!?」
風を切る音と重なる怒号。
平然と放たれた言葉は引き金となり、美冬が一気に間合いを詰めた。
いつの間にか姿を現したショートソードを掴み、後方へ大きく振るう。
地面を蹴り、駆ける。
切っ先はヒルデマールの首元を狙っていた。
「落ち着きなよ、エニグマ。そんな太刀筋じゃ絶対に僕を獲れない」
「うるせえ、質問に答えろ! 何でその名前を、そんな事を知っている!?
あんたは誰で、何者だ!」
「本当に、あのオジさんの言ったとおりだね。感情的で、猪突猛進。
俗に言う所の『脳ミソ筋肉』『頭より先に手が出るバカ』ってヤツだ」
ショートソードは目の前に立つ少年を捕らえる事はなかった。
代わりに聞こえてきたのは間近から漏れる笑みと、ゆっくりと言い聞かせる声。
ヒルデマールは美冬の手首を掴んだままで、額をあわせるように顔を近づける。
瞳を覗き込み、笑った。
「離せ!」
「嫌だね。ここで手を離せば、君は同じように攻撃を仕掛けてくるだろうから。
マトモに話が出来ないじゃないか」
「ふざけんな、離せ!」
「痛い目、見ないと分からないかな? ……言っとくけど、そっちのお兄さん。
変な動きしたら、彼女が死ぬからね。それでもいいならスキル撃ちなよ」
手から逃れようと美冬がもがくが、ヒルデマールは微動だにしなかった。
薄く笑みを浮かべた顔に殺意が浮かぶと同時に、手首を掴む手に力がこめられる。
骨が軋む感覚に美冬の顔が歪んだ。
「美冬を離せよ、クソガキ」
「嫌だって言ってるだろ。さっきの話、聞いてなかったの?」
「それ以上、美冬に危害くわえるとタダじゃおかねえぞ。こんな街中で
やりあうワケにもいかねえだろうが」
真雪が声を押し殺して言う。
眼前にかざした手は淡い光を宿し、風を生んでいた。
均衡する状況に息をするのも躊躇う。
手首を掴まれて身動きの取れない美冬と、ヒルデマールにスキルを撃とうとする真雪。
睨み合う、無言の時間が過ぎていく。
「ふふ、面白いなぁ。そんな反応されたら、もっと苛めたくなっちゃうじゃないか。
『こんな事したら、どうするんだろう?』って試したくなる」
二人の顔を見比べていたヒルデマールが堪えきれない様子で笑った。
コートの裾を大きくはためかせながら、空を仰ぐ。
そして、美冬を見つめた。
口元に微笑は浮かべているものの、それぞれ色の違う双眸には楽しげな殺意が浮かぶ。
「よし。機嫌がいいし、良いコト教えてあげようかな」
一息ついた後、発せられた言葉。
今まで掴まれた手を外そうとしていた美冬の手から一瞬、力が抜けた。
予想外の言葉に怪訝な表情を浮かべ、間近の顔を見つめる。
「チャリオットの話。聞きたいでしょ?」
「……何が目的なの、あんた」
「人が親切にしてあげてるのに、そういう反応? 可愛くないね、お姉さん」
遠くで咆哮が聞こえた。
ヒルデマールは呆れた目で美冬を一瞥すると、肩で大きく溜息をつく。

「チャリオットはね、ある女の子に恋をしていたんだ」
ビルの隙間から覗く街の灯は、夜を恐れるように煌々と光を放っていた。
遠くに見えるイルミネーションの鮮やかな色を眺めながらヒルデマールが話し始める。
路地には濃い沈黙。
「その女の子は悪い魔王に捕らえられて、高い塔の上にいる。チャリオットは
彼女を助けてあげたくて、あんな真似をしていたんだよ。魔王にそそのかされてね」
真雪と美冬は顔を見合わせた。
無言のままで視線だけで会話をしているかのように。
困惑した表情をヒルデマールに向け、言葉の続きを待った。
「人から魂を奪えば、その分だけ彼女を自由にしよう――そんな事を言われて、
自分から望んで死人になった。魔王の言葉は嘘かもしれないのに、
それをバカ正直に信じたんだよ」
「小鳥に恋をした狼……」
「ああ、あのオジさんはブルーバードを小鳥って言ってたね。籠の中の小鳥、だっけ」
美冬が小さく呟くと唇を噛んだ。
落ち着きなく動く瞳。
握り締めた拳が小刻みに震えているのが分かる。

美冬は、春に起きた出来事を思い出していた。
チャリオットの討伐の為に訪れた東京タワー。
美冬の攻撃に倒れ、息も絶え絶えになった彼は言った。
『小鳥は籠の中にいる。いつも外を夢見て、空に恋をしているんだ』
『頼む、彼女をハーメルンから守ってくれ』
『……ブルーバード。すまない、お前を空へ解き放てそうもないよ』
あの光景を思い出す度に震える。
ヒルデマールの言っている事は、自分を動揺させる為だと言い聞かせても
心の中で何かが暴れたままだった。
そして、何度考えても辻褄が合っている気がした。

「チャリオットは何が何でも、あの子を助けたかったらしいよ。その為だったら
自分が悪者になるのも、君達の敵になってもいいって思ってたみたい。
顔に似合わずロマンティックだよね、あのオジさんも」
真雪は、美冬の動揺に気付いていた。
俯く彼女を見つめるが、彼の位置からでは表情は窺えない。
体の内側に流れてくるのは疑問の声と自責の念。
「……あんたの言ってる事は、本当なの?」
「嘘かどうかは、君が一番分かるんじゃない? 信じるのも、信じないのも自由だよ。
本人は死んじゃったし、残った人間はなんとでも言えるからね」
「もし本当なら、あたしは……」
消え入りそうな声量で呟く。
手首を掴まれたままだという事も忘れ、美冬はヒルデマールを不安げな瞳で見つめた。
数秒の静寂。
そして、ヒルデマールは笑う。

「そうだよ、エニグマ。君は罪のない人間を殺したんだ」

重く死臭の立ち込める空気の中で微笑む声が言った。
ビルの隙間、現実から忘れられた路地。
ヒルデマールの小さく笑う声だけが辺りに聞こえている。
対峙する三人は微動だにせず、静止していた。
凍る風だけが踊るように通り抜けていく。
「君が倒すべき敵はチャリオットの他にいた。もし彼の目的が分かっていたら
君達は共闘できたかもしれない。君だって、こんな風に思い悩まなかったかもしれない」
子供に言い聞かせる口調で、美冬の瞳を覗き込みながら言う。
「間違っていたんだよ、エニグマ。 君は罪のない人間を殺したんだ」
闇の中に白く浮かんで見えるコート。
漆黒の中で白と黒は対峙し、沈黙していた。
 

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