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6.  AFTERGLOW

 気がつけば、全ての景色をオレンジ色で染める夕日は沈んでいた。
あるのは名残を惜しむような残光のみ。
あと数分ほどで、あたりはすっかり暗くなるのだろう。
「樋口センセ、じゃあねー!」
「まだ残ってたのか。気をつけて帰るんだぞ」
「先生もね! 知らない人について行っちゃダメだよー!」
「誰がついていくか! お前ら、先生をなんだと思ってるんだ!」
賑やかな複数の足音が樋口を追い越していった。
幾分か大きな声で言ったものの、彼女達には届かなかったかもしれない。
遠くの昇降口付近で楽しげな笑い声が聞こえる。
昼間の賑やかな雰囲気とは打って変わって、この時間となると
校舎は静まりかえっていた。
いつもは気に留めない音も今は大きく響く。
不自然なほど明るい蛍光灯の光が、不気味さを加速させている気がした。
人影は、廊下を歩く樋口以外見当たらない。
学校内にいるのは自分だけなのではないか――そう思いたくなるほどの静けさだった。
「世界が終わる日の空は、こんな色をしているのかもしれないね」
樋口は足を止めると、窓の外を眺めて呟く。
薄暗くなり始めた空に、ピンク色に染まった雲。
まるで雲自体が光を放っているような色だった。
東の空は既に夜の色になっているというのに、西の方角ではいまだ空が燃えている。
「おっと、こんな事をしている場合じゃなかった」
数十秒が経った頃、樋口は自分が立ち尽くしていた事に気付いた。
慌てたように手にしていた書類を持ち直すと窓から顔をそむける。
一歩を踏み出そうとした時。

樋口は足を持ち上げた姿勢で静止した。
前方の一点を見つめ、驚きの表情を浮かべたままで息を飲む。動くものはいない。
あるとすれば、景色と同化してしまいそうな木々のシルエットと通り過ぎる風のみ。
「……まただ」
渇いた口の中で大きく唾を飲み込んだ。
ともすれば力がけそうになる手に力を込め、書類を強く握る。
顔をそらし、『それ』に気づかなかった振りをして通り過ぎようとするが、
それは不可能だった。
視線がそらせない。
足どころか、体全体を動かす事が出来ない。
樋口が見たもの、それは。
「また、君か」
数メートル先で彼を強い視線で見つめる一人の少女。
黒髪に黒い袴姿という黒づくめの格好でありながら肌だけは病的なほど白かった。
口を真一文字に結び、無表情で何も言おうとしない。
視線をそらそうとすればするほど、見つめられている気分になる。
「君は」
何度も言いよどみながら、ようやく口した言葉は自分の声ではないように感じた。
声と鼓動が重なってうまく聞き取れない。
足元から悪寒が駆け上り、それは指先に震えとなって現れた。
周囲の景色は消え、音は一切なくなっている。
「君は誰だ? どうして僕に付き纏う? 何が言いたい?」
樋口が平静を装いながら尋ねるが、右足がわずかずつ後退した。
瞳に怯えが宿る。
「僕は君を知らない。君とは無関係な人間なんだ」
西の空から伸びていた残光は跡形もなく消え、辺りの景色は闇と同化していた。
樋口は訴えるように言うが、少女は微動だにしない。
表情一つ変えずに彼を凝視し続ける。
白い空間の中で、少女だけが異質だった。
「本当にやめてくれ! 違うんだ! これ以上僕の前に現れるな!」
『何が 違う? 何を そんなに 恐れて いるのか』
耐え切れなくなり声を張り上げた樋口の脳裏に声が響く。
咄嗟に両耳を強く抑えるが無感情な声は間近に聞こえた。
辺りに書類が散らばり、海のように広がっていく。
どこからか迷い込んだ風が書類を躍らせ、巻き上げた。
『君は 吾を 知っている。無関係な はず など ない』
「やめてくれ!」
『ある者は 吾を 死兆星と 云う。ある者は 夜と』
響く怒声。
樋口はうわ言のように何事かを言いながら床に倒れこむ。
頭を抱えながら、何度も首を横に振った。
身体を縮めている様は身を守ろうとしてる風に見える。
廊下には樋口の声だけが響いていた。
『人が 黄昏を 愛するのは それが 終末ではないと 知っている から』
少女は樋口を冷めた目で見つめ、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
煌々と輝く蛍光灯の下で彼女の周囲だけは薄暗く感じた。
闇を纏っているかのような幻。柔らかな空気の中に、地を這う冷気が漂う。
『繰り返し 日は 自分の前に 現れると 信じている』
全ての人間が消えたような静寂だった。
樋口の耳には自分の鼓動と少女の声以外の音は聞こえない。
呼吸が乱れる。顔を上げ、少女を視認する事に恐怖を覚えた。
ここがどこであるか、何故ここまで取り乱しているかさえも分からなくなる。
咄嗟に指先に触れた紙を掴み、握りつぶした。
まるで助けを請うように。
『だが、もう 朝は こないと 知ったら』
「やめ……!」
『君は 泣くの だろうか』
少女が真横に立っている錯覚に陥る。
脳裏に響く声は無感情であるのに、笑っているように聞こえた。
樋口は、書類の中心で床に倒れこんだまま体を硬くしている。
一瞬の静寂。
この景色の中で動くものはなく、一切が静止していた。
『夜は 何人にも 等しく 訪れる。だが、君の 夜は 
一体 どこから 来た のだろう?』
少女はそう言い残すときびすを返す。
漆黒が足音もなく、まるで滑るように樋口から離れていく。
だが、数メートル先で動きが止まった。
何かを見定めたのか、ある方向を凝視する。
少女はかすかに唇を動かしたが、何を言ったのかは誰にも分からなかったという。
殺風景な空間に取り残されたのは樋口のみ。
彼は床に突っ伏したまま動かず、景色の一部と化していた。

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