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5-4 繋がる

「彼女なら朝一番の便で発ったよ」
事務椅子に座ったダンデライオンは、広げた新聞に目をやりながら
半ば上の空の調子で言った。
「なんでも向こうの支部でトラブルが起こったそうで、人手が足らないらしいんだ。
みんなに挨拶していったらどうだと言ったのだけれどね」
彼の席の前に立った真雪は表情を変えずに佇む。
平然と言い放たれた言葉が耳をすり抜けていった。
窓の外から差し込む日差しは微量の夕暮れの気配をまとい、街の色を変えていく。
十数分もすれば、辺りは黄昏の景色に変わるのだろう。
「彼女と何かあった?」
「何で?」
「なんとなく、ね」
平静を装うが、向けられた探る視線の強さに動揺した。
真雪は、ダンデライオンをまっすぐに見ようとしない。
「あんなに君にご執心だった彼女が、頑なに会うのを拒んでいたから。
それに、君やラプターの様子を見れば何かあったと思うのが普通だろう?」
言い淀む様子を一瞥すると小さく笑みを浮かべる。
室内は静まり返っており、新聞をめくる音だけが大きく聞こえた。
「ねえ、レイヴン」
「ん?」
「君のプライベートにまで口を出すつもりはないけれど、これだけは覚えておいて欲しい」
前で手を結んだ形で、視線を落としていた真雪の顔が上がる。
口調の強さに、辺りの空気がわずかに張りつめるのを感じた。
ダンデライオンの目は笑っていない。
「仕事は仕事だ。プライベートでどんな事があっても、仕事に支障を出さないように。
僕らは失敗の許されない仕事をしているんだ。何か間違いがあっては困る」
「はい」
「今回は大きなトラブルがなかったから良かったけれど、多少問題が起きていたし。
分かっているよね?」
頭上の空調から乾いた暖かい風が吐き出され、髪が頬に触れた。
数秒の沈黙。
二つの黒は、見つめ合ったままで微動だにしない。
「……申し訳ありませんでした」
「うん、今後は気をつけるようにね。話は以上だよ」
一つ頷くと、気の緩んだ笑みを浮かべる。
それと同時に口調が柔らかくなった。
重くなりかけた空気を払うように新聞をめくる音が再び聞こえてくる。
今まで目の前に立つ死神を見据えていたダンデライオンは、新聞に目を走らせていた。
 
真雪はダンデライオンの席から離れると軽く息をつく。
事務所の空気は依然として重く、居心地が悪い。
研修に来た女がきっかけで、仕事のパートナーとの仲が悪くなった。
そう言ってしまえば問題はシンプルだが、現実はそう簡単なものではない。
正体不明の苛立ちと、もどかしさが身体の中で暴れていた。
まるで自分が自分ではない感覚。
どうすればいいかは分かっている。でも――
真雪は心の中で繰り返しながら、何かを迷っていた。
溜息ばかりが何度も漏れる。
 
「レイヴン」
名を呼ばれ、我に返った。
真雪は窓から視線をはがすと、弾かれたように振り返る。
「これから何か、予定はありますか?」
「別に急ぎのものはねえけど」
「じゃあ、一緒に出かけませんか。駅ビルで面白そうな催事をやっているんです」
声の主はノクティルカだった。
戸惑い気味の調子など気にしない様子で、にこやかに話す。
だが、真雪の意識は彼とは別の場所に向けられていた。
ノクティルカの隣に立つ、美冬。
居心地悪いのか、落ち着かない様子で絡めた指を動かしている。
真雪を見ようとせず、視線は落ち着きなく辺りをさまよっていた。
どことなく不貞腐れているようにも見える。
「二人で行ってくればいいじゃん」
「そう言わずに。貴方が来てくれないと困るんです」
「何で」
知らずのうちに無愛想な口調になった。
真雪は怪訝と不満を混ぜた表情で視線だけをノクティルカに向ける。
辺りの空気が重くなっていくのが分かった。
この静寂は、誰もが聞き耳を立てているような錯覚に陥る。
「荷物持ちがいないじゃないですか」
「お前が持てばいいじゃん」
「いえ、私は箸よりも重い物は持たないと星に誓ったので」
「……誓うなよ、そんな事」
平然という言葉に苦笑が混じった。
窓から見えるのは薄曇りの空。
階下の様子は分からないが、パチンコ店のけたたましい音楽に混ざって
無数の足音が聞こえる。
そろそろ帰宅時間になるのか、人の波が流れていく感覚があった。
「とにかく、気分転換にどうですか」
「まあ、そうだな。近くだし、行ってみるか」
並ぶ二つのスーツを一瞥すると真雪は観念したように頷く。
まっすぐ見つめる視線と、不機嫌そうにそらされた視線。
気まずいからと断ったら状況が悪化するだけだ――ため息混じりに心の中で呟いた。
 
 
「あ」
「どうした?」
「すみません、携帯電話を忘れてしまいました。少し待っててもらえますか」
事務所を出てすぐ、ドアを閉めた所でノクティルカが顔をしかめた。
何事かと見る二つの視線に苦笑をしてみせる。
「うん、分かった」
「すぐ取ってきますので」
渋々といった風で頷いた美冬に小さく笑いかけると、きびすを返した。
視界の中で黒いコートが翻るのが見える。
すれ違いざま、手が真雪の肩を叩いた。
小さな笑みと何事かを伝える耳打ち。
それと同時に、真雪は大きく眉間にしわを寄せる。

廊下に大きく響いたドアの閉まる音は、更に静寂の色を濃くした。
二人以外に人影もなく、時間が止まっているように感じる。
溜息が白い形となって生まれては消えていった。
足を動かす、些細な音でさえ大きく聞こえる。
何かを話そうにも言葉は見つからず、声を出すにも力がいる気がした。
「ノクティルカさん、遅いね」
「ああ」
モノクロの景色の中で吐き出された言葉は、今にも消えそうなほど小さく。
二人は壁にもたれたまま、それぞれ違う方向に顔を向ける。
会話は途切れ、再び黙り込んだ。
聞こえるのは外から微かに届く他人事の喧騒と、浮かれた音楽。
いつも聞いているはずの音は苛立ちを生むものでしかなかった。

美冬は少し離れた位置に立つ真雪を盗み見る。
数日距離を置いていただけだというのに、どことなく違って見えた。
わずかな苛立ちが浮かぶ横顔を眺め、怒っているのだろうかと不安になる。
大人気なく嫉妬して、状況を悪化させたのは自分だと美冬は思った。
言うべき事は分かっていたが、言葉が見つからない。
心の中にある焦りや苛立ちは一体どちらのものなのか。
何かを言いかけては飲み込む動作を幾度もしながら、唇を噛んだ。
 
何秒も続く沈黙。
意を決して顔を上げて相手を見ると視線がぶつかる。
同時に言い淀み、見つめ合った。
息苦しさを感じる。
「あ、あの」
「何?」
「な、なんでもない。先に言って」
「何だよ、お前から言えって」
気まずそうなやりとりが続く。
美冬はぎこちなく視線をそらし、俯いた。
明かり取りから差し込んだ光の帯を、息を殺して見つめる。
夕暮れが近付いているらしく、日差しは先ほどよりも濃い金色になっていた。

「……悪かったな」
長い無言の時間の後、気のせいかと思うほど小さな声が言葉を紡ぐ。
真雪はスラックスのポケットに手を突っ込んだまま、天井を仰いでいた。
驚いて見つめる視線に気付いていないのか、微動だにしない。
「どうして謝るの?」
「嫌な思い、させちまったから」
「真雪は悪くないよ」
「いや、俺が悪い」
ドアを挟んだ両側に立つ二人が、互いを見る。
ややあって、美冬が首を横に振った。
その動作にあわせて鮮やかな翡翠色の髪が揺れる。
「『言ったら事務所の雰囲気悪くなるんじゃないか』とか『どうやったら
相手を傷つけないで断れるか』とか、そんなんばっかでさ。結局自分かわいさで
動いてた気がする。お前の気持ち、考えなきゃいけなかったのに」
「そんな事……」
「お前は、俺の相棒なのにな」
口元が寂しげに、曖昧な笑みを浮かべた。
話す度に白い息がつきまとう。
「真雪は悪くないよ。悪いのは、あたしなんだ。ヤキモチ妬いて、真雪に八つ当たりして」
自分の爪先を伏し目がちに見つめ、美冬が呟くように言った。
街の音にかき消されそうな声。
白と灰色ばかりの風景の中で二つの黒が佇んでいた。
「あたし、みんな仲良しなのが一番だと思ってたの。友達や知り合いが増えたら、
その分世界も広がるって」
声に自嘲の笑みが滲む。
背中に触れた壁に踵を打ち付け、リズムを刻んだ。
等間隔のそれが廊下に響く。
「でも、気持ちが追いついてなかった。真雪がクララと仲良くしてるのを見る度に
寂しくてイライラしてた。自分の居場所がなくなっちゃうような気分になってたのね」
高い位置の窓から見える空はオレンジ色に染まっていた。
長く伸びた影は動かず、固まったままで。
途切れ途切れに話し続ける美冬の横顔を黙って見つめる真雪。
表情を窺おうとするが、髪が邪魔をして知る事は出来なかった。
「自分でもよく分からない。でも、あたしにとって真雪はどんな存在なのかって事だけは
分かった気がする」
そう言うと不意に美冬が顔を上げる。
「ごめんね、真雪。いっぱい困らせた」
見つめ合い、吐き出された言葉。
時間は止まり、息を飲んだままの状態で静止していた。
遠くで聞こえる定時の放送だけが二人の間をすり抜けていく。
コートを着ていても感じる、体温を奪う冷気は消えていた。
急に、それまで黙りこくっていた真雪が息を漏らす。
そして。
「そうかそうか。美冬は、お兄ちゃんを取られちゃう気がして嫌だったんだな」
「そうやって、すぐ茶化す! こっちは真面目に……!」
溜息だと思ったものは、笑みだった。
真雪はくすぐったそうに笑うと、おどけた顔で肩をすくめる。
呆気に取られていた美冬は一拍おいて頬を膨らませた。
手が真雪を叩こうとするが、それは笑い声と共に避けられる。
「心配すんな。俺にとっての相棒は、お前だけだ。どんな事があっても一緒にいるから」
「……うん」
言いかけた抗議に重なる言葉、笑みの消えた声。
流れてくる感情から、それが口先だけではないという事を美冬は知っていた。
どんな表情をしているのかは分からない。
窓から差し込む夕暮れの日差しで逆光気味となり、真雪の表情を隠していた。
「まあ、今回はどれだけ美冬が俺の事を愛してるか分かった事が収穫だな。
大丈夫よ、俺はどんな女に言い寄られても美冬一筋だから」
「ば……あんた、何言ってんの!? 馬鹿じゃないの馬鹿じゃないの馬鹿じゃないの!?」
「姉御がボヤいてたぞー、美冬が怒って鏡とドアノブ壊したって。
やだわ、そんなに妬いてたの? 俺、愛されてるぅ」
「ふっざけんな、このくそったれ! 5回くらい死ねばいいのに!」
  
 
ドア越しに、賑やかに言い合う声が聞こえる。
ダンデライオンは、その方向を一瞥すると小さく笑った。
新聞を広げて誌面に視線を走らせているものの、彼は別の事を考えている風に見える。
時折視線が止まっては考え込むといった動作を繰り返していた。
「所長」
靴音がダンデライオンの前で止まる。
顔を上げた先にいたのはノクティルカだった。
にこやかに笑うダンデライオンとは反対に、険しい表情のままで笑おうともしない。
「レイヴンやラプターと一緒に出かけたとばかり思っていたよ」
「いえ。あの二人は話し合う必要がありましたので、少々席を外していました」
「そうか。どうやら仲直りしたみたいだね」
「ええ。それより、これを」
そう言って机の上に置かれたのは、一通の封書。
不揃いで、つたない文字が白い封筒いっぱいに並んでいる。
ノクティルカの顔と封筒を交互を見比べていたダンデライオンが、一瞬の躊躇いの後
それを手に取った。
いぶかしげにしていたが、裏面を見た途端に表情がほころぶ。
「ブルーバードからの定期便だ」
「以前、話されていた『小さな恋人』ですか」
「ああ、他愛のない内容の手紙なのだけれどね。『不思議な形の雲を見た』とか
『メジロの声が可愛くて、聞くのが楽しみだ』とか、そんな事ばかりを書いては
月に一度手紙をくれるんだ。なんでも僕は、彼女の王子様だそうだから」
愛しそうに裏面の署名を視線でなぞると、堪えきれない笑みを漏らした。
広い室内にいるのは二人だけ。
外から入り込んだ音ばかりが部屋に漂っている状態だった。
「いつも外を見ている子だから、話す内容もそればかりだよ。
彼女にとってこの世界は、美しいものと驚きで出来ているのだろうな」
「籠の中の小鳥、か」
ノクティルカの声音に敵意や怒気に似た響きを見つけ、ダンデライオンが
怪訝そうな表情を浮かべる。
疑問の目で見ても、返ってくるのは睨むような鋭い眼差しだった。
周囲の空気が次第に色を変えていくのが分かる。
「『これ』が、他の人間を犠牲にしてまで欲しい物という事ですね。
たった一人の子供の為にエニグマを目覚めさせ、犠牲にしようとしている」
「……言っている意味が分かりかねるな。どうしたんだい、突然?」
「失礼ですが、貴方の事を調べさせていただきました。前々から貴方について、
違和感を覚える事が多かったものですから」
二人の動きが止まった。
探り合う視線だけが動き、見つめる。
呼吸をするのも躊躇う、張り詰めた空気が流れていた。
既にダンデライオンの顔から笑みは消え失せている。
「去年、レイヴンとラプターを半ば強引に会わせたのも意図があったのでは?
昔からエニグマを探し続け、先見の明のある貴方だったら
彼らがエニグマである事も予感できたのかもしれない」
室内が全て黄昏のオレンジに染め替えられた。
ダンデライオンが目を細めたのは眩しさからか、それとも。
「休み続けているウォークライについても詳細を話そうとしませんよね。
それに、まさか彼女……ブルーバードと貴方が繋がっているとは思わなかった」
「何が言いたいのかな、ノクティルカ」
感情を押し殺した声で言っているものの、ダンデライオンの目は鋭い。
手に持っていた新聞をたたむ音だけが室内に大きく響いた。
漏れた溜息が、どちらの物であるかは分からない。
ノクティルカは眼鏡のブリッジを指の腹で押すと、まっすぐに目の前の死神を見据えた。
「貴方は一体何を考え、目的は何なのか……それだけです。
今の貴方は限りなく黒に近い。家族同然に思っている、この事務所の人間を
疑うような真似はしたくありません」
「ノクティルカさーん、まだー!?」
「バカ、美冬。ノクティルカはウンコしてんだから急かしちゃダメだろ」
睨む言葉に、ドア越しの無邪気なやりとりが重なった。
反射的に声の方向に視線を向ける。
何か言いたげなため息をついた後、ノクティルカは会釈をしてきびすを返した。
目で追うダンデライオン。
無感情な靴音だけが部屋を横切っていく。
ここにあるのは音を全て飲み込もうとする沈黙だった。
「……所長」
「ん?」
靴音が止まり、ノクティルカが顔だけで振り返る。
目に焼きつくようなオレンジの中に佇む黒いシルエット。
無言の時間だけが通り過ぎていった。
「私は二人を守ると決めました。彼らを犠牲にするような真似をしたら、
例え貴方でも容赦はしません」
その言葉を残して靴音はドアの向こうへと消えていく。
部屋に残されたのはダンデライオン、ただ一人。
彼は、いつまでもドアを見つめていた。

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