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5-3 鳥は飛び立つ

「何してんだ、ノクティルカ。具合悪いのか?」
怪訝そうな声が響く。
もの寂しい空気が漂う比良坂事務所に到着し、
真雪が見たのはソファに仰向けに寝そべるノクティルカの姿だった。
いつも多くの仕事をこなし、他人に疲れた様子を見せない彼が
こんな風にしているのは珍しい。
「お疲れ様です、レイヴン。具合悪いですね……お腹がすきすぎて」
「は?」
ため息混じりの声にソファを見下ろしていた真雪の動きが止まる。
予想外の返答に思わず眉を寄せた。
遠くの窓から街の夜の声が漏れ聞こえている。
凝視する視線と、疲れたように見える視線。
「レイヴン、人は空腹になると切なくなるものなんですね」
「そうだな。これからの人生、何一つ良い事がないような気分になるな」
ノクティルカはソファから起き上がると座りなおす。
ネクタイを締め直しながら伏し目がちに苦笑を漏らした。
「先ほどまで仕事をしていたんですが、
あまりの空腹に集中力が続かなくなってサボっていたんです」
「つうか、そうなる前に食えって」
「何かあったら食べるつもりだったのですが、生憎この事務所には
食材と酒類と謎の物体以外ありませんでした。
かと言って外に買いに行くのも面倒ですし」
「生きる為の努力は惜しむなよ。
そうか、昨日はウォークライが事務所待機だったから食っちまったんだな。
あんだけあったのに全部食ったのか、あの大食いは」
部屋を歩き回る靴音に呆れた声がついて回る。
真雪は台所に入り、冷蔵庫を開けた状態で視線を走らせながら考え込む。
「なぁ、念の為に聞くけど最後にメシ食ったのっていつ?」
「たしか昨日の昼だったでしょうか」
「馬鹿か、お前! 何でメシ食わねえんだよ!」
お互いの姿の見えない状態で言葉を交わす。
聞こえずらい為に声を張り上げるが、それがまるで怒っているようにも聞こえる。
今までの沈んだ空気が変わっていく。
「仕事に追われていた事と面倒なのが重なって、食べそびれ続けていました」
「マジで栄養失調になるっつーの。しょうがねえ、作ったら食うだろ?」
「はい、ありがとうございます」
扉のない台所の入り口から真雪が顔だけを出して尋ねる。
視線の先にある、眼鏡越しの笑顔に苦笑を浮かべた。

「ところで、ラプターは一緒ではなかったのですか?」
ガスコンロに水の入った鍋をかける真雪の後方で、ノクティルカが壁にもたれて問う。
「あー、美冬はちょっと仕事にならなそうなんで休ませたんだ。
親父には連絡してあるけど」
「仕事にならない、ですか」
「ああ。動揺しちまっててさ、あの状態で仕事するとヤバそうだから」
野菜を切る音に重なる上の空の声。
不意に真雪が奥のスチールラックを指差し。
「悪い、セイロ出してくれねえ?」
「はい」
ノクティルカはセイロを持ち上げながら、
何かを考えているかのように空中の一点を見つめた。
「もしかして殴り合いのケンカでもしました?」
冷静な声で吐き出された言葉に真雪が包丁を持つ手を止める。
ゆっくりと顔を向けて、首を傾げた。
「へ?」
「違いましたか。私はてっきりラプターを病院送りにしたのかと思ったのですが」
「い、いやいやいやいや! 待て! 何でそうなる!?」
「ラプターの欠勤、レイヴンの疲れた様子、血の臭い……この3点から考えて
殴り合いのケンカが妥当かと思いまして。はい、セイロどうぞ」
「お、サンキュ。つーか、んなワケねえだろ!
女と殴り合った上に病院送りにする男ってどんなんだよ!」
真雪がセイロにキャベツを入れると、鍋の上に置く。
ため息をつき見上げる天井。
「貴方から血の臭いと死臭がしているのであれば、イレギュラーに絡まれて
討伐でもしたのかと思うのですけどね。けれど血の臭いだけである上に
それは人間の物です。そうなると私の考えも自然じゃないですか」
「不自然だよ。そっか、やっぱ着替えてきただけじゃ血の臭いはとれねえか」
数秒間音がやんだ後、再び野菜を切る音が聞こえる。
「さっき、アイツと俺の部屋の下の花屋でお茶飲んでたんだけどさ。
隣のビルから飛び降りた奴がいたんだよ。これが変で……」
「また、ですか」
「え?」
意外な言葉に顔を上げた。
ノクティルカは顎に手を当てて、正面を見つめたまま。
「またってどういう意味だよ」
「いえ、何でもありません。それで何が変なんですか?」
真雪は何かを思い出したように手を動かし始める。
まな板の近くに置かれたバットの上には色とりどりの野菜が乗せられていく。
「あー、なんか変な事言ってたんだよなぁ。
それさ、あとで花屋の子に聞いたら童話らしいんだ。ハーメルンの笛吹き男っつーヤツ」
「たしか、子供達を笛でさらっていく男の話ですよね」
「そう。普通、自分が死にかけてる時にそんな話するか?」
「意味が分かりませんね」
背中に投げた言葉に頷く気配がある。
「だよな。しかもさ、そいつ花持ってたんだぜ?」
真雪が顔の横で何かをつまむ仕草を見せ、
振り返って後ろにいるノクティルカを一瞥した。
炒める音と、セイロの乗せられた鍋の火を止める音が重なる。
「花屋さんで買われたのではないのですか?」
「いや、それはないらしい。花の部分だけ摘んできたみたいな状態だったし
ニーナのトコで扱ってる花じゃねえんだと」
「ますます分かりませんね。ですが」
ノクティルカがため息混じりに呟き、真雪の隣に並ぶ。
換気扇のスイッチを入れると頭上から低いモーター音が聞こえた。
「理解できない考えの方なんて山ほどいますよ」
「まあな」
「もっとも、一度きりの人生なのですから好きなようにすればいいと思いますが」
一瞬、その声が冷たさを増す。
視線を向けると見えるのは俯き加減で唇の端をわずかに上げた横顔。
表情から感情は読み取れない。
真雪は聞き流そうとしているのか、動かす手を止めずに曖昧に微笑んだ。
「それよりもラプターの方が心配です。大丈夫なんですか?」
「どうだろうな、さすがにショック受けてたみてえだったから。
いつもイレギュラーを見てるとはいえ、やっぱり人間ってなると話は別らしい」
「それはそうでしょう。私達のように日常的に死体を見ているわけではないですし。
忘れろと言うのも無理な話ですが、早く普段の彼女に戻って欲しいですね」
軽く息をつくノクティルカを真雪が眺める。
突然訪れた沈黙。
調理の音ばかりが響き、無言の時間が続いた。

不意に。
自分を凝視する視線に気がついたのか、ノクティルカが真雪の方へ顔を向ける。
穏やかに微笑みながらも伺うような瞳。
「どうしました?」
「あ、いや」
「何か言いたそうですね、レイヴン」
その言葉に迷いを覚えた。
視線をそらし、休んでいた手を動かす。
合わせた調味料を入れると甘酸っぱい香りが周囲に広がる。
「相談でしたら話くらいは聞けますよ?」
「いや、相談っつーか」
視線をフライパンに落としたまま、口ごもる。
せわしなく動きながら、にわかに動揺する気持ちを整理しようとした。

ノクティルカに聞くべきなのだろうか。
美冬が好きなのか、と言う事を。
もともと予感めいたものを感じる事はあったが推測の域を出なかった。
だが彼女の話を聞いて、予感は確信に変わり。
自分は複雑な場所に立っている事に気がついた。
彼に気持ちを問うた所で何になる?
そう思う反面、確かめたいと思う自分自身に真雪は迷っていた。

「あのさ、ノクティルカ」
「どうしたんですか? 急に改まって」
フライパンを振りながら、懸命に言葉を選んでいるかのように。
不思議そうに見つめる視線を避けて、食材に視線を落としている。

「お前、美冬のこと好きなの?」

ノクティルカの動きが止まった。
一瞥した先にあるのは眼鏡越しの微量の動揺が見え隠れする瞳。
けれど、それはすぐに冷静な色へと変化する。
真雪を見つめ、心を読もうとしているかのように微動だにせず。
ややあって息をつくと声もなく笑った。
「それは恋愛感情という意味で、ですよね?」
「ああ」
真雪はガスコンロの火を消して入り口にもたれかかった。
感情を押し殺した瞳で相手を見つめる。
黙り込むと聞こえる、いつもと変わらない喧騒に耳を澄ませ。
「でしたら答えはYESですね。ですが、それは貴方もでしょう? レイヴン」
眼鏡のブリッジを指の腹で押上げて穏やかに頷いた。
普段と同じ、掴み所のない口調。
真雪は思いがけず聞き返されて戸惑ったように視線を泳がせる。
唇が小さく動くが、すぐに迷ったように止まった。
顔に浮かぶのは誤魔化そうとする作り笑い。
「何言ってんだよ。俺はそんなんじゃねえって」
迷った沈黙の末に出た、どこかぎこちない言葉。
探るような視線を感じるが、気付かない振りをする。
騙すのだ、相手を――そして自分を。

「そうですか。それを聞いて安心しました」

予想もしなかった言葉に思わず目を合わせる。
静かでありながら何処か不敵さが潜む響き。
ノクティルカは腕を組んだ姿勢で、
わずかに身体を乗り出すように真雪の顔を覗き込んだ。
「彼女に聞いたら貴方とは特別な関係ではないと言っていましたし、
貴方も恋愛感情はないという事ですので、
これからは隠す必要もありませんね」
口元を歪ませるように笑みを漏らす。
首を傾げるようにして真雪の瞳を見つめる。
「遠慮しなくて済みます」
「そんなの……勝手に、すればいいじゃねえか」
呟くように吐き捨てる。
見つめる沈黙と、無言の時間。
遠くで時計の針が時を刻む音を聞いた気がした。
動きが止まった空間で。

「なんて。冗談ですよ、レイヴン。
そんな顔をしても嘘をつき続けるつもりですか?」
笑いながらノクティルカが真雪の肩を軽く叩く。
重かった空気が一気に変わる中、戸惑ったような表情を浮かべた真雪。
次第にその顔に照れと気まずさに似た何かが広がっていく。
「まだまだ子供ですね。嘘をつくのが下手だ、貴方は」
「悪かったな」
「好きだと素直に言えばいいじゃないですか」
「うるせえ。ほっとけよ」
拗ねたように顔を背ける様子にノクティルカが笑いをこらえたような表情を浮かべた。
真雪は窓の外に顔を向けたまま、視線だけを動かして笑う顔に睨む真似をする。
そして、何かを考えるように再び視線を戻し。
「しっかし、お前も美冬の事が好きだとはなぁ」
苦笑を漏らし、俯き加減で呟いた。
指で髪をかくとそのままの姿勢で止まる。
「何が言いたいんですか」
「いーや? 意外とロリ好みなんだなぁと」
「……その言葉、そのままお返ししますよ」
ややあって、2人で顔を見合わせて吹き出す。
離れた位置から炊飯器が蒸気を吐き出す音が聞こえた。
真雪は髪をかきあげて、目を細める。
「まあ、ノクティルカの敵は美冬の鈍さだな。アイツは強敵だぞ」
「貴方ではなくて、ですか?」
「俺なんて敵じゃねえよ。第一、俺らがいがみ合う必要なんてねえじゃん。
誰を選ぶかはアイツ次第なんだから」
「それは確かにそうですね」
軽く頷いて、目を伏せると微笑みながら壁にもたれかかる。
そこで何か気が付いたように動きを止めた。
「ですが、ラプターはそんなに鈍いでしょうか? 確かに多少鈍い所はあるとは思いますが」
「いや、アイツの鈍さを甘く見ると痛い目に遭う。話にならねえほど鈍いんだって!
あんなんで生活に支障がないか心配になるくらいだ」
「そんなに酷いんですか?」
「だって、今日ノクティルカが……」
と、言いかけた真雪の言葉を飲み込んだのは。


「肉のありがたい匂いがするにゃー」

聞こえたのは遠くでドアの開く音と、聞き慣れた少女の声。
思わず真雪とノクティルカは顔を見合わせた。
間をおいてから、その方向に視線を転じると。
「何してんだ、美冬」
「ごはんを恵んでくださらんか」
欠勤しているはずの美冬がドアにしがみつくようにして顔半分を出して
2人のいる方向を伺っている。
「お前、俺の部屋で休んでるんじゃなかったのかよ」
「お腹すいたし、寂しくなったから来ちゃった」
「大人しく休んでろっつーの。こっちの仕事は心配すんなって言ったじゃねえか」
呆れた声の隣で苦笑が漏れる。
目の前にいるのは、いつも通りの調子の彼女だった。
静けさに支配された事務所の雰囲気が変わるのが分かる。
楽しげな音を立てて駆け寄る靴音が一つ。
「だって時間持て余しちゃうんだもん。真雪の部屋のエロ本あさりも成果ゼロだったし」
「お前、勝手に家捜ししてんじゃねえよ!」
「ラプター、もう大丈夫なんですか?」
心配そうに眉をよせるノクティルカに、美冬が苦笑混じりの笑顔で頷いた。
一瞬、何かを思うように目を伏せてから見上げる翡翠色の瞳。
「一人だと余計な事まで考えちゃうから事務所に来た方がいいかなって。
大丈夫って言い切れないけど、まあ平気だと思うよ」
「そうですか。無理はしないで下さいね」
「うん、ありがと」
口元に笑みを浮かべる。
そして、視線は呆れた表情のままの真雪に向けられた。
「真雪、ごはん作ったの? あたしの分ある?」
「いつも余分に作ってあるから残ってるぞ」
「やった! 今日は何?」
「……お前、マジで飯食いに事務所来たワケ?」
脱力したように呟く声で尋ねられ、嬉しそうに何度も頷く。
3人のたたずむスペースの後方から電子音が響いた。
音の主は炊飯器。
真雪はその方向に目を向けた後、こらえきれずに小さく笑いを漏らす。
「とりあえず飯にするか。美冬、手伝え」
「いいよ。っていうか今日の献立なーに?」
「獣らしく匂いで当ててみろよ。その位、ワケねえだろ」
「誰が獣よ! ノクティルカさーん、真雪がむかつくー!」
笑いながら台所に向かう真雪の背中を指差し、頬を膨らませた。
話を振られたノクティルカは美冬の頭に手を置くと目を細める。
「ほら、当てないと食べられませんよ? 頑張らなくては」
「うわぁあ、ノクティルカさんまでー! 二人とも死ねばいいのに!」
両手に握りこぶしを作って喚く声。
それに笑い声が重なった。

「あ、そういえば」
思い出したように動きを止めたのは美冬。
表情を引き締め、唇を固く結ぶ。
今までにぎやかな空気が変わっていく。
「どうかしましたか?」
「今日の飛び降り自殺」
わずかにこわばった声が呟いた。
「何か変だって思ってたけど、やっと分かったんだよね」
その言葉に離れた真雪が菜箸を持つ手を止め、顔を向ける。
見つめ合う視線。
「なんだよ」
警戒する声音が問う。
大きく瞬き、数秒黙った後に唇を開く美冬。

「真雪は気付かなかった? あのね――」

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