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5-2 omen

五条村雨線 緑が丘駅。
ちょうど学生の帰宅のピークなのだろう。
駅周辺は多くの学生で溢れ、花の咲くような賑やかな声が耳に届いていた。
「これは何だよ」
真雪は人の流れに逆らうように歩く。
手には魚肉ソーセージの赤いパッケージ。
それを見つめる顔は困惑していた。
「馬鹿ね。魚肉ソーセージに決まってるじゃない」
「いや、それは見れば分かる。何でこんなモノ俺に渡すんだよ」
「ひもじそう」
「ひもじくねえ」
美冬は笑い声を上げ、呆れる顔を見ながら歩く。
商店街の狭い歩道を通り過ぎる人影をかわしながら通り抜けた。
もうすぐ夕暮れのはじまる時刻、2人を包む周囲の空気は
どことなく安堵感と活気に満ちている。
普段は気にも留めない、店から聞こえる音楽も楽しげに聞こえるから不思議だ。
「随分待たせちゃったから、そのお詫びって事で」
「お詫びがこれか?」
「何が不満なの?」
「俺を魚肉ソーセージで買収できるとでも思ってんのかよ」
靴音が追いかけてくるように響く。
真雪は自分の歩く速度に美冬が遅れ気味な事に気付き、歩調を遅くした。
「んもぉ、怒ってんの? 謝ってるのに」
美冬は軽く眉間にしわを寄せて唇を尖らせる。
そしてポケットの中をまさぐる右手。
「まったくワガママなんだから」
その言葉と同時に真雪の手に新たに何かのパッケージが握らされた。
反射的に凝視する。
「貝ヒモなんていらねえっつーの!」
「いいのよ、真雪がソーセージだけで満足しないのは想定済みだったんだから。
あたしのお詫びの気持ちと共に海の恵みを噛み締めなさい」
「そうじゃねえ。つーか、お前のチョイスは親父くせえんだよ、いつも」
無意識にため息をつく。
何を言っても無駄な事は真雪は重々承知していた。
「まぁ、別に怒ってるワケじゃねえんだけどな」
「よかった」
「とりあえずソーセージと貝ヒモは貰っとくわ。後で噛み締める」
真雪がスーツのポケットにしまいながら言った。
髪を巻き上げる、わずかな冷たさと暖かさが同居する風に目を細める。
視線を向けた空は不気味なほどに青く、まるで偽りのようにも見えた。


『Douleur』はカフェを併設している生花店である。
モノトーンのビルに挟まれた鮮やかな色の洪水。
まるでその場所だけ、どこか異国から来たようにも見えた。
その店は駅から多少離れてはいるものの、
周辺住民やカフェ愛好者などに愛されており、客足は絶えないようだ。

「どれにしよっかなぁ。悩みすぎて具合悪くなりそう」
メニューを睨みながら低く唸る美冬を眺めて真雪が笑う。
白を基調にした店内は花が溢れるように置かれ
大きな窓からは眩しいくらいの光が差し込んでいた。
2人の他に客の姿はなく、まどろみを誘う静寂が流れる。
ナチュラルな素材でまとめられたノスタルジックさを感じる空間。
シンプルで、どこか洗練された印象さえ受ける。
「直感で選べよ。あんまり悩むと選べなくなるぞ」
「もう手遅れだよ。どれも美味しそうなんだもん」
拗ねたように唇を尖らせた。
「真雪はもう決まったの?」
「カモミールティーと抹茶のマーブルシフォン」
「うわーん! あたし、まだ決まんないよぅ」
「焦らなくていいっつーの。ゆっくり決めろよ」
苦笑混じりに言葉を投げ、テーブルの上に飾ってあるガーベラを軽く指先で触れる。
窓をすり抜けて聞こえる子供の歓声と足音に顔を向けた。
「決まった?」
2人の席の傍らに人の気配を感じたと思うと聞こえてくる無邪気な声。
見上げると金色の髪の青年が機嫌の良さそうな笑みを浮かべて立っていた。
メニューから顔を上げた美冬は彼を見て不意に思い出す。

ちょうど1年前、比良坂事務所に派遣されて早々に
この店の二階部分に住む真雪の元に挨拶に訪れた。
その際にこの店の庭に迷い込んだ美冬に声を掛けたのが、この青年だ。
 それからというもの、真雪の所に遊びに来ると彼と会う機会も多く
よく挨拶を交わすのだが、その度にあの日の事を思い出して苦笑してしまう。

「美冬が決まってねえってさ。ニーナ、何かおすすめある?」
「あんね、本日のケーキがオススメ!
今日はチーズケーキで、すっげえ濃厚なタイプなんだ。
クリームチーズいっぱい使うから定番には入れられないんだけど人気があるよ」
ニーナと呼ばれた青年は美冬の手にしたメニューの一文を指差して声を弾ませた。
「後はね、ローズティーかな。先週から紅茶を違うのにしてさ。
これがね、すっげー相性いいんだよ! 前より美味しくなったの」
「じゃあローズティーと本日のケーキにしようかな」
「うん、ありがとー! ローズティーと本日のケーキのセットね!」
まるでスキップをするように、足取り軽く去りかけたニーナの服を真雪が掴む。
一歩踏み出そうとした所で後ろに引っ張られ、ニーナはバランスを崩しそうになった。
不思議そうに見つめる眼差し。
「待て」
「ん?」
「俺の注文は聞いていかないのかよ」
半分笑みを口元に浮かべ、片眉を上げてみせる。
その視線の先には、何かを思い出して照れ笑いを浮かべる顔。
「あ! まゆ君ごめーん!」
「俺は空気か」
「そんなんじゃないよー。オススメして満足しちゃっただけだもん」
笑う二人をよそに、ニーナは顔の横で手を振ってみせた。
「別にいいけどさ。えーと、抹茶のマーブルシフォンとカモミールティー。
ミルクも一緒に頼むわ」
「了解っ! いつものセットだね!」
機嫌のよさそうな足音が遠ざかる。
振り返りながらニーナの背中を眺めていた美冬が顔を戻すと。
「アイツ、お前と似てるんだよな」
「へ? そうなの?」
「テンション高い所とか暴走癖のある所とか」
「……どういう意味かしら、それは」
眉間にしわを寄せる。
薄笑いを浮かべる真雪に美冬は不満そうに頬を膨らませた。

「そういえば。待ち合わせの時、何であんなに遅かったんだ?」
「謝ったじゃんか」
「いや、怒ってるんじゃねえって。不思議に思っただけだ。
なんか用事があったのに無理に呼び出しちまったかなって思ってな」
椅子を引くと室内に大きく音が響く。
花を扱うスペースから吹いてくる風が髪を揺らした。
柔らかな中にも涼しさを含む空気。
「事務所でノクティルカさんと話してたの」
メニューに視線を走らせていた美冬は何かを思い出したように動きを止める。
渋い表情で一点を見つめる瞳。
「どうかしたか?」
「いや、なーんか変な事言っててさ。どういう意味だったのかなぁって」
「寝言か?」
「ううん、そういうんじゃなくて。なんか真雪のことが羨ましいとか」
「なんだそりゃ」
次は真雪が動きを止める番だった。
遠くで聞こえるやり取りが通り過ぎた。
「死亡宣告した後、真雪って超具合悪くなるじゃない? その話してたらそう言われたの。
あたしにそこまで思ってもらえる真雪は幸せだとかどーとか」
「……」
「あえ? どした?」
考え込むような沈黙。
美冬はテーブルに両手をつき、真雪の顔を覗き込む。
「ノクティルカ、他になんか言ってたか?」
「何かって……あー」
「なんつってた?」
合点がいった声に真雪がわずかに強い口調を向けた。
いぶかしげに片目を細める。
「どしたの? 急に」
「いいから。なんて言ってたんだ?」
「『少しは私にも望みがあるのかもしれませんね』って。どーいう意味なんだろうね」
「それ、何の話してた時?」
「え? 確か真雪とあたしの話してた」
唇に指を当てて首を傾げる美冬。
真雪の真剣な調子の意味が分からないらしく、数度大きく瞬いた。
空白のような時間。

「最悪だ。思ったとおりかよ」

美冬の顔を凝視していた真雪は、何の前触れもなく机に突っ伏す。
額と机の表面をくっつけたままの状態で呻くように呟いた。
「わ、ビックリした! ど、どうしたの?!」
美冬は目を見開いたまま、身体をのけぞらせる。
「なるほどな。親父が言ってたのはそういう事か」
「何が?」
「俺はナチュラルにショックを受けてる。後にしてくれ」
「ちょっとぉ。分かるように説明してよ!」
うなだれた真雪の肩を美冬が身を乗り出して掴むと、前後に揺さぶった。
肩越しに見えるのは観葉植物の艶やかな深い緑色。
風に踊るように震える。
「お前、マジでわからねえの?」
「だから何が」
美冬の手を払いのけ、髪をかきあげる真雪。
その顔には微量の疲れが浮かんでいた。
2人の口調は無意識のうちに強さを増し、ケンカでもしている風にも聞こえる。
睨むような間の後、ため息をついたのは真雪だった。
「馬鹿だろ? そんなんだからお前、国語の成績悪いんだよ」
「うっさい、クソ真雪! ワケわかんないことばっか言うと顔に味噌塗るからね」
呆れかえった口調に怒る。
苛立った表情を浮かべる美冬が口を開きかけた時。

「おまちどうさまー!」

弾むような声と共に足音が近づいてくる。
美冬が視線を向けると目の前には満面の笑み。
つられて微笑を浮かべた。
「ずいぶん盛り上がってたね。何の話?」
「美冬が馬鹿だって話」
「ちょっとぉ! だから何を根拠にそんな事言ってんのー!?」
両手で拳を作り、身体の横で抗議をするように振ってみせる。
真雪は息をつき吹き出した。
「ひどいんだよ、ニーナさん。真雪って自分だけ納得して、人のコト馬鹿呼ばわりするの!」
「あー、それは良くないっ! 馬鹿って言う人は自分が馬鹿なんだよ」
「ほら見ろー! 真雪のバーカ!」
「お前、自分も馬鹿っつってんじゃん」
ニーナがカップやケーキの載った皿をテーブルに置く音が聞こえる。
真雪は背もたれにもたれかかったまま、窓の外に視線を向けていた。
その横顔は、何となしに思いを巡らせている風でも
ゆっくりと流れる時間を楽しんでいるといった感じでもない。
眉間にしわを寄せたまま、食い入るように見つめる。
「どうしたの? 真雪」
違和感を覚えて怪訝そうに尋ねるが、声を向けた先は微動だにしない。
穏やかな辺りの空気がわずかに変化していく。
「真雪?」
何度目かの呼びかけで何か言いたげな視線が美冬を見つめた。
声にならない何かを発するように動く唇。
二人の視線が真雪に集まる。
「あのな」
言葉の端々に戸惑いが見える真雪の声。
その視線は美冬と窓の外を見比べるようにせわしなく動いていた。
「どうしたの?」
「いや、自分でもよく分からねえんだ。何か急に……」
真雪が微かな苛立ちの中で言いかけると。

にわかに外が騒がしくなる。
叫び声とざわめきが大きく響いた。

思わず3人は顔を見合わせる。
真雪が窓に張り付くように身を乗り出して、外を伺うと。
「何だ?」
思考が口をついた。
人通りが増え始めた通りは明らかに様子がおかしい。
全ての人間が足を止めて上を見上げている。
その顔に浮かぶのは驚きと苦痛に似た何か。
身体の機能が停止してしまったかのように固まり、動けない。
ただ内側で大きく鼓動が聞こえる。
頭の中で何かが喚きたてている錯覚。
必死で混乱を沈めようとしているのに、更に不安と動揺が自分の中で渦を巻く。
息苦しさを感じた。
ざわめきが波のように広がり、騒然とした雰囲気は窓越しに店内にも流れ込む。
張り詰めていく空気。

その時。
どこからともなく聞こえた判別不明の怒号。
それと重なるように聞こえた何かを訴える叫び声。
さらに、それらを包むのは何かを見上げていた人々からの悲鳴。

何が起こったか理解する前に聞こえた、重いものが地面に叩きつけられる音。
裂けるような悲鳴が耳をつんざく。

「人が飛び降りたぞ!」
「救急車!」
止まりかける思考を引き戻した、外からの叫び声。
真雪は席を蹴るように立ち上がると呆然とする美冬を睨んだ。
「お前はここを動くな」
反論を許さない、強い口調で。
「え? あ……」
「いいな? 絶対、動くんじゃねえぞ」
まるで美冬に怒りを向けているかのように。
真雪はそう言い残すと店を飛び出した。
何故そうしたかは自身も分からない。
けれど何かに動かされるように向かった――音の発生源へ。



「息はまだある!」
真雪が外へ飛び出した時、
ニーナが望と呼んでいた青年が近くのビルの屋上に立っている人影に叫んでいた。
波のように声が辺りを包み、遠巻きに人の輪が生まれる。
その中心は血の海。
二人の青年が赤く染まった、同じくらいの体型の男を囲んでいた。
「生きてるか?」
「ああ」
歩く度に水音が靴にまとわりつく。
真雪は望と短く会話を交わすとしゃがみこんで、血に浸したような男の手を掴んだ。
「大丈夫か? 意識あるな!?」
耳元で叫び、手を強く握る。
その行為はまるで『向こう側』へ飛び立つ事を阻止しようとしているかに見えた。
「救急車がもうすぐ来るとは思うが……時間との戦いって所だな」
誰ともなしに呟いた望の声が聞こえる。
周囲はもう目に入らない。
ただ、手に伝わる冷たさが焦りを生んだ。
「起きろ!」
血にまみれた男の顔を直視する事を本能が拒んだ。
その顔や身体の様子から衝撃の大きさが伺える。
死体など仕事柄見ることも多いが目の前の光景は思わず目を背けたくなる。
真雪は、この状態でも男が生きている事が信じがたかった。

「……笛、吹き……は」

耳を疑った。
真雪は弾かれたように顔を上げるが、声の主らしき人物はどこにもいない。
「……ねず、みをおびき……出、し……川に」
途切れ途切れの声が苦しげにうめく。
声の主は、目の前の男だ。
地面に倒れた男が生気の乏しい目を薄く開き、真雪を見つめていた。
鼓動が一層、加速する。
「バカ! 喋るんじゃねえ!」
温度を感じない風が頬を撫でる。
目を射る光に夕暮れが訪れている事を知った。
オレンジ色の光に染め替えられ、辺りは赤とオレンジの色に支配されている。
「喋るな! もうすぐ救急車が来る」
念を押すように真雪は怒鳴るが、男には聞こえていない様子だった。
「怒った笛……男は、また……ハーメ、ルンの街に……」
「おい!」
「戻って、と」
口から血が溢れ、とめどなく流れる。
真雪が眉間にしわを寄せ、口を開きかけた時。
男は空いた手に持っている物を渡そうとするかのように
懸命に手を持ち上げようとしていた。
わずかしか上がらず、震える手。
「これって」
男の様子に気がついたニーナが、彼の手の中をゆっくりと開いて何かを摘み上げた。

それは摘み取られたような花だった。
血に濡れているが、ところどころに眩しいくらいの白さが見える。
丸みを帯びた花弁。
波立つ心のどこかで違和感が叫んだ。

「プルメリア。どうしてここに?」
いぶかしげな独白を背中で聞きながら、真雪は男と花を見比べた。
「この花がどうした?」
「笛、を吹きなら……し、子供、連れ……去った」
問いに答えず、憑かれたように呟き続ける。
口元に顔を寄せながら眉間に深くしわを刻んだ。
「一人、残ら……ず」
血の匂いが充満し、吐き気がこみ上げる。
「……み、な」
他の音も、景色も、人も、何もない。
「誰も、いなく……」
語尾が小さくなっていく。
まるで火が消えていくように感じ、真雪が肩を掴んだ。
「おい! 起きろ!」
力がこもる。
気がついたら男が目を閉じていた。
「しっかりしろって!」
この場所めがけて近づいてくるサイレンの音。
それにかき消されないよう耳元で再度怒鳴るが。
答えはなく沈黙する。
再び騒然とする輪の中で真雪は空を仰いだ。


空は何も知らずに燃えていた。

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