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5-2 kiss &cry

風が唸りを上げて通り過ぎる。
その風の冷たさは痛みを伴うほどで、容赦なく肌を刺した。
予報では、未明から雪になるらしい。
夜でも、分厚い雲が立ち込めているのが分かる。
「珍しいな。こんなクソ寒いのに、ここに来るなんて」
殺風景な屋上の風景の中に佇んでいた一つのシルエットが言った。
暗闇の中に紛れた、黒いスーツ姿。
真雪は手すりにもたれたまま、浮かない表情で眼前に広がるネオンの海に視線を落とす。
「貴方を探しに来たんです」
「何、誰か呼んでるの?」
「いえ、そういう訳ではないのですが」
背後から近付いてくる靴音が隣に並んだ。
黒いコートを来たノクティルカは、退屈そうな視線を投げる死神を一瞥すると
口元に小さく笑みを浮かべる。
「大きなお世話を焼きに来ました」
室外機が並ぶだけの殺風景な屋上は暗く、周囲からの灯りだけが頼りだった。
どこからか聞こえてくるクリスマスソングと華やかな喧騒とは裏腹に、
この場所は静まり返っている。
死んでいるかのように沈黙し、重い空気が漂う。
遠くからの光に照らされて2つの影がコンクリートの地面に伸びていた。
ノクティルカが胸元のポケットから煙草を取り出すと、隣から手が伸び
指でつまんだ、それを奪っていく。
見ると、真雪が火のついていない煙草をくわえたままで手を差し出していた。
一瞬、呆気に取られる。
「ライター、貸してよ」
「煙草は、やめたはずでは?」
「たまに吸いたくなるんだ。イライラしてる時は特にさ」
ぶっきらぼうに発せられた言葉。
溜息の後、漆黒の中に小さな火が浮かんだ。
わずかな沈黙の後、真雪は空を仰いで紫煙が流れていくさまを眺める。
何事かを考えているらしく、その横顔はどことなく沈んでいた。
風に巻き上げられた前髪が視界を遮るも、静止したままで。

「イラついている原因は、あの研修生の件ですか」
どちらからともなく黙り込んだ沈黙を破ったのは、ノクティルカだった。
火をつけた煙草を指に挟んで、隣に顔を向ける。
「アイツっつーか……まあ、それ絡みだな。クララはクララで、
えーらい付き纏ってくるしさ。それに比例して、美冬の機嫌はどんどん悪くなっていくし」
「なるほど。随分クララに好意を持たれていますもんね」
「よく分からねえけどな。しょっちゅう電話してくるクララも鬱陶しいけど
それ以上にキツいのは美冬の態度だよ。俺のこと『レイヴン』って呼ぶわ、
メシとかに誘っても二言目には『彼女と行けば?』つって、マトモに話そうとしねえわで」
言葉の端々に溜息と疲労が滲んでいた。
煙草をくわえたままで手すりにもたれると、頬杖をつく。
「こんな状態でアブソルートなんかに襲われたら、ひとたまりもねえぞ。
今は何もねえから助かってるけどさ」
「電話は?」
「大体、留守電になっちまってる。出たとしても話にならねえな」
「そうですか」
眼下で笑い声が聞こえる。
1時間ほどで日付が変わるというのに、人の波は途切れる様子はなかった。
賑やかな空気が、今はひどく他人事に感じる。
「確かにラプターは、貴方と距離を置いていますよね。ケンカでもしたのかと
思っていたのですが」
「してねえって。俺、怒らせるような真似した覚えねえし。
アイツの態度がおかしくなったのが3日前くらいからだから、てっきり
クララとケンカでもしたのかと思ってたんだけど」
「3日前と言うと、彼女が研修に来てからですか」
「ああ。確か、そうだ」
「ということは、やはり」
急に黙り込んだノクティルカを、不審そうな目で見る。
真雪は次の言葉を待つが、無言の時間が流れるばかりだった。
「どうしたんだよ?」
「いえ。これは推測なのですが、ラプターは嫉妬しているのでは?」
数秒後、空に向かって煙を吐いたノクティルカが切り出す。
その言葉に動きを止める真雪。
脳裏で言葉を繰り返しているのか、視線だけが落ち着きなく動いていた。
指の間に挟んだ煙草を落としかけて我に返る。
「……やっぱり、そうなのかな」
「そう見るのが自然だと思います」
「いや、でも」
「レイヴン」
言いかけて言葉を飲み込む。
真雪は口元に手を当てたままで視線を地面に落とした。
名を呼ばれ、顔をあげる。
「これは貴方のプライベートな問題なので、私が口出しする事ではありませんが」
眼鏡のブリッジを指の腹で押し上げる仕草。
ノクティルカは真雪に向き直ると、真っ直ぐに見つめた。
視界の端でイルミネーションが点滅しているのが見える。
「意思表示をするべきだと思います。どんな選択をするにしても
貴方は自分の気持ちを、きちんと伝えた方がいい」
真雪は視線から逃れたいのか、顔を横にそむけた。
わずかに頷くと溜息をつく。
言いかけて口をつぐむ、躊躇いの表情。
「分かってんだ、自分がどうするべきなのかは。どっちとも、ちゃんと
話さなきゃいけないって思ってたし。別に、何か迷ってるってワケじゃねえ」
ジャケットの裾が風で巻き上げられる。
周囲の喧騒でさえ飲み込まれる静寂の中、爪先で地面を叩く音が響いていた。
「俺が言ったら場の空気が悪くなるかもしれないって心配もしてるけど、それ以上に」
「それ以上に?」
「自分が怖い、何となく。美冬と少し離れたくらいで不安定になったり、
ずっとイライラしててさ。戸惑ってんだ。自分が自分じゃないみてえで」
どこかで咆哮に似た声を聞いた気がする。
空気の中に微量に混ざる死臭を嗅ぎながら、冷気に首を縮めた。
息が漏れた気配は笑ったのか、それとも溜息か。
「場の雰囲気を気にして何も言わなければ、状況は更に悪化しますよ。
貴方が我慢をすればいいという問題ではありません」
「まあな」
「それに、貴方とラプターは離れてはいけない。理由は……お分かりですね?」
「ああ」
力なく頷く様を見て、かたわらの黒い影が動いた。
今まで手すりにもたれていたノクティルカは、背中をはがすと真雪の肩を軽く叩く。
口元に浮かぶ笑み。
「大丈夫ですよ。貴方が思っているほど難しい問題ではありませんから」
「ん、ありがと」
遠慮がちに発せられた言葉に笑う気配を残して、靴音が遠ざかっていく。
耳に届く音楽が静寂を引き立たせていた。
心なしか、闇の濃さが増した気がする周辺。
「ノクティルカ」
声が、ドアノブに触れようとしていた手を静止させた。
振り向くが、手すりに身体を預ける死神は振り返らずに。
「美冬の事、頼むわ。あいつ、一人になると考え込んじまうタチだからさ」
「了解です」
わずかな間の後、笑みを含んだ声が答える。
離れた位置の背中を眺めていたノクティルカが再び、ドアを開けようと手を伸ばした。
その時。

「レイヴン、やーっと見つけた! もー、どこ行っちゃったのかと思ったよぉ。
携帯に電話しても出ないし、事務所にもいないんだもん」

階段を駆ける音、派手にドアが開く音と共に聞こえた声。
嬉しげな調子と、室内から踊りこんだ光で屋上の空気が一変する。
「所長さんがね、もう今日は帰っていいよって言ってたの。
だから、レイヴンも早上がりしちゃお? この時間なら、まだ開いてるお店多いし」
背後でドアが閉まる音も気にしない様子で、クララは真雪に近付くと
腕に抱きつき、体を摺り寄せた。
「具合悪いって言えば早退させてくれるでしょ。で、その後遊びに行こ!
あたし明日の夜には帰らなくちゃいけないから、それまでレイヴンと一緒にいたいの」
「ダメだろ、それは」
「真面目だなぁ、もう。でも今日逃したら、全然時間ないよ。
どっか行こうって誘っても、いつも拒否るじゃん! 付き合ってくれたの、1回だけだし」
覗き込もうとするクララから顔をそむける真雪。
横顔には微量の嫌悪が滲む。
肩に頭を乗せようとする仕草から逃れたいのか、身体をずらそうとするものの
腕を引っ張り、抱える力の強さに抗う事は出来なかった。
間近から無邪気な笑い声が聞こえる。
「いいから離れろ」
「だって寒いんだもん。レイヴンが、部屋に遊びに来ていいって言うまで
離してあげない!」
「ダメなものはダメ。いいから離れろって」
怒気混じりの突き放す言葉と共に腕を強引に引き抜く。
あからさまな溜息に、クララが呆気に取られた表情を浮かべた。
固まる二つのシルエット。
冬の匂いを含んだ風が二人の間を通り過ぎる。
「や、やだー。今日のレイヴン、すっごい機嫌悪くない? なんか怖いよぉ。
もしかして、さっきの死神と話してたせい?」
「違う」
「じゃあ、何で? どうして機嫌悪いの?」
こわばる表情。
二人の黒いスーツは夜と同化していた。
他人事だと笑う街の灯と、人々の行き交う気配。
視線は合う事なくすれ違い、黙り込む。
クララが笑顔を作り、触れようと伸ばした手を真雪は邪険に払った。
「はっきり言って迷惑なんだよ、そうやってベタベタされんの。俺、好きな人いるし」
「ラプターの事?」
「……ああ」
空気が凍り付いていく。
数秒、躊躇った後に頷く真雪。
クララは一瞬動きを止めたが、すぐに不満そうな色から嘲笑に表情を変えた。
腕を組んで真雪を見る。
「あの子の、どこがいいの? いっつも機嫌悪いし、冷たいしさ。
その割に他の人には色目使っててバッカみたい」
「美冬を悪く言うな」
「絶対騙されてるよぉ。本当にレイヴンってラプターの事ばっかりだよね。
すっごい面白くないんだけど」
睨む視線に唇を尖らせる。
今までの甘える口調が次第に不機嫌になっていった。
屋上に響くのはクララの声と、街の喧騒、遠くから微かに届く車の騒音。
そして、近付いてくる何者かの足音と話し声。
「でもさぁ、あの子の態度見てると完全に脈ナシじゃない?
レイヴンの事、すっごい避けてるじゃん」
「それは」
薄暗いはずの屋上に、にわかに光が差し込んだ。
それはわずかに開いたドアから漏れた蛍光灯の光。
それに照らされ、シルエットが現れる。
だが、それをクララと真雪は気にする様子もなかった。
金色に近い茶髪をかきあげ、クララは目の前の死神の顔を窺う。
苛立ちを滲ませながら口ごもった真雪の言葉など気にしない様子で。
屋上に靴音が響く。
それは二つ。
片方は真雪にゆっくりと近付き、片方は――
「だから怪我は大丈夫だってば。それより、真雪と……」
「忘れさせてあげる、ラプターの事なんて。私の事、好きになって欲しいの」
突然耳に入ってきた、聞き慣れた声に我に返る。
咄嗟に、真雪の瞳が声のした方向へと向けられた。
「……美冬?」
視界に、もう一つの景色が飛び込んでくる。
見えたのは、夜景を背景に寄り添う二つの影。
息を飲む音を聞いた気がした。
入り口付近にいる美冬は、真雪とクララを見ているのだろう。
暗闇の中で視線を感じる。
「よそ見しちゃダメ。クララだけ見てて」
ネイルアートとアクセサリーで彩られた手が、屋上のドアを見つめる真雪の顔を
正面へと向かせ。
クララの肩を押し返すよりも早く、顔が近付いた。
鼻先が触れ合う距離で見つめられる。

「お前、待……っ!」

言いかけた言葉は唇でふさがれた。
間近で嗅いだ、濃い香水の芳香。
触れる体温と遮られた視界。
クララは身体を押し付けるような格好で、真雪の唇に自分のそれを重ねる。
遠のく周囲の街の音とは裏腹に、乱れた靴音が大きく聞こえた。
視界が回り、めまぐるしく流れる風景。
この景色は誰が見ているのか。
ややあって、叩きつけるような激しいドアの閉まる音が響き渡る。
正体不明の感情が全身を駆け巡り。
真雪は、漆黒の中で鮮やかな翡翠色が揺れるのが見えた気がした。
  
  
雑居ビルの廊下、2階部分。
比良坂事務所のドアを開けようとしたノクティルカは動きを止める。
感じるのは異変。
わずかに眉間にしわを寄せ、掴んだドアノブを離した。
冷えた廊下で耳を澄ます。
忍び込んでくる外の音楽に重なって、怒涛に似た音が聞こえた。
それは上階から近付いてくる。
音を辿り、眼鏡越しの瞳が前方の階段を凝視していた。
ノクティルカが音の正体を確かめようと一歩、その方向へ足を向けた時。

視界の端に黒い影がうつる。

先ほどの音は、誰かが階段を駆け下りきたものであったらしい。
屋上にいたのは確か――そんな事を考える間もなく、
ノクティルカに何者かが勢いよく抱きついた。
小柄な体格、翡翠色の髪。
見覚えのある姿。
「ラ、ラプター?」
唖然とした声で尋ねる。
だが、それは彼女を受け止めた際にドアにぶつかった衝撃音でかき消された。
混乱したままの状態で、身体を縮めて抱きつく美冬を見下ろす。
ただ、彼女は押し殺した嗚咽を漏らしていた。
「どうしました? 何か、あったんですか」
唖然とする。
ノクティルカは狼狽しながらも、つとめて平静を装う。
視界に写るのは美冬の髪と、ジャケットを握り締めて震える拳。
何かに耐えているのかのように固まったまま、動こうとしなかった。
問いが答ってくる気配はない。

凍った空間の中で、二つのシルエットは動かずにいた。
音が全て消えしまった錯覚に陥る。
「とりあえず移動しましょうか。どこか、落ち着ついて話が出来る場所に」
「……が、いい」
「え?」
幻聴かと思うほど小さな声は、外から聞こえた酔った叫び声に飲み込まれた。
ノクティルカは首を傾げると、神経を耳に集中する。
再び訪れる沈黙。
美冬は抱きついたままだった身体から離れると、顔を上げた。
「ノクティルカさんのおうち」
動きが止まる。
「ノクティルカさんの部屋に行きたい。事務所にも、家にもいたくない。
……泊まっていい?」
潤んだ瞳がまっすぐ見上げた。
涙で震える声は裏腹に、その言葉は頑なな響きがある。
見つめ合うだけの時間が過ぎていく。
ノクティルカは無言で思案していたが、やがて。
「いいですよ」
そう答えると小さく頷いた。
白で埋め尽くされた廊下の景色に佇む、二つの黒。
声を出すたびに沈黙が色濃くなっていく。
 
 
そして、ノクティルカが美冬から視線を上げた先には。
階段を降りかけたポーズのままで固まる黒いスーツの足元が見えていた。
きびすを返した靴音が登っていき、見えていた黒の断片は消える。

再び、世界は静止した。

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