home > 小説 > > 5. TRIAD

5. TRIAD

比良坂事務所のドアを開けると、そこには不気味な沈黙があった。
いつもであれば、事務所にいる誰かしらの挨拶が飛んでくるはずだが
今日に限って言葉をかけてくる者はいない。
「おはよーござまー……って、留守?」
ドアのノブに手をかけたままで身体を乗り出して、室内を大きく見渡す。
高校の制服姿の美冬は恐る恐るといった風に足を踏み入れた。
音を立てないよう注意を払い、ゆっくりとドアを閉める。

付いたままの空調、部屋に残る気配。
直前まで誰かがいたように感じる。
普段は気に留めない音にまで注意深くなってしまう。
こんな得体の知れない事務所に忍び込む人間がいるとは思えないが
このご時世に施錠もせずに無人にするとは無用心すぎないだろうか。
美冬はため息をついた。

手に持っていた買い物袋を冷蔵庫にしまおうとした所で足が止まる。
視線は、並ぶ事務机の群れへ。
そこにいたのは。
「ノクティルカさん?」
パソコンのキーボードに手を置いたまま俯く銀髪の青年の姿。
美冬の位置からでは表情を伺う事は出来ないが、微動だにしていない事は分かる。
怪訝そうに尋ねた声に返事はなく。
「やだ、誰も居ないのかと思っちゃった。静かなんだもん」
無言である事を気に留める様子もなく、美冬は笑みを浮かべながら近づいた。
足音が止まる。
美冬はノクティルカの隣に立つと周囲を見渡した。
見る限り、この事務所に居るのは彼のみのようだ。
そして当の本人は。
「……寝てるし」
まるで手元に置いた書類を見る姿勢のままで固まっていた。
ディスプレイには立ち上げたままのアプリケーションと点滅するカーソル。
美冬は身をかがませて顔を覗き込んだ。
眼鏡の奥の瞳は閉じられたまま。
穏やかに繰り返される呼吸がわずかに聞こえる。
思わず、声もなく笑う。

気配を感じたのだろうか。
突然、ノクティルカの指先が大きく震えた。
美冬は驚いて動きを止め、息をひそめて様子を伺う。
「ん」
ノクティルカが短く唸って眉をしかめた。
薄く開かれた瞳は数秒間、呆然と目の前にある美冬の顔を眺める。
そして大きく見開かれた。
肩が一度大きく揺れて、のけぞる身体。
小さく動く唇。
だが何も発する事はなく、呆気にとられた表情のままで固まる。
「ごめん、驚かせちゃった?」
美冬は身体を起こすと首傾げて微笑んだ。
「……おはようございます。恥ずかしい所を見られてしまいましたね」
わずかに照れた笑みを浮かべる。
美冬は隣の席の椅子に座り、身体をノクティルカに向けると楽しげに目を細めた。
「珍しいモノ見ちゃった。レアだよ? 居眠りしてる上に驚くノクティルカさんとか」
「からかうのはやめてください。恥ずかしいんですから」
「ふうん」
「ラプター、意地悪な顔になってますよ」
目を細めて笑う美冬に顔をしかめてみせる。
ノクティルカはわずかに椅子を引き、足を組んだ。
背を伸ばすように背もたれに身体を預け。
「ね、仕事のしすぎじゃない? ちゃんと寝てる?」
「寝てますよ、もちろん」
「本当かなぁ」
疑いの眼差し。
「あ、そういえば所長が徹夜してまで仕事するようなら
鈍器で殴ってでも止めさせろって言ってたよ」
「それは息の根が止まりますから」
困った表情を浮かべたまま、ノクティルカが言った。
そして隣から身を乗り出すようにして手元の書類を眺める視線に気付いたように。
「昨晩、冥府の方から死神業と討伐に関する報告書を至急提出するように言われまして。
その作業をやっていたんですよ」
「報告書?」
美冬が動きを止め、デスクの上に置かれたカレンダーを一瞥する。
顔には怪訝な色が浮かんでいた。
「まだ月末じゃないよね。何でこんな変な時期に出せなんていうんだろ?」
「分かりません。理由を伺っても『至急』の一点張りでしたし」
「何だそりゃあ? 全然意味分かんないね」
不満気に吐き出された声。
窓の外から聞こえる他人事の街のざわめきが耳をすり抜けていく。
二人はどちらからともなくため息をついた。
「もしかしたら最近、此岸が妙に騒がしい事と
関係しているのではないかと思っていたりしているのですが」
美冬を見つめていた視線をディスプレイに移し、独り言のように言う。
止まっていた指がキーボードの上を滑るように動き始めた。
響くタイピングの音。
「へ? 此岸が?」
「ええ。気付きませんでしたか?」
「ううん、なんか変だとは思ってたんだけど。
そっか、あたしの気のせいじゃなかったんだ」
何かを納得するように美冬が数度頷く。
上の空のような動きで。
「ほら、チャリオットの一件があったじゃない?
アレがあってからチェイサーギルドとかコミュニティ行く度に皆から聞かれてさ。
そればっかり気にしてて、他におかしいなーと思う事があっても
そこまで気が回らなかったって言うか、気のせいかと思ってた」
注がれた疑問の眼差しに眉間にしわを寄せたまま答える。
まるで話しながら頭の中を整理しているかのように。
「この間まで、生き返り事件の話題で持ち切りでしたからね。
ましてや貴方は当事者だ。周囲の人間が興味を持って当然です」
「そうなんだけどさ、あたしは何も知らないんだよね。
あれからチャリオットを見た訳でも何か情報を掴んだわけでもないし」
「ですが、聞きたくなるのが人ですよ。
もっともラプターにしてみれば同じ事の繰り返しでウンザリしてるでしょうけど」
「ホントだよぉ。みーんな打ち合わせしてんじゃないかって位同じ事ばっか聞くんだもん。
一時期、ギルドとコミュ行くのが嫌になってた」
美冬がデスクに手を突いて顔をしかめた。
その傍らで押し殺したような笑みを浮かべるノクティルカ。
「でも、確かに最近おかしいよね。
何がって聞かれるとうまく答えられないけど、いつもと違う」
表情を引き締め、呟く。
ノクティルカ越しに窓の外を見つめる瞳。
「表面上は何もないって言うのが不気味なの。何もないのが逆に変っていうか」
「そうなんです。一見、平和そうに見えるんですが
その陰で動いている方々がいるのが気になるんですよね」
「単にいつもの小競合いなら構わないんだけど、妙に……」
「胸騒ぎがしますか?」
手を止め、見つめるノクティルカの視線の先には
険しい表情のままで視線を合わせずに頷く美冬がいる。
腕組みをした指先が小さくリズムを取った。
時が止まったような光景。
「違和感がするの。つーか、なんだか分からない事が多すぎて気持ち悪いや。
結局、チャリオットの件も何も分からないままだし」
「あながちラプターの違和感は外れていないかもしれませんよ?」
口の端を上げる。
言葉に何か含みを感じて思わず視線を向けた。
「野生の勘って言うじゃないですか」
ノクティルカの目は笑っている。
美冬は一瞬、呆気に取られた表情を浮かべた後。
「何それぇ!?」
拳を握り締めて思わず立ち上がった。
怒っている事を相手に伝えようと睨むのに、自然と笑いがこみ上げてくる。
「そのままの意味ですよ」
「ノクティルカさんはすーぐ野生児扱いするー!!」
「間違ってないじゃないですか。普通の女の子はドアを蹴り壊したりしないんですよ?」
「蹴り壊してないもん! あれはねぇ……!」
ノクティルカの腕をつかんで揺さぶりながら抗議していると、携帯電話の着信音が軽快に響いた。
「ラプター、携帯が鳴ってますよ」
笑いながら美冬のジャケットのポケットを指差すノクティルカ。
言葉を飲み込み、何か言いたげな表情のままで美冬はポケットをまさぐった。
見ればメールの着信のようだ。
「あれ? 真雪からメールだ」
「いつもの遅れる旨のメールですか?」
美冬は椅子に座ると携帯に視線を走らせた。
考える沈黙の後、壁に掛かった時計を一瞥する。
「気分転換にお茶飲みに行かないかってさ。んもー、ノンキだなぁ」
まるで相手が液晶に写っているかのように睨み。
「しかも行き先が真雪の家の下の花屋さんって何? あたし事務所にいるんだけど」
「まだ時間はありますから行ってきてはいかがですか? せっかくのお誘いですし」
「うーん。でもなぁ」
「そして、お帰りの際には私に鞍馬のみつ豆を買ってきて下さると嬉しいです」
「買い物頼んでるだけじゃん!」
ノクティルカの言葉を笑う。
そこで何かを思い出したように笑顔が固まった。
不思議そうに尋ねる視線と、何か言おうと見つめる視線がぶつかる。

「思い出した」
美冬は携帯電話をポケットにしまうと、改まったように座り直した。
「聞きたいことあったんだ、ノクティルカさんに」
「なんですか?」
不意に変わる室内の空気に、笑顔を引っ込める。
マウスを持ったまま動きを止めた。
「その。死神の仕事の件、なんだけど」
「はい」
「数日前に真雪が死亡宣告した後、倒れるんじゃないかってくらい具合悪そうにしてたのね。
すごく顔色悪くて座ってられない位でさ」
美冬は落ち着かない様子で髪をいじりながら、目を伏せる。
「死神の仕事ってそんなに辛いの? いつもあんな感じなのかな?
はじめて、あんなの見たから心配になっちゃって」
さほど大きくないはずの沈んだ声が部屋に響いた。
自分を見つめる不安そうな色をたたえた瞳からノクティルカは顔を背ける。
思い出したように聞こえるキーボードの音。
「なんと言えばいいのでしょうか」
言葉を選ぶように切り出した。
「人それぞれ、としか言いようがないですね。
死亡宣告は他人の夢の中に入るので体力と気力を消耗します。
そして、それには副作用のような反動があるんです」
「うん」
「頭痛や吐き気だったり、症状はさまざまで大きさも個人差があります。
それがレイヴンの場合は酷いようで」
眼鏡を指の腹で押し上げる。
息をつきながら話す声は、どことなく辛そうにも聞こえた。
「私や所長は反動がないに等しいのですが、レイヴンは相当辛いようですね」
「じゃあ、どうにも出来ないの?」
「残念ながら」
頷く横顔に美冬は唇を噛んで俯いた。
垂れた髪の向こうに見える横顔は沈んでいる。
「心配ですか?」
「うん。あたし、何も出来ないから。
少しでも真雪の痛みとか軽く出来たらいいなって思ったんだけどね。
あんな辛い顔、見たくないし」
平静を保ちながらも沈んだ声で話す。
人が少なく、広く感じる事務所が何故か余計に寂しく感じた。
ノクティルカは目の前で俯き、黙りこくった美冬を見つめた。
何かを考えるように目を閉じた後、薄く微笑む。

「羨ましいですね」
美冬は思いがけない言葉に驚いたように顔を上げた。
意味が理解できず、ただ言葉の主を凝視する。
「レイヴンが羨ましいです。
貴方にそこまで想ってもらえる彼は幸せだなと思いまして」
「え?」
「仕事でもプライベートでも良いパートナーだからなのかもしれませんが」
目をわずかに見開いたまま、呆然としていた美冬は
我に返り目の前の空気をかき消すように手を振った。
「え!? な、何言ってるかな、もう!」
頬を赤くして、慌てたように笑う。
「た、確かに真雪と仲いいけど違うよ! そんなんじゃないってぇ!」
「そうなんですか?」
「うん、そうだよぉ! 仕事で組んでて、じゃれ合ったり小競合いとかしてるけど
特別な関係でも何でもないんだから」
さきほどまでの苦しげな表情は影を潜め。
今は紅潮した顔で、しどろもどろになりながら言葉をつむいでいる。
落ち着かないのかリズムを取るように身体を前後に揺らしながら。
「つーか第一、真雪がそんな気ないの。人の事すぐガキ扱いするしさ。
恋愛感情なんて全くないんだと思うよ?」
肩をすくめ、口に手を当てて笑う。
重くなった空気が一気に消えていくように。
「なるほど。それでは」
ノクティルカは顎を引くように頷くと、背もたれにもたれかかりながら足を組んだ。
美冬に顔を向けると薄く微笑む。

「少しは私にも望みがあるのかもしれませんね」

投げられた言葉に美冬の動きが止まる。
不思議そうに目の前の顔を見つめた。
空白の時間。
絡み合う視線。

「ラプター、レイヴンが待っているのではないですか?」
ノクティルカの言葉が美冬を現実に戻す。
わずかに口を開き、何かに気がついたように眉をよせた。
「すっかり忘れとったぁあ!」
「いってらっしゃい。あまり待たせるとレイヴンがイライラしてますよ」
「うごぁ! ご、ごめん。ちょっと行ってくる!」
慌てて立ち上がり、デスクの上に置いたバッグを掴むと落ち着きなく周囲を見渡す。
思考に行動が追いついていないらしく、気持ちばかりが焦っているようだ。
ノクティルカは椅子に座りなおすと苦笑混じりで美冬を眺めた。
「はい、お気をつけて」
「うわーん、急がなきゃ! え、えーと、お土産はメンチカツだっけ?!」
「みつ豆ですよ。なんですぐ肉の話にするんですか」
慌しい足音が部屋中を動き回る。
乱暴にドアを閉める音ともに何事かを言う美冬の声を聞いた気がしたが
ノクティルカには聞き取れなかった。

再び訪れる静寂。
一人残され、何かを思うように微かに笑みを浮かべる。
窓の外の日差しには、まだ黄昏の気配はなかった。

新しい記事
古い記事

return to page top