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4. Heaven

まだ22時であるにもかかわらず、辺りは死んだ静寂に包まれていた。
耳を澄ましても物音ひとつしない。
まるで自分だけが世界に取り残されてしまったような奇妙な孤独感に襲われる。
真雪は自室で、落ち着きのない様子だった。
ソファに座った状態で書類に目を走らせていたと思えば、すぐに壁に掛かった時計を見上げ。
テレビのリモコンに手を伸ばしかけて動きを止める。
等間隔で時を刻む秒針の音が耳に纏わりついた。
無意識のうちに深いため息が漏れる。
「10時21分、か。まだ入るには早いよな」
自らに言い聞かせる独白。
何気なく窓の方へ視線を投げるとカーテンの隙間から覗く黒を眺めた。
月明かりや外灯の光も見えない、ただ暗いだけの闇。
思案する横顔は、それを見ているかどうかも分からない。
室内の時間が止まり、景色が静止する。

突然。
部屋中に鳴り響くチャイムの音が静寂を破った。
背もたれに身体を預けていた真雪が反射的に腰を浮かしかける。
視線は時計から、見えない位置あるドアを睨んだ。
こんな時間に家に来る奴なんて――真雪は考えを巡らせかけた所で表情を緩ませる。
急かすように幾度も鳴らされるチャイムの音、何事かを言っているらしい判別不明の声。
そして視界に割り込んでくる、夜の景色。
「……相変わらず落ち着きがねえな」
呆れ気味に吐き出された声とは裏腹に顔は笑っていた。
投げやりな返事を繰り返しながら真雪は玄関へと向かう。
黒いスーツを身に纏った背中は、どこか楽しげにも見えた。

「あーもー、うざいうざい! 超うざい!」
部屋に来て早々、美冬は表情を歪めながら喚く。
苛立ちを含んだ足音が大きく響いていた。
呆気にとられる真雪をよそに、肩にかけていたショルダーバックをソファに投げ捨てる。
「もー、マジでムカつくわ! ふざけんじゃねえっつーのよ!」
「なあ、美冬」
「真雪、パソコン借りるから!」
「いいけど……って、おい」
呼びかけるものの、美冬は怒気混じりの言葉をぶつけるばかりで返答はなかった。
目の前をポニーテールが横切り、荒々しい動作でラグに座る。

こうなると手がつけられない、と真雪は溜息をつく。
玄関を開けた時、美冬は仁王立ちの状態で睨んでいた。
何か怒らせる事をしたのだろうかと考えてみるが、思い当たるフシはない。
理由を聞いても、頭に血が上っている状態らしく
真っ当な答えは返ってこなかった。
伝わってくるのは怒りと、何かに対する不安。
考えても答えには辿り着けそうにない。
 
「だから、話聞けって」
「なんなのかしら、あのクソッタレ。7回くらい死ねばいいのに!」
「美冬、ちょっと落ち着けよ。何があったんだ?」
ノートパソコンに向かう美冬は口の中で文句を言い続けていた。
机の上に置かれた指が苛立ち気味にリズムを打つ。
時計の音と重なって響いた。
「つけられてた」
「あ?」
「尾行されてたのよ、知らない奴に。気味悪いったら仕方ないわ」
苛立った調子で吐き捨てるように言う。
真雪を見上げた視線は、すぐにパソコンのディスプレイに戻された。
「事務所から駅までだったら行き先が一緒なんだろうって思うけどさ。
どんなに回り道してもついてくるんだもん。しかもご丁寧に、寄り道したら
待っててくれてたしね」
「大丈夫だったのかよ」
「大丈夫じゃなかったら、ここにいないってば。駅の構内で適当に撒いてきたから問題ないよ」
真雪は壁にもたれかかりながらパソコンに向かう彼女を眺める。
室内に聞こえるのはキーボードを打つ音、そして溜息。
わずかに覗く窓からヘッドライトの光が流れる様子が見えた。
車の通り過ぎる音が遠ざかると、再び濃い静寂が訪れる。
「最近多いんだよね、こういうの。どっからか絶対漏れてるって」
「何が」
「何がって、決まってるでしょ。あたしがエニグマの片割れって事がだよ」
ソファに座った真雪の動きが止まった。
みるみる硬くなっていく表情。
目の前にある背中を眺めていた瞳が、何かを考えているのか落ち着きのない様子で動く。
「いつも視線感じるし、尾行だって今日が初めてじゃないしさ。相手がイレギュラーなら
無視するけど、そうじゃないから。アイツらは人間よ、しかも此岸の」
パソコンに忙しく視線を走らせながら、上の空の調子で言った。
ややあってポニーテールを揺らして振り向く。
「真雪の方は何にもないの?」
短い沈黙、空白の時間。
エアコンの低い唸り声や風が窓を叩く気配は静けさを濃くし、空気を重くした。
見つめ合う。
「あー、言われてみれば……」
「呆れた。あたしには散々『気をつけろ』とか言っといて、自覚ないってどうなの?」
「うるせえ。気にしてたらキリがねえから無視してるだけだよ。
でも確かに、前に比べて胡散臭い連中に絡まれるのは増えたな。単に春だからだと思ってたけど」
「春って何よ、今は冬でしょうが。まったく……って、あれ? これで全部か」
まるで他人事のような口調に、美冬が深い溜息をついた。
だが、それはすぐに不審な声でかき消される。
思わず、眉間にしわを寄せた状態で身を乗り出してディスプレイを凝視した。
「ん、どうかしたか?」
伸びをする姿勢で欠伸を噛み殺しながら尋ねる。
だが、前方から返ってくるのは曖昧な返事ばかりだった。
美冬の肩越しに見える画面に映し出されたのは無機質な文字の羅列。
真雪は目を凝らしてみるものの、距離から内容までは判別する事が出来なかった。
「裏サイトでエニグマに関する発言を調べてたんだけど、見つからなくてさ。
絶対あると思ってたのになぁ」
「まーた、そんなモン見てんのか。嘘とか批判ばっかのページ見たって
どうしようもねえだろ。見たくねえモノ見て落ち込むから、やめとけよ」
「でも此岸の人達は、みんな見てるしさ。尾行とかが増えたのは、
ここでエニグマに関する発言があったからだって考えるのが自然じゃない?
此岸で噂が広がるのって大抵ここからじゃん」
「まあ、そうだけど」
真雪は呆れた視線を向けていたが、息をつきながら天井を仰いだ。
耳に入ってくるのは、多少の苛立ちを含んだ唸り声とタイピングの音。
視界に入り込む髪をかき上げる。
「ギルドが流してる事も考えられるけど、その可能性は低いだろうし」
「それは有り得ねえな。アイツらは基本中立で、超が付く程の面倒臭がりだろ。
そんな事しても、まったくメリットねえだろうが」
「だよねぇ。前も、あたしに関する問い合わせが多いって胡散臭がってた位だから
その線はないと見るのが妥当かぁ」
唇を尖らせた美冬が前傾姿勢でディスプレイに顔を近づけていた。
画面を見つめる顔は険しく、瞬き一つしない。
「『エクスキューショナー出没情報』『レギオン』『歌姫』『都市伝説』……むー、
ほとんどレギオンとポリ公の事ばっかりだわ。此岸総合板の方にあるのかなぁ」
「なあ、それより美冬」
「ん?」
じれったそうに言った美冬に掛けられた、改まった声。
その声の響きにパソコンから視線をはがすと身体をねじった。
どこか真剣な眼差しに、思わず不満そうな表情から真顔になる。
真雪はソファの上にあぐらを掻きながら口ごもる素振りを見せた。
「本当にお前、気をつけろよ。確かに普通の奴より強いかもしれないけど、
美冬は女なんだからさ」
「……真雪」
「いや、別に差別してるワケじゃなくて。その、何かあったら大変だろ。
前だって帰ってる途中で色々あって、怖い思いしたじゃねえか」
わずかに驚いた様子で見つめる美冬をよそに、ぶっきらぼうな調子で
途切れがちに言葉を紡ぐ。
まるで言い訳をしているように言葉を繕った。
目が合っても、すぐにそらされる。
「何かあったら自分だけで何とかしようとしないで、周りの奴を頼れよ。
俺でもノクティルカでも、電話くれりゃ助けられるしさ」
「ありがと、でも心配しすぎだよ。ちゃんと気をつけてるから」
「心配しすぎなんじゃなくて、美冬が楽天的過ぎるんだよ。お前は俺にとって……」
不意に。
軽く睨みながら諭す調子で言っていた真雪が急に口をつぐんだ。
何かに気付いた様子で動きを止めた後、わずかに顔をしかめる。
不思議そうな美冬をよそに。
「俺にとって、何?」
「な、なんでもねえ。何でもありません!」
「えー、なんだよう。途中でやめないでよ」
「何でもないったら何でもないの!」
顔をそむけながら、ばつが悪そうに言った。
心なしか、横顔が紅潮してる風にも見える。
身を乗り出して覗き込む視線から逃れたいのか、手で振り払う真似をした。
「顔赤いよ、真雪。ねえ、言ってってば」
「赤くない! つーか、分かってて聞いてるだろ!?」
「やだわウフフ、そんなワケないじゃないのウフフ」
「その妙な笑い方やめろよ! いや、さっきのは……」
黒で統一された室内に、笑いを噛み殺した声と
照れ隠しの怒鳴り声が交互に響く。
美冬は楽しげに笑いながら、後ずさる真雪を観察していた。
「だー、もういい! 俺、もう仕事行くから!」
「あ、ずるい! 逃げようとしてる」
「逃げてないっつーの! マジでこれから死亡宣告行かなきゃいけねえんだよ。
つーワケで、お兄ちゃんは行ってくるから。邪魔しないように」
傍らに座り込み、不満そうに唇を尖らせる美冬を睨む真雪。
ソファに寝転ぶと呼吸を整えようと、深呼吸をする。
重みのある音が革の擦れる音と重なった。
数秒間の沈黙、静けさが立ち込めていく。
気恥ずかしさを隠そうとする不機嫌な顔が美冬を一瞥し、視線がぶつかると
顔を見合わせて笑った。
「お前、意外とサドだよな。本当はなんて言おうとしたか知ってるクセに
俺に言わせようとするなんて」
「おっかしいなぁ、完璧にごまかせてたはずなのに」
「バレバレだよ、馬鹿。お前の言葉も俺に筒抜けなの、忘れたのか」
ラグに座った状態でソファに頬杖を付く美冬の頭を、伸ばされた指が軽く突付いた。
赤紫色の瞳が閉じ、黒いスーツ姿の死神が眠る。
何かもかもが無彩色に支配された部屋に、エアコンから吐き出された微風が
通り抜けていった。
季節を感じない、乾いた空気。
この景色に動くものは何もなかった。

「『お前は俺にとって一番大事な人間なんだから』か」
やがて聞こえてきた等間隔の寝息を聞きながら美冬が一人ごちる。
俯いた顔は流れ落ちた髪で隠され、どんな表情を浮かべているかは分からなかったが
その口元には笑みが浮かんでいた。
時計の秒針の音ばかりが耳に纏わり付く。
重く、濃く漂う沈黙に息苦しささえ感じた。
「いつも貰ってばかりで、全然返せてないね」
その声には微量の寂しげな色が宿る。
カーテンの隙間には相変わらずの漆黒。
美冬は、微笑むように眠る真雪の寝顔を眺めていた。
 
 
 
真雪が再び目を覚ますと、そこは暗闇だった。
目を凝らしても空間の輪郭すら分からない。
戸惑いがちに辺りに視線を巡らせる。
手を伸ばしても宙をかすめるばかりで、壁や障害物に触れる気配はなく
地面はあるものの、床がどんな素材であるかも分からない状態だ。
「あれ」
無意識に声が漏れる。
闇に目が慣れても、何も見えなかった。
自分の声が響くだけで他の音は一切しない。
「ここは冥府の……」
通常の死亡宣告は、ターゲットの情報を思い浮かべれば
その者の意識の中へと入る事が出来る。
人によって景色は様々だが、ここが『誰かの夢の中』ではない事は明白だった。
温度のない空気に微妙に混じる死臭と、全身に走る緊張。
口元に手を当てて思案していた真雪が小さく息を飲む。
「そうか、勘違いしてた。死亡宣告だとばっかり思ってたけど今日は違うのか」
前髪をかきあげた状態から後頭部を乱暴に掻いた。
ややあって一つ息をつくと、スラックスのポケットに手を突っ込んで歩き出す。
靴音が幾重にも響きながら周囲に広がっていった。
闇に黒いスーツが溶け、同化する。
遠くで鳥の羽ばたきが聞こえた気がした。

数分歩いたところで周囲の景色が漆黒から青へと変わる。
眩しさに目がくらみ、眩暈を起こしかけた。
真雪は、地平線まで広がる花畑をかき分けるようにして進む。
花の香りを含んだ柔らかな風と、溢れるような色彩の洪水。
抜けるように澄み切った空には雲ひとつない。
けれど、この場所に生気は微塵もなかった。
常に重く死臭が立ち込め、漠然とした不安が思考を支配する。
睨むように目を細め、何かを探すように周囲を見渡す真雪。
後方で不自然な草花のざわめきを感じ、振り返ろうとした時だった。
「やっと人に会えた」
聞こえたのは、安堵に満ちた声。
立っていたのは30代半ばと思しき、スーツ姿の男だ。
突然現れた黒いスーツ姿の男に不信感を抱いていない様子で
人の良さそうな笑みを浮かべながら近寄ってくる。
肩で息をしながら、額の汗を拭った。
この場所で人の姿をしているという事は――真雪がさりげなく観察しながら思う。
「困っていたんです。目が覚めたらここにいて、誰も居ないものですから。
あそこに見える門まで行こうと思ったんですけど、どれだけ歩いても着かなくて」
「それは当然です」
「え?」
「あちらの門は死後の審判を受ける者だけが通れる、死者の門です。
貴方様のように生きている方には触れる事はおろか、辿り着く事さえ出来ません」
真雪の顔から表情が消えていく。
紡がれるのは無感情な言葉。
呆気に取られ、ただ見つめる相手を静かな眼差しで見据えた。
「失礼しました。松田 和久様でいらっしゃいますね」
「は、はい。あの……」
「私は死神。今回、貴方様を此の岸へお連れする為に参りました」
不意に訪れた沈黙。
目の前の男――松田は、真雪の言葉に戸惑った様子で目をせわしなく動かしている。
何かをいおうと口を薄く開いたままで固まっていた。
鳥のさえずりが通り過ぎる。
「ええと、すいません。僕、混乱していているみたいで」
「いえ、こちらこそ詳しい説明もせず失礼いたしました」
「それで、あの。貴方は死神、なんですか?」
「はい。死亡予定に基づき、実際の生死を調整する業務を担っております」
眉一つ動かさずに答える。
口の中で反復しているのが聞こえた。
時折、遠慮がちに観察をするような視線が向けられる。
「さて、今回のご用件ですが」
放たれる、冷たさを帯びる言葉。
赤紫色の瞳が松田を見定めた。
「12月4日、予定外であるはずの松田様の死亡が確認されました。おそらく
偶発的なものだと思われますが原因は判明しておりません。特例処置といたしまして
此の岸に戻す、すなわち貴方様の蘇生が決定しました」
目を見開いたまま息を飲む様子が見えていないのか、真雪は表情をわずかも変えずに。
前で手を結んだ格好で微動だにしなかった。
「蘇生は12月24日、午前9時20分に執行されます。当日、確認に伺います事を
ご了承下さい」
草花が風で揺れ、周囲にざわめきに似た音が広がる。
スローモーションで花の色が踊るのが見えた。
空に鮮やかな赤い花弁が舞い上がる。
沈黙。
「……松田様?」
「あ! あ、すいません! その、なんだかとても信じられなくて。
僕が死んで、また生き返るなんて夢の中の話みたいだなぁって」
「無理もございません。死ぬ方も生き返る方も、皆さん同じようにおっしゃいますから」
「ここも、娘が大好きな絵本の景色みたいで。よく、読んでくれってせがまれました。
小鳥が天国はどんな所だって色んな人に尋ねる話なんです」
目を細めて笑っていた松田は我に変える。
顔をしかめると、身体を縮めるように肩をすくめた。
「ごめんなさい。余計な事をお話ししまして」
「いえ、とんでもございません」
途切れる会話。
松田は落ち着きなく、自分の手や足元を見ていたかと思うと
首をねじって周囲を見渡す。
時折死神を盗み見ては言いよどみ、何度も迷う素振りを見せた。
「あ、あの。質問があるんですけど」
「なんでしょう?」
目が眩むほどの色彩の中に死神の纏う黒だけが浮いている。
その光景は異質なものに思えた。
唾を飲み込んで、無表情な死神を恐る恐る見つめる。
「もし本当に僕が死んでいるとして。生き返っても、
体がなかったらどうなっちゃうんでしょう?
もう葬儀が終わって火葬されちゃってました、とか。そういう事も有り得ますよね」
真雪の動きが一瞬止まった。
呆気にとられた表情で見つめ返した後、小さく吹き出すように息を漏らす。
真顔で訴える松田がおかしかったらしく、微かに口元に笑みが浮かんだ。
「失礼しました。そのご心配は無用かと思いますよ」
「そうですか」
「はい。現在、松田様は病院で眠っていらっしゃいます」
「ああ、よかった。すいません、変な事を聞いちゃって」
安堵の溜息を漏らしつつ、頭を掻く。
そこで何かを思い出したらしく動きを止めた。
薄茶色の瞳が死神を遠慮がちに窺う。
「じゃあ、娘と妻はどうしてるのかな。様子を見る事は出来ますか?」
「残念ながら、それは出来かねます。死んだ方であれば、ある程度は可能なのですが。
……でも」
「え?」
「報告によりますと、眠っている松田様にずっと付き添っていらっしゃるそうですよ。
貴方のお帰りをお待ちになっている、と」
数十分前に自室で読み返していていた書類の文面を思い出していた。
死神は最低限の宣告を対象に伝えればいい。
また無駄な事をと、ノクティルカに呆れられるのだろうと内心苦笑した。
だが、目の前で顔をほころばせる松田を見ると
必ずしも無駄な事ではないのではないかと真雪は思う。
「きっと心配しているんだろうな。彼女の事だから、口では強がっていても
ずっと不安に思っているのかもしれない。どうにか伝えられたらいいんだけど……」
目を伏せて寂しげに笑った松田は、顔を上げると真雪を見た。
「元に戻れるのは24日、ですか」
「左様でございます」
「そうか、24日……すいません、その日は僕にとって特別なんです。
この日に目を覚ます事ができるなんて、本当に夢みたいだ」
嬉しげに日付を繰り返し呟く。
何かを思い出しているらしく、はるか遠くの地平線を眺めていた。
「僕にとって、貴方は死神ではなくてサンタクロースなのかもしれません」
首を傾げながら、くすぐったそうに笑う松田。
彼の言葉に真雪は一瞬、呆気にとられた表情を浮かべていたが
おどけたように眉を上げると肩をすくめる仕草を見せる。
顔を見合わせ、同時に微かに笑った。
にわかに風が強く吹き、耳元で唸り声を上げる。
数秒の空白。
死神は前で結んだ手を解くと、姿勢を正した。
「松田様、この度はご迷惑をお掛けしまして大変申し訳ありませんでした。
数日こちらで待って頂く事になりますが、蘇生の方は間違いなく執行させて頂きます」
「あ、はい」
「突然の事で、まだ信じられないかと思いますが
おそらく此の岸へお戻りになられたら長い夢を見ていた、とお思いになるでしょう。
どうか、この先の貴方様の道行きが幸多いものでありますように」
感情の消えた顔で淡々と言葉を紡ぐ真雪。
頭上を数羽の鳥がさえずりながら通り過ぎていった。
花の芳香が鼻腔をくすぐる。
「ありがとうございます。貴方にもたくさんの幸せが訪れますように」
松田はそう言って顔を緩ませた。
彼の背後に広がった、一面の花々が楽しげに揺れる。

彼は、おそらく夢だと信じて疑わないだろう。
おそらく彼にとって死んで生き返る事も、死神の存在も夢の中の出来事。
もしかしたら、死んだという事実さえも分かっていないかもしれない。
だが、真雪はそれでいいと思っていた。
 
 
「死んで生き返る、か」
松田に背を向け、数メートル歩いた所で真雪が小さく呟く。
最後に向けられた笑みを見て、不意に春先に起きた出来事と
エニグマに目覚めるきっかけとなった人物の顔を思い出していた。

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