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4-2 Hide and Seek

「美冬、何度も言うけどな」
真雪はスティック状の香に火をつけながら、ため息混じりに言った。
香の先に蛍のような火がともる。
まっすぐ上へと立ち上る緩やかな煙と共に鼻腔をくすぐる森林の香り。
「死神の仕事は直接お前とは関係ねえんだから、別に付き合ってくれなくてもいいんだぞ?」
テーブルの上に置かれた香立てに手に持っていたそれを差した。
深夜、真雪の部屋。
そこに居るのは黒いスーツ姿の真雪と何か言いたげな瞳を向ける美冬。
周囲に音はなく、世界が死んでしまったのではないかと思う。
「でも、何かあったら大変じゃない」
「そうだけどさ。俺が寝てるの見てるだけってのも暇だろ?
宣告って言ったって、ターゲットの夢の中に入るだけなんだから」
「もし何かあったら助けられるかもしれないでしょ」
美冬はラグに座った姿勢で、唇を尖らせて真雪を見上げた。
抗議しているようにも聞こえる言葉のニュアンス。

死神の仕事の一つである死亡宣告。
それは予定日を過ぎても尚、生き続ける人物の夢の中に入り
死を告げる作業を指す。
本人が覚えているか否かは別として
宣告する事で彼らに死を与えるスイッチの役割を果たしている。

「じゃあ、もし引きずり込まれそうになったら助けてくれ」
真雪が苦笑を浮かべながらソファに座った。
その言葉に過敏に反応した美冬に顔を覗き込まれ、わずかに慌てる。
目の前にある顔は不安に満ちていた。
「そ、そんな事……あるの?」
「さあ? ないとは言えねえんじゃねえの?」
「変な事言わないでよ」
睨む視線。
窓ガラスを叩く風の音が聞こえる。
「さて始めるか。じゃあな、美冬」
「『じゃあな』とか言わないで。縁起でもない」
「元気でな」
「もっと駄目! 怖い事言うな!」
「……なんて言えばいいんだよ」
ソファに寝転び、呆れた表情で眉を寄せた。
視界にうつるのは白い天井と心配そうに見つめる美冬の顔。
「とっとと済ませて早く帰ってくるわ」
「うん。気をつけてね」
手が伸び、美冬の頭を撫でる。
ゆっくりと掻き回すような動きの後、軽く数度叩く。
真雪は静かに瞼を閉じた。

意識を集中させると周囲の気配や音が一切自分の中から消え失せる。
肢体が重く、自由が利かなくなる錯覚。
まるで水底へ深く沈んでいくようだ。
イメージするのは死亡宣告のターゲット。
ドアを開け、違う場所へ入る光景を脳裏に描きながら。
意識は途切れた。


気がついた時、初めて感じたのは肌を刺す冷気。
視線をめぐらせて見えたのは荒涼と広がる何もない大地。
「随分と寂しい場所だこと」
無意識に言葉が漏れる。
どうやら他人の夢の中に入り込む事が出来たらしい。
真雪は地面を掘るように、つま先で軽く数度蹴った。
見上げた先にある空には今にも降り出しそうに暗く、重く潰されてしまいそうな雲の波。
周囲を見渡しても何があるわけでもない。
時折存在する、屍のように立ったまま枯れる樹木。
地面は乾いてひび割れて枯渇していた。
自分が発する足音が響く。
歩く度に辿り付けるのかと不安を覚える。
鋭い刃のような風にスーツのジャケットが翻った。
真雪は数メートル歩いた所で足を止めた。
いぶかしげに瞳を細めて周囲を見渡す。
音を聞いた気がした。
耳元で唸りをあげる風の他に何かが聞こえる。
等間隔で何かを掘っているらしい音。
「あれ、だな」
目の前に人影が見える。
距離にして数十メートルという所か。
よく目を凝らせば、その人影の足元には何かがあるようにも見えた。
真雪は軽くため息をつくと再び歩き始める。
「失礼ですが、須藤明美様でいらっしゃいますね?」
真雪が背後から声をかけると、目の前の女の動きが止まった。
背中越しに見えるのは彼女が掘っているらしい穴と
周囲には黄色い布で覆われた大きな塊が四つ。
蛹のようにも見えるそれは、ちょうど人間ほどの大きさにも見える。
「……そうだけど。貴方は?」
振り向いたのは、派手な印象のある三十代中盤から後半くらいの女。
化粧を施した顔には明らかな警戒が滲んでいた。
華やかな顔立ちと離れた位置からでも匂う香水、ワンピース姿の彼女と
穴を掘る作業は違和感がある。
「私は本日、貴方様の死亡日の件で伺いました死神でございます」
呆気にとられたような静止の後、真雪を観察する明美の視線。
不自然なほど整えられた眉が歪む。
「なん、ですって?」
真雪はその問いに、無表情のまま顎を引いた。
感情を隠した瞳で目の前を見つめる。
二人の間をすり抜ける風。
「須藤明美様、貴方様は去る四月十二日に死亡が予定されておりましたが
何らかの手違いにより、予定日を過ぎた現在も生存が確認されております。
つきましては来る四月十九日、十四時〇二分に
死亡処理をさせて頂きます事をお知らせいたします」
無感情な声が一帯に響き渡る。
微動だにせず、唇が言葉を事務的につむぐ。
明美は目を見開いたままで真雪をただ見つめた。
唇が空気を求めるように動く。
力の抜けた手元からシャベルが離れ、派手な音を立てて倒れた。
沈黙。
「当日、確認の為……」
「私は!」
言いかけた言葉を荒げた声が飲み込む。
真雪にすがるように明美が肩に爪を立てて掴んだ。
目を見開いたまま、肩で息をする。
「私は死ぬの?」
「左様でございます」
「どうして!? どうして私は死ぬの?」
「死亡予定日を過ぎておりますので、その処理の為です」
「死因は!? もう死ぬって決まってるの!? それは絶対なの!?」
「残念ながら特例は認められておりません」
問い詰める明美をかわす口調。
それでも彼女は視線を逸らす事なく睨み続けていた。
「私が、私が保険金殺人の容疑をかけられているから?
あの人達を私が殺したってみんなが言うから死ぬの?」
まるで死人のように感情を表に出さず、微動だにしなかった真雪が反応する。
遠くを見つめていた視線が明美に向けられた。

突如吐き出された『保険金殺人』『殺した』という言葉。
名前を見たときに感じた既視感に似た何か。
もしかして――いや。
おそらく彼女は連日ニュース等で報道されている連続保険金殺人疑惑の渦中の人物だ。
確か先日亡くなった男の姓は彼女と同じ須藤であったと記憶している。

「知らないの?」
わずかな反応を察した声が尋ねる。
明美は真雪の肩から手を離すと複雑な笑みを微かに浮かべた。
自嘲にも不敵にも映る。
「私ね、あなたと同じ死神なの。
もっとも私の場合は勝手に外野がそう呼んでいるだけだけれど」
その言葉に真雪は内心頷いた。
やはり保険金殺人の容疑がかけられている、件の女だ。
「3度結婚して今度で四度目。でも私と結婚した男はみんな死んでしまうの。
それまで元気だったはずなのに、ある日突然ね。死因は心不全」
楽しげな口調で、どこか他人事にも聞こえる。
その場をさまようように歩いていた。
俯き加減の顔から表情を読み取る事は出来ず、口元だけしか見えない。
微笑むように口角を上げる唇。
「私は彼らを愛していたのに、周りはみんな殺したって言うのよ。
お金目当てだって。失礼しちゃうわ……周りの人間なんて勝手よね」
言葉もなく明美を視線で追った。
広がる荒野にたたずむ二つの人影。
それ以外に人の居る気配はない。
「死神さんはどう思う?」
「どう、とは?」
「貴方は私が殺したと思う? 自分の夫を、お金のために」
瞳を覗き込んでくる。
その眼差しは挑むようですらあった。
真雪は眉一つ動かす事なく目の前の女を見る。
けれど、その視線は明美が見えていない風に見えた。

メディアや世論は彼女の犯行と決め付けていると言ってもいい。
逮捕は時間の問題と言っている媒体さえある。
けれど、それを鵜呑みにしていいのか?

「お話を聞いた限りでは判断できかねます」
「そうよね。誰にも分からないわ、私以外の人間は」
答えに満足したように、軽く頷くと肩にかかる髪を払いのけた。
昼も夜もない空。
風にあおられ、土ぼこりが舞う。
「もしかしたら私が死に魅入られた女なのかもしれないもの。
悪い魔法使いに、愛した男が死ぬ呪いをかけられている可能性だってある訳だし」
「ですが」
真雪は楽しげな女の声に言葉を重ねた。
地面に転がっている黄色の布に包まれた物体を一瞥し、明美を見る。
「貴方様はこの件に関しまして、何かをご存知なのではないかと私は考えます」
布の隙間から見えるのは硬く閉じられた蒼白の肌を持つ瞼。
皺や肌の質感などからいって物体はおそらく成人男性だろう。
ここは夢の中だ。
現実的ではないものや死体が転がっていても不思議ではない。
けれど、ここに存在しているという事は明美と関係があるのは間違いないだろう。
他の物体も似たような大きさをしている事から人間である可能性は高い。
彼女は穴を掘っていた。
これを埋めようとしていたのか?
そういえば、亡くなった彼女の夫は四人である事を真雪は思い出した。
この物体も四つ。
――まさか。
夢の中の出来事だ。
全ての理由を考える事は難しく、現実とは違うかもしれない。
けれど考えるのをやめる事は出来なかった。

「……確かに私は誰も知らない事実を知ってる。
でも、それを公言するつもりはないわ。私だけの秘密にするの」
「須藤様」
明美はわずかに間をおいて顔に不敵な笑みを広げた。
ぶつかる視線。
「ご自身さえ隠し通せば、その事実は公にならないとお思いですか?」
「……どういう意味?」
風が二人の髪を揺らした。
真雪は前で手を組んだままの姿勢を崩す事なく、直立不動を保つ。
「死者は真実を語ります」
怪訝そうに見つめた。
言葉もなく、視線だけが何かを求めさまよう。
「死者は真実を語るためなら、どんな手段も用います。
貴方様が隠そうとするなら真実を語り、嘘をつくのならそれを暴こうとします」
睨むようにお互いを見つめた。
探り合う視線と何かを考える沈黙。
静寂が重く流れる。

「じゃあ何?」
口を開いたのは明美だった。
「貴方がこうして私の前に現れたのも
死亡予定日がどうとかって三日後に死ぬと言うのも、あの人達がしたとでも言うの?!」
怒鳴るようにぶつけられる言葉。
その中でも、表情を一つ変えずに明美を見つめる。
「そんな事あるわけないじゃない! 何よ、いきなり死ぬとか言ってきたと思えば
今度は脅し? いい加減にしてよ。何が目的なの!?」
真雪はゆっくりと瞬くと、視線だけを動かした。
明美を無言で見据える。
「死ぬのは罰? 私が逃げるから死んで裁かれるってわけ?」
「それは違います」
さほど大きくないはずの声が辺りを支配するように静かに響いた。
セピア色の世界に浮かぶ黒と赤。
それらは対峙し、見つめ合う。
「死は生まれた日に交わされた契約。罰や裁きではありません」
明美が何かを言いたげに口を開き、地面に視線を落とした。
「貴方様が罪を犯したのでしたら裁かれるべきだと私は考えます。
人を裁くのは人です。死や神ではない」
「何が言いたいの?」
苛立ちが言葉の端に浮かぶ。
真雪はもう一度地面に転がる物体を見た。
明美に顔を向けて息の詰まるような沈黙を口にする。
語るのは口ではなく、視線。

「本当に殺したのですか?」

止まる世界。
明美の視線が落ち着きなく動き、手はさかんに髪を触る。
せわしなく瞬き、平静を懸命に保とうとしているようにも見えた。
視線を避けたがる女を冷酷な瞳で見つめる。
「……」
ワンピースの裾が軽やかにひらめく。
その色と動きはまるで炎に似ていた。
「……何を……」
呆然と独りごちる。
全身からみなぎる不安と恐れ。
ややあって、何かを決意したように真雪を見つめる。

「そうよ」
その言葉は開き直りだった。

「けれど、それが何? だから何だって言うの?
ここで私が貴方に罪を告白しても、誰にもどうする事はできないわ。そうよね?」
彼女の手は小刻みに震えていた。
それを隠すように拳を握り、強い口調で真雪に詰め寄る。
「凶器や証拠は見つかってないし、アリバイもある。
世論や推測で逮捕なんて出来ないわよね。それとも貴方が証言する?」
憑かれたように言葉が次々と流れ落ちた。
声だけを聞けば自信に満ち溢れたようにも聞こえるが、これは偽りだ。
その証拠に彼女の目は怯えている。
「『私は死神で、須藤明美が罪を告白したのを聞きました』って。誰か信じるかしらね」
真雪は無表情のままに視線だけで睨んだ、明美を。
まるで固まったように動かずに口をつぐむ。
「隠し通すの、全てを。証拠さえ出なければ何の問題もない」
宣言のように響く声。
「今までだって隠せたのだから今度だって大丈夫よ」
まるで自分に言い聞かせるように。
「私が死ぬわけなんてない。死亡予定日? 死神? ……そんなの知らないわ」
再び無言の時間が流れた。
包み込むように巻き上がる土ぼこりに目を細め、空を仰ぐ。
自分を潰そうとする曇天。
「私は逃げてみせる」

明美の言うとおりだ。
罪を告白されてもどうする事も出来ず、なす術はない。
だからこそ彼女はここで罪を打ち明けたのだ。
そこにあるのは隠し通せるという自信。
真雪は内心、苛立ちを覚えていた。

「……お時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
真雪はそう呟き、一歩退いた。
瞳に一瞬浮かんだ苛立ちの色は既に消えている。
無表情の仮面、押し殺した声。
「死亡日には確認に伺いますので宜しくお願い致します」
真雪が軽く頭を下げる。
立ちすくむ明美を残し、真雪がきびすを返した。
どの方向にも同じ景色が広がっている。
ただまっすぐ前を歩いていく。

黒い死神の後姿が小さくなり、景色の中に消えた時。
明美は地面にへたり込んだ。
うなだれるように、地面の一点を見つめる。
「まさか、嘘よね。嘘だわ。あの人は私を動揺させたいだけ」
その声は風の中に溶け、聞いた者はいない。
広い大地にたった一人残された姿は、さながら花のようにも見えた。



目を開いて最初に見えたのは見慣れた景色だった。
無彩色で統一された室内。
ぼやけた視界が次第に鮮明になってくる。
それにつれ、意識が覚醒していくのを感じた。

――戻ってきたのか、自分の部屋に。
真雪は心の中で呟く。
身体がひどく重く、身体を動かす事さえも億劫に感じる。
こみ上げてくる吐き気に顔をゆがめた。
他人の夢に入る事は慣れている。
けれど、それに伴う身体の不調は何度味わっても気分が悪い。

「真雪?」
恐る恐る尋ねる美冬の声。
「ただいま」
「……大丈夫? 顔、真っ青だよ」
真雪はため息混じりに呟いて、美冬に視線を向ける。
そこで動きが止まる。
驚いたように凝視する瞳。
「どうした?」
声がかすれる。
「何で泣いてんだよ」
ソファのそばに座り、顔を覗き込む美冬の頬は濡れていた。
そして、怪訝そうに尋ねた言葉が引き金になったかのように涙がとめどなく流れる。
時計の秒針の音、押し殺した嗚咽が部屋に響いた。
話そうと口を開くが言葉は泣き声に変わり。
美冬は俯いたまま手の甲を目に押し当てた。
「大丈夫だ、美冬」
自然と口をついて出た言葉。
手を伸ばして髪に触れる。
「もう大丈夫だから」
吐き気を飲み込むようにしながら繰り返し呟いた。
しゃくりあげる声は、まだやみそうもない。
小柄な美冬が、いつにもまして小さく見えた気がした。

「待ってたら、もう真雪が目を開かないんじゃないかって……怖くなった」
数分後、泣き止んだ美冬が赤い目のままで呟いた。
ソファに寝たままで自分を見つめる真雪に視線を向けることもなく。
「馬鹿。すぐ帰ってくるって言っただろ」
「でも、本当に怖かったんだもん。死んじゃうんじゃないかって」
「寝てるだけだっつうの」
大きく肩で息をつく。
「だから、別に付き合ってくれなくても……」
真雪が目を閉じて呆れた口調で言いかけた時、髪が頬を撫でた。
肩には何かが乗ったような感触と温もり。
怪訝に思い、目を開けると美冬が倒れ込むように真雪の肩に顔を埋めていた。
「美冬?」
微動だにしない様子に小さく尋ねる。
返事はなく、まるで眠ってしまったかのように。
疲れで麻痺しかけた思考を動かそうとする。
美冬を片手で抱くように、後頭部に触れた。
「……真雪は」
不意に聞こえた声に動きが止まる。
どこか硬い響きさえ感じる声。

「どこにも行かないよね」

美冬の指が真雪のジャケットを強く握り締めた。
「あたしを置いて、どこにも行かないよね」
震える指、声は助けを求めていた。
真雪が彼女の言葉を心の中で繰り返す。
何故、そんな事を言うのか。
自分が夢の中に入っている間、彼女は何を考えていたのか。
戸惑いの中で言葉を懸命に探す。
唇を開き、再び飲み込む。
どうしたら不安がる彼女を安心させる事が出来るのかと。
「……行くワケねえだろ」
首を傾げるようにして、頬で美冬の頭に触れる。
「どこにもいかねえよ」
重く立ち込める静寂に飲まれた室内で、寝転んだまま答える。
すぐ近くで頷く気配。
気が付けば強まったらしい風が何度も窓を叩いていた。
まるで中に入れてくれといわんばかりに。
カーテンも閉めていない窓に見えるのは漆黒。
掻き回されるような眩暈の中で、真雪は死亡宣告で交わされた会話を思い出していた。

「あー」
「どうした? 美冬」
鼻をすする美冬の声で我に返る。
顎を引くと、すぐ近くにある美冬の頭の辺りを一瞥した。
「ごめん、真雪の服に鼻水ついちゃった」
「鼻かめよ! つうか、きったねえな!」

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