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3-4 beginning of the end

「だ、誰か! 誰か救急車!」
怒号や悲鳴が飛び交い、辺りは騒然とした。
足音が幾重にも重なって、せわしなく動き回る
血しぶきがはねる壁、静かに広がる血の海。
周囲の空気に混乱と緊張が混じる。

チャリオットは自分の背後の騒ぎに視線を向けた。
彼を捕らえようとするものは誰一人なく、ただ彼を遠巻きに見つめる人々の目がある。
そうさせるのは目の前の怪異へ警戒感か
それとも、むせるのほどの死臭がためらいを生んでいるのか。
「久し振りだな、レイヴン」
愉悦と狂気の同居する声。
内側から響く鼓動で周りの音が消え、全身が脈打つ度に大きく震える。
真雪は言葉もなく、微動だにせず正面を見据えた。
チャリオットは二人を、二人はチャリオットを見つめる。
それ以外は一切存在していない。
「久々の再会だ。もっと喜べ」
顎を上げて笑う。
真雪の視界の端に映る美冬の手。
チャリオットから隠すように背中に回された手が小さな動作で手袋をはめていた。
真紅の手袋。
それはいつも彼女が戦闘時に使っているものだった。
何かの予感がそうさせるのか。
ここからは表情は見えない。
けれど背中には張り詰めた空気がこびりついていた。
「なあ?」
チャリオットの足が少しずつ動く。
周囲に悟られないように、音もなく摺るように。

その時。
チャリオットが大きく足を踏み出す。
焼香の置いてあるテーブルを蹴り、その身を宙に躍らせた。
振りかざされたナイフ。
全てがスローモーションになる。
長い一瞬。
聞こえるのは地面に何かが薙ぎ倒された音、叫び声、空中を切り裂く何か。

「くぅう!」
美冬の口から苦しげに声が漏れた。
腰が落ち、踏みとどまろうとしながら歯を食いしばる。

静止した真雪が見たもの。
それは。
振り下ろされたチャリオットの攻撃を刀で受け止める美冬の姿だった。

「きっさま……!」
「ほう? 女、多少は出来るのか」
額をつき合わせるように交わされる言葉。
半笑いの声とは裏腹に、美冬は歯の隙間から言葉を搾り出した。
軍用の大型ナイフを振り下ろさんとするチャリオットと、
それを受け止め食い止める美冬との今にも崩れそうな均衡。
ぶつかり、こすれ合う刃が鋭く音を立てる。
美冬の腕が震えていた。
「――『朱』は」
「撃つな!」
真雪が眉間に深くしわを刻んだままで呟いた詠唱は、美冬の叫び声に打ち消された。
真雪は右手のひらを上に向けた状態で美冬を見る。
「絶対、絶対ここでスキルは撃っちゃダメ!」
つばぜり合いのまま、視線を向けることなく放たれる言葉。
真雪は思わず舌打ちした。

分かっている。
ここでスキルを撃つことがどんなにリスクが高いのかは。
一般人もいる、狭い空間、つばぜり合いの状態にある二人。
撃ってしまったら被害が出ることは間違いない。
だが、どうすればいいのか。
この状態で自分は何も出来ないというのか。

「どうする? レイヴン、お前は見ているだけか?」
チャリオットが唇を噛む真雪をせせら笑いながらゆっくりと尋ねた。
視線が向けられる。
「この女が斬られるのをお前は眺めているだけか?」
白くなるまで強く握られた拳が震えた。
「だめ! 撃たないで!」
「見殺しにするのか? この女も、周囲の人間も」
温度の感じない風が通り過ぎる。
背中につたう汗。
真雪はただ正面を睨んだ。
微動だに出来ない。
動けば、どうなるか分からない。
チャリオットがどう動くか。
美冬がどうなるか。
けれど、おそらく長くは持たない。
「撃たないで! 撃っちゃだめ!」
考える真雪の思考をさえぎるように美冬が目の前で叫ぶ。
いまだ動かないナイフのぶつかり合い。
「くっそ……!」
思わず声が漏れる。
その声を、チャリオットがあざ笑う。
「遠距離から撃てば周囲を巻き込む、近距離から撃てばこの女も巻き添え。
ただ見ているだけでは、この周囲の人間は皆殺しだ! 楽しいなぁあ!!」
声が周囲に響き渡る。
震えるこの身体は怒りか、それとも恐怖か。
「どうする? どうするんだ、レイヴン」
「撃つな! 撃つな、真雪! 撃ったらこいつの思うツボだ!!」
声を、声が打ち消そうとするように叫んだ。
せめぎあう心。
真雪は歯を食いしばったまま、チャリオットを睨む。
そして。

「美冬、離れろ!」

均衡は破られた。
その声と共に美冬が身体をひねるようにして、力任せに腕を持ち上げる。
大きく響く刃同士のぶつかる音。
目の前の巨体がわずかにバランスを崩しかけたところを真雪が足で払う。
そこから流れるように顔を鷲掴みにし、
地面にチャリオットの身体を叩きつけた。
「ぐ!」
「さすがに寝起きはつれえか?」
真雪が倒れるチャリオットの顔を掴んだまま地面に押し付けた。
大きく踏み出し、前かがみになり顔を近づけるような姿勢。
鼻につく死臭に吐き気をもよおし、めまいを覚えた。

視界の端でチャリオットの手からこぼれたナイフが地面に転がっているのが見えた。
手を伸ばして届く距離ではないが
何かの拍子にチャリオットの手に渡れば、どうなるか分かったものではない。
離れた位置から真雪やチャリオットを囲むように窺う黒装束達の足が見える。
チャリオットを自由にさせてはいけない、絶対に。
真雪は目の前の男を睨みながら唇を噛んだ。

「誰だ? あんた」
真雪が低く呟いた。
眉間に深く刻まれたしわ。
手に込められる力。
「分かってる事を聞くな」
「お前なんざ知らねえ。お前、誰だよ」
「俺は俺だ。チャリオットだよ」
「嘘だ。チャリオットは死んだ」
押し殺した声を投げる。
真雪の力のこもる右手が慎重な動きで下に移動し、チャリオットの首を掴んだ。
締め付けられて小さくうめくような声を上げたまま笑う。
口の端を大きく吊り上げ、真雪を見つめるギラついた瞳。
正気ではない光を放つそれに戦慄が走る。
「だが生き返った」
なにかを味わうように呟いた。
反応を楽しんでいるのか。
「こうして生きてるじゃないか」
「何でだ」
「何故と聞く? 何故と聞くか、死神!」
のた打つように身体を反らせて笑う。
真雪は思わず首を掴む手に力を込めた。
言葉に含まれた笑いが、膨らむように次第に大きくなっていく。
堪えきれないとでも言いたげな笑い声。
「では聞くぞ! それならお前は何故生きている!?
それと同じだ! 愚問だ! その問いはまったく意味がない!」
「認めねえ。認めねえぞ! 死んで生き返るなんざ認めねえ!」
張り上げられた声につられて大声になった。
痛いほどの緊迫感。
なぜか息苦しく、呼吸が荒くなる。
「ほう、認めないか」
チャリオットは軽く息をつくと真顔に戻した。
瞳に宿るのは殺意。
「認めなければどうすると言うんだ?」
真雪が眉間に更に深くしわを刻んだ。
「殺すか?」
足を動かし、砂利を踏みしめる音ですら響く静けさの中で。
ただ睨んだ。
「お前に殺せるか? レイヴン」
視界の端に映るナイフ。
「息をし、動き、人の形を成す者をお前は殺せるか?」
温度の分からない汗が滲む。
鼓動が早まる。
あえぐように吐き出される言葉が止んだ。
お互いの視線がぶつかり、探り合うように。
目で会話をする。
自分を食らおうとする死臭に、真雪は視界がぼやけかけるのを感じた。
歯を食いしばる。

「殺せまい!」

チャリオットは怒鳴った。
憑かれた笑みを浮かべ、肩をしゃくらせる。
「バケモノは殺せても人は殺せまい!」
耳鳴りを引き起こす程の怒号が周囲に響く。
真雪は震えるようにこみ上げる怒りを必死に抑えていた。
わななく指先に無意識に力がこもる。
「殺してみろ! やれるものならやってみろ、死神!」
額が触れそうになる距離で。
生気のない顔が言葉を放つ。

突如、真雪の身体が反応した。
前触れもなく、無意識に突き動かされる。
半ば反射的に握り締めた左腕で顔を隠すように防御の姿勢をとった。

次の瞬間、その腕に走る衝撃。
チャリオットの拳が力任せに殴る。

「ぐ!」
痺れる感覚に一瞬動きが止まり。
チャリオットはその瞬間を逃さなかった。
自分の首を締める右手を払い、手に力を込めて反動で起き上がる。
真雪はバランスを崩しかけながら、顔をゆがませた。
「や、ばい!」
無意識に漏れる歯軋りの間からすり抜けた言葉。
視界の端でチャリオットが動くのが見える。
「美冬!」
咄嗟に名を呼んだ。
美冬はその声に呼応するように刀を構えるものの、動きを止める。
「くっ!」

ここで武器を使えば周囲を巻き込む。

悔しげに息を殺してチャリオットを睨む。
分かっているのだ、彼は。
自分以外は武器が使えない事も、自分を殺せないのも承知の上で。
「せめて、解き放つまでは」
チャリオットは時の止まった世界の中で低く、言った。
そして二人を一瞥した後、身を翻し走る。
向かうは門の方向。
視界から白い影が消えた。
「追うぞ!」
真雪は叫ぶと走り出した。
自分のすぐ後ろに気配を感じる。
視界の端に写る鮮やかな翡翠色の髪は美冬のものだろう。
耳元で風が切る音と、遠くから近づいてくるサイレン。
微かに届く死臭を頼りに走る。
どこか浮き足立って見える住宅街を縫うように。
どこを走っているかなど、二人には見当も付かなかった。
ただ見えない影を追い駆ける。
息切れの中、視線だけがせわしくなく動き続けた。

「やばい。見失った」
美冬が肩で息をしながら立ちすくみ、住宅街の真ん中で呟いた。
どのくらいの距離を走っていたのだろう。
汗の浮かんだ額に髪が張り付く。
死んだように眠る周囲に響く切れた息。
「臭いが消えたな」
何度も頷きながら真雪は唾を飲み込んだ。
「ごめん、真雪。あそこでアイツを攻撃してれば……」
美冬が真紅の手袋の中に刀を飲み込ませながら視線を地面に落とす。
思い出すのは、彼が葬儀会場から姿を消す十数秒前。
武器を構えながら攻撃できずに固まった自分の姿。
「いや、あの判断は正しい。あそこで攻撃してたら怪我人が出てた」
大きく吐かれるため息。
「下手すりゃ死人が」
真雪は周囲を睨むように見渡す。
そこにあるのは、いつもと変わらない夜。
今まで立ち込めていた臭いも、騒然とした空気もない。
「一体、何が起こったの?」
「さあな。死人が生き返ったなんて」
「しかも人を攻撃して逃げた」
「ああ」
空を仰ぐ。
不意に頬に雫が一つ、落ちた。
「あれは本当にチャリオットさんなの?」
「……多分」
「多分って?」
「俺も分からない」
不審そうに尋ねる美冬に真雪は疲れた声で短く答えた。
無意識に右手が殴られた左腕の患部に触れる。
雨が降り出したらしい。
落ちてくる雨粒が数を増し、辺りに静かに雨の気配が広がっていく。
「腕、大丈夫?」
「大丈夫ではないな」
今になって思い出したように、うずく。
痺れる感覚と重く脈を打つ痛み。
「けど、今はそれ所じゃない」
包み込むような雨音の中、美冬に視線を向けた。
心配そうに見つめる視線に笑いかけようとするが顔がこわばったまま。
平静を取り戻した呼吸。
いまだ動揺する心と、混乱する思考が自分の中を駆け巡る。
真雪はジャケットのポケットから携帯電話を取り出した。
短い動作の後、耳にあてると聞こえる無機質な呼び出し音。
『はい、比良坂事務所』
三コール目でダンデライオンの声が聞こえる。
真雪は立ち並ぶ家々に視線を向け、ため息をついた。
事務所を出たのがひどく以前であるような錯覚。
「親父、俺だ。レイヴンだけど」
『ああ、お疲れ様。終わったのかい?』
真雪の前に立つ美冬が疲れた瞳を向けていた。
「終わったっつうか、始まったっつうかな」
『どういう、意味かな? それは』
今まで穏やかだった口調が張り詰めていくのが分かる。
「後で詳しく話すが、簡単に言うぞ」
言葉を選ぶ短い沈黙。
渇いた口の中で唾を飲み込んだ。
「死人が生き返った」
『……なんだって?』
「チャリオットが生き返って、逃げた」
髪をかきあげてうつむいた。
それ以上、説明のしようがなかった。
説明できるほど自分達だって状況が分かっているわけではない。
むしろ説明してほしい。
真雪はぼやける頭の中で思った。

「死んだはずなのに生き返ったんだ。なんか、別人みたいに」
雨が髪や肌を濡らしていく。
「……これは、夢か?」
呟くかすれた声。
降り注ぐ雨。
長い夜。
うつろな瞳は、ただ空を見上げた。

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