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3-2 Wheel of Fortune

「親父、ちょっといい?」
ダンデライオンが比良坂事務所の応接セットに座っていると、頭上から声が降りてきた。
声の方向を見上げると、傍らに真雪がコーヒー店のカップを持って立っている。何かを思案しているのか、硬い表情をしていた。
「うん、なにかな?」
「ちょっと聞きたい事があるんだけどさ」
テーブルを挟んだ向かいのソファを手で示すと、真雪は脱力するように大きな音を立てて座る。
不意に漏れた溜息。前髪をかきあげた格好のままで動きを止めていた。
どうやら言葉を選んでいるらしい。
「死神以外に天使が見える事って、ありえる?」
「死神以外に? どうしたんだい、突然」
「んー、ちょっと気になる事があってさ」
真正面から真剣な視線で見つめられ、思わず面食らう。
ダンデライオンは手にした新聞をたたむと傍らに置いた。
記憶を辿るように虚空を見つめる。
にわかに静寂が訪れた。
「そうだな。今まで聞いた事はないけれど、ありえない話ではないだろうね。
調べれば、そういった話もどこかにあるかもしれない」
「ふうん、そっか。やっぱりそうだよなぁ」
「何かあったのかい?」
「うん、まあね」
西の空に残っていた太陽の名残は消え、辺りは既に夜に変わっている。
窓の外には近くの風俗店のネオンの光が浮かんでいた。
無数の靴音と話し声がざわめきのように聞こえる。
先ほどよりも人通りが増えているらしかった。
「さっきコーヒー買いに行ったじゃん。その時に、店の中に天使になってる奴がいてさ。
それが、どうやら美冬にも見えてたっぽいんだわ」
「ラプターに?」
「そう。初めは偶然かと思ったんだけど、前から見えてるらしいんだ。
んで、そんな事があるもんなのかなって。自覚がないまま
死神になっちまってるっていうなら納得できるけど、そんな風でもないし」
「なるほどね」
軽く頷く顔。
騒がしい外とは裏腹に、事務所内は静まり返っている。
姿が見えるのは窓辺に立ってコーヒーを飲んでいる美冬くらいで、
他に人影はなかった。
時計の音が等間隔に時を刻んでいる。
「そんな普通の人間が天使なんて見える訳ねえのになぁ」
「いや、そうとも言い切れないのではないかな」
「確かにね。チェイサーやってて、イレギュラーが見えてる時点で
普通じゃねえけどさ」
「そういう意味ではなくて」
その言葉に、それまで天井を仰いでいた真雪が動きを止める。
ダンデライオンに顔を向けると、眉間に皺を寄せた。
「常に死臭を漂わせている彼女なら、ありえない話ではないかもしれない」
「死臭?」
「君も気付いているだろう?」
「まあ、うん」
座り直す動作にソファの革が擦れる音がする。
言葉が途切れ、静寂が訪れた。
真雪はダンデライオンから視線をそらして美冬の後姿を眺める。
「死臭というものは本来、死の近くにしかないもののはずなんだ。
それが、ラプターの場合は違う。彼女は常に死臭を身に纏っている。
まるで彼女が死であるかのように」
「チェイサーだったら、そんなの普通なんじゃねえの?毎日のように
イレギュラー狩ってりゃ、そういう匂いがこびりついたって不思議じゃねえだろ」
「理屈ではね。でも、他のチェイサーで彼女のような子を見た事があるかい?」
言葉もなく、二人を顔を見合わせた。
「おそらく彼女は特別なんだろう。それがどういう意味なのか、
どう特別なのかは分からないけれど。
僕は、彼女に天使が見えても不思議だとは思わないな」
「ノクティルカも言ってたな、そういえば。美冬みたいな奴は初めて見……」
「内緒話、禁止ー」
突然、言葉が途中で飲み込まれる。
真雪の視界が暗くなったと思うと、背後から不機嫌そうな声が聞こえた。
振り返ると、美冬がコーヒーのカップに唇をつけたままで睨んでいる。
真雪は動きを止めた後、軽く息をついた。
「別に内緒話してたワケじゃねえよ」
「悪口禁止」
「悪口でもねえっつーの」
「どーだか」
室内に響く靴音は苛立ちが見え隠れしている。
吐き捨てるように言った後、美冬は大またでソファに回り込むと真雪の隣に座った。
半ば身体をぶつけられる形になり、真雪がバランスを崩して肘掛けに手をつく。
目で抗議するものの、返ってくるのは怒気をはらんだ強い視線だった。
「どうせ、人が聞いてないと思って悪口言ってたんでしょ。あたしの名前言ってるのが聞こえたもん!」
「なんで名前が挙がると、全部悪口だと思うんだよ。違うっつってんだろ」
「しょっぱい顔して人を褒めてるワケないでしょ、普通。
じゃあ聞くけど、何の話してたの?」
不貞腐れた調子で言葉を吐きながら美冬が隣を睨む。
その間も絶えず、身体を押し付けるように真雪に肩をぶつけていた。
当の死神は眉間に皺を寄せたまま、当惑した表情を浮かべる。
「ほら、言えないって事はやっぱり悪口なんだ!
言いたい事あるなら面と向かって言えばいいでしょうが。感じ悪いぞ、お前!」
「違うんだって、もう! そうじゃねえんだ」
「そうじゃなかったら、どういうつもりなんだよバカ!」
「親父、笑ってないで助けてよ。美冬がすっげー絡んでくるんだけど」
ぶつかってくる肩を手で押さえながら、真雪が疲れた声で言った。
ダンデライオンは飲んでいたコーヒー入りのカップをテーブルに置くと、
美冬に目配せする。目が合うと穏やかに微笑んだ。
「確かにラプターの事を話していたけれど、悪口を言っていた訳ではないんだ。
君が天使を見るって話をしていただけでね」
「……天使」
「そう。今日、コーヒーを買いに行った時に天使になった人を見たんだろう?
その事をレイヴンから相談されたんだ。死神以外でも天使は見えるものなのかって」
美冬が動きを止めて単語を反復する。
ダンデライオンを見つめていた視線は、ゆっくりと真雪に向けられた。
「そう言えばいいのに、初めから」
「言ったら気にするだろ、お前」
「え?」
「いや、別に分かんねえならいいけど」
驚いた表情のままで見つめる顔から視線をそらし、素っ気なく言う。
何かを誤魔化すようにテーブルの上に置き去りにされたカップを手に取った。
窓の外を眺める横顔から感情は読み取れない。
「ところで、ラプター。天使が見えるのは今回が初めてではないそうだけれど、
詳しい話を聞かせてもらえるかな?」
「うん。あれは」
翡翠色の瞳が遠くを見つめた。
空調が低く唸り、頭上から乾いた空気を吐き出す。
視界の端でネオンが点滅しているのが見えた。
「初めて見えたのは一年位前だったと思う。はじめのうちは『気のせいかな?』って
思うくらい短い時間しか見えてなかったのが、どんどん長く見えるようになってきて」
「一年前っつーと、ちょうど比良坂に来た時期か?」
「うん、あの日は真雪と初めて会った時だったから覚えてるの。
家に帰ってる途中で見えて、単に疲れてるだけだと思ってたんだけど」
真雪が足を組むと眉を寄せる。
誰からともなく黙り、考え込む沈黙が生まれた。
「ねえ、これって死神と一緒にいるから見えるようになったんじゃないの?」
「そんなワケねえだろ。それだと周りの人間、みんな見えるようになっちまってるし」
「あの日、特別な事が起こったという事は?」
「特に思い当たらないけど……」
口元に手を当てたままで押し黙る。
小さく唸りながら首を傾げた。
どこからか忍び込んだ微風が三人の間をすり抜けて行く。
「何かきっかけがあると思うんだ。ラプターの中で転機となる出来事が
あったはずなのだけれど」
「……俺と会った事とか?」
「殴るわよ、真雪。人が真剣に考えてる時に!」
「いって! 冗談だっつーの! 殴りながら言うなよ、お前」
叩かれた真雪が顔をしかめて、腕をさする。
だが、すぐに表情を引き締めた。
「でもなぁ。その日はここで話して、俺の所に来たんだったよな?
俺の所でした事といえば口ゲンカとイレギュラーの討伐ぐらいで、
特にデカい出来事なんてなかったぞ」
「ふむ。ここでもノクティルカや僕と話をしたくらいで、特別な事は何もなかったな」
「あ。でも、所長とは事務所に来る前に駅前で会ったじゃん」
何気なく言った美冬の言葉にダンデライオンの動きが止まる。
途端に表情が険しくなったかと思うと、一点を睨んだまま微動だにせず。
瞳だけが落ち着きなく動いていた。
「……親父?」
「え、え? あたし、何かまずい事言った?」
「いや、そんな事ねえと思うけど」
突然の変化に美冬と真雪が声をひそめる。
名前を呼んでも返事をせず、ひたすら思案しているようだった。そして。
「ラプター。君と駅前で初めて会った時、ウタカタがいた事は覚えているかい?」
「え? う、うん。覚えてるけど」
「彼女に会ったのは、あの日が初めて?」
「ううん、ウタカタの事は昔から知ってるの。ただ……」
美冬は急に口をつぐむ。ダンデライオンを見つめていた顔が、
何かを思い出したのか目を剥いた。
弾かれたような反応、息を飲む仕草。
勢いよく立ち上がったと思うと、半ば叩く状態でテーブルに手をついて
身体を乗り出す。
「思い出した!」
「お、思い出したって何をだい?」
「もしかしたら違うかもしれないけど、変だなって思う事はあった!」
ダンデライオンはカップを持って、わずかにのけぞったままで尋ねた。
力強く言い切る美冬とは対照的に残る二人は呆気にとられた表情を浮かべている。
「その日、変な夢を見たの。桜の下でウタカタと話してる夢でさ。
でも、夢にしてはおかしい部分が多くて」
「おかしい部分、とは?」
「変にリアルだったり、起きた時に桜の花びらが部屋中に散乱してたり。
普段は夢の内容なんて起きたら忘れちゃう事がほとんどなのに、
その日に限って言われた言葉まではっきり覚えてた」
「ウタカタは何て言ってた?」
窓を叩く気配を感じて視線をそちらに向けるが、音の正体は風であったらしかった。
暗闇の中でも、厚い雲が空を覆っているのが分かる。
「確か、ウタカタは」
美冬は小さく唸ると、大きな音を立ててソファに腰を下ろした。
視線が周囲を彷徨う。
ややあって、真雪とダンデライオンに視線を向けた。
口を開きかけてわずかにためらい、数秒間が空く。
「『君は死に魅入られる』とか『夜を撒き、夜を呼ぶ』とか。
あと、『彼岸に焦がれても、辿り着く事は許されない』とも言ってたっけ」
「なんか、ずいぶん意味深な事言ってるな」
「そうだね。他に印象に残ってる事は?」
「あとは、ウタカタにキスされた……気がする」
ダンデライオンと真雪が同時に顔を見合わせる。
訪れる静寂。それぞれが口を閉ざし、考えを巡らせていた。
室内に動くものは一切なく、静止画のように何もかもが止まっている。
美冬は二人の様子を不安げに眺めていたが、ややあって口を開いた。
「ねえ。やっぱり、これが天使が見えるようになった原因なのかな?」
「どうだろうね。断定する事は出来ないけれど、このウタカタの夢が
何らかの影響を与えているのではないかと思う。
メッセージが何かを暗示しているような気がして仕方ない」
「そうだな。アイツに聞けりゃ話は早いんだけど、それも無理だしなぁ。
ウタカタが喋るなんて初めて聞いたぞ」
ソファの背もたれに腕を乗せた真雪が溜息混じりに言う。
そして視線を隣に転じると小さく笑ってみせた。
「なんて顔してるの、美冬ちゃん」
「だ、だって」
「考えすぎは体に毒だぞ」
「そうかもしれないけど、なんだか考えれば考えるほど怖くなってきちゃって。
ウタカタはどういうつもりで言ったんだろうとか、あたしはどうなっちゃうんだろうとか」
美冬が不安げな表情で唇を噛む。膝の上に置かれた拳に力が入る。
「今まで見えなかったモンが見えるようになったり、
ワケ分からねえ事言われて不安になるかもしれねえけどさ。
自分の力ではどうしようもない事ってあると思うのよ。
流れに身を任せちゃった方がいい時もあるっていうかな」
「うん」
「忘れろっていうのは無理だろうけど、あまり深く考えすぎんなよ。
俺らだって人の死期が見えたりするけど、こうして普通に生活出来てるしさ」
美冬が真雪を見ると、背もたれに乗せられていた手が頭を軽く叩いた。
抗議する視線に気付いて、真雪が口の端をゆがめるように笑う。
「俺も初めは色々と不安で、正直そんなモンがずっと見えてたら
狂っちまうんじゃないかって思ってたからね。でも、現にどうにかなってるし」
「そうなの?」
「おう。だから、お前はいつもみたいに『何とかなるさ』って笑ってろよ。
シケた顔してると、中身までシケた子になっちゃうわよ」
おどけた口調に、ぎこちなく笑う美冬。
真雪から同意を求めるような視線を向けられたダンデライオンは、
美冬に頷いてみせた。
窓には毒々しいほどの街の灯が映っている。
階下から聞こえた酔った声が、室内の静けさを更に濃くした。

「そうだ、すっかり忘れていた」
不意に独白が沈黙を破る。
立ち上がる気配と共に部屋を横切る足音。
ダンデライオンは自分の席に向かうと封筒をつまみ上げた。
「二人はチャリオットという名前に聞き覚えはあるかい?」
カップに口をつけたまま真雪の動きが止まる。
視線がダンデライオンの動きを追った。
「聞き覚えも何も、アイツだろ?」
「うん、そのチャリオットだ。ラプターは?」
「えーと」
美冬がソファにもたれかかると、天井を睨んだ。
大きな目が左右に動き、何かを思い出しているらしい。
「名前は聞いた事あるよ。確かBランクのナイフ使いじゃなかったっけ?」
「ご名答。さすがラプターはチェイサーをよく覚えているね」
部屋を歩いていた靴音がやみ、ダンデライオンは先ほどと同じ位置に座る。
「チャリオットはラプターと組む前、レイヴンと何度か組んでいたんだ。
それなりに腕が立つフリーで、ウチにちょくちょく出入りしててね」
火の付いていないタバコをくわえたまま言う。
どこか懐かしむような口調で。
「へえ、そうなんだ」
「なんか軍人っぽい奴なんだよ。ちょっとズレてるけど、よく相談に乗ってくれる兄貴みたいな奴でさ」
真雪がネクタイの結び目に指をかけて、目を細めて言った。
「で。そのチャリオットがどうかしたの?」
二人の視線がダンデライオンを見る。
目の前にあるテーブルに置かれた葉書。黒い縁取りが見えた。
「彼がね、亡くなったんだ」
ダンデライオンの口調は穏やかで、微笑にも見える表情を変えることなく告げる。
真雪は葉書をとろうとした姿勢のまま止まった。向けられる唖然とした視線。
「死んだ?」
「ああ、確か一昨日だったかな。チェイサーギルドの方から連絡が来てね」
テーブルの上に置かれたままの葉書は無感情に死を知らせていた。
動揺した視線がさまよう。
「……そっか」
伸ばしかけた手を引っ込めると、ソファにもたれた。
無意識のうちに大きく息をつく。
「死んだって、なんで?」
「詳細は分かっていないが、チェイサー同士の抗争に巻き込まれたという説が濃厚らしい」
美冬の問いにダンデライオンが腕時計をいじりながら答える。
その口調に感情は見えず、世間話のようだった。
死神でなくても、此岸に生きる者にとって死は身近だ。
ニュースでこそ流れないがチェイサーが命を落とす事など日常茶飯事で、
別段珍しい事でもない。
「一昨日、か。ポリ公が動いてたって言ったから、それ絡みかと思ったけど
それは昨日の話だから日付が合わないや」
「エクスキューショナーが?」
「うん。警察も動いて結構大きな騒ぎだったみたい。でも関係ないだろうなぁ、多分」
真雪は二人の会話を上の空で聞いていた。
実感が湧かないと言うのに、心のどこかに穴が空いたような気分になる。
「それか、もしかしてレギオンだったりして」
顎に手を当てて呟く。
その言葉にダンデライオンが動きを止めた。
「レギオンが動いたらもっと騒ぎになるはずだよ。
こんな一人や二人の被害じゃ済まないんじゃないかな?」
「そっかぁ」
美冬が息を漏らしながら呟く。
その表情に疲れが見え隠れしていた。
誰からともなく、黙り込む時間が流れる。
「それで、二人に頼みがあるのだけれど」
ダンデライオンがゆっくりと切り出すと真雪が顔を上げた。
「ん?」
「今日、チャリオットの通夜があるから出席して欲しいんだ」
動きが止まり、美冬と真雪が顔を見合わせる。
時計が時を刻む音ばかりが大きく響く。
視界の端で観葉植物が空調の風に触れ、葉をわずかに揺らしているのが見えた。
「ずいぶん急な話だな」
呟いた後、身体を起こし体勢を整える。
美冬もつられるように座り直し、ひざに手を置いた。
「俺らが出てもいいのかよ。普通の奴らだっているだろ?」
「うん、此岸からも参列しているはずだから問題ないはずだ」
「俺はともかく、美冬も?」
その言葉に美冬も頷く。ダンデライオンは微笑むように目を細めた。
言葉を選ぶ間。ややあってから、首を縦に振る。
「会いたがってたからね、チャリオットが」
遠くを見る瞳。
「一ヶ月前くらいに会ってレイヴンにパートナーが出来たって話をしたんだ。
そしたら、レイヴンもすっかり一人前だと喜んでいてね。
ラプターに会ってみたいと言っていたし、彼も喜ぶのではないかな」
静かな口調に美冬は目を伏せた。
言葉がたちまち静寂に飲み込まれていく。
いつもは感じないはずの重苦しささえ感じた。
言葉を発しなければ、言葉を忘れてしまう気がする。
「死神が葬式に出て嫌がられないかね」
真雪は誰ともなしに呟くと立ち上がった。
テーブルに放っておかれた葉書を手に取ると紙面に視線を走らせる。
住所は霧島区の隅に位置する地区。
ここから徒歩でいける距離だった。
「美冬、ちょっと行ってくるか。手ェ合わせてこよう」
「うん」
窓の外にはいつもと同じ景色が広がっている。
匂い立つような夜の気配。
ネクタイを締め直すと、肩で息をついた。
「では、よろしく頼んだよ」
「ああ」
何かに思いを馳せる言葉。何かを言いたげな視線。
ここには、ため息と疲弊した沈黙が立ち込めていた。

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