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3. 天使のいる街

跳ねるように歩く度に髪やプリーツスカートが軽やかに揺れる。
夕暮れの駿河通りは、まるで夜が来るのを恐れるように人々が早足で通り過ぎた。
熟れた赤い色で染まる空の下、街に灯りが灯りはじめる。
「ちっきしょう、思い出しただけで腹立ってきた」
ピンクのグロスを塗った唇が毒々しげに言葉を吐く。
美冬は両手を拳で身体の側面を叩くようにして、リズムを取っていた。
「何が」
隣に歩くのは黒いスーツにネクタイを締めた真雪。
わずかに蒸した空気が肌にまとわり付く。
四月上旬であるにも関わらず、今日は五月下旬並の気温らしい。
「真雪と初めて会った時の事思い出しちゃった。最悪」
「ああ、そう?」
「きっと厄日ってああいう日の事を言うんだ。
相棒になる人に難癖つけられて、その上イレギュラーと戦うハメになって」
「あのな」
「しかも倒れるし、クソ真雪が。気ィ失った野郎運ぶのがどれだけ大変だったか!」
「あのな、美冬」
息つく暇もなく話し続ける美冬を一瞥し、ため息をつき言葉を挟むが。
彼女は聞こえていないのか正面を向いたまま顔を険しくしている。
「そういえば、あたしの使ってた武器だって敵ごと消されたしさ。
いくらだと思ってんのかしら、バカバカバカ! 死ねばいいのに、マジで」
「聞けよ」
ため息混じりに真雪が見下ろすと翡翠色の視線に睨まれた。
「むしろ死ね」
「だから謝ってるだろ、一年前から。執念深いんだよ」
「ふざけんな、このバカタレ。あたしの心の傷は深いの!」
「なーにが心の傷だ」
耳に入ってくるのは店から漏れてくる賑やかなアナウンスと
すれ違う人々のざわめきのような話し声、車の走る音。
音が洪水のように溢れ、耳に遠慮なしに飛び込んでくる。
「ていうかね」
美冬は唇を尖らせ、人差し指を当てた。
何かを考えるときの癖。
視線が見上げてくる。
「この件でずっと不思議に思ってる事があるんだけどさ」
「何だよ」

「あの時、どうしてあたしをイレギュラーだと思ってたの?」
その声に真雪の歩くスピードが遅くなる。
意外な問いだったのか、面食らった表情を浮かべた。
美冬を見つめていた視線が街並みに向けられる。
思い出そうとする無言の時間。
「改めて考えると変だなーって。普通に敵だって疑われるならまだ分かるけど
真雪はあたしをイレギュラーと間違えてたワケじゃない?」
「まあな」
「なんか、それってどうなんだろ? 普通ありえないよね。
人間とイレギュラーの違いも分からないほどのバカなら話は別だけど」
美冬が眉をしかめて言った。
日はすでに落ちていながら、名残を惜しむ残光に真雪が目を細める。
「あの日、仕事休んでただろ」
遠くを眺めながら、ゆっくりと口を開いた。
「うん」
「親父から電話があったんだよ」
「所長から? 何て?」

「『イレギュラーがチェイサーに化けて襲う事件が起きてるから注意しろ』って」

「……何それ。いつ、かかってきたの?」
その言葉に美冬が眉をひそめる。
数秒の沈黙の後、吐き出された戸惑いを含む声。
「お前がウチに来る十分くらい前だな、確か」
二人が立ち止まった。
次々と追い抜かれる人の波の中で顔を見合わせ。
「いや、ちょっと待て」
真雪が低く呟く。
「おかしい」
「うん、おかしいよね。
そんなの風邪でぶっ倒れてる人間にわざわざ言う必要ないと思うんだけど」
「ああ。寝てる人間には関係ねえ話だ」
「しかもさ」
美冬が真雪の腕に軽く触れ、再び歩き出す。
笑うような華やいだ街の雰囲気とはかけ離れた空気。
まとう黒いスーツとそれが混じり合い、明らかに二人は浮いていた。
「十分前って事務所を出て真雪の家に向かってるの。
そのタイミングで電話したら普通、あたしが行く事くらい言いそうな気がしない?」
「そうだな」
「更に言っちゃうと」
気がつけばあたりは夜が広がっていた。
先ほどまでの夕暮れは幻のように消え、灯りが浮かび上がる。

「そんな事件、聞いた事ないんだよね」

ためらう沈黙の後、言いずらそうに美冬が呟く。
「何だそれ」
困惑の中、搾り出すように。
「イレギュラーがチェイサーに化ける事件なんて知らないもん。
一年前もその前も、今も」
「いや、でも言ってたぞ?」
「うーん。もしあったとしたら知ってるはずなのよ。
チェイサーギルドやコミュニティの中で、そんな大事な話が流れないはずないもん」
真雪は唖然とした表情から次第に眉間に深くしわを刻む。
唇を噛み、視線を横に向けた。
「……どういう事だ?」
手で口を隠すようにしてうめく。
「親父の意図が全然読めねえ」
「もしかしたら本当にそういう事件が起きてたのかもしれないし、
もしくは所長が何かの目的で仕組んだのかもしれない」
「仕組む? そんな事して何の得があるっつうんだよ?」
「分からないけど。なーんか引っかかるんだよね」
上の空の声が呟く。
美冬が首を傾げるとポニーテールが大きく揺れた。
「けど、あの人ってたまに変に隠してるっぽい時あるんだよな。
何かたくらんでるっつーか……」
そこまで言って真雪が黙った。
不意に訪れた静寂に美冬が怪訝そうな表情を浮かべる。
「どしたの?」
「いや、やめよう。なんかこのまま話してると
親父が悪い奴みたいに思えてきちまいそうだ」
「でも、ある程度可能性は考えておいた方がよくない?
何かに巻き込まれた後じゃ遅いんだし」
美冬の言葉に真雪はため息混じりに首を横に振った。
「あの人を疑いたくねえ。やめよう、この話は」
疲れたように吐き出された声。
真雪は止まってしまうような歩調を心なしか速める。

「ねえ、そういえば」
後ろから慌てたような靴音が近づき、隣に並んだ。
美冬が真雪の腕をつかんだ後、顔を覗き込む。
「あ?」
「今日、ノクティルカさんが真雪のミス修正してたよ。文句言いながら」
「うーわ、マジか」
空を仰いで顔をしかめた真雪を見て声を上げて笑う。
「……奴、なんつってた?」
「効率が悪すぎるとか、仕事の量は少ないはずなのに一番ミスが多いって」
「これだから落ちこぼれは、とか言ってなかったか?」
「ううん。それは言ってなかったけど」
ため息を漏らす横で嬉しそうに視線を宙に漂わせている。
歌でも歌い始めそうな表情だ。
「『死ねばいいのに』とは言ってた!」
合わせた両手を唇に当てて、そのまま真雪を見上げる。
「おい」
「ん?」
睨む視線と笑う視線がぶつかった。
「それはお前が言ったんだろ? 死ねばいいのにって」
「違うよ。『死ねばいいのに?』って聞いたら頷いてたもん」
目の前の信号が赤になったのを見て立ち止まる。
川のような車の流れ、光が長く尾を引く。
真雪はため息をついて、美冬を横目で眺めた。
「そりゃお前が聞いたからだろ。でも、何つーか」
「ん?」
「……アイツは仕事が出来るからそう言うんだ。
みんな自分と同じように仕事が出来ると思って欲しくねえな。
いつもフォローしてくれるのはありがたいんだけど」
苦笑混じりの声に自嘲的な響きが見え隠れする。
美冬は真雪の横顔を一瞥し、視線を正面に向けた。
信号が青になると同時に、多くの足音に包まれる。
それに紛れて歩き始めた。
「ノクティルカさんは仕事に厳しいからね。自分にも他人にも」
「まあな」
目の前に見慣れた看板が建物の影から現れた。

全国展開しているコーヒーチェーン店『ルフトバッフェ』
窓から溢れたオレンジ色の光が歩道にまで伸びている。
人気店だけあって、店内には数多くの人影があった。
足を踏み入れると人々の歌うような話し声と低く流れる音楽に包まれる。
「ね、所長は何だったっけ? 頼まれたモノ」
美冬が自分の背後に立つ影に尋ねる。
「あの人はいつもと同じだ」
店員と目が合い、真雪が美冬の背中を軽く触れた。
カウンターを挟んで向かい合う。
「こちらでお召し上がりですか?」
「いや、持ち帰りで。今日のコーヒーのトールにエスプレッソショット追加と、
俺はアイスラテのトール。美冬はどうする?」
その問いにメニューを見ていた美冬が顔を上げる。
真雪を眺めた後、店員に視線を向けて笑顔を浮かべた。
「えっと。ホットのラテのショートでホイップとヘーゼルナッツシロップと
エスプレッソショット追加、低脂肪乳に変更で!」
「……相変わらず呪文みてえな注文だな、お前」
一気にまくし立てる美冬に苦笑を漏らす。
「だって好きなんだもん、甘いの」
唇を尖らせて抗議した。
その後、顔に広げる機嫌のよさそうな微笑み。
それにつられて真雪も笑う。

「ね、聞いた?」
注文を終え、店の片隅にたたずんでいると美冬が真雪の袖を引っ張った。
空調が頭上にあるのか、髪がわずかにそよぐ。
「何が」
「昨日ポリ公、動いたらしいじゃん。凄かったらしいよ」
何気ない調子で発せられた言葉に真雪の動きが止まる。
その顔に驚きが広がった。
「エクス? どこで?」
「宵町の東雲通りだって。なんかポリ公だけじゃなくて普通に警察も出てきたらしいし。
えーらい騒ぎだったってギルドで言ってた」
「警察まで動くんだったらよっぽどだな、そりゃ」
立ち込めるコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。
真雪は壁にもたれたまま、自分のかたわらにある商品の並ぶ棚を眺めていた。
「ちなみにポリ公って誰が動いてたんだ?」
「アブちん」
「……アブソルート?」
思わず美冬を見つめる。
「うん」
「あのアブソルートが動いたって何があったんだ?」
「それがおかしいんだよね。なんかさぁ……」

その後に続く言葉はなく。
美冬の表情が一気に固まった。

「美冬?」
急に黙った事に不審に思い、名を呼ぶ。
けれど、その声も届いていないのか。
美冬はただ前を見つめたまま動きを止めていた。
「……」
「おい、美冬?」
身体を乗り出すようにして隣にたたずむ美冬を覗き込む。
その顔には怪訝と困惑。
唇が小さく動くのが見えたが言葉にはならなかった。
真雪が肩を掴む。
「あ」
そこで初めて我に返ったように美冬は大きく瞬いた。
「どうした、大丈夫か?」
「う、うん」
ぎこちない笑みを浮かべながら、再び視線を泳がせる。

こわばる顔。
まるで何かを見てしまったかのような表情。
先ほどから同じ方向ばかりを気にしていた。
一体何を見たというのだ。
視線の先は店の中央、ケーキの入ったショーケースの辺り。
真雪は彼女の見つめる方向に視線を転じ。


真雪にも見えた。


「ああ」
思わず声が漏れ、視線をそらす。
美冬は真雪の反応に疑問を持った様子で視線を向けたが
すぐに同じ方向を注視していた。
そこに居たのは一人の女性で、年齢は二十代だろうか。
職場の休み時間を利用して買い物に来たらしい彼女は店員に向かって
ショーケースを指差しながらケーキを注文していた。
穏やかに笑みを浮かべながら話している姿は別段、違和感を感じるものではない。
普通ならどこにでも居る女性だと言う印象を持つだろう。
そう、普通ならば。
「美冬、あんまりじーっと見るな」
「え?」
「変な奴だと思われるぞ」
真雪は身体をひねるようにして窓の外を眺めて呟いた。
窓の外には夜が広がっている。
車が作る光の川と、街並みが作る無数の星。
その中を途絶えることなく人々が往来していた。

「お待たせしました」
目の前に突然現れた店員の声に思わず体勢を整える。
美冬は笑顔を作ると紙袋を受け取った。
「ありがとうございました。お気をつけてお持ちください」
そんな声を投げかけられても、どこか上の空のように見える。
軽い会釈の後、どちらからともなく店のドアへ向かう。
ドアが開くと、わずかに冷気を含んだ風を感じた。
夜の匂い。
「美冬」
「ん?」
「お前、何見た?」
髪をかきあげて正面を向いたまま尋ねる。
その声はため息混じりで、何かを考えているかのように。
美冬は、困った表情で唇を上げた。
無理をして笑っている。
「あー、時々あるんだよね。自分でもよく分からないんだけど、たまに……」

「白いベールをかぶったように見える奴がいる、か?」

美冬が驚き、薄く口を開いたまま見上げる。
それとは対照的に無表情で見つめ返す赤紫の瞳。
「え!? ど、どうして分かるの?」
美冬は瞬く事も忘れて目を丸くした。
「聞きたいのはこっちだ。お前、ただのチェイサーじゃなかったのかよ」
「どういう意味?」
疑問符とため息が交錯する。
「……普通の人間じゃねえっつー事だ。変態の世界へようこそ、美冬」
「えぇ!? 意味分からないんだけど! 分かるように説明してよ」
面白くなさそうに吐き出された言葉に、真雪の背中を掴む。
首を傾いで顔を下から覗き込んだ。
一瞬だけ視線が交わり、すぐにそらされる。
「俺も見えるんだよ、それ」
「真雪も?」
「ああ、こうやって人の多い場所に出ると見る事が多いな。
他の奴はいたって普通なんだが、そいつだけは白いベールかぶってんだ。
もちろん他の奴は気が付いてない」
時折、話しかけてくる居酒屋の店員らしき男を手で制しながら大通り沿いの歩道を歩く。
駅に近くになるにつれて喧騒が一段と強く、人通りが多くなった。
まるで自分達など見えていないのではないかとさえ感じる。
「当たり前だよな、他の奴には見えてねえんだから」
「白いベールって何なの?」
言葉を選ぶような沈黙。
視線を合わせようとせず、何かを思案し続けている横顔。

「人の死期だ」

長い沈黙の後の言葉。
一瞬で姿を消した形のない言葉が全身を駆け巡るかのように。
唖然としたまま、ただ見つめた。
「……え?」
「あの白いベールっつーのは死期の近い人間に見える。
死神連中は、ああいう奴らを天使って呼んでるんだけどな。
死に近づくにつれてベールが濃くなっていくんだ。見ていて気持ちのいいモンじゃねえ」
「白いベールかぶった人は、もうすぐ死ぬ人なの?」
真雪が美冬を見下ろす。
無表情な瞳の奥に存在する苦しさ。
息をつく、わずかに。
「ああ。もって数日ってところだ」
「じゃあ」
焦りを帯びた声がすがついた。
「真雪。じゃあ、さっきの人も? あの人も死ぬの?」
「そうだな」
先ほどの店に居た女性が二人の脳裏に浮かぶ。
鮮明に思い出す、あの違和感と白いベール。
心が波立ち、わけも分からないまま動揺した。
視線がさまよい言葉を懸命に探すが見つからない。
考えている側から、何を考えているのか分からなくなる。

「このハタ迷惑な特殊能力は」
どのくらいの間、黙りこくって歩いていたか分からない。
大通りから一歩路地に入った所で、真雪が口を開いた。
「普通は死神が持ってるモンなんだけどさ」
「……」
「うちの事務所の奴らが見えるのは当たり前としても」
言葉を飲み込んで宙を睨む。
周囲には小さな店舗の飲み屋ばかりが隙間なく連なり
閉ざされた店内から笑い声が聞こえた。
漏れる灯りの穏やかさとは裏腹の暗い雰囲気。
「なんで死神でもないお前が見えるのかが分からねえ。
普通の人間が持ってるなんて、そんな話今まで一度も聞いた事なんざねえぞ」
独り言のように呟き、真雪は立ち止まった。
美冬が数メートル後ろで立ち尽くしていた事に気が付いたからだ。
振り返り、彼女の方に身体を向ける。

何かを訴える瞳。
泣きそうなわけでも痛みを感じているわけでもない。
切なさと動揺の入り混じった表情を浮かべ、ただ耐えているように見えた。
何か言おうとしていながら言葉が見つからず、唇だけが動く。

「美冬」
車も通れないほどの広さの道。
立ち止まる二人を通り過ぎる人々が不審と好奇の視線を投げる。
「……ごめん。自分でもどうしてこんなに動揺してるのか分からないや。
実感とかないし、全然分かってないくせにショックなんだ。どうしてだろ」
泣き顔に似た状態で笑う。
「真雪だって見えてるんだし、ただちょっと死期が見えるだけなのにね。
あは、あたしらしくないね。こんな……」
「美冬」
自分を落ち着かせようとでもしているのだろうか。
取り繕うように笑いを含んだ声で、うつむきがちにまくし立てる。
それを遮る声。
驚いたように顔をあげ、見つめ合う。
「悪い。言わなきゃ良かったな」
まるで自分を責めているかのように。
切なさすら漂わせた声。
「知らなくてもいい事だってある。知らなけりゃ辛い思いしなくて済んだのに」
「やだな。あたしが聞いたんだもん、真雪は悪くないよ」
慌てたように勢いよく首を横に振る。
苦笑に似た笑みを浮かべ、真雪に向かって歩き始めた。
「あ、コーヒー冷めちゃう。所長待ってるし早く帰ろ?」
明るさを装う声。
いつもの自分を演じている風に思えた。
後ろに手を組み、美冬は立ち止まった真雪を残して先を歩く。
徐々に離れる背中を見ながら、ため息をついた。
「……気ィ遣ってる場合じゃねえだろ、お前」
独りごちた。
肩で息を吐き、聞こえるはずもない言葉を向ける。
いつもと変わらないはずの彼女の背中が、どことなく寂しげで。
「真雪?」
離れた場所から声が聞こえた声に返事をすると、真雪は再び歩き出した。

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