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2-3 First impression

「あたし、何してんだろ」
立ち尽くした美冬は、買い物袋を持ったままで呟いた。
背には緑ヶ丘駅から吐き出される雑踏。
自分を避けるように追い抜く多くの人影を見て美冬は慌てて歩き始める。
五条駅より電車で四分。
学園都市としても知られるこの場所には学生の姿やビジネスマンの姿も
数多く見受けられた。
バスを待つ人の列を横目に人ごみから逃げるように歩く。
比較的新しく、企業ビルばかりの整然とした印象があるこの町も
駅に寄り添って存在する商店街には人々の生活の匂いや活気があった。
まるで壁のように、さまざまな店が道を囲んでいる。
美冬は、大きな瞳を左右に向けながら飽きもせずに通り過ぎる店を眺めた。
「何だかな」
わずかに沈んだ声が紡ぐ本音。
重みで右手に食い込む買い物袋が乾いた音を発している。
その中にはスポーツ飲料のペットボトルや、ゼリー飲料等。
美冬が思いつく限りの風邪の時の必需品を買ったつもりだ。
派遣先の会社でパートナーになる予定の男の見舞いを頼まれ、彼の自宅へ向かう。
知っているのは名前だけで、どんな人物であるかは全く知らない。
もちろん顔や特徴も。明確なのは『同種』であること。
存在しないはずのバケモノを狩り、戦いの中で生きる人間。
男であるという事以上に、その要素が美冬に不安を抱かせていた。
敵ではない事は分かっているが、何が起こるかは分からない。
「チェイサーって変なヤツ多いからイヤなのよ」
ふて腐れたように独りごちた。
多くの人は美冬の呟きを気にする様子もなく、無表情で足早に通り過ぎる。
まるで存在自体が見えていないかのように。
 数分歩くと、街の色が変わった。
店が乱立し楽しげな空気を振りまいていた景色から
ビジネス街といった感のある景色へ。
無個性で硬質なビルが連なっている。
それでも都心に比べてどことなく殺風景に感じないのは、
この町が持つ穏やかな空気がそうさせるのだろうか。
「若葉町二、と」
美冬がジャケットのポケットから取り出した名刺と電信柱の住所表を見比べた。
事前に聞いた道案内や住所からいって目的地はそう遠くないはずだ。
空へ通じるような、なだらかな坂がまっすぐ続く。
この先には学校があるらしく、数多くの学生たちの姿を見かける。
こっちの学校はもう授業始まってるんだ――美冬が通り過ぎる顔を一瞥した。
耳には笑い声や話し声。唇に笑みを浮かべかけたところで、表情がこわばる。
妙な匂い。
美冬がわずかに眉間にしわを刻むと視線だけを動かして周囲を見渡した。
それは物理的に感じる匂いではなく、感覚的なもの。
事実、美冬以外の人間は匂いに訝しがる気配もない。
それは日常的に戦い、チェイサーとして生きる美冬の勘だった。
敵の気配を感じる。
そして、それは自分をどこかで見ている感覚さえ。
息を殺して周囲に気を配りながら再び歩き出す。
日差しに似た、穏やかでいつもとは違うゆっくりとした空気。
美冬にそれを味わう余裕はなかった。
「あれ?」
突然、美冬が立ち止まる。
顔を横に向けると生気が感じられない景色の間に存在する、花に溢れた空間。
ビルとビルの隙間に突如現れた異国の雰囲気を漂わせる花屋は、
美冬の警戒した表情を笑顔に変えた。
視線は、店先に並ぶ鮮やかな色の花々から外壁に掲げられた
『ドゥルール』の文字をたどり店舗二階部分に注がれる。
比良坂事務所の人間が『レイヴン』と呼ぶ男が住んでいるのは、ここだろう。
名刺の裏に記された店名とも一致している。無意識に唇を噛む。
警戒する必要はないと分かっていても、身体の奥から湧き上がる不安。
美冬は何かを決意するように見上げていた視線を戻した時だった。
「あ」
そこではじめて美冬は、店舗の中から向けられている視線に気付く。
この位置からでは表情はよく見えないが、おそらく店員らしき人物は
不審な視線を向けているらしかった。
店先の花を眺めているわけではなく、ずっと店を凝視しているのは
明らかに奇異に映る。
美冬は照れ笑いに似た笑顔を作りながら、やや早足で店から離れた。
「か、階段階段」
口の中でまるで歌うように節をつけ繰り返す。
建物の間に小道を見つけ、美冬の足が自然とそこへ向かった。
足元のコンクリートが土に変わった感触に気付き、正面を見ると。
そこにあったのは、様々な花で溢れた庭園。
艶やかな葉が光を受けて輝き、色の洪水が目に飛び込んでくる。
呆気に取られたように動きを止めて視界に広がる景色を呆然と眺めた。
「わあ……」
小さく声を上げ、誘われるような足取りで敷地に入る。
一歩進むごとに花の芳香が溶けた空気に変わっていく気がした。
水を含んだ風が頬に触れ、草花を揺らしながら通り過ぎていく。
ビルとビルの間の隙間、生花店の裏にあるとは思えない規模の庭園だ。
一見無造作で生えるに任せているようにも見えるが、
よくよく目を凝らせば隅々にまで手入れが行き届いているのが分かる。
だが、それを感じさせない空気がここにはあった。
時間や、ここがどこがあるかさえ忘れそうになる。
美冬は入り口に設えてあるアーチに触れながら立ちすくんでいた。
「春先は黄色い花ばかりだったのに、桜が咲く頃になると
ピンク色の花が増えると思わない? 花にも流行があるのかな。
人間のファッションみたいに」
不意に背後から聞き慣れない青年の声が聞こえた。
どの位の時間、庭園を眺めていたのだろうか。
美冬は肩を大きくと震わせると、体を縮めたままで後ろを振り返る。
よほど驚いた顔をしていたらしい。
数メートル離れた所にいた青年はくすぐったそうな笑みを漏らしていた。
「ごめん、驚かせちゃったね」
「あ! い、いいえ! すいません、勝手にお庭に入っちゃって」
「いいよ。花はみんなに見てもらうと喜ぶんだから」
あどけなさの残る顔立ちの青年はジョウロを手に、穏やかな動作で首を横に振る。
おそらく表の生花店の店員なのだろう。
身につけたエプロンには、看板とおなじマークと店名が入っていた。
「ここ、お花屋さんのお庭なんですか?」
「そう、おれが趣味で管理してるの。初めは売れ残った子達を育ててたんだけど、
どんどんエスカレートしていっちゃってさ。気がついたら、こんな風になっちゃった」
金色の髪に手をやると、肩をすくめた。
美冬もつられて小さく笑う。
「それにしても、ここに庭があるのがよく分かったね。
表から見えないから、気付かない人も多いのに」
「あ、あたしこの上に用事があって! それで階段を探してるうちに、
ここに入っちゃったんです」
「上?」
「二階の……えーと、真雪君の所に行きたかったんですけど」
わずかにうろたえながら取り繕う口調で言った。
確か、件の死神兼チェイサーの男の名は『真雪』だったはずだ。
それまで、さり気なく探る視線で美冬を眺めていた青年の表情がにわかに輝く。
「あー、マユ君の友達なんだ! 珍しいね、女の子が遊びに来るの」
「は、はあ」
「『恋愛なんて面倒臭い』とか言っておきながら、ちゃんと彼女がいるなんてね。
そういう話になると、いつもダルそうにしてたのは照れ隠しだったのかな」
「いや、彼女じゃないんですけど」
遠慮がちな否定は、青年には届いてないらしい。
彼は笑みを浮かべたままで合点がいった風に何度も頷いていた。
美冬は何かを言いかけるものの、困った表情で口をつぐむ。
風で草花が踊り、視界の中で鮮やかな色彩が揺れた。
「階段は建物の反対側にあるよ。ここを横切って行くと早いと思う」
「ありがとうございます。お庭にお邪魔しちゃって、すいませんでした」
「ううん、後でケーキでも食べにおいでよ。うち、花屋だけどカフェもやってるんだ。あとでマユ君にじっくり話聞かなきゃ!」
「あの、本当に彼女じゃ……」

教えられた階段を登るとドアが二つ並んでいた。
美冬はその一室のチャイムを押すと、ため息をつく。
遠くでチャイムが響き。
沈黙。
「……」
もしかしたら寝ているのかもしれない。
美冬の心に一抹の不安がよぎる。
鳥のさえずる声を聞きながら、目の前の冷たい黒いドアを無言で見つめた。
数秒後。
ドアの向こうに人の気配がある。
足音が近付いてくるのを感じて思わず姿勢を正した。
何と言えばいいんだろうか。
美冬は宙に視線を漂わせ、考えていると目の前で小さく開く音。
「あ」
こちらを探るように、少しずつドアが開いていく。
美冬が首をかしげるようにして顔を向けると。
眉間にしわを寄せ、睨む視線があった。
思わず、その眼光の鋭さにすくむ。
昼下がりの空気とは明らかに違う雰囲気。
涼しげな瞳と、どちらかと言えば中性的にも感じる顔立ち。
美冬と同じ位の歳にも年上のようにも見える。
「あ、あの。あたし……」
「何の用?」
言葉を遮り、真雪という名の青年は尋ねた。
押し殺した声が明らかに警戒している。
彼は出かけようとでもしていたのか――美冬は違和感を覚えた。
事務所では彼は風邪で寝ていると言っていた。
けれど、目の前にいるのはシャツと黒の細身のパンツ姿の青年。
決して今まで寝ていたという格好ではない。
何かがおかしい。
「事務所で言われて、その。これ、お届けもの」
提げていた買い物袋を持ち上げてみせる。
「所長から持って行ってほしいって言われてて」
「……」
「あ、あたし比良坂事務所に新しく……」
「入れ」
静かな声が短く告げ、ドアが大きく開いた。
美冬が戸惑いがちに見上げると視線がぶつかる。
迷いが動きを止めた。
「入れよ」
もう一度発せられた言葉は有無を言わせない口調だった。
突き動かされるように頷く。
美冬がドアに手をかけ、部屋に足を踏み入れた。
部屋に音はなく、他人事の音が遠くに聞こえる。
美冬の背でドアが閉まり。
目の前を見ると壁にもたれかかった真雪が美冬を観察するように凝視していた。
あまり気持ちがいいものではないが仕方がない。
おそらく彼は美冬が来る事はおろか、美冬自体を知らないはずだ。
「えーと」
美冬が息苦しい沈黙に耐え切れなくなったかのように切り出す。
そこで気がついた。

彼の殺気に。

何故今まで気がつかなかったのだろう。
美冬は思わず唇を噛んだ。
目の前の男と、二人きりになった途端に気がつく漠然とした殺気。
それは警戒ではない。
何度も美冬が味わってきた殺気にもよく似ているが、何かが違う。
言われるがまま部屋に入った自分を悔んだ。
なにが『見繕った物を渡して、彼と顔合わせたら』か。
話が違う。
「所長に言われたって?」
思考が遮断された。
美冬は我に返ったように真雪に視線を向ける。
「うん。今度からあたし、貴方と仕事で組む事になって。
顔合わせを兼ねてお見舞いに行ってほしいって言われたの」
いぶかしげに細められる瞳。
どことなく苦しそうに大きく息を吐いた。
「あたしはチェイサーで……」

「へえ。随分とかしこいイレギュラーだ」

一瞬言葉の意味が分からず、瞬きも忘れて静止する。
真雪は絹のような細い髪をかき上げて口元に苦笑を浮かべていた。
「部屋まで来て、人を騙すなんてな」
「な」
空気を求めるように口だけが数度動く。
「人のフリは出来ても血の匂いは隠せねえか? バレバレだぞ、お前」
「な、に言ってるの?」
美冬の眉間にしわが寄った。
その顔に浮かぶのは不審と焦燥。
驚きで空白になった頭の中に思考が戻ってくる。
「俺、そこまで恨み持たれる覚えはねえんだけど」
誤解だ。
美冬が真雪を睨む。
「誤解してる。あたしはイレギュラーなんかじゃないわ」
「ふうん?」
「チェイサーなら血の匂いがして当然じゃない?」
「イレギュラーだって血の匂いはするだろ?」
探り、見つめ合う瞳。
「とにかく、あたしはイレギュラーじゃなくてチェイサー。
敵じゃなくて、むしろ仲間なの」
「証明できるか?」
その声には疑いと明確な疑いと殺気が含まれていた。
彼の肩越しに見えるのは黒いインテリアで埋め尽くされた色彩のない部屋。
美冬は大きく肩でため息を吐いた。
「あたしの名前はラプター。貴方の名前は立花真雪、此岸名レイヴン。
所属は比良坂事務所でメンバーの名前はダンデライオンとノクティルカ。
どう? これで信用できるでしょ?」
「信じる材料にはならねえな」
怒気の混じる口調を冷静な声が切り捨てた。
美冬の顔に苛立ちが浮かぶ。
視線が言葉を求めてさ迷った後、真雪を見据える。
「いい加減にしてよ。貴方、あたしが何言っても信じないんでしょ?」
必死に怒りを抑え、つとめて冷静を装う。
拳を白くなるまで握りしめる美冬を真雪が腕組みをして見つめた。
冷たい視線。
「そんなのちょっと調べりゃ分かる話だ。それに」
「は?」
「ラプターは男だろうが」
動きが止まる。
「チェイサーのラプターは男だ。でたらめ抜かすんじゃねえよ」

瞬間。
美冬が持っていた買い物袋を力任せに真雪に投げつけた。

「でたらめはどっちだ!」
怒号。
美冬は背中に手を回し、ベルトに手をかける。
その動きと呼応するように真雪は身体を壁から離すと手のひらを上に向けた。
離れた位置で床に重い物が落下し、滑る音が響く。
「本性現したか? イレギュラー」
「あんたがふざけた事、言うからじゃない!」
部屋の中に美冬の声が響く。
歯を強く噛み締め、真雪に鋭い眼光を向けた。
背中に手を回した美冬の指の先には、投げナイフの硬い感触。

怒りに任せて武器に手をかけたが、ここで戦うのは良策ではない。
この狭い空間で、実力も分からないチェイサーを相手にするなど。
しかも相手はキャスター――魔法使用者でいつでもスキルを発動できる状態。
何より、人と戦うのは自分の主義に反する。
美冬は微動だにせず、考えた。

真雪も美冬を睨んだまま動かなかった。
けれど時折苦痛に耐えているかのように表情が歪む。
「こんな所で後先考えずに攻撃なんて出来ねえよな?」
唇が動く。
「こんな所でリスクが高いのにスキルなんて打てないわよね?」
瞳に宿るのは焦りの混じる笑み。
「方法なんていくらでもある」
目を逸らさずに、相手の一挙一動を見つめた。
「あのね、あたしは話がしたいだけなの。
そのスキル出そうとしてる状態、どうにかしてくれない? 目障りなんだけど」
自分が少しでも動けば相手も動く。
「それはこっちの台詞だ。
お前こそ腰に手ェかけてんの、どうにかしろよ。気分が悪い」
相手が少しでも動けば自分も動く。

沈黙。
息をするのもためらう。

美冬は目の前の男の瞳の動きや指先を見つめていた。
少しの変化を見逃せば圧倒的に自分が不利になる。
何かの変化に気を取られれば相手に攻撃させる隙を与える事になる。
いまだ均衡は崩れず、この部屋で動いているものはない。
「繰り返すけど、あたしは顔合わせに来ただけなの。
それを頭ごなしに疑われて、はっきり言って凄く不愉快だわ」
「……」
「そんなに疑うなら聞けばいいじゃない」
投げやりに言葉を放つ。
美冬は真雪の表情の変化を見逃さなかった。
「そうすれば、あたしが嘘ついてないのが分かるから」
畳み掛けるように言う。
彼は微動だにしていない状態でありながら視線を落ち着きなく動かしていた。
美冬の言葉に迷っているのだろうか。
静けさが再び訪れた。
先ほどまでの緊迫感は次第に薄れているのが分かる。
「……それも」
真雪が押し殺すような声で沈黙を破った。

突如、足元から突き上げるような振動が起こる。

言葉は続かず、お互い顔を見合わせた。
思わず構えていた姿勢から身体を起こし、天井を仰ぐ。
振動を体感する時間の長さや
次第に近づいてくる感覚が、それが地震でない事を知らせた。
「近い」
美冬が息を殺し、早口に呟く。
振動と共に獣のような匂いが鼻についた。
無意識に背後を睨む。
「ああ、かなり近いな」
「ここに来る途中に嗅いだ匂いと同じだわ」
「最悪だ。調子悪い時に限って、どいつもこいつも」
真雪も周囲に視線をめぐらせながら憎々しげに吐いた。
二人を張り詰めた空気が包む。
「片付けるしかないみたいね」
「いや、イレギュラー認定されてるかどうかも分からない。
そんな状態でむやみに手ェ出すわけにはいかねえだろ」
「ギルドに問い合わせるの? そんなの時間がかかりすぎるでしょ。
そんな事してる間にヤツがどう動くか分からないじゃない」
ため息混じりに壁に背中を預けた真雪が咎める眼差しを向けた。
抗議と嫌悪が浮かぶ。
「何でも殺せばいいってモンじゃねえだろ」
「危険因子は早めに潰すべきよ。何かあってからじゃ遅いんだから」
「もしイレギュラーじゃなかったら? 仕方ないで済ませるのか」
「そうよ」
遠くで聞こえる咆哮。
真雪が放つ、自分を批判するような視線から逃れるように。
美冬は肩をすくめ、ドアに向き直った。
「どこ行くんだよ」
美冬の動きが止まる。
「片付けてくるの。あのまま放っておいたら被害が出る」
「出ない可能性だってあるだろ」
顔をわずかに動かし、真雪を見る。
静かな表情。
素っ気ない口調に冷たささえ感じる。
「嫌ならそこにいれば? これはあたしの独断。貴方には迷惑かけないから」
触れたドアノブは冷たく、体温を奪う。
「一人でも片付ける」
吐き捨てるように放たれた言葉にため息が重なった。
視界の端で真雪がうなだれるように俯いているのが見える。
髪が顔を覆い、表情は見えない。

何故、そこまでかばうのか。
倒すべきものを。

ドアを開けると、眼下にはまるで幻に似た景色。
けれど今は目に入らなかった。
日差しも花の色も微風さえも。
ただ、身体に響き渡るような振動と鼻につく嗅ぎなれた匂いに憑かれたように。
それに誘われるがままに。
ストレートの髪がなびく。
「……待て」
背後の声が諦めたように言った。
気配が動くのが分かる。
「俺も行く」
その声は咆哮の中で聞こえた。

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