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2-2 彼の幻

ノクティルカはソファに座って書類に目を走らせていた。
目の前に敵がいるような鋭い眼差しが文字をなぞる。
座り直す度に小さく軋む音が生まれた。
だが、それも誰に請われる訳でもなく言葉を紡ぎ続けるテレビの声にかき消される。
『フリースクールや民間初の児童養護施設の設立など、虐待やいじめ等から子供を守る活動を
している宗教団体・茨の冠が、昨日――』
煌々と蛍光灯が灯る室内で黒いスーツ姿が数人、動いているのが見えた。
比良坂事務所では日常の光景だが他の者にとっては奇異に映るだろう。
整然とオフィス家具が並ぶ様は、どこか寂しささえ感じた。
支配するのは生気のないモノクロばかり。
窓の外の、熱に浮かされた楽しげな雰囲気とは裏腹に無機質的な印象があった。
『代表・羽田永船氏は、今回の厚生労働省との連携について
【大変画期的な事であり、子供達を取り巻く多くの問題を解決する為の手段となるだろう。
政治や私益よりも一人でも多くの子供を救う事を優先すべきである】との談話を発表しています』
耳をすり抜けていく事務的なアナウンサーの声。
ノクティルカはこめかみに置いた指を等間隔に動かして、リズムを取っていた。
時折漏れるため息は何を表しているのだろう。
「……なるほど。しかし、何故?」
無意識に漏れた独り言。
顔をしかめて、更に表情を険しくした。
眼鏡の奥の瞳が書類からテーブルの上に置かれた封筒へと移る。
『茨の冠は1999年に宗教団体として認可されて以来、子供を守……』
突然、間近で聞こえていたテレビの音が消える。
視界の端で動いていた鮮やかな色の残像さえも。
室内に前触れなく訪れた静寂が空気を一変させた。
窓越しの喧騒が低く聞こえてくるものの、部屋と現実が切り離された気分になる。
「見ていますので番組を変えないで下さいますか」
視線を紙の上に落としたままで言った。
だが、待っても返事はなく。
視界に写るスーツの黒は微動だにせず、声が聞こえてないようだ。
わずかに苛立ちを含んだ息をつくとノクティルカが顔を上げる。
口を開きかけて止まった。

そこにいたのは、テレビのリモコンを持ったままの姿勢で固まるウォークライ。
耳障りな音を発しながらノイズで埋め尽くされた画面を凝視している。
何もないはずのそれから目を離そうとせず、一言も発しない。
眉間に深くしわを刻んだ表情で睨み続けた。

「……ウォークライ?」
怪訝そうに問いかける。
普段から寡黙な彼が話しかけても答えないのは珍しい事ではない。
しかし、今の彼は明らかに様子がおかしく感じた。
全身から発散される緊張感。
そして。
リモコンを掴んだ指先は小刻みに震えている。
「ウォークライ、どうしました?」
「あ、ああ」
「大丈夫ですか? 顔色がよくない気がしますが」
「何でもない」
窺う視線から逃れたいのか、ウォークライはぎこちなく笑顔を作ると視線をそらした。
もよおす吐き気を飲み込む仕草が見える。
ノクティルカが首を傾げて観察するが、彼は言葉どおりである事を主張するように
苦笑しながら手を振ってみせた。
「それ所ではないぞ、ノクティルカ」
「何かあったんですか?」
「ネットの掲示板がお祭り騒ぎだ」
「お祭り騒ぎ?」
取り繕うような控えめな笑顔は重くなりかけた雰囲気を打ち消そうとしているのか。
不思議そうに言葉を反復するノクティルカをよそに、ウォークライの手がリモコンのボタンを押す。
それと同時に耳にこびりついたノイズが消えた。
入れ替わって流れてきたのは無数のフラッシュと怒鳴り合う会話。
『番組の内容を変更してお送りしております。今日20時頃、歌手の白石愛美さんが
東京都霧島区のエリュシオンモールで行われていたイベント中に倒れ
搬送先の病院で死亡が確認されました。所属事務所の発表では死因は心不全との事です』
「そんなに珍しい事でしょうか。ここまで騒がなくても、と思うのですが」
「死んだ奴が有名なんだ。お前はアイドルなんて興味ないだろうが」
騒然とする映像にノクティルカが冷ややかな視線を送る。
足を組んだまま背もたれに身体を預けた。
テレビからの音声の隙間に、革の擦れる音が聞こえる。
「ええ、まったく。しかし心不全とは、ずいぶん漠然とした死因ですね。
本当に分からないのか、それとも」
「どうやら後者であるらしい。あくまで占いの的中率ほどの信憑性しかない
ネットの情報がニュースソースだがな」
「どういう事です、それは」
『白石愛美さんは10代の若者を中心に絶大な人気を誇っており、CDチャート初登場
連続首位の記録は――』
交わされる会話にアナウンサーの声が重なる。
二人の耳には、それも聞こえていないらしい。
険しい表情を浮かべたままで視線を合わせた。
「件のイベントは随分妙だったそうだ。スレの中にそのイベントに行ったという奴が偶然いてな。そいつの……」
ウォークライは言葉を飲み込むと、首をひねって後方を見つめる。
深く刻まれる眉間のしわ。
押し黙ったままで見つめた先――ドアのノブが動くのが見えた。
すりガラスの向こうに人影が映る。
一瞬の沈黙。

ドアが静かに開くと同時に入ってきたのは濃い死臭だった。
冬の冷たい空気とは違う、重い圧迫感が室内を駆け巡る。
それまであった穏やかな雰囲気は消え失せ、無言を生んだ。
事務所にいる人間の動きが止まる。
息を飲む気配、誰もが死臭の発生源を目で追っていた。
そして、そこにいたのは。

「たでーま。頼まれた書類、出してきたぞ」
「ただいまぁ」
ため息をつく真雪と美冬だった。
表情は硬く見えるものの、普段の彼らそのものだ。
イレギュラーの血も見えなければ、討伐をしてきたらしい様子もない。
コートを脱ぎながら談笑する姿を複数の視線が追う。
「おかえり。何の問題もなかったかい?」
「おう、明後日には着くってさ。別に速達じゃなくて良かったんだよな?」
「ああ。別に急ぎではないからね」
部屋を靴音が横切り、ダンデライオンが二人の前に立った。
さりげなく視線が足元から頭までを観察する。
穏やかな笑みを浮かべているが、瞳の奥には鋭さがあった。
この死臭はエニグマの物か、それとも。
ダンデライオンは心の中で呟くと平静を装う。
「ラプター」
名を呼ばれて美冬は動きを止めた。
マフラーを取る仕草のままで固まるとソファに座っているノクティルカを見る。
「書類が届いていますよ。申し訳ありません、先に内容を確認させて頂きました」
「あ、ありがと」
首から垂らしたマフラーを取るのももどかしく、書類を受け取った。
紙面いっぱいに広がる文を食い入るように読みながら上の空の動作でソファに座る。
書類を眺めながら手に持った冊子をテーブルに置くと、前かがみになった。
淡いパステル調の表紙が浮いて見える。
美冬の手元を真雪が覗き込んだ。
「何だ、それ。ギルドの報告書か?」
「うん。先週、頼んでおいたんだよ。気になる事があったから」
「『チャリオット事件に関する報告書』?」
軽く眉を寄せて頓狂な声を上げる。
いぶかしげな視線がその場にいる顔を見渡し、ダンデライオンで止まった。
無言で交わす視線。
ややあって肩をすくめる。
「ラプター、何故それを? あの事件から半年以上経っているではありませんか」
「ワーズワースにも同じコト言われた」
真正面から投げられた疑問に美冬が苦笑を広げた。
肩にかけていたショルダーバッグを傍らに置くと瞳はすぐに書類に落とされる。
少しの時間も惜しいとアピールしているかのように。
顔を滑り落ちた髪が覆う。
「ずっと引っ掛かってるの。知り合いから変な話、聞いてさ」
「話ですか?」
「そう。その人、チャリオットと結構ツルんでた人らしくて。
いまだにチャリオットはハメられたんだっつって一人で調べてるんだ」
「ハメられたって誰にだよ」
背もたれに肘をついて身を乗り出す真雪が美冬の横顔に問う。
その声には怪訝が滲んでいた。
「さあ、それは分からないけど……あれ? その件は書いてないや。ギルドは把握してないのか」
美冬は首をねじって真雪を一瞥すると、すぐに視線を戻した。
室内にせわしなくページを繰る音が聞こえる。
テレビから流れる深刻な声は今はあってないような物になっていた。
耳に入った側から消えていく。
何かを言っているのは聞こえるが、内容までは聞き取れなかった。
「『依然として背後関係は不明』『死因は腹部大動脈の損傷による失血死。ただし抵抗の跡はなく、
争った形跡も見られなかった』『当初自殺との見方もあったが、検視により他殺と判断』」
階下で嬌声と笑い声が聞こえる。
酔った風の男が声を張り上げているらしい。
それも、この室内に入ると重い静寂に飲み込まれた。
「『2009年11月よりイレギュラー討伐数が増加。前月より6件、
前年度同月と比べて360%アップ』 うーん、やっぱり載ってないなぁ」
「何を探してるんだい?」
「あ、あのね」
それまで唇を尖らせて首を傾げていた美冬が我に返る。
はす向かいのダンデライオンの方へ身体を向けて座り直した。
表情は曇ったままで。
「その人の話だと、チャリオットって急に変わったんだって。
死んで生き返った時みたいにってワケじゃなくて、考え方とかが」
「ふむ、僕は特に気付かなかったけれど。それはいつ頃の話かな?」
「去年か一昨年の話だった気がする」
「先ほどの、討伐数が急増した時期と合いますね」
乾いた温風が頬を撫で、通り過ぎていく。
誰からともなしに顔を見合わせた。
「つーか、普通に女絡みなんじゃねえの? そんなの珍しい事じゃねえだろ。
付き合う人間によって考え方が変わったっておかしくねえよ」
真雪が前かがみになって背もたれにへばりつく格好になった。
軽くため息をつくと、口を曲げてみせる。
「あの人の言うとおり、恋をしたとでも言うの?」
「さあな。恋した相手は普通の女か、それとも別の何かか」
「今となっては本人に聞く事は出来ないけれどね」
不意に会話が途切れて、空白の時間が流れた。
ノクティルカとダンデライオンが座るソファの後に立ったウォークライは
手を組んだままの姿勢で顔だけをテレビに向けている。
瞳は画面を凝視していたが、それを見ているのかは分からなかった。
意識は違う方向へ向けられ、何かを考え込んでいるようにも見えたからだ。
「それにしても、何で今更そんな事考えてんだよ。もう終わった事だろ……って、言いたい所だけど」
退屈そうに天井を仰いだ真雪が身体を起こして髪をかき上げる。
窓の外を疲労の滲む目で見つめた。
そこにあるのは他人事の浮かれた空気と、漆黒の中に浮かぶ鮮やかな光。
「今となっちゃ笑い飛ばせねえな」
「うん。我ながらタイミングよすぎて怖いくらいだ」
「何か、あったんですか?」
どこか自嘲気味の笑みを浮かべる真雪と美冬に、恐る恐る問う。
にわかに周囲に漂う警戒感。
今も二人から漂う死臭は足元に重く立ち込めている状態だ。
そんな状態で何もない訳がない。
だが、この場の人間は漠然と抱いた不安が思い過ごしである事を願った。
「んー、まあね。簡単に言えば」
真雪が言葉を切り、促すように顔をテレビへ向ける。
つられて複数の瞳が同じ方向を見た。
依然としてテレビは白石愛美の突然の訃報を伝えている。
神妙な面持ちで同じ言葉を繰り返すアナウンサーを見て、美冬の動きが止まった。
『亡くなった白石さんに持病等はなく、健康であったという証言が寄せられています。
外傷はなく、薬物反応もない事から――』
「……愛美、やっぱり死んだんだ」
「やっぱり? どういう意味だい?」
美冬はそれに答えず、口元に指を当てたままで険しい表情を浮かべた。
ダンデライオンの視線が説明を求めるように真雪に注がれる。
誰かが座り直したのかソファが小さく鳴いた。
押し黙り、沈黙が流れる。

「お使いの帰り、エリュシオン通ってきたんだわ。そしたらちょうど
白石愛美がイベントやってて」
「それを見て来たんですね」
「ああ。まぁ、はじめは普通だったんだけど途中から様子がおかしくなってさ」
床に踵を打ちつける音だけが響く。
他の音は消え去り、話し声が妙に大きく感じた。
全ての物が聞き耳を立てているような錯覚。
「アイツはハーメルンの詩を話し始めた」
「……ハーメルン?」
「ああ、あの時と同じだよ。一言一句、ボーっと喋ってるのも」
聞き返すノクティルカの語調が強くなる。
眉間にしわを寄せたままで口の中で言葉を繰り返し、テーブルの一点を睨んでいた。
真雪は頷くと大きく息を吐く。
「その上天使のベールは見えねえわ、天井からプルメリアが降ってくるわでさ。
誰かさんに『まだ終わってねえ』って言われた気分になった」
「ここまで前と一緒で、偶然ってワケないよね。あたしもチャリオット絡みだと思う」
「これが一連の突然死と繋がっていると断定するのは早すぎるのではないでしょうか。
模倣犯である可能性もありますし」
「もし、そうだったら天使のベールが見えるだろ? それに、なんで今なんだっつー
話になるじゃねえか。半年経ってからやる意味が分からねえ」
真雪が手で仰ぐ仕草をしながら首を振った。
背もたれに肘をついて寄りかかると片目を訝しげに細める。
どこか不機嫌そうな言葉に美冬が振り向いて、自分の後ろに立つ死神を見た。
「ていうか、チャリオット絡みでも便乗してるバカでもさ。
どっちにしろ何で今なんだって事になるじゃんか」
「う。美冬のクセに鋭い事を」
「……美冬のクセにって何よ、このバカ乙女!」
不満そうな声と共に手の甲をつねる仕草。
今まで考え込んでいたダンデライオンが、その様子に苦笑した。
手のひらを二人に見せてなだめるように。
「まあ、それはともかく」
気を取り直す調子で言うと口元に笑みを浮かべる。
「相変わらず二人は『そういう物』に好かれる体質であるようだね。
その場に居合わせたのは偶然なのか、それとも力が君達を導いたのか」
遠くで聞こえていたサイレンが次第に近付いているのを感じた。
夜が更けていくと共に周囲の賑やかさも増している気がする。
観葉植物の葉に、反射したネオンの光が写っているのが見えた。
窓から忍び込んだ騒音が室内の静けさと溶け合う。
「プルメリア、ハーメルンの詩、再び起きた突然死。確かに以前と一緒で
かの事件を髣髴とさせるけれど、もう少し様子を見てもいいのではないかな。
僕らがここで話し合った所で何か新しい事実に辿り着ける訳でもなさそうだし」
「そうだけど、でも!」
「気がかりなのは分かるが、むやみに動くのは得策ではないと思うよ。
時間が何かを教えてくれるというのは、よくある事さ」
頷く顔を見渡すと、ダンデライオンが満足した風に大きく頷いた。
目を細めて微笑む。
何かを思い出したのか、思案を巡らせているらしい真雪を見た。
「レイヴン」
「何?」
「とりあえず夕飯にしないかい? お腹が減ってしまったんだ」
悪戯っぽく笑いかける顔。
真雪は一拍遅れて笑うと頷きながらソファから離れた。
両手を天井に掲げて背筋を伸ばし、わずかに呻く。
「うーし、じゃあメシ作りますかね。今日は美冬ちゃんの好きなモンにしよう」
「わー! 何でもいいの?」
「どうせ肉だろうけどな。何がいいか言ってみなさい」
投げられた言葉に美冬が笑顔で見上げた。
ソファに座ったままで身体を弾ませると、首を傾げて虚空を睨む。
その様子を見る周囲は笑みを浮かべていた。
そして、ややあって。
「酢豚とチキン南蛮がいいです!」
「……なんだ、その異種格闘技戦みたいなメニューは。どっちかにしろよ」
「やだ。どっちも!」
「どっちか!」
呆れた声に抗議する声が重なる。
賑やかな靴音がやり取りと共に台所のある奥へと遠ざかった。
この部屋にあった重い空気はどこにもない。
無彩色の死んだ景色に色が宿るように。
明るい声が雰囲気を変えていた。
 
 
ウォークライは応接セットの近くで一人佇む。
台所からの声など聞こえていない様子で険しい表情を浮かべていた。
まるで見えない何者かを睨むように。
何を思うのか、時折唇を噛む。
伸ばされた手がテーブルの上に取り残された冊子を持ち上げた。
微笑みに似た雰囲気の中で、殺気を帯びた空気を発散する彼は異質だ。
「……下らん」
裏表紙に書かれた文字を眺めていた彼が吐き捨てるように言う。
同時に傍らにあったゴミ箱に投げ捨てると不快そうに眉をしかめた。
笑い声に包まれ、孤立感を覚える。
心の中に生まれた苛立ちと嫌悪を隠すように俯くウォークライ。
彼の黒い瞳は夜を思わせ、またそれと同様に暗い色をしていた。

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