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19-5 Dance with Death Tonight

堪えきれずに漏れる笑い声は静寂を濃くする。
ここにあるのは闇の黒と、血の赤。
そして、エニグマの証とも言うべき飢えた金色の瞳だった。
『死神が目覚めた』
耳元ではノクティルカが呆然と呟く。
不気味なほど静まり返り、誰もが息を殺して様子を窺っていた。
今まで牙を剥いていたイレギュラーの敵意は目の前のエニグマが放つ殺気に飲み込まれる。
彼女は死臭を身に纏って無邪気に声を上げて笑った。
ステップを踏み、その場で踊るように回る。
髪やプリーツスカートの裾が軽やかに揺れるのが見えた。
「……これが、エニグマ」
真雪は呟き、目の前の小柄なシルエットを凝視する。
正確には目を離す事が出来なかった。
目の前にいるのは美冬だ。
けれど。
子供のような無邪気さも、撒き散らす殺気も、狂気を宿す瞳も別人だった。
何も考えられない脳裏で不安に似た感情が暴れ。
それは何かと考え、答えに辿り着く。
 
怖いのだ。
美冬が、エニグマのヨイが。

「君達もシノノメをいじめようとしてるの?」
辺りを見渡した美冬が笑いを含む声で尋ねた。
血と肉片の中心に佇み、肩にかかる髪を手で払って楽しげに目を細める。
二人を囲むのは無数のイレギュラーの視線。
隙があれば襲い掛かろうとする、今までの戦意に満ちたそれとは違う。
インカムの向こうと同じように不安を押し殺し、様子を窺っているように見えた。
「シノノメはヨイの物だよ。手ェ出したら許さないんだから」
下ろしていた両手を広げる。
一挙一動に不安とざわめきを感じた。
空気の色が変わっていく。
真雪は乾いた口の中で唾を飲み込んだ。
知らずのうちに震えていた右手を強く握り締めて恐怖感を消そうとするも。
リズムを取る後姿。
表情を見る事は出来ないが、笑っているのだろう。

「指一本触れさせない」

笑みを消した声が低く呟く。
真雪は何かを予感していた。
樹木さえも声をひそめ、スローモーションで揺れる。
何かを思うよりも早く身体が動いた。
美冬に駆け寄ると後ろから手首を掴んで、強引に自分の方へと向かせる。
息を飲む表情が見えた。
「美冬!」
怒鳴り声に近い呼びかけ。
起こそうとするかのように掴んだ手を何度も揺さぶった。
「起きろ、美冬! 寝てる場合じゃねえだろ!」
真雪の意識は自分を見つめる金色の瞳をすり抜けて、奥に向けられている。
美冬のまとう空気に悪寒を感じた。
少しずつ生気を吸われているのではないかと錯覚してしまう。
「アイツとケリつけるの忘れたのか! 戻って来い!」
耳元で叫ぶ様子を美冬は驚きの表情を貼り付けたままで見つめていたが。
ややあって、何かを思うように顔中に笑みを広げる。
血に濡れた右手を差し伸べて真雪の頬に触れた。
動く物は何もなく、景色は静止する。
寂しげに地面を照らす外灯が影を作った。
「用があるのはお前じゃねえ、美冬だ」
睨む言葉に一瞬動きを止める。
「あは、変なシノノメ! 美冬は目の前にいるでしょ」
「俺の知ってる美冬じゃねえ」
「ううん、あたしは美冬。もう一人の君で、君の剣だよ」
唇が小さな笑いを浮かべながら歌うように言葉を紡いだ。
美冬は身体を密着させて甘えた視線で見上げる。
「シノノメは分かってるよね」

その言葉どおりだった。
言われるまでもなく、彼女が美冬である事は真雪も分かっている。
流れ込んでくる感情、繋がる意識が何よりの証拠だった。
けれど、その反面で認めようとしない自分もいる。
彼女はこんな不気味な生き物ではないと。
殺気を撒き散らし、飢えた瞳を持つ生き物ではないと。

「何でも叶えてあげる。欲しい物は全部あげるよ。
シノノメが望めばみんな倒してあげる……だから」
血生臭い空気が鼻腔をついた。
遠くで聞こえるサイレンと断末魔に似た何かの叫び声。
頬や唇を撫でる感触を感じながら、真雪は微動だにせずに。
眉間にしわを寄せたままで視線だけをせわしなく動かす。
周囲には会話に聞き耳を立てるように潜むイレギュラー。
突き刺さる視線は、数分前よりも数を増したような気さえした。

『君が欲しい』

その声は脳裏に直接響き、身体の内側を大きく揺さぶる。
眩暈を感じた。
頭を押さえたまま目を見開いて声の主を凝視する真雪。
声は確かに美冬のもの。
だが、唇を動かしただけで言葉は発していない。
その言葉はまるで呪いのようだ。
足元から力が抜けかけ、意識が遠ざかりかけるのを必死に食いしばる。
「今、何を……!」
『レイヴン、ラプターを現実に引き戻すんだ』
問い質そうとした言葉に重なったのはダンデライオンの声。
有無を言わせない、強い口調だった。
我に返った真雪は咄嗟にインカムを睨む。
「親父! お前、今まで何やってたんだよ!」
『それは後だ。今はラプターを早く正気に戻さなければ。
エニグマのヨイを放っておいてはいけない』
「んな事言っても何か方法あるのか!? 今の美冬じゃ全く話にならねえのに」
『我に返らせればいい。必要なのはラプターを刺激する言葉だ』
美冬は自分の手首を掴む真雪の手に頬をすり寄せ、唇を当てる。
視線の先の顔がいらついた表情を浮かべているのも気にせずに嬉しそうに目を閉じた。
「刺激する言葉?」
『ああ。あの廃校の時のようにね。
美冬を助けるのではないのか――エニグマに覚醒しかけた君はその言葉で我に返った』
「なるほどな。要はひっぱたいて起こすって感じか」
軽く頷きながら上の空の声が言う。
考えているのか視線が虚空をさまよった。
「ここにいるの、つまんないよう。どっか行きたい」
交差点を挟んだ向こうにあるのは東京タワー。
徒歩で数分の位置にあるはずだが、今は何故かそれ以上に遠い存在に感じる。
決して辿り着かない幻のように。
『その通り。ただ、彼女を怒らせてはいけないという条件付だけれどね。
一歩間違えればチャリオットどころの騒ぎではない。君も無事では済まなくなってしまう』
「簡単に言うなよ、んな事。むちゃくちゃ難しいじゃねえか」
『そうなったら……多少、手荒な方法を取らざるを得なくなるだろうな』
「脅すなって」
じゃれつき、抱きついてくる美冬の頭を軽く叩きながら唸った。
顎のすぐ下から笑い声が聞こえる。
困り果てたように視線を投げると、どこか蠱惑的な笑みが見つめ返してきた。
「美冬を起こす言葉ねえ」
『何かありますか』
「肉しか浮かばねえんだけど。和牛焼肉食べ放題、デザート付とか」
そう言って盗み見るが、変わった様子はない。
数秒の空白。
「反応ナシ。これはダメか」
顔をしかめる真雪の動きが止まった。
今までじれったそうな表情を浮かべていた彼の目に、何かを見つけたような光が宿る。
わずかにほころぶ口元は不敵な色を浮かべていた。
「と、なるとアレ系しかねえって事かしらね」
『アレ系、と言いますと?』
「美冬に言うと毎回暴れるネタだよ。
……けど、コレをアイツが覚えてたら恥ずかしくて死ぬかもな」
苦笑に似た笑みを浮かべた言葉。
インカムの向こうでノクティルカが怪訝そうな表情をしている気がした。
わずかな沈黙の時間が流れる。
『事が済んでからでしたら何度でも死んで構いませんので
早くラプターを起こして下さい。今は悠長な事を言ってる場合ではありません』
「相変わらず容赦ねえな、お前」
無意識にため息が漏れる。
そして美冬の手首を離すと、真雪は彼女の両肩に手を置いた。
考えを巡らせているらしい視線が一点を凝視する。
「ねえ、シノノメ。この辺にいる子達と遊んできていい?」
「美冬」
硬い声音に美冬は笑みを消した。
不思議そうな表情を浮かべたまま首を傾げる動作。
時間が止まり、風が二人の間をすり抜ける。

真雪は数秒、考えるように動きを止めた。
インカムのマイク部分を柔らかく握る動作。
わずかに前傾姿勢になると美冬の耳元まで顔を下ろした。
視線を動かして何事かと確認しようとする彼女に小さく笑う。
数秒のためらいの後。
唇は動き、言葉を生んだ。
死んだ静寂の中で、二人以外には聞こえないほどの声で。

瞬間。

美冬は正面を向いたまま、目を見開いた。
弾かれたように肩が大きく一つ震える。
息を飲むのが聞こえた。
「は……っ!」
短く言葉になりきれなかった声が漏れる。
「あ、たし」
「おはよ。目ェ覚めたか?」
半覚醒の声と辺りを見回して状況を把握しようとする瞳。
そこにあったのは金色ではなく、見慣れた翡翠色だった。
真雪は身体を起こすと安堵の表情を浮かべる。
気がつけば彼女を中心に漂っていた殺気が消えていた。
まるで波が引くように。
それと同時に鼻に届くのはチャリオットの物と思しき死臭と、イレギュラーの匂い。
「あ、まゆ……」
こみ上げる吐き気を大きく飲み込みながら美冬が顔を向けた時。

何を見つけたのか、口を手で押さえた。
引きつった声が短く漏れる。
凝視する先にあるのは真雪の顔。

「ま、真雪」
「人の顔見て声上げるんじゃねえよ、失礼な」
「だ、だって!」
口の中で何度も繰り返しながら視線を離そうとしない。
真雪が怪訝そうに見つめるが、その言葉の続きはなかなか出てこなかった。
離れた位置から照らす外灯が暗さを更に引き立たせる。
重なる黒い葉越しに見えたのは同色の空。
「……顔にケチャップいっぱいついてるよ」
「血だよ、バカ。お前がさっきベタベタ触ってたからだろ」
「え?」
呆れた声につられて美冬が自分の手に視線を落とす。
固まったように動かず、黙りこくった。
俯いた顔を髪が覆う。
その姿は落胆しているようにも見えた。
「まただ」
口から滑り落ちる言葉は耳元で唸る風に消される。
「記憶をなくすと必ず血だらけなんだよね。血だらけで、いつ来たかも分からない場所にいる」
真雪は口を開きかけて、無言のまま硬く閉ざした。
何かをすくう仕草で固まったまま見つめ続けている美冬。
呆然とした口調。
「一度じゃないんだ。自分が怖くて仕方ないの」
「美冬」
「ねえ、真雪は知ってるんでしょ? 今まであたしが何やってたか」
「何もしてねえよ、別に」
「嘘。そうじゃなければ血だらけになってるワケないじゃんか」
美冬の顔には不安と苛立ちが混じり合っていた。
すがるように真雪の腕を掴んで睨む。
視線だけで会話し、探り合った。
時間だけが過ぎていく。
「後で話すよ。今はそれ所じゃねえだろ」
「すぐそうやって話をはぐらかす! 何で隠すの!? 何か知ってるからでしょ?」
辺りに響くのは怒気混じりの声。
二つのシルエットは凍りついたまま動こうとしなかった。

真雪は心の中を読もうとする美冬の強い視線から顔をそらす。
今、エニグマの事を話すのは避けた方がいいだろうと心の中で呟いた。
隠してるわけではなく、美冬自身を守る為だ。
今はチャリオット討伐という目的が待っている。
だが、それ以上に打ち明ければショックを受けるだろう。
その一方で、不安に思う彼女をそのままにしておくのも酷に思えた。

不意に、美冬は何かに気付いたように目を伏せた。
唇を噛む仕草をして俯くと拳を握り締める。
「……ごめん、確かに今はそれ所じゃないよね」
吐き出された沈んだ声に真雪は口元だけで微笑んだ。
そして肩を指先で突付くと顎で前方を示す。
戸惑いがちに、恐る恐る振り向く美冬。
そこにあったのは数メートル先に転がるイレギュラーの屍だった。
肌に刺さる一対のショートソードが鋭い光を放っている。
「お前が助けてくれたんだよ」
死体と真雪の顔を交互に見る様子に頷いてみせた。
「アイツ、インビジブル持ちでさ。気付くのが遅れて危ねえ所にお前が来てくれたんだ」
「あたしが?」
「そう。カッコ良かったぞー、王子様かと思ったわ」
「お、覚えてない」
気まずそうに呟く。
遠くで聞こえた話し声に、二人同時に出所を探していた。
耳を澄ませても返って来るのは耳鳴りを伴う静寂だけ。

『こちらダンデライオン。大丈夫かな、ラプター』
穏やかに微笑む声に我に返る。
反射的に目の前の相手に顔を向けると視線がぶつかった。
「う、うん。平気だよ」
『それは何よりだ。二人とも怪我はないね?』
「ああ。なあ、これから東京タワー向かうからさ。
どうもアイツはあそこにいる気がして仕方ねえから確認してくるわ」
『この界隈のポイントはほとんど探しているのに見つかっていませんしね。
東京タワーに近付くにつれて死臭が濃くなっているという点からも、その可能性が高いです』
真雪の言葉にノクティルカが頷く。
『では、レイヴンとラプターは東京タワーの方へ向かってくれ。
僕とサーペントは周辺のイレギュラーを片付けようか』
『了解さね。騒ぎを嗅ぎつけて出て来てるチビが多いからねェ。
坊主達の邪魔にならないように掃除しといた方が良さそうだ』
「ラプター了解。それじゃ、今から向かうから」
空を仰いでインカムの向こうのやり取りに答える。
上空も風が強いらしく、闇の中で雲が流されていくのが見えた。
全ての音が敵の気配に感じて意識が反応する。
「レイヴン了解。また向こうに着いたら連絡する」
『よろしく頼んだよ、僕のかわいい天使達』
真雪と美冬は顔を見合わせると、どちらからともなく微かに笑った。
まるで聞こえない声で会話しているかのように頷く。
そして聞こえる靴音。
シルエットが次第に遠ざかり、夜と同化した。
向かう先にあるのは東京タワー。
死臭に混じり、甘い花の芳香が重く立ち込めていた。



『夜が 始まる』

血が広がる一帯に佇む小柄な黒い影。
目を凝らすとそれは黒袴を着た少女である事が分かった。
ウタカタと名乗る死兆星は風に袂や髪を揺らす事なく、真雪と美冬が消えた先を見つめる。
木々に飲まれそうな小道を風が駆け抜けた。
『君達を 駆り立てるのは』
動かない唇が言葉を紡ぐ。
辺りに無感情な声が幾重にも広がっていた。
『正義感か 生きる証を欲する心か』
白い肌は陶器に似て、自ら光を放っているかのように。
『それとも 戦いを望む血が 騒ぐのか』
人が消えた街に動くものはない。
景色も時間も死んだと思いたくなる。
『夜になれば 世界は死に そして 訪れるのは 夜明け』
生気のない黒い瞳が、そびえる塔を見上げた。
『君達が 望むのは どんな 夜明け なのだろう』
聞こえたのは葉ずれか、それともイレギュラー達の笑い声か。
気がつけばウタカタの姿はなかった。
そこに広がるのはモノクロの中の赤、静止画のような景色。
声だけが残る。

『吾は 見たい この夜の 向こう側を』

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