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19-4 Raptor――5/25 26:48

まるで時計が時を刻むように靴音がリズムを打つ。
後ろに手を組んで空を見上げながら歩く姿はまるで深夜の散歩に見えた。
浮かない表情が前を見つめる。
手には一対のショートソード。
時折、強く握り締めては唇を噛んだ。
「怖くなんてない」
独りでについて出た言葉は自分に言い聞かせる響きを持つ。
インカムの向こうでは複数のやり取りが聞こえた。
耳を澄ませて会話を聞き取ろうとするが、聞いた側から忘れる。
死臭混じりの風が通り過ぎた。
視界の端で揺れる木々のシルエットに動きを止めて睨む。
全てを敵だとみなす自分の感覚に美冬は苦笑した。
肌を刺す、いくつもの視線を感じる。
誰もが殺気を振りまく一触即発の夜だった。

何の前触れもなく突然鳴り響く、場違いなほど明るい音楽。

美冬は一瞬大きく肩を震わせて弾かれた反応をみせる。
動きを止め、音の発生源を見つめた。
それはジャケットのポケット――携帯電話から。
慌てた所作で取り出して見ると液晶画面には見慣れた名前が表示されている。
通話開始のボタンに手をかけたままで、思わず眉をひそめた。
『今、大丈夫か?』
受話部分を耳にあてると聞こえてきたのは低く静かなウォークライの声。
美冬は辺りを見渡しながら戸惑いがちに携帯電話に視線を向ける。
「うん。大丈夫だけど……どうしたの?」
『少々、気になってな』
「え?」
両耳から聞こえてくる二つの音に混乱しかけてインカムをはずした。
声に乗って聞こえたのはサイレンとざわめき。
何かあったのではないかと警戒し、無意識のうちに表情が険しくなる。
『お前は一人になると考え込む癖があるから』
一瞬呆気に取られた表情を浮かべる美冬。
ようやく言葉の意味を把握したのか、息をつくように笑った。
髪に手を当てて俯き加減で。
「やだな。なんだか、うーちゃんに見られてるみたい」
『当たりか?』
「まあね」
足元にある小石を蹴り、何かを思い出したように表情を曇らせる。
唇を噛んでこらえる表情を浮かべた。
「気持ちがついていかないの」
数秒の沈黙の後、意を決したように話し始める。
神経を集中させなければ聞き漏らしてしまいそうな小さな声。
「なんて言うのかな。自分の立ち位置とか仕事は分かってるんだけど。
不安があたしの邪魔をするんだ」
『不安か』
「うん。真雪の事とか、今回の事とか」
彼が天使のベールを被ったまま背中を向けて歩く、数分前の光景が脳裏に蘇った。
これが最後になるのではないかという恐れを伴って。
眉間にしわを深く刻む。
『今回の事、とは?』
「あ、えーとね。うまく説明出来ないんだけど」
怪訝を滲ませた問いに、美冬がじれったそうな声を出した。
周囲は耳を傾けているのか。
押し黙り、様子を窺う静寂。
「ずっと違和感があるんだよね。何かを見落としてるっていうか、大事な事を忘れてる。
何かに対して、おかしいって思ったはずなのに」
『手がかりは?』
「それが、それすら分からないんだ。今は気にする必要はないんだろうけど。
っていうか、それ所じゃないしね」
『なるほど』
電話口のウォークライは相変わらず睨むような表情を浮かべて頷いているのだろう。
言葉を選んでいるらしく、何度も無言の時間が生まれた。
『ラプター』
ややあって、名を呼ぶ。
美冬は俯いた顔を上げた。
『不安に思うのは仕方ない事ではないのか』
「そう、かな」
『ああ。人は不安を抱えて生きるものだ』
真っ直ぐに続く道の先を見ながら耳元で発せられる声を聞く。
この先は穴が広がっているのではないかと言う錯覚。
近くに建物はなく、全て闇に紛れた景色を眺めていると取り残された気分になった。
外灯が寂しく光を注ぎ続ける。
『多かれ少なかれ不安がなければ生きていけない』
「不安がなければ」
『そうだ』
答える声につられるように頷く。
『……解決になっていないな。すまない』
ウォークライは黙りこくった後、困った口調で言った。
それを聞いた美冬は笑みを浮かべる。
首を横に振ったところで、電話の向こうの相手には伝わらない事に気付き。
「ううん、話聞いてもらってマシになったよ」
『なら良いが』
「なんだか、これでいいんだって思ったら気が楽になった」
苦く笑っていた顔が次第に真顔に戻る。
左手に持っていたショートショードが鋭い光を放っているのを眺めた。
「ねえ、うーちゃん」
改まって名を呼ぶ。
「心配しなくていいよね?」
『大丈夫だ。何も心配はいらない』
不意に死臭が濃くなったのを感じて辺りに視線をめぐらせるが
変わったものは特になく、動いているのは美冬だけだ。
風向きが変わったのか。
「誰もいなくなったりしないよね」
『ああ。誰もお前を残していく事などない』
俯き、髪が顔を覆った。
そこから見えるのは笑みを浮かべる口元。
不意に訪れた静寂。
「よし!」
その空気を払うように美冬が顔を上げて強く頷いた。
耳元で笑う気配を感じる。
「うーちゃん、ありがと。あたし、ちょっくら頑張ってくるよ!」
『ああ。無理はしないようにな』
「うん」
『暴れて来い。今夜でケリをつけてやれ』
「アイサー!」
通話を終了させると美冬はしばらく視線を手元に落としていた。
今までの沈んだ色はなく、そこにあるのは強い眼差し。
軽く息を吐いて胸元にぶら下がるインカムを装着する。
「ノクティルカさ……」
『……ろかすなよ』
『アンタが勝手にビビってるんじゃないか』
口を開くと同時にため息と笑いが混じる会話が聞こえて、咄嗟に口をつぐむ。
どうやらサーペントと真雪が会話をしているらしい。
『ノクティルカです。何でしょうか?』
「あ、えーと。今、話しても平気?」
『はい。どうぞ』
微笑む声に安堵の表情を浮かべかけるが、すぐに真顔に戻る。
周囲を睨んだ。
「今ね、葦原公園の前まで来てるよ。これから入ろうとしてるところ」
携帯電話につけられたクリップをジャケットと固定しながら再び歩き始める。
自分の影でさえ敵に見え、靴音は一つであるはずなのに複数に聞こえた。
おそらく気のせいではないのだろう。
その証拠に獣の匂いに似たイレギュラーの気配を感じる。
『了解しました。そちらはいかがですか?』
「イレギュラーの数がハンパない。数えるのがバカらしくなるくらい凄いよ。
多分、ノクティルカさんだったらチビるね」
『チビりませんから。それはともかく、大丈夫ですか? もし無理なようでしたら……』
「いや」
美冬は入り口にある、石で出来た公園名の表示を視線でなぞると前を見据えた。
ここから先は公園の敷地。
見えない結界に阻まれているように美冬は固まる。
仁王立ちのままで身体をねじって振り返った。
「ここは片付けておきたいな。この中にチャリオットがいても、いなくてもさ。
あとあと面倒な事にならないようにキッチリ潰しておきたい」
『ですが』
「大丈夫、心配しないで。もし無理だと思ったら退くから」
何か言いたげな言葉を遮り、軽く笑う。
ノクティルカが渋い表情をしているのは、口ごもる様子から容易に想像できた。
数秒間の逡巡。
『……分かりました。公園への侵入、イレギュラーとの交戦を許可します。
ですが、決して無茶だけはしないように。無理だと思ったら直ちに退く事を約束して下さい』
「ラプター了解。もう、本当に心配性なんだから」
『やりかねないので心配してるんですよ。前科があるでしょう』
たしなめる口調に肩をすくめた。
インカムを指で押さえながら足元を見つめる顔は無理に笑おうとしている。
「今回は絶対にそんな事しないって。アイツがいるし」
この場所を世界から隠そうとしているかのように緑が鬱蒼と茂っていた。
風がないのにもかかわらず揺れる木々。
何者かの小さな鳴き声と、まとわりつく好奇と殺気の入り混じる視線を感じながら。
「真雪の事だってあるのに、あたしがここでくたばる訳にはいかないじゃない」
『ええ』
「守るって決めたんだ。誰の為でもなく、自分の為に」
美冬はショートソードを逆手に握り直すと、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「ラプター、いってきます!」
『了解しました。貴方に戦神の祝福を』
投げられた言葉に目を伏せて笑い、靴音が漆黒へと消えていく。
シルエットが夜と同化した。

舗装され、レンガを敷き詰めた地面にかかとを打ちつける。
開かれた空間に立っていた美冬は視線だけを動かして辺りの様子を窺っていた。
緑が現実を遮断させ、ここが都内である事さえも忘れさせる。
言葉一つ発するのにも力が必要なほどの静けさ。
けれど、その中で蠢く影は笑っているように感じた。
「確かにね、人の寝床に入り込んだのは悪かったと思ってるけどさ」
深く息をつき、ショートソードを持ったままで首筋に触れるポニーテールを手で払う。
視線の先には目を凝らして分かる、闇の中の鉄塔。
「だけど、このお出迎えはないんじゃないの?」
美冬を囲むように存在するイレギュラーの数は十数匹……それ以上か。
睨みつける彼女との間合いを少しずつ狭め、隙あらば襲い掛かろうとさえしていた。
警戒し、研ぎ澄ます神経。
些細な変化を見逃せば命取りとなる。
「それにケンカの基本はタイマンだっていうのを知らないのかしらね、この人達は」
悟られないよう、慎重な動作で片足を半歩後退させた。
構える足。
息を殺し、視線を左右に動かす。
「死にたい奴だけかかっといでよ」
わずかに息をついて口の端を上げた。

「連れてったげる、天国に」

その言葉は引き金。
美冬が言い終わるかどうかのタイミングで茂みが大きく動き、黒い残像が視界を走る。
それと同時に力任せに大きく薙いだ。
風を切る音と悲鳴が耳元で生じる。
ぶつかる分厚い手ごたえに歯を食いしばった。
影は鮮血の衣を纏いながら視界を横切っていく。
「エンゲージ!」
半ば怒鳴るように発せられた宣言が辺りに響いた。
インカムが答えるのが分かったが、内容までは聞き取れない。
薙いだ反動を使って正面から覆いかぶさろうとする大型犬に似た影に一閃。
視線だけを動かし、サイドから迫るイレギュラーに刀身を突き刺した。
「先制攻撃によりイレギュラーと判断! 残数、タイプ不明!」
『ノクティルカ了解。情報と支援は必要ですか?』
「不要!」
空気は張り詰め、音は消える。
生臭い空気と死臭が混じり合い、景色を非現実的に塗り替えていった。
敵を視認すると同時に振りかぶって斬り捨てる。
頬を塗らす鮮血に眉を寄せた。

完全に囲まれている、と心の中で呟く。
美冬は睨む表情のままで舌打ちした。
敵の気配は無数にあるが数までは把握出来ず。
キリがない上に、この状態でチャリオットに襲われる事があればひとたまりもない。
この状態を何とか早く脱しなければ。
そう思いながらも、イレギュラーの中に突っ込んだ状態では手の打ちようがなかった。

自分にまとわりつこうとする複数の敵を牽制するようにショートソードを振った。
弧を描く銀色の線。
美冬の瞳が一つの影を睨む。
後ろへ大きく跳ねたそれに向かって駆け、一気に間合いを詰めた。
『ギルドより、葦原公園はレベル4の【巣】であるとの事。一時退避を!』
「無理!」
『ラプター!』
「行くのも戻るのも一緒だっつーのよ!」
イレギュラーの腹部に刃を刺し込み、そのまま斬り上げる。
舞う血の飛沫。
モノクロの景色の中で、その色だけが鮮やかに写った。
「だったら!」
『聞き分けなさい! 繰り返します、一時退避を!』
「残らず全部食ってやる!」
半ば怒鳴りながら会話が交わされる。
背後に視線を投げていた美冬が弾かれたように正面に視線を投げた。
眼前にイレギュラー一体。
両手を振りかざし、爪で切り裂かんとする。
「むかつくんだよ! どいつもコイツも!」
右手に持ったショートソードを顔の前で構え、防御の姿勢。
視線だけを動かして背後を素早く睨んだ。
爪と刃がぶつかり合う鋭い音が間近で聞こえる。
攻撃を食い止める腕が小刻みに震えていた。
背後から視線を感じ、敵が狙っているのを感じる。
この状態は長く持たないだろう。
どう動くか、どう来るか。
その時。

「しゃがめ」

有無も言わせない口調が響く。
声の方向さえも分からないまま、美冬は歯を食いしばって受け止めていた敵の腕を振り払う。
まるで天に腕を掲げるように。
辺りに視線を走らせながら地面に手と膝をついた。
頭を下げると。
「動くな」
その声と同時に血が降り注ぎ、視界に無数の肉片が音を立てて落ちる。
空を切る音と、肌に止まる風圧。
この場に聞こえるのは無数の悲痛な叫び声だった。
視界の端に見えたのは、きらめく刃と黒いコートの裾。
美冬は何が起こっているのか確認したい衝動をこらえ、息を殺して固まる。
張り詰めた空気に血の匂いが混じり、肌を塗らした。
どこかで血の滴り落ちる音が聞こえる。
この声は、この身のこなしは。

「これで二度目だ」

囲んでいた気配が減り、沈黙した周囲に我に返る。
何者かが並んだ事に気がつき、顔を上げると。
「前回は酔っ払った死神、今回は比良坂のじゃじゃ馬とは。
つくづく我は貧乏くじを引きやすい体質であるらしい」
大鎌を握ったアブソルートがため息をついていた。
唖然とした表情のままで立ち上がり、見つめると鋭い視線とぶつかる。
アブソルートの目は美冬で止まったかと思うと、すぐにそらされた。
「よく見よ。さもなくば彼岸に引きずられるぞ」
「アブちん」
「我を珍妙な名で呼ぶな」
風でひらめく漆黒のコートは血で濡れていた。
顔に浮かぶのはあからさまな嫌悪。
肩に武器を乗せると腰に手を当てる。
美冬は何度も目を瞬かせながら、アブソルートを眺めたまま立ちすくんでいた。
「何だ、死にたかったのか?」
「そ、そういうワケじゃないけど。何でこんな所にいるの?」
刀身を振るいながら戸惑いがちに尋ねた。
アブソルートは動きを止め、何かを考えるように視線を遠くに投げる。
数秒の沈黙。
「……散歩だ」
「はあ」
「それより、うぬはこんな場所で何をしている?」
辺りに静寂が戻ってくる。
敵の気配はあるものの、息を殺してタイミングを窺っている状態。
足元の血の海は外灯に照らされて輝いていた。
地面には影が散乱する。
「何って、チャリオット探してるんだけど」
「ならば遊んでいないで他を当たれ。ここにチャリオットはいない」
「え?」
「あるだろう。他にヤツのいそうな場所が」
美冬が動きを止めて眉を寄せた。
言葉を口の中で繰り返し、目の前で周辺を注意深く観察する男を凝視する。
「アブちん」
「こんな下らん話をしている暇などないはずだ。早く行け、ここは我が片付けておく」
「ねえ、アブちん」
「何だ」
苛立った視線と声が向けられた。
美冬は武器を強く握って睨み返した。
瞳に感情はなく。
その様子にアブソルートが静止し、真顔になって美冬を見下ろした。
動かない景色。
二つのシルエットは探り合う。
「貴方は……ううん、貴方達は何を知っているの? 何が見えているの?」
「どういう意味だ」
「言葉通りだよ。アブちん達が、あたし達の知らない情報を持ってる事は当然かもしれないけどさ。
貴方達は、チャリオットに関してあたし達とは違う景色を見ている気がして仕方がない」
「そんな事を聞いてどうする? 件の屍を倒せばいいだけの話ではないか」
背後の植え込みが不自然に揺れるのを感じて同時に視線を投げ、顔を見合わせた。
アブソルートは大鎌で肩を等間隔で打ちながら口を歪める。
死臭の中でプルメリアの甘い香りを嗅いだ気がした。
「本当にそれで終わると思ってんの?」
美冬の言葉にアブソルートは肩で大きくため息をつく。
視界から長身が消え、辺りを歩き回る足音だけが響いていた。
時折、水を踏みながら。
「お前もただの馬鹿ではないという事か」
「何それ。どういう意味よ」
「……こちらも仮定が多く、全てが分かっている訳ではない。その上で一つ言うならば」
数メートル離れた位置で振り向く顔。
聞こえた咆哮は幻聴か。
風がコートやプリーツスカートを揺らしながら通り過ぎる。

「『羊の皮を被った狼』だ」

美冬は息を飲んだ。
何を指しているのかは分からない。
けれど、その短く発せられた言葉は波紋のように広がっている。
「我の口からこれ以上は言えぬ。行け、死神。我がうぬを狩らぬうちに」
問いを重ねようとした美冬を見透かしたアブソルートは口元に不敵な笑みを浮かべた。
薄く開いた口を硬く閉ざし、数秒。
美冬は払うような仕草に小さく笑うときびすを返した。
「そうするわ、死神。気が変わらないうちに帰るよ」
「ああ。物分りが良くて助かる」
「あ、アブちん」
数歩進んだ所で美冬は立ち止まる。
顔だけで振り向いて、おどけたように笑った。
苛立ちと怪訝を混ぜた表情をしているアブソルートは彼女を眺める。
「助けてくれてありがと。あと、気ィ遣ってくれて」
再び聞こえる靴音。
背に怒気混じりの声が投げられたが、美冬は笑うだけで答えようとしなかった。



聞こえるのは乱れた靴音と刃が肉を断つ音。
数秒遅れて上空より重い物体が落ちる音が複数響く。
道の真ん中で、美冬は公園を背にショートソードを持って立っていた。
周囲には何もないように見えたが彼女は警戒を解こうとしない。
どこかを睨み、武器を構えたまま。
切れる息を飲み込んで口元を拭った。
その行為は自分の気配を消そうとしているのか。
『美冬、大丈夫か?』
報告しようと口を開きかけた美冬の動きを止めたのは真雪の声。
「……っは。だ、大丈夫。か、かろうじて生きてる」
『全然大丈夫には思えねえんだけど。どうした? 何かあったか?』
「さっきまで公園にいたんだけどさ、もう最悪。チャリオットはいない上に
そこ、イレギュラーの巣になってんだもん。いっぱい敵出てきて死ぬかと思った」
膝に手を置いて呼吸を整えながら言った。
その間にも視線は周囲を窺う。
敵の数は減りつつあるものの、相変わらず全身に視線がこびりついていた。
隙あらばといったところか――美冬は顔を歪める。
『怪我は?』
「怪我はないけど、こんなのが続いたらチャリオットに会う前に力尽きちゃいそうだよ」
『それじゃ一旦合流した方がよさそうだな。今、増浄寺から東京タワーに向かってんだけど
どうやらビンゴっぽいぞ。多分チャリオットがいるのは東京タワーだ』
ざらついた、ノイズ混じりの声につられて視線を正面に向けた。
数分前に聞いたアブソルートの言葉を思い出して、睨むように目を細める。
ゆっくりとした動作で身体を起こすと髪をかき上げた。
いつもは何の気にも留めない東京タワーが、今は不気味に思える。
差出人不明の手紙に同封されていた塔のタロットカードの絵柄が重なった。
「そっか、じゃあそっちに行こうかな」
『今どこにいる?』
「え? えーと、ここは……」
耳を澄ましても真雪の声を直接聞く事は出来ず、人の気配もない。
おそらく離れた場所に居るのだろう。
美冬が現在地の手がかりを探そうと視線を巡らせていると。
『美冬』
緊張感が増した声に呼ばれた。
「何? どうかした?」
『話は後だ。ちょっと待っててくれるか』
「イレギュラー?」
『ああ、囲まれてんな。二桁は久し振りだ』
鼓動が一つ大きく響き、次第に早まっていく。
胸騒ぎを覚えて声がこわばるのを感じた。
インカムの向こうで何が起こっているのか探る為に耳を澄まし、神経を研ぎ澄ます。
内側に広がる緊張。
知らずのうちに指が白くなるほど強く握り締めていた。
半分笑みを浮かべた真雪の声に警戒感が漂う。
視界の端で木々がざわめく様子が見えているのに音が聞こえない。
気がつけば手が震えていた。
予感と不安が混じり合い、美冬を揺さぶるように。
瞬きも忘れ動揺を隠そうとする。
怯えが足元から一気に駆け上った。

まさか、これが。
これが天使のベールの正体か。

『先制攻撃によりイレギュラーと判断!』

落ち着きなく周囲を見渡していた美冬が、真雪の放った声に我に返る。
そして、呼応するかのように駆け出した。
人がいない道に美冬の靴音だけが響く。
静寂を切り裂き、漆黒のシルエットが道を横切る。
「真雪の所に向かう!」
『了解です。しかし』
「分かんない、分かんないけどヤバいの! アイツを一人にしちゃいけない!」
会話の向こうに聞こえるのは風がインカムのマイクにぶつかる、くぐもった音。
それを聞く度に美冬の不安が濃くなっていった。
まるで突き動かされたように身体が動く。
『ですが、レイヴンの場所は分からないのでは。どこに……』
「知ってる!」
息切れも忘れ、言葉を怒鳴るように遮った。
「あたしは知ってる! アイツがどこにいて、何を見てるか!」
流れる闇色の中で、時折フラッシュのように違う景色が見える。
「残数7!」
『残数7!』
美冬と真雪の声が重なった。
加速する不安。
何故こんなにも胸騒ぎがするのか美冬には分からない。
けれど、半身を求めるように。
自分の脳裏は何かを叫んでいた。

おそらく、真雪がいるのは増浄寺と東京タワーを結ぶ小道だ。
細い道の両側、木々に紛れて複数の敵の気配を感じる。
敵の残りは4。
いや、違う。
彼さえも気付いていない気配を感じ、唇を噛んだ。
美冬は不安と、それを打ち消す言葉を交互に繰り返しながら馳せる。

走りながら死角から飛び込んでくるイレギュラーの影を薙ぐ。
手が血で濡れ、滑りそうになるのを食いしばって堪えた。
この敵の気配は自分自身が感じているものか、それとも真雪か。
美冬は曖昧になりながらも左右に視線を走らせる。
見ている景色と幻が重なるのを感じた。
半ば祈るような気持ちと、その場に行く事を躊躇う気持ちがせめぎ合う。
濃くなる死臭、敵の気配。
音は消え、数秒が長く思えた。

「気配消してやがったな、透明人間!」
真雪の怒鳴る声と風が生まれる音が重なる。
肌に触れる、見えざる拳の風圧。
「このまま、やられてたまるかってんだよ!」
顔の前に光を宿した手を突き出す。

瞬間。
目の前から圧迫感が消え、遠ざかると同時に地響きが辺りに轟いた。

真雪の視界には黒。
痛みを覚悟し、後ろへ大きく跳ねようと身構えたままで静止する。
驚いた表情で目を見開き、言葉を失った。
あったもの、それは。

遠く離れた位置に倒れる巨岩のようなイレギュラーと
真雪の前に立ち、それを指差す美冬……いや。

「大丈夫? 悪い奴はヨイがやっつけてあげたからね!」
振り向きざま、無邪気に笑う金色の瞳。
その楽しげな声とは裏腹に全身からは殺気が発散されていた。
「……お前、まさか」
呆然と呟く真雪に、美冬は不思議そうに首を傾げてみせる。
ややあって正面を向くとリズムを取るように全身を揺らした。
巨岩に突き立てられているのは美冬の使っているショートソード。
真雪は状況を把握しようとするが、思考は考えた側から抜け落ちていく。
「シノノメをいじめる奴は、みーんな死んじゃえばいいんだ。バーカ!」
響く美冬の笑い声が沈黙を引き立てた。
暗い闇が更に暗く。
死臭が足元に立ち込める。

「教えてあげる。本当の夜と永遠を」

別人のような殺気と無邪気さを振りまく美冬。
それが何であるか真雪は知っていた。
――エニグマのヨイ。
誰もが黙りこくり、内で暴れる予感を押し殺す。
彼らの目指す東京タワーは、闇の中に無言で立ちはだかっていた。

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