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19-3 Raven――5/25 26:36

聞こえない音に耳を澄まし、いないはずの気配に振り返る。
見るものが敵に見えた。
全てが動き出して自分に迫ってくるのではないかという錯覚。
離れた位置にあるはずの大殿が間近に感じるほどの存在感を放つ。
外灯はなく、月明かりもない。
真雪は誘われるがままに門が開け放たれた増浄寺に入り込んでいた。

「なあ、ノクティルカ」
辺りを注意深く見渡しながら小声で切り出す。
聞こえるのは正面に向かって階段を登る自分の足音と駆け抜ける風の音。
何者かの気配を感じては立ち止まる、そんな行動を幾度も繰り返していた。
『はい』
「俺さぁ。やっぱり増浄寺回るの、パスしていいかな」
『何故ですか?』
言いずらそうに吐き出された言葉にノクティルカが疑問の色を滲ませる。
わずかな沈黙。
真雪は軽く眉を寄せると髪を指先で掻いた。
「ここ、怖いんだもん」
『……はい?』
「直感がここはやめとけって言ってんだよ。もー、こんな所にアイツがいるワケねえし
俺はとっとと別の所に行きてえんだけど」
『なに子供みたいな事を言ってるんですか。増浄寺に行くと言ったのは貴方でしょう?
駄々をこねてないで真面目に仕事して下さい』
インカムの向こうの無感情な声がため息混じりに言い放つ。
ノクティルカが呆れた表情を浮かべている事は容易に想像できた。
「お前はこの場にいねえからそんな事が言えるんだって! ずっと誰かに見られてるし、
むちゃくちゃ威圧的なオーラ感じるしさ。第一、こんな所で戦ったらバチが当たるよ」
『それは敵の気配ですか?』
「敵じゃねえな。こんな綺麗な空気のトコにイレギュラーなんて入れっこねえ。
チャリオットの死臭ですら届かねえような場所よ?」
その言葉どおりだった。
先ほどまで立ち込めていた、重くのしかかるような死臭はどこにもなく
ここにあるのは凛とした鋭さのある空気。
色に例えるなら白だ。
他の何色をも染め替える強さを持つ。
「なんつーのかな。多分、普通の人間に対しては優しいんだと思う。
けど、俺達みたいに戦う意思のあるヤツは嫌いみてーだな。すげえ敵意感じるもん」
『敵意?』
「帰れって無言のプレッシャー感じるんだわ。仕方ねーな、場所が場所だから」
『なるほど。しかし、万が一漏れがあってはいけません。
一応、念の為に彼がいないか確認して下さいますか?』
参道の両側を縁取るように植えられた木々が闇に同化しながら歌うように揺れていた。
それは笑い声か、それとも警告か。
音と静寂に囲まれ、ここが東京である事も忘れかける。
「まあ、そうね。そうするわ」
『よろしくお願いします』
会話が終了すると共に真雪は軽くため息をついた。
インカムを手で押えたまま、辺りに視線を巡らせる。
時間は止まり、景色は凍りついた。
静止画の中に迷い込んだ気になってしまう。
「そんなカリカリすんなよ。探しモンがねえって分かったら、すぐ出て行くって」
苦笑気味に独りごちる。
どこまでも広がる寺の境内。
その中で死神の黒いシルエットだけが闇の中で歩き回っていた。

「こちらレイブン、増浄寺は異常なしだ。チャリオットらしき気配も匂いもねえ」
『了解です』
「これから東京タワーに向かうわ。誰もそっちには行ってねえんだよな?」
数分後。
門を背に真雪がスラックスのポケットに手を突っ込んだまま言った。
寺の敷地を越えた瞬間から強い死臭が身体にまとわり付く。
こころなしか、寺内に入る前より臭気が濃くなっている気がする。
無意識に息を殺して周囲を窺った。
『そうですね』
「なーんか大本命って感じだよな。いかにもアイツがいそうな場所だ」
『あ、レイヴン』
足を踏み出しかけて、そのままのポーズで固まる。
「何?」
『……いえ、何でもありません。お気をつけて』
無言に逡巡が見えた。
言いかけた言葉は吐き出される事なく、押し黙る気配。
真雪はその様子に息を漏らすように笑った。
「おう、お前も気をつけろよ? 車の中で煙草ばっか吸ってると燻製になっちまうぞ」
『なりませんよ。そもそも私は食べ物ではありませんから』
片眉を上げて軽口を言うと、耳元で笑いを含んだ声が答える。
外灯に照らされた朱門を横目に。
普段は交通量が多く、話し声ですら車の騒音でかき消されてしまう程の道も眠っていた。
どこからともなく不安が沸き起こり、それを打ち消そうと正面を見据えて唇を噛んだ。
そして真雪は歩き出す。
聞こえる靴音は自分の物だけであるはずなのに、時折二つ重なって聞こえた気がして
動きを止めた。
「ビビり過ぎだっつーの、俺」
気配も音もなく、静まり返る。

違う。

気のせいだと笑いかけて表情が固まった。
静止する真雪の背後には明らかに何者かの気配がある。
相手は気配を消しているらしいが、隠せないほどの圧迫感が背に伝わっていた。
一人、いや二人か?
真雪は心の中で呟き、視線を背後に投げる。
異変は見えなかった。
けれど直感が告げている、何かを。
息を殺してスラックスのポケットの中で拳を握り締める。
スキルがいつでも発動できるように右手に神経を集中した。
すると。

「おや、坊主じゃアないか」
聞き慣れた、笑みを浮かべる声。
張り詰めた緊張が途切れて真雪はバランスを崩すような仕草をみせた。
肩で大きくため息を吐く。
「姉御、驚かすなよ」
「アンタが勝手にビビってるんじゃないか。人聞きの悪い事を言わないどくれ」
振り向いた先にいたのは。
朱門を背に微笑み、キセルをくわえるサーペントと――その傍らには翼を持つ白い大蛇。
その非現実的な光景に一瞬言葉を失った。
大蛇は彼女に寄り添い、真雪を睨むように見つめている。
時折赤い舌が覗いた。
「オロチ出してんだ? 久し振りだな、チェイサーモードの姉御見るのなんて」
「退治屋はとっくに廃業したんだが、今はそんな事言ってられないからねェ。
錆びついた腕でも雑魚掃除くらいは役に立つだろうさ」
サーペントが苦く笑う。
口調は普段通りだったが、言葉の端々には殺気に似た色がひそんでいた。

普段、チェイサーである事を隠して生活しているサーペントが
こうして召喚士としての顔を見せているという事実。
それは、この一件がどれほど大きな事件であるかを表している気がした。
この夜は分水嶺なのだ、おそらく。

「ところで」
サーペントの指が自身のインカムの通話を切り、真雪の方へと伸びた。
耳に触れ、インカムが肩へと滑り落ちる。
「ダンデライオンがどこにいるか、知らないかい?」
「親父? 分からねえけど、その辺にいるんじゃねえのか?」
「それが、少し前から行方不明でね。インカムで話しかけても反応がないし、
携帯に電話しても出やしない」
気持ち良さそうに目を細める大蛇の喉を撫でていた真雪が首をひねった。
「事務所でフラっと居なくなるなんざ、日常茶飯事だから気にしないんだけどねェ。
今回は状況が状況だろう? ちょいとばかり気になってさ」
真雪に近づくと声をひそめる。
サーペントは微笑を浮かべた声で話していたが、表情は険しかった。
どちらからともなく、視線を合わせる。
「……姉御、変な事考えてない?」
「さァて。あたしだって、身内を勘繰るような真似なんざしたくないよ?
だが、疑いたくなる材料が多すぎるんだ」
赤い唇が空に向かって白い煙を吐き出した。
空を仰いだままで視線だけを真雪に向ける。
微風に袂が揺れた。
「どっから仕入れたのか、エクスキューショナーがコレだけ兵隊を揃えて集まっている上に
警察まで出てきて舞踏会場を用意してるだろう? 今回だけじゃァない。
お嬢が攫われた時だって、エクスは知らないはずの情報まで握ってたってェ話じゃないか」
「で、親父疑ってるってワケ?」
「可能性を探ってるだけさね」
遠くで咆哮に似た声が上がり、それと同時に胸元に垂れたインカムから声が聞こえた。
甲高い声――おそらく美冬だろう。
真雪はそれが聞こえないかのようにサーペントを静かに見つめる。
「笑えねえ話だわ」
数秒の無言を破ったのは、苦く笑った声。
俯き加減で軽く息をつくと髪をかき上げた。
「でも、あの人ばっかりが怪しいってワケでもないんじゃねえの?
確かに親父は何かと隠したがるトコあるけどさ」
「坊主、何が言いたいんだい?」
言葉の中に何かを感じたのか鋭い眼差しをサーペントが向ける。
闇の中でキセルの先に灯る赤い炎が浮かんで見えた。

「あんたも同じように怪しいって事だよ」

真雪の瞳がサーペントを睨み返す。
「姉御もヒトの事言えねえんじゃねーの? 結構聞くよ、あんたの黒い噂。
考え方によっちゃ、姉御が影で手ェ引いてるって風にも見えたりするぜ?」
サーペントの動きが一瞬止まった。
空気が変わっていく事を感じたのか、威嚇の声を低く上げる大蛇。
真雪は片眉を上げた。
「オロチ、別に喧嘩してるワケじゃねえんだから怒るなよ」
ため息混じりの声に、サーペントが大蛇に顔を向けて頷く。
再び訪れる沈黙。
不意に、キセルを手にしたサーペントが小さく息をつくように笑った。
「無闇に疑うと見えるモンまで見えなくなっちまうよ?」
「そりゃそうだけどさ。分かってるけど」
「それ言ったら同じ事が皆に言えるだろう? 坊主だって怪しいって事になる」
視界の端にエクスキューショナーが動いている気配を感じ、同時に視線を向ける。
内容までは聞き取れないが、何かを話す声が微かに聞こえた。
「アンタの知らないアンタが情報を流してる可能性だってあるじゃアないか。
そして顔の広いお嬢、何を考えているか分からないウォークライ、たまに消息不明になるノクだって」
今までの張り詰めた空気が遠くへ流される。
サーペントは楽しげに目を細めると真雪の瞳を見つめた。
「疑い始めたらキリがないさね。
やめときな、下手な事考えてたら自分以外信用できなくなっちまうよ?」
「姉御が言うなよ。そもそも、こういう話の流れになった原因は姉御の発言だろうが」
「おや、そうだっけね?」
呆れた顔の真雪にサーペントが声を上げて笑った。
そして、インカムに触れると通話ボタンを押す。
空を仰ぐ横顔。
「風の匂いが変わってきたねェ」
誰ともなしに呟いた。
肩にかかる髪を指に絡め、きびすを返す。
「ここで油売ってちゃ怒られちまう。あたしゃ、仕事に戻るよ」
「ああ」
「あんまり無茶するじゃないよ」
「あんたもな、姉御」
草履の音と重いものを引きずる音が遠ざかっていった。
漆黒の中では白が目に焼きつくほど鮮やかに写る。
まるで自ら光を放っているかのように。
真雪はサーペントと大蛇の後ろ姿を長い時間、眺めていた。
何かを考えているのか、微動だにせず。
「……本当の事なんて知りたくねえよ」
低く呟く声が空へと消える。
「醜い部分なんて、見たくなけりゃ見なきゃいいんだ」
石段を叩く靴音が辺りに響いた。
門を通り過ぎ、終わりの見えない垣根の横を進む。
ひらめく黒いジャケット。
真正面の見えない何かを睨むように。
「俺は目の前の敵を倒してりゃいい。余計な事は考えずに」
死神が細い脇道へと消え、自身に言い聞かせる言葉だけが残った。
目の前に立ちはだかるのは夜空に身を隠す塔。
その姿は今にも朽ち、崩れ落ちそうな遺物のようにも見える。


増浄寺の脇にある道は東京タワーへと真っ直ぐに伸びていた。
両サイドから伸びる木々が周囲を更に暗くする。
生垣から覗く幾つもの視線を浴びながら真雪の足は等間隔のリズムを刻んでいた。
歩く度に死臭が強くなり、頭痛を覚える。
どんな証拠よりも明らかだった。
この先に『彼』がいると。
「美冬、大丈夫か?」
口ずさんでいた鼻歌を止め、インカム越しに尋ねる。
先ほどから聞こえる、ノイズ混じりの風の唸り声や何かを切り裂く音は
彼女から生じているものなのだろう。
返答を待ち、押し黙った。
耳を澄まして些細な音から状況を知ろうとする。
『……っは。だ、大丈夫。か、かろうじて生きてる』
「全然大丈夫には思えねえんだけど。どうした? 何かあったか?」
言葉とは裏腹に美冬の声は息が切れていた。
息を整えようとしているのか、つばを飲み込む気配がある。
真雪は無数の敵の気配があるにもかかわらず、思わず立ち止まった。
『さっきまで公園にいたんだけどさ、もう最悪。チャリオットはいない上に
そこ、イレギュラーの巣になってんだもん。いっぱい敵出てきて死ぬかと思った』
「怪我は?」
『怪我はないけど、こんなのが続いたらチャリオットに会う前に力尽きちゃいそうだよ』
「それじゃ一旦合流した方がよさそうだな。今、増浄寺から東京タワーに向かってんだけど
どうやらビンゴっぽいぞ。多分チャリオットがいるのは東京タワーだ」
視線の先の塔を睨みながら顔をしかめる。
手袋を嵌め直すと、素早く視線を周囲にめぐらせた。
敵が忍び足で近づいてくる感覚。
お互い息を殺す。
音はなく、風が目の前を通り過ぎた。
『そっか、じゃあそっちに行こうかな』
「今どこにいる?」
『え? えーと、ここは……』
美冬の声は何かを探すような調子で途切れる。
真雪は上の空で美冬の言葉を聞いていた。
正面を向いたまま、静止。
「美冬」
名を呼んだ。
木々がスローモーションで揺れている。
『何? どうかした?』
変化を察知して美冬の声音がこわばった。
真雪は睨むように目を細め、右足をわずかづつ後退させる。
敵に悟られないように構え。
「話は後だ。ちょっと待っててくれるか」
『イレギュラー?』
「ああ、囲まれてんな。二桁は久し振りだ」
小声で言った。
背中に両腕を隠し、目を閉じる。
目蓋の裏に敵の残影が見えるようだった。
気配が蠢き、間合いをつめているのを感じる。
息をするのもためらい、大きく内側で脈打つ鼓動。

一切の音が消えた。
刹那。

「先制攻撃によりイレギュラーと判断!」
目を開くと同時に言い放つ。
周囲に飛び交う影。
垣根が揺れた。
真雪は大きく後ろへ跳ねると両手を大きく振りかぶる。
空気がかき回され、耳元で風が叫ぶように聞こえた。
「手加減なんざ出来ねえからな!」
両手で何かを投げつけると青白い光が木の葉や枝を巻き込みながら
前方へと駆け抜ける。
耳をつんざく叫び声と、数秒遅れて聞こえた地響きを伴う轟音。
「残数7!」
インカムの向こうの声は聞こえない。
複数の声が耳元で叫んでいるが、たちまち耳をすり抜けていく。
真雪は身体をひねり振り返った後、片手を大きく振り上げた。
地面から生まれる光の柱に複数の影が突き上げられ、宙を舞うのが見える。
視界を遮る、血の飛沫と葉。
「4!」
周囲に聞こえるのは真雪の声と衝撃音。
そして断末魔の叫び声だった。
周囲に立ち込める生臭い血の匂いと死臭が混じり合って吐き気をもよおす。
再び轟く爆発に似た音。
幾重にも響き、身体の奥を揺さぶるように。

「敵の沈黙を確認」
尾を引くように消えていく音と入れ替わり、静寂が戻った。
真雪は頬を拭いながら一息つくと周囲を見渡す。
地面を濡らす血は、まるで雨上がりのようにも見えた。
転がる砕けた何かと塊を直視できずに視線をそらし。
『レイヴン、大丈夫ですか!?』
「まあね……コイツら、死臭に誘われて出て来たヤツっぽい。
馬鹿だな。大人しくしてりゃ生きてられたのに」
声に混じるのは微量の悲哀。
『考えてはいけません、レイヴン』
「分かってるよ。分かって……」

不意に。

真雪が何かに気付いて俯いた顔を上げた。
息を飲む。
唇を噛み、周囲を見渡した。
「まずい!」
咄嗟に構えた右腕に伝わる重い衝撃。
何かに体当たりでもされたかのように後ろに引きずられる。
鈍い痛みが広がり、痺れを感じた。
無意識に漏れる舌打ち。
目の前にあるのは今までと同じ景色と――
「違う!」
思考を打ち消す怒号。
動揺の中で必死に状況を把握しようとしていた。
耳元で怒鳴るノクティルカの声は届かず。
敵の気配は感じる。
けれど姿は見えない。
これは。

おそらく敵は『インビジブル』と呼ばれる、姿を消す事のできる能力の持ち主だ。
しかも先ほどの攻撃から、物理攻撃を得意とするタイプなのだと推測する。
スキルを使うタイプであれば間合いを計りつつ、位置を読んで攻撃すればいい。
だが、今回は違う。
スピードも速く、位置を把握する前に攻撃を食らう可能性が高い。
勘で避けられたとしても、次の攻撃は避けられるとは限らない。
不利だと真雪は呟き、前方を睨んだままで唇を噛んだ。
しかも、下手をすれば。

「気配消してやがったな、透明人間!」
真雪は右手に神経を集中するも、既に何かが迫っている気配を感じた。
振り下ろされる威圧感。
空を切る音。
音の気配は頭上にある。
「このまま、やられてたまるかってんだよ!」
怒鳴りながら眼前に手をかざした。
肌に感じる風圧。


そして。

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