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18-3 コトノハ

『灰燼宛に手紙だって? 一体、誰から?』
耳にあてた携帯電話から聞こえたダンデライオンの声が怪訝そうに問う。
話しながら思い当たる節を探っているのだろうか。
不意に訪れる沈黙。
「差出人は書かれておらず、比良坂事務所気付という形で送られてきました。
筆跡からどんな人物かを探るのも難しいですね。印字されたものですので」
感情を押し殺した声でノクティルカは言った。
鋭い眼光は見えない何かを睨んでいるかのように。
圧迫感を感じる、広いとは言えない比良坂事務所の給湯室。
事務所や屋外はやけに静かで、全てが聞き耳を立てているのではないかと思う程だ。
『中身は確認してみたかい?』
「いえ、貴方宛の郵便物ですので。ラブレターだったら気まずいでしょう?」
『ラブレターね。女性からなら歓迎するのだけれど』
相変わらず穏やかな口調ではあったが言葉の端々に緊迫感が漂っていた。
ダンデライオンは外にいるらしく、声の向こうに行き交う車の音が聞こえる。
『消印は?』
「昨日付けで五条本町となっていました」
『思い当たる節がありすぎて見当がつかないな。
それにしても何故、昔の渾名を使っているのだろう。意図が分からない』
湯が沸く気配を感じた。
それと同時にケトルがけたたましい音を上げて言いかけた言葉を遮る。
長い指が火を止めると同時に、再び静寂が押し寄せた。
「おそらくすぐに誰からか分かるのではないでしょうか。
差出人は書いてありませんが、それに近い物は残されていましたから」
『……どういう意味だい?』
声は何かを予感したように警戒した調子で尋ねる。
流れる無言。

「封筒に死臭とプルメリアの香りがこびりついていましたので」

首を傾げながら頭と肩で携帯電話を挟む仕草。
ケトルを持ち上げようとした所で隣から手が伸びた。
動きを止めて視線を向けると、サーペントが隣に立って微かに笑みを浮かべている。
ティーポットに湯を注ぐ音を聞いて目礼した。
『なるほど、それは差出人を書く必要はないね。これ以上ないくらいの署名だ』
「やはりチャリオットでしょうか」
『そう考えるのが自然だよ。君だって彼以外に考えられないと思っているだろう?』
「ええ。ですが」
言葉を切り、眼鏡を押し上げる。
「何のつもりなのでしょう? こんな真似をしなくても……」
夕日のような水色を眺めながら呟いた。
遠ざかる足音と共に視界から黒が消える。
『舞踏会のお誘い、といった所かな』
不敵な微笑を浮かべる声。
確信をこめて吐き出されたそれに、心の中が静かに騒ぎ始めた。
おそらくダンデライオンは鋭い眼差しを何処かに向けているのだろう。
ノイズ混じりの救急車のサイレンが聞こえる。
『もし、そうであるなら望むところだ。こちらも彼と踊りたいと思っていたしね』
すぐに戻る旨を伝えて切れる電話。
ノクティルカは通話が終了しても携帯電話の液晶を睨み続けていた。
街の息遣いも今は耳に入ってくることはない。
考えを巡らせる眼鏡の奥の赤い瞳が持ち上がり、真っ直ぐ前を見据えた。
「間もなく、か」
口から独り言が滑り落ちた。
蒸した紅茶を氷で満たされたサーバーへと一気に注ぐ。
歌うような軽やかな氷のぶつかる音を聞きながら不意に窓の外へと視線を投げるノクティルカ。
間近に鳥の羽ばたきが見えた。
事務所には人がいるものの誰も話そうとせず、離れた位置のパソコンから流れる
場違いなほど明るい音楽だけが頭上をすり抜けていく。
グラスを用意しようと奥へと向かいかけた時。

「もういい加減泣きやめよ。ってーか、歩きずれえんだって」

ドアが開く音と共に真雪の呆れ返った声が姿を現した。
その言葉が冗談ではない事を示すように鼻をすする音が重なる。
怪訝に思い、給湯室の入り口から身を乗り出すと。
「どうかし……」
言いかけて飲み込む声。
釘付けになる視線を無理矢理はがし、平静を装うとするが。
離れた位置に立つ真雪を見たままノクティルカは唖然としていた。

見間違いだ、一体どうして。
――彼は死ぬのか?

何度も心の中で繰り返し、動揺を抑えようとする。
「ノクティルカ、ちょっと助けてくれよ。
後ろのおんぶオバケがくっついたまま離れねえんだわ」
「……」
「いや、見てないで助けろってば」
その声は天使のベールを被っている人間とは思えないほど軽い口調だった。
胴に回された腕は美冬のもの。
離れる気がない事をアピールしているかのように、きつく抱きしめている。
「レイヴン」
低く呼ぶ声に真雪は疲れた目を向けると、苦く笑いながら数度頷く。
視線がノクティルカからサーペント、離れた位置で怪訝そうに見つめるウォークライへと。
部屋を見渡して息をついた。
「その様子だと、みんな見えてるっつー事ね」
漏れる独白。
蛍光灯に照らされた藤色の髪を指で掻くと眉を上げてみせる。
集まる視線と、重くなりがちな空気を払うように手を振りながら。
「分かってるから」
短く一言告げると、後ろにへばりつく美冬を引きずりながらソファへと移動した。
時折、困り果てたように身体をひねって見下ろす。
それでも美冬は背に頭をつけたまま真雪を見ようとしなかった。
二人を複数の眼差しが追う。
何か言いたげな視線をノクティルカとサーペントが交し合っていた。


「だからさ」
テーブルに置かれたアイスティーを一口飲んだ真雪は、隣に座る美冬に身体を向けた。
何を言おうかと迷っているのか苛立った表情で天井を一瞥して再び視線を投げる。
その先にはハンカチを膝の上で握り締めたまま俯く姿。
髪が肩から滑り落ちて表情を読み取ることはできないが、時折鼻をすする音が聞こえた。
「心配ねえって言ってるじゃん。見えたからってそれが全てってワケでもねえんだぞ?」
「……ど、いう意味?」
「んー、所詮人の死期が見えるって言っても正確なモンじゃないってかさ。
見えても見えなくても死ぬ時は死ぬっつーか」
背もたれに腕を投げ出して壁にかかった時計に目をやりつつ答える。
意識は別の事に向けられているのか、それはどこか上の空にも聞こえた。
だが。
胸元を掴まれる感触と間近からの視線に顔を戻す。
美冬は言葉の意味を問い質すように凝視していた。
赤く腫らした瞳がみるみる潤んでいく。
堪えていた涙が溢れ、歪む顔。
「あー、違う違う! そういう意味じゃない。違うんだって」
「いなくなっちゃ、やだ」
「まだそう決まったわけじゃねえっつーの。勝手に殺すなよ」
慌てた口調でなだめる真雪が髪を掻きながら俯き加減で息をついた。
そして、そのまま助けを求めるように顔を横に向けると
向かい合う形で対面のソファに座っていたサーペントと目が合う。
どちらからともなく苦く笑った。
「ねえ、お嬢」
数秒の間の後、声が切り出す。
人がいるにもかかわらず、重く静かな空気の漂う室内。
美冬に注がれる視線。
「少しは落ち着いたらどうだい。動揺してるんだろうが、
泣いてたってどうにもならないのは分かってるだろう?」
サーペントはキセルを唇に当てたままで目を細めて静かに言った。
操られたように力なく頷く様を見て、口元に笑みを浮かべる。
「自分の大切な人が死ぬかもしれないと思うのは誰しも不安で怖いモンさ。
それが見えるなら尚更ね」
窓の外にあるのは漆黒の中に浮かぶ街の灯。
それはまるで魂のようにも見えた。
「だからって泣いてたって何も解決しやしない。なら、どうする?」
黒い着物を着た死神は首を傾げるような仕草をしながら微笑む。
細く揺らめく煙が天井へと消えていった。
流れる空白の時間。
美冬は顔を上げると呆然と正面に座るサーペントとノクティルカを眺める。
考えているらしい瞳は、気が抜けたように力を失っていた。
「え、と」
返答を待つ静寂に言葉が飲み込まれる。
美冬の指がスカートのプリーツをしごくように落ち着きなく動いていた。
「そうならないように、頑張る……?」
「そうさね」
今にも消えそうな声量で発せられた答えに大きく頷く。
真雪が小さく息をつきながら伏し目がちに微笑んだ。
「そうなって欲しくないなら足掻くしかないじゃないか。
自分に出来る事をやって、誰かが用意した未来を変えちまえばいいのさ」
遠くから階段を上る複数の足音と話し声が聞こえる。
けれど、それも他人事のように耳をすり抜けて。
「いつまでもメソメソしてんのはアンタらしくないよ、お嬢」
悪戯っぽく微笑む顔に美冬が笑って見せようとするが。
それはぎこちなく顔を引きつらせただけで、すぐに視線を自分の膝へと落とした。
そんな彼女の頭を横から伸びた手が乱暴に撫でる。
「な? もう心配すんな。お前、いっつも『一番アテにならねえのは自分だ』とか言ってるクセに
何でこういう時だけバカ正直に信じてんのよ」
「だって」
口ごもり、顔をあげて見つめる。
「どうして真雪は平気なの? もしかしたら死んじゃうかもしれないのに」
「あ? いや、それはさ」
ゆっくりと瞬いて口角を上げた。
視線が目配せするように、その場にいる者たちを見渡す。
誰からともなくこぼれる笑み。
「伊達に死神やってねーもん。確かに天使になって死んでいく奴等は見てるけどさ。
その反面、天使になっても生きてる人間だってたくさんいるんだぜ?
俺らが見えてるモンは結構適当で曖昧だって知ってるから」
「でも」
「だから大丈夫なの。つーか、さっきから死なないって言ってるだろうが」
苦く笑いながら呟いた。
ため息をついて再び俯いた美冬を見つめ、黙る。
頬を指先で掻きながら、かける言葉を探しているかのように。

「ラプター」
美冬は視界の隅に黒い影が現れたことに気がつき、顔をあげた。
名を呼ぶ声はウォークライ。
床に片膝をつき、正面から真っ直ぐに見つめる。
今まで黙って様子を見ていた彼の行動に周囲が注目した。
「レイヴンの言葉は信じられないか?」
「そういうワケじゃないけど」
「理屈ではない、と?」
深く、静かな声に無言で頷く。
「怯え、不安を抱えたままでは潰れてしまう。また、そんなお前を見ている俺達も辛い」
睨むような強い眼光。
その顔に浮かぶ感情は何であるかを知る事は出来ずに。
周囲の空気が更に静まり返った。
「分かってる、みんなの言う事も分かるの。でも怖いんだ。
また、いなくなっちゃうんじゃないかって。前みたいな思いをするんじゃないかって思うと」
窓の向こうで聞こえた笑い声は違和感を感じるほどに明るく。
賑やかな雰囲気が窓から入り込む度に室内は重く沈んでいった。
「確かに死ぬって確証はない。けど、死なないって確証もないでしょ。
あたしがこんな風じゃいけないって分かってるんだけど」
「そうだな」
途切れ途切れに言葉を紡ぐ声は些細な音にも消えてしまう気がする。
聞き漏らしてしまいそうで、一同は黙って耳を傾けていた。
「確かに確証はどこにもない。けれど、それは誰しも同じだろう。
俺も、お前も、生きている奴等は皆そうだ」
「そうだ、けど……そうだよね」
「ラプター」
名を呼ばれ、視線を動かす。
その向こうにあったのは微かに微笑む表情。
「では、お前に呪いをかけよう。いつものラプターに戻れるように」
「呪い?」
「ああ」
今まで成り行きを見守っていたノクティルカが、そのやり取りに動きを止めた。
何か言いたげな表情に浮かぶのは驚き。
その気配を悟ったのか、ウォークライが顔だけで振り向いて小さく頷いた。
無言で交わされる会話に美冬は憔悴の中に不思議そうな色を滲ませる。
再び向けられた顔に疑問の視線を投げるが、返答はない。
ただ時間だけが流れた。
「ラプター。以前、言葉について話したのは覚えているか?」
「言葉?」
「そう、かつて全ての者が持ちながら忘れてしまった能力の事だ。
イメージをし、言葉にする事で具現化する力」
まっすぐ睨むように見つめる黒い瞳に胸騒ぎを感じた。
何故か息苦しく、平静が消えていく。
視線をそらしたい衝動の中で息を殺した。

「人はそれを言霊と呼ぶ」

大きくないはずの声が室内に響き渡る。
互いの顔を見つめ合ったまま、動きを止めた。
「言葉やイメージは単なる道具ではない。それは翼であり、時として凶器となる。
良い事も悪い事も引き起こす強大な力だ」
「力?」
「ああ」
ウォークライの手が美冬の頬に伸び、無意識にそらせようとする視線を固定するかのように。
触れる指先の温度に緊張したように背筋を伸ばす。
息をするのもためらった。
「目を見ろ」
短く命じられるままに頷く。
まるで呪縛だ、その言葉は。
「イメージし、願いを口にしろ。お前は何を望む?」
問いに唇が数度頼りなく動いた。
全てが止まり、色彩が奪われていく錯覚の中で。
死神達は2人を見つめたまま、微動だにしない。
まるで何かの儀式のようにも見える光景だった。

「いなくならないで」

声は痛みを伴う悲しみを含む。
「あたしの好きな人達を奪わないで。
もう人が死ぬのを見るのは充分だよ。これ以上、好きな人に居なくなって欲しくない」
時計だけが無感情に時を刻み続けた。
他に音は聞こえない。
普段ならうるさく感じるほどの階下の音楽でさえも。
「死んで欲しくない」
「誰に?」
「……あたしが好きな人達」
ウォークライが死を司る番人であるかのように瞳で訴えた。
膝に置かれた拳を硬く握り締める手。
「今、一番強く願うのは誰に対してだ?」
不意に美冬が黙り込む。
薄く唇を開いたまま静止した。
言葉を紡ごうとする度に涙が頬を伝い落ちる。
答えを待つウォークライは、その様子を見つめたままで顎を引くように頷いた。
「真雪」
聞こえたのは気のせいであったかと思うほど小さな声。
傍らからこぼれた名前に真雪がくすぐったそうに目を細めた。
「ラプター、よく聞け」
ここにいるのは美冬とウォークライだけであるかのような。
目が離せなくなる。
鼓動で体全体が脈打つのを感じた。
他の景色が一切目に入らず、音は耳に入った側から忘れていく。
聞こえるのは目の前から発せられる声のみだった。

美冬は悟る。
これが言霊なのだと。
これが人の内に潜む言葉の力なのだと。

「『レイヴンは死なない』」
耳の奥で幾重にも響き、全身を駆け巡る。
「『お前が愛する者達も』」
麻痺していく感覚。
意識が遠のきかけて、美冬は我に返った。
「『お前を愛する者達もどこにも逝きはしない』」
感情の見えない瞳が強い眼差しで見つめてくる。
その瞳を見る度に全てを見透かされている気がして心穏やかではいられずに。
「何度でも言おう。お前が信じるまで」
強く発せられる言葉。
それが心の奥深くで溶けていくように。
身体の内側で痛みに似た感情が次第に消えるのを感じる。

「……本当に?」
今まで呆然としていた美冬が恐々と尋ねた。
その声に、今まで険しい顔つきだったウォークライが表情を和らげる。
「ああ」
頷き、わずかに身を乗り出して顔を覗き込んだ。
頬に触れていた手は頭に置かれる。
「何て顔をしている。お前が笑わなくては誰も笑えないだろう」
驚き見つめる様子に笑いを含んだ声が言った。
ややあって立ち上がる気配。
膝を軽く手で払い、屈んだままの姿勢で美冬に視線を向ける。
「笑え。こんな時こそ笑っていろ」
「そうですよ。笑って下さい、ラプター。
貴方がいつも『笑ったモン勝ち』だって言っているではないですか」
動きを止めていた美冬が自分に向けられた言葉にため息混じりの笑みを浮かべた。
口元をハンカチで隠しながら、潤んだ目のままで。
「アンタはレイヴンを連れてこうとする死神にだってケンカ吹っかけるような子だろう?
なんならレイヴンをソイツから守ってやりゃァいいじゃないか」
アイスティーが入ったグラス片手に言ったサーペントの言葉。
何かに気付いた表情を浮かべる美冬に首を傾げて目を細める。
「失いたくないんだったら、しがみついてでも捕まえてなきゃね」
どこからか入り込んだ微風が通り過ぎ、重い空気を消し去った。
モノクロばかりの景色に生気が宿る。
どこからか安堵のため息が漏れるのを聞いた。

「……そうだよね。こんなの、あたしらしくない。
何ビビってんだろ。まだどうなるか分からないのにさ」

涙混じりの声が誰ともなしに言う。
自分に言い聞かせる言葉は小さく笑っていた。
「ごめんね。ちょっと動揺したけど、もう大丈夫だから」
窓の外に広がる夜の街並みに視線を向けた後、一同を見る。
顔を見合わせて誰もが同じように微笑んでいた。
「もう駄目だって思ったら本当にそうなっちゃう。だよね、うーちゃん」
「ああ」
ウォークライを見ていた美冬の視線は傍らで止まる。
そこにいるのは足を組んだ姿勢で笑って眺めている真雪。
体を彼の方へと向けて座り直す。
「真雪」
一度俯いた顔が何かを決意したように持ち上がった。
そこに悲しみや動揺はなく、どこか楽しげにさえ見える。
「あたしね、真雪のこと守ることにした!」
「……一応男なんだけど、俺」
「絶対にいなくなって欲しくないから、出来る事を全力でするんだ」
「そっか」
その声にあるのは明確な意思。
生気の乏しかった瞳に光が宿っていた。
「あたしも頑張るから、お前も頑張れ!」
「お、おう」
「なんだったら空だって飛びますよ!」
「飛ぶなよ」
戸惑い気味に頷いていた真雪が呆れたように苦く笑う。
目の前の死神はいまだ白いベールをまとっている。
窓の外にあるのは漆黒の闇と夜の匂い。

「ラプター三等兵、頑張るであります!」
「……以前は二等兵ではありませんでしたか」
「コイツ、ヘコんで復活するとテンションおかしくなるんだった」

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