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17. To Dreamer

起動したノートパソコンが低い唸り声を上げている。
ディスプレイに映し出されたインターネット電話サービスのアプリケーション。
この実態のないプログラムで海の向こうにいる人間と話せる事を
いまだに祐一は不思議に思っていた。
「こんな時間まで起きてるなんてどうしたんだよ。寝てないの?」
通話が繋がると同時にいぶかしげに尋ねる。
反射的にパソコンの向こうに見える2台の目覚まし時計に視線を走らせた。
それぞれ別の時間を刻む針。
見る度に地球の裏側の知らない景色に思いを馳せる。
「んー、何だか眠れないの。眠くなるように本読んでたら逆に目が冴えちゃって」
「馬鹿だな。そんなの当たり前じゃん」
「しかも一冊目読み終わって次の本読み始めちゃったし。何やってんだろ、私」
耳に装着したヘッドセット越しのくぐもった声がため息をついた。
どんな表情をしているか見えるようで思わず苦く笑う。
彼女――亜矢がいるニューヨークは5時34分。
これから夜に落ちていくこちらとは逆に、向こうは眩しい朝を迎えているのだろう。
「祐一は何してたの? もう歌いに行ってるんだと思ってたよ」
「んー、適当にメシ食ったりとかしてた。
出る前に声が聞きたくなってパソコン付けたんだけど、ラッキーだったな」
「珍しいね。祐一がそんなコト言うなんて」
「そう?」
心底意外そうな口調。
祐一は椅子に座ったままで背を伸ばすと呻きながら尋ねた。
「うん、いつもは私の方がそうやって言うのに。嫌な事でもあった?」
「別に何もないって。俺だってそう思う時くらいあるよ」
服や楽器、雑誌で溢れた部屋にいるのは1人だ。
けれど、誰かが自分のついた嘘を聞いている気がして誤魔化すように笑う。
視線をディスプレイから落とし、デスクの上に放り出された携帯電話を手に取った。

今日は5月17日。
いつか夢の中で黒いスーツ姿の死神と名乗る青年から告げられた死亡日だ。
普段なら夢なんてすぐに忘れそうなものなのに
まるで瞼の裏に焼き付いたように鮮明に覚えていた。
あんなのは嘘だと言い聞かせても不安ばかりが募る。
何をするのも最後かもしれないと思っては、どこか上の空で。
平静は奪われ、普段の自分はどこにもいなかった。

「あ、CD届いたよ! ありがと、すっごい良かった!」
無意識に考え込んでしまいそうになる沈黙を破ったのは、亜矢の嬉しそうな気配。
「本当はデビューしてからのと一緒に送ろうと思ってたんだけど。
それ、インディーズでの最後のアルバムだから早く聞かせたかったんだ」
「『今回は自信作!』って言ってたもんね。5曲目の……えーと、ドリーマーが好きだな。
すごく共感できるし、私も頑張ろうって思ったよ」
弾む口調に息をつくように笑みを浮かべた。
窓に広がる、家々から漏れた灯りと人の気配に目を細める。
頬杖をついた姿勢のまま。
「祐一の歌はポジティブで優しいから大好き。祐一からも歌からもたくさん元気貰ってるんだよ」
「ん、ありがと」
「……祐一は夢叶えたんだもん。今度は私が頑張って叶える番だよね」
心なしか、どこか寂しげな色が混じった気がした。
まるで言い聞かせるような、自分を奮い立たせる響きに軽く眉をしかめる。
思わずヘッドセットに視線を向けた。
「どした?」
「あ、ううん。思いっきり落ち込むような出来事があったってワケじゃないんだけど。
なんかね、ちょっと考えちゃったの」
声のトーンが変わっていく。
ため息と苦笑の混じる声が躊躇っていた。
「したい事と出来る事は違うっていうか、私はお芝居の才能がないんだろうなぁって。
頑張ってるつもりでも周りとの差がどんどん開いちゃってる気がしてね。
ちょっと、心が折れそうになったっていうか」
彼女は泣いているのだろうか、それとも必死で堪えようとしているのだろうか。
祐一は唇を噛んだままで無言で耳を傾けた。
「こっちに来て良かったのか分かんなくなっちゃったんだ。
もしかしたら日本に帰った方がいいのかも。そしたら寂しい思いなんてしなくて済むし、
趣味でも演劇は出来るんだしさ」
「らしくねーぞ、亜矢」
「……帰って、祐一のお嫁さんにしてもらった方が幸せなのかもなぁ」
漏れた独白が心の中に波紋を生み、祐一は動きを止めた。
その言葉に抵抗を感じるわけではない。
脳裏に死神の姿と言葉がよぎる。
「あ! や、やだ! ちょっと引かないでよ、もう冗談なのにー!
て、ていうか変なコト言っちゃってごめん。私らしくないよね、こんなの」
押し黙った様子に亜矢が慌てた様子で取り繕うよう。
笑おうとしているらしいが、その声は不自然に聞こえた。
「いいよ」
「え?」
「俺のお嫁さんになる?」
祐一は小さく笑いながら椅子を回転させて身体を伸ばすと写真立てを手に取った。
写っているのは彼と、電話の向こうで驚き息を飲んでいるらしい亜矢。
「あのさ、才能って自分で決められるモンじゃないと思うんだけど」
「……」
「自分は自分だ。納得できる所までトコトンやってみろって言ってくれたのはお前じゃんか。
俺は亜矢が居たから頑張れたんだし、諦めなかったんだよ?」
目を伏せ、写真に語りかける。
遠くで電車が走り抜ける音が聞こえ、咄嗟に壁にかかった時計を見上げる。
「本当に辛くて、もう充分だって自分で納得したならいいと思うけどさ。
でも後悔するような妥協は絶対にしちゃダメだ」
「うん、そうだね」
「お前は、すっごい輝いてるモン持ってんだから俺的には諦めて欲しくない。
もったいないよ、それをずっと隠したままなんて」
詰まりそうになる言葉を無理に吐き出す。

自分の見た夢や死ぬかもしれないという事を亜矢に言おうか、祐一は迷っていた。
けれど言ったら笑われるだろうと。
笑われるだけならいい。
離れた場所にいる彼女に言って不安な思いをさせたくはない。
まだ決まった訳ではなく、単なる夢だと何度も言い聞かせながら。

「これから何があっても負けるんじゃねーぞ。
俺はやりたい事に夢中になって、夢追っかけてる亜矢が好きなんだからさ」
「……祐一?」
亜矢が怪訝そうに問いかけても返事はなかった。
何かを思うような無言の時間。
平静を装うものの、二人の胸の中に不安ばかりが広がっていく。



『卑怯者ー!!』
耳にあてた携帯電話から聞こえてきたのは、思わず遠ざけたくなるような美冬の怒鳴り声だった。
真雪は歩きながらため息をつく。
まばゆい光で溢れた繁華街も一歩路地に足を踏み入れれば心細くなるほど暗く、静かだ。
『おトイレ行ってる間に出かけちゃうなんて卑怯だぞ、バカ真雪!』
「……お前がウンコしてんのが悪いんだろ」
『ウンコなんてしてないもん! バーカバーカ!』
呆れた顔が苦笑を浮かべる。
今にも噛みつきそうな勢いの美冬は電話口で拗ねた表情を浮かべているのだろう。
聞き取りずらい声の大きさで何かを呟いているのが聞こえた。
「あのな。何度も言ってるけど、これは死神の仕事だから……」
『関係ないって言うんでしょ? どーせ、あたしは死神じゃないし何も出来ないわよ!
悪かったね、足引っ張る事しか出来なくて』
言いかけた言葉に重なる不機嫌な声。
そして内側に響いてくる、もどかしさと苛立ちは美冬の感情なのだろう。
怒りは真雪に向けられているのではなく彼女自身に向けられている事に気付いた。
「違うっつーの」
両側から迫る、店舗の裏側部分に視線を向けながら口元に笑みを浮かべる。
「そういうんじゃねえよ。お前が見る必要はねえって話」
湿気を含む重い風が髪を乱しながら通り過ぎていった。
昼間の日差しの暑さが嘘のように肌寒ささえ感じる。
響く靴音一つ。
「好き好んで辛い目に遭う事ねえだろ。こんな思いするの、俺だけで充分だ」
『でも1人で抱える必要もないじゃん』
「気持ちは嬉しいけど、マジで大丈夫だから」
一瞥した腕時計は20時10分になろうとしていた。
事前に知らされた目的地へは、地下道を通れば3分ほどで着くはずだ。
死亡宣告の際にターゲットは五条駅で歌っていると話していた。
おそらく彼は今日も歌っているのだろう。
「ありがとな、美冬」
『ううん』
何か言いたげにしながらも頷く美冬に目的地が近いことを告げて電話を切る。
携帯のディプレイを眺めたままで軽く息をついた。
真雪の顔から感情は消え、その瞳には冷たさが宿る。
それはまるで、自分を守ろうとしているかのように。


五条駅西口は待ち合わせや、帰路につく人々で溢れていた。
真雪は瞳だけを動かして周囲に視線を巡らせる。
学生らしいグループ、バスを待つ列、車のクラクションに混じって聞こえる嬌声。
そして、一角に何かを囲むような人垣を見つけて動きを止めた。
離れた位置から観察しているとギターの音と拍手が耳に飛び込んでくる。
通り過ぎる人は一様にそこで何を行われているのかと顔を向けていた。
その隙間に見えたのは、見覚えのある人懐っこい笑み。
――間違いない、彼は尾上祐一だ。
真雪は顎を引くように頷くとその方向へとゆっくりと歩き出した。
「……から、まだここで歌うって! 誰だよ、俺が五条からいなくなるとか噂流したヤツ!」
人の輪から少し離れた位置に立つと、祐一の声が聞こえる。
それにつられるように起こる笑い声。
「五条以外に行く場所なんてないのにさ。追い出されたら泣くぞ」
「えー、でもユーさんデビューするんでしょ?」
「それはそれだよ。俺、出来る限り歌いに来るつもりだもん」
ギターを抱えた祐一は最前列で座り込む学生らしい女に笑った。
肩越しに地面に置かれたギターのケース、立てかけられたCDケースが見える。
真雪の位置からでは判別できないが彼の前に置かれたボードには名前等が書かれているようだった。
「さってと!」
視線が腕時計に向けられ、気を取り直すような声を出す。
「いい時間だし、そろそろ最後の曲にいっちゃおーかな」
死期の近い者がまとう、白いベールの奥で笑った。
真雪は黙ったままで彼を見つめる。
死亡宣告など覚えていないような様子に、わずかな戸惑いを感じた。
「……俺、歌えるの幸せだと思ってんのね。
それだけでも充分なのに、聞いてくれる人がいるなんてマジで幸せ者だよ」
わずかな空白の後、俯き加減で笑うと静かに切り出す。
「どうしたら色んな人にありがとうって気持ちが伝わるかなって思った時に
やっぱ歌だって事になって。結局俺はソレしかないし、それが一番だと思うしさ」
真雪は目を伏せて耳を傾けていた。
手持ち無沙汰に指が弦を弾く音が聞こえる。
「だから新しい曲作ってきた! これは今日しか歌わない。
でも、だからこそ全力で歌う!」
まるで迷いを断ち切るように顔を上げて笑う祐一。
周囲には夜の気配と相変わらずの街の息遣いが広がっている。
彼はキャスケットを深くかぶり直すと、空を仰いだ。
「今まで応援してくれた人、聞いてくれた人にありがとうの気持ちを込めて。
みんなが毎日ハッピーに、笑って過ごせますように!」
時刻は20時17分――あと6分。
せわしない雑踏に溶けていくようにギターの音色が静かに流れていく。
遠くに聞こえる大型店舗の店内アナウンスも、車の行きかう騒音も耳に入らなくなった。
人垣は無言のままで祐一を見つめる。

『変わらない毎日 当たり前に来ると信じてた
君とした馬鹿話 下らない事で笑い転げて』

ゆっくりとした旋律に声が重なり、周囲に広がった。
大きな音ではないはずのそれらがすべての音を飲み込んでいく。
シャツの裾や髪を揺らす風の感触に目を伏せる横顔は笑っていた。
『明日 君に会えないと知っていたら
ありがとうって いっぱい言ったのに』
人の輪が厚くなっていることに気がつく。
どうやら帰宅途中の人影が声に引き寄せられ、立ち止まっていた。
言葉もなく、そこにたたずむ。
『大事な事は後回し
言わなくても 通じると思ってた』
祐一の笑顔は楽しさの中に何かが含まれていた。
どこか寂しげで切なさが見え隠れする。
食い入るように見つめる真雪の瞳。
耳を傾けながら、考え込んでいた。
『ありがとうなんかじゃ足りないよ』
不意にまっすぐ前を向いていた祐一が何かに気づいた様子で視線を動かした。
わずかに動きを止めた空白の後、屈託なく笑う。
その視線の先に居たのは無表情のままで人に紛れて立つ死神。
柔らかな色に囲まれた一点の黒は異質であり、浮いていた。
だが、その光景が当たり前のように思える。
何故そう感じたのか、祐一自身にも分からないままで。
『僕は君の幸せでしたか 君は僕の幸せでした
この声は届きますか 君に伝わっていますか』
張り上げる訳でもなく見えない誰かに語るような歌声。
無意識のうちに聞き入り、引き込まれてしまう。
時さえ止めた。
世界で声を発しているのは彼だけなのではないかと言う錯覚を覚える。
『ありがとう ありがとう』
真雪は視線をそらす事も出来ずに祐一を凝視し続けていた。
心底、歌う事が好きなのだろう。
どこか潤んだ瞳を遠くへ向けたままで微笑むように歌っている。

――何故これから死に逝くのに、そんな風に笑えるのか。
真雪は死神である事も忘れて立ちすくんでいる事に気付いて我に返った。
彼は死亡宣告をいまだに信じていないのかもしれないと思いかけて、打ち消す。
いや、彼は漠然とした確信を持っているのだろう。
その証拠に死神である自分が現れても驚くどころか笑っていた。
そして真雪は知っていた。
彼の目に切なさと諦め、覚悟に似た光が宿っている事を。

『どうか僕が消えても 君は笑って』
歌声が消えていき、それと同時に名残惜しそうなギターの音色が止む。
場が一瞬の静寂に包まれた。
そして、弾かれたように生まれる拍手の波。
祐一は深く頭を下げたまま固まったように動かなかった。
もう、彼の姿は分厚いベールに阻まれて真雪の目には映らない。
「……10秒前」
やむ気配のない拍手の中で真雪の唇が動く。
風に乱れた髪で表情を知る事は出来ないが、俯いて腕時計を見る姿はうなだれているようで。
強く唇を噛んでいるのだけが見える。
まるで周囲の人間の嬉しげな表情とは真逆だ。
祐一に対する賞賛の言葉が聞こえる度に心に影が落ちる。
「やー、もう思い残すことないや」
頭を下げた姿勢のままで、呟く声は周囲に届いたのだろうか。
「3」
「……あ。一つだけあった、心残り」
「2」
「もう1回だけ、5分だけでもいいから会いたかったなー……」
「1」
無感情な声と涙の混じる半笑いの声が絡み合うように。
真雪は祐一の独白を聞いた気がした。
距離にして数メートル、拍手に飲まれて聞こえないはずなのに。

「ゼロ」

その言葉と同時に祐一の身体は見えない手に引っ張られるように倒れた。
沸き起こる叫び声と空気を揺らすざわめき。
人の波が一瞬広がり、慌しくなる。
乱れる靴音、驚きの表情を浮かべる人垣の中で真雪だけが暗い表情を浮かべていた。
地面に転がったキャスケット、その近くでうつ伏せのまま動かない祐一。
半狂乱の叫び声と判別不能の泣き声が混じり、五条駅は騒然としている。
「5月17日 20時23分、確認完了」
視界の端に紺色の警察官の制服が見えた。
真雪は深くため息をつくと、何か見てはいけないものを見たように祐一から視線をそらし。
混乱の輪から離れる靴音。
闇の中に溶けていくようにその場を立ち去った。



数分歩いた頃だろうか。
人目を避けて、あてもなく歩いていた真雪の足が止まった。
俯いた視界に見えた見慣れた足元。
まるで自分の行く手を阻むように正面に立ちはだかっている。
思わず顔を上げると。
「お疲れ様」
夜と同色のスーツを着た美冬が口元だけで微笑んでいた。
「あー……」
「どこ行こうとしてたの? 事務所?」
「いや、事務所に戻る気はねえんだけど」
話すのも億劫に感じる。
真雪は黙りがちになってしまう重い口を無理に開いた。
美冬の言葉に辺りを見渡すと、ここは比良坂事務所に程近い線路沿いの公園。
まっすぐ帰宅する気にならず、歩いているうちにここに来ていたらしい。
「聞かねえんだな。仕事は終わったのかとか、どうだったかとか」
「分かってるもん。聞く必要ないでしょ?」
「……つーか、俺の居場所よく分かったな」
「だからそれも分かってるっつーの。あたし達を何だと思ってるのよ」
呆れたように息をついて眉を寄せた。
上の空の、沈んだ声。
目の前にいる真雪はいつもより反応が鈍く、ひどく疲れた空気を発散している。

美冬は心配で真雪の様子を見に来たものの、かける言葉が見つからずに押し黙った。
エニグマの能力は1人の路上ミュージシャンが倒れる瞬間、
真雪の動揺や苦しみまでも鮮やかに映し出す。
以前なら何も知らずに励ませたかもしれない。
けれど自分の痛みのように知ってしまった今は、そんな事が出来るはずもなく。
歯がゆい気持ちで彼を見つめる事しか出来なかった。

公園と道を仕切る柵にもたれ、二人は無言で佇んでいた。
顔を見合わせる事もなく同じ方向を向いて。
「真雪」
長い沈黙を破ったのは美冬だった。
目の前を通り過ぎる人影を眺めていた真雪が力なく視線を向ける。
「あたしじゃ力不足かもしれないけどさ、出来る事あったらなんでも言ってね」
言葉を選んでいるのか途切れ途切れに言葉を紡いだ。
おそるおそるといった風の口調とは裏腹に、その視線は訴えるように強い。
「気の利いた事とか言えないし何か出来るワケでもないし。
気持ちばっか空回りしてて迷惑ばっかかけてるけど、少しでも力になりたいんだ」
動きを止めて見つめる視線から逃れたいのか美冬が目を伏せる。
「馬鹿だな、俺は」
「え?」
「心配かけたくねえのに、結局心配させて気ィ遣わせてるし」
自嘲気味に口元を歪めて息をついた。
真雪の手が伸び、美冬の頭を乱暴に撫でる。
抗議する視線を向けられて小さく笑った。
「もー、こればっかりは仕方ねえって分かってんのよ。
死神なんて人が死ぬのを見るのが仕事だし、かと言って慣れるのも難しいしな」
ここはまるで隔絶された場所。
聞こえるのは駅からのアナウンスと他人事の街の賑わい。
すぐ近くにある外灯が緑に隠されて薄暗く感じた。
「親父にも閻王にも見るなとか考えるなって言われてるけど、そんなの無理だし。
俺には割り切る事なんて出来ねえよ」
「真雪」
「分かってんだわ、どうしようもねえって」
不意に真雪が美冬を見た所で止まる。
「……お前が泣きそうになってどうするんだよ」
「だ、だって」
「しょーがねえなぁ、もう」
真雪は髪をかき上げて苦笑を浮かべた。
座っていた柵から腰を上げると、スラックスを手で払う仕草。
美冬の方に身体を向ける。
「俺は美冬がそんな風に思ってくれるだけで本当に助かってるんだ。
つーか、いてくれるだけで充分なんだけど」
「どうして?」
「どうしてって……どうしてだろうなぁ。
分かってくれる人間がいるのって心強いっつーか、それだけで気持ちが違うモンなのよ」
強く吹いた風の中に死臭を嗅いだ気がした。
線路を隔てた向こうに見えるネオンの海を見て眩しさに目を細める。
「お前は力不足なんかじゃない。自分が思ってるよりずっと仕事してるぜ?」
「そう、なの?」
「ああ。だからそんなショボい顔するのはやめなさい。美人が台無しよ」
おどけたように顔を覗き込まれて、美冬は思わず笑みを漏らした。
それを見た真雪は安堵のため息をつく。
ややあって気配が離れ。
「さて、と。俺はそろそろ帰るとしますかね」
「うん」
「今日は徹夜でパンとケーキ作りまくる。気分転換しないとな」
「いつもの『復活の呪文』だね」
美冬の言葉に頷く顔。
身体を駅の喧騒の方に向けると、振り返るポーズのまま止まった。
「美冬は事務所に戻るんだろ? 送って行こうか」
「いいよ、すぐそこだし」
「前みたいな事があったらどうするんだよ」
「大丈夫だって! いくら何でも、こんな街中でチャリオットだって行動起こせないでしょ。
真雪こそ、大丈夫なの?」
二人で顔を見合わせる。
どこか疲れた雰囲気と沈んだ瞳の色を見る度に不安を感じた。
本人の口からどんな言葉を言われても、疑いの目で見てしまう。
「……それは俺が乙女だから、さらわれそうだとでも言いたいのか?」
「違う! 落ち込んでるし疲れてるみたいだからって話だってば」
「大丈夫だよ。お前の顔見たから」
笑いを含んだ声がそう言い残して黒いスーツが離れていく。
背中を向けたまま包帯が巻かれた右手を上げると軽く振った。
美冬は眉間にしわを寄せた状態で言葉もなく見送る。
言葉の意味を考えているのか、首をゆっくりと傾げながら。

遠ざかる死神の後姿を見送りながら唇を噛んだ。
胸の中にあるのは空しさと疲れ、苦しさ。
「……そうやって、いつも平気なフリするんだもんなぁ」
独りごちた。
痛みを堪える表情を浮かべて深く息をつく。
ややあって、美冬はきびすを返すと光と賑やかな喧騒の中へと姿を消した。

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