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15-4 花葬

足元から力が抜けそうになるのを必死で堪えた。
呼吸が乱れる。
内側で寒気が駆け巡る半面、怒りで体温が上がるのを感じた。
震えるほど強く握り締めた拳。
自分に向けられた楽しげな視線を今すぐ消す事が出来たら。
真雪は立ちつくしていた。
児童用らしい椅子に、片膝を立てて座るチャリオットと真雪の狭間。

目を閉じ、横たわる美冬。

「遅かったな、死神」
瞬きも出来ずに目の前の光景を呆然と見つめるしか出来なかった。
むなしく動くだけの唇。
思考を拒否し、全てが消される脳裏で今の状況を理解しようとする。
その部屋にあるのは。
部屋中に敷き詰められた白い花。
大きな窓から差し込む月光。
静かすぎて何かを聞いた錯覚さえ覚える沈黙。
「最後までお前の名を呼んでいたぞ」
床と靴底が張り付いたように動かない。
真雪はチャリオットと向き合い、美冬に視線を貼り付けたままで。
光に照らし出された横顔に感情は浮かんでいない。
「レイヴン、大丈夫だ」
隣に並ぶダンデライオンがチャリオットを見据えたままで呟いた。
真雪は、どこか上の空の様子で頷く。
「彼女は眠っているだけだよ」
「ああ」
その言葉は本当だろうか。
横たわる美冬は確かに眠っているだけに見えたが、そうではないようにも感じた。
この場所から呼吸しているかどうかを確認する事は出来ない。
いつもの黒い上下のスーツが、彼女を囲むプルメリアの中で浮び上がって見える。
「ゲームオーバー、だな」
膝に手をかけ、こみ上げる笑いを抑えきれないチャリオットが目を細めて言った。
「実に残念だ。お前達には是非とも勝って欲しかったのだが」
まるで全てが固唾を呑んで見守っているかのように。
真雪にはチャリオットの言葉が聞こえていなかった。
唇を噛んだまま視線を落とす。
叫びたい衝動に耐え、固まる足を無理矢理動かした。
靴音一つ。
何かが落ちる音にも似たそれが大きく室内に響く。
早く確かめたい気持ちと、恐れがせめぎ合った。
拒絶し、重みを増す足取り。
落ち着こうと深呼吸をしても息苦しい。
ほんの数メートルの距離だと言うのに数秒をかけて近付いた。
「美冬」
真雪が彼女のかたわらにしゃがみこんで、かすれた声で小さく呼びかける。
恐々と伸ばされた手が空中で制止した。
躊躇っているのか、眠る顔の上にかざされたままで。
眉間にしわを深く刻む。

呼吸を確かめる指が唇の間近まで降りた。

真雪の表情が一瞬やわらぎ、ため息が漏れる。
それと共に頬に触れる手のひら。
「……親父、大丈夫。寝てるだけだ」
数分前に投げられた言葉を返す。
その声に宿るのは笑み。
「こちらダンデライオン。三階の一室にてラプターを発見、眠っている状態だ」
「美冬。おい、美冬?」
「部屋にはチャリオット、私、レイヴンの3名。彼女を保護次第……」
ダンデライオンの手が後ろに回され、次の瞬間には投げナイフを指に挟んでいた。
目を細め、視線が鋭く睨む。
「チャリオットを抹殺する」
その言葉に、チャリオットは黒板の前に座ったままで口の端を歪めた。
死臭とプルメリアの香りが嗅覚を麻痺させ、頭痛を誘う。
何も動かない世界の中で対峙した。
「彼女を保護次第、か。随分楽観的に物事を見ているようだな」
「何だと?」
鋭く反応するダンデライオン。
だが、その問いにチャリオットは答える事はなく笑うのみ。
言葉の意味を考える無言の時間だけが過ぎていく。

「……ゆき……?」
それを破ったのは弱々しい声だった。
弾かれたように視線が美冬に注がれる。
薄く開かれた目が覗き込む顔を視認し、力なく微笑んだ。
「大丈夫か? もう少しだけ頑張ってくれ」
つられて真雪が口元に笑みを浮かべる。
美冬は泣き顔に近い表情で笑っていた。
見逃しそうなほど小さな動作で顎を引いて頷く様子に手を握る。
頬に残る涙の跡と、疲労の滲む充血した瞳。
真雪は力が抜けるのを感じた。
安心するのはまだ早いと自分に何度も言い聞かせ、緊張を保とうとするが。
笑う美冬を見た途端に溶けてしまいそうな錯覚さえ。
「……た」
美冬が真雪を見つめ何度も唇を動かすが、声にならずに。
床に這いつくばる格好になりながら耳を美冬の顔に近づけた。
「また、会えた」
頷き、笑う。
他の全てが消えてしまったように。
「ノクティルカ、美冬は無事だ。意識が戻っ……」
インカムを指で押さえながら、言いかけた笑み混じりの言葉を飲み込むのは。

「……怒った、笛吹き男は」

声が重なった。
一つは天井を呆然と見つめる美冬から、
そしてもう一方は離れた位置より見つめるチャリオットから。
愕然とした。
今までの安堵が一瞬にして消え去る。
「美冬。おい、美冬?」
弾かれたようにチャリオットを一瞥した後、美冬の肩を掴んだ。
けれど反応はない。
眠りにつく寸前のように生気が失われていく翡翠色の瞳。
戦慄を覚え、震える。
耳元で何かが叫んでいる気さえした。
「また、ハーメルンの……街に」
「美冬! ダメだ、美冬!」
「……戻って……」
「ふざけんな! 戻って来い!」
怒鳴る声が美冬のうわ言のような声を打ち消す。
まるで対岸へと飛び立つのを引きとめるかのように。
美冬の瞳が何かに気付いたように止まり、ゆっくりと顔を真雪へと向ける。
浮かぶのは満面の笑み。
今まで何度この表情を見ただろう。
けれど。
「何言ってんだよ、お前! 美冬!」
ただの童話の一説だ。
突然死とは関係ない。
夢を見ているだけだ。
自分に言い聞かせながら、真雪は心の中に広がる恐怖感を拭い去る事は出来なかった。
浮かぶ一つの可能性。
自分を笑いながら見ているであろう死人と突然死が繋がったという事実は
目の前の彼女に対する不安が全て壊した。
「……くると」
後頭部を支え、自分を起こそうとする真雪の腕に触れる。
目は取り乱す真雪をなだめるように微笑んでいた。
美冬の冷えた指先が頬に触れる。
そして唇に当てられ、目の下をぬぐった。
その瞬間に入り込んでくる、不気味なほど静かな感情。
食い入るように見つめる事しか出来ず。
震える手は何かを知っていた。
「美冬! おい!」
持ち上がっていた腕が、まるで人形のように脱力し垂れ下がった。
動く唇は言葉を紡がず。
瞼が閉じる。
「美冬!?」
自分の声ではないように感じた。
空白。
沈黙。
「……み、ふ……ゆ?」
手に伝わる重さが一気に増す。
問いかけには反応がない。
インカムや周囲から何かが聞こえた気がしたが、真雪の耳には届かなかった。
色さえも失った世界で。
ただ、佇む。

離れた位置で見ていたダンデライオンの手が震えていた。
それは怒りか、それとも。
投げナイフを挟む拳が動く事はなく。
「……ラプターの意識が途絶えた」
絞り出すように発せられた声が部屋中に響き渡る。
口に出す事さえもためらう言葉。
この位置からでは詳しい状況を知る事は出来ない。
けれど、真雪の様子を見る限りでは。
「親父」
頬同士を触れ合わせるように、顔を重ねていた真雪が呟く。
顔を上げる気配にダンデライオンが視線を向ける。
呆然としながらも、無感情で静かな声。
「ちょっと美冬、頼むわ」
彼女を抱えながら立ち上がる背中が見えた。
足の踏み場もないほど敷かれた花の上に二人の作る影が落ちる。
動くたびに鼻腔を刺す芳香と臭気。
今までの死臭とは何かが違うように感じた。
沈黙が全てを飲み込む。
「レイヴン」
「二人とも廊下出てて。俺、ちょっとアイツに話があるからさ」
単調な靴音と共に近付いてくる声。
俯いた顔から真雪の表情を伺い知る事はできない。

ただ、わずかに見えた口元は笑っていた。

「駄目だ。レイヴン、待て!」
その声音、表情、身体を包む殺伐とした雰囲気。
ダンデライオンは心の中がざわめくのを感じて、声を荒げた。
脳裏に浮かぶ予感。
「冷静になれ! 落ち着くんだ、レイヴン!」
「無理言うなよ。この状態で落ち着けるか」
美冬をダンデライオンに預けると、肩を揺らして笑う声が言った。
持ち上がる顔。
流れる髪の向こうに見えた瞳の色は金。
「ていうか、もう限界だ」
髪をかき上げて、肩越しにチャリオットを睨みつける。
何かを言いかけたダンデライオンを一瞥し、ドアを指差す仕草。
「ヒトの女に手ェ出した挙句にこんな真似してさ。タダで済むとか思ってるワケ?」
向き直った声に怒気がはらむ。
スラックスのポケットに右手を突っ込み、顔を伏せた。
離れた位置で立ち上がったチャリオットに向けられる殺気の宿る瞳。

「1回死んでるんだ。もう1回くらい死んどけよ、オッサン」

首の前に横一直線のラインを描いた親指が地面を示した。
真雪を中心に微風が生じ、プルメリアの花が舞う。
室内には二つのシルエット。
立ち込める死臭の中で、二つの死が対峙していた。


「エニグマが目覚め、シノノメが動いた」
比良坂事務所。
静寂と張り詰めた空気が同居する中でノクティルカが呟いた。
目の前には付けたまま放置されたディスプレイ、手には校内地図。
机の上に置かれた山のような吸殻入りの灰皿が彼の苛立ちそのままに。
インカム越しの沈黙から状況を察する事は出来ず、ただ不安ばかりが掻き立てられた。
「ダンデライオン、状況を教えて下さい」
殺風景な室内が、今日は余計に寂しく見える。
何もかも違って見える景色。
窓の外のいつもと同じネオンの色も今は目に入らず。
『現在、私はラプターと共に廊下に移動。教室にはチャリオットとレイヴンがいる。
この状態ではレイヴン本人にも危険が及ぶ可能性があるが……無闇に手は出せないな』
「ええ、下手に頭数を増やすと巻き添えを食らう危険があります」
『だからと言って彼を放っておくわけにもいかないが。何が起こるか分からないからね』
ダンデライオンの声音に、いつもの穏やかさはなかった。
時折、声が遠ざかるのを感じる。
おそらく身体をねじって室内の様子を窺っているのだろう。
「レイヴンに話は通じませんか」
『そのようだね。今は頭に血が上って何も見えていない状態だ』
「でしたら、貴方もいつでも退避できるように準備をしておいて下さい。
彼に全てを任せるのは危険ですが、今は静観する他に手段はありませんね」
『ああ、そうだな。だが……シノノメか』
独白が思考に飲まれたように黙りこくる。
ノクティルカは放り出されていた書類を手に取ると、眉間にしわを寄せたままで
視線を走らせた。
繰り返し読んだ、エニグマに関するレポート。
今まではどうエニグマの覚醒を食い止めるかを考えていた。
だが、今は。
「目覚めたのがシノノメで、まだ二人とも覚醒した訳ではないのが
不幸中の幸いだったのかもしれません。問題は……」
唇を噛んで言葉を切った。
不安がよぎり、懸命に振り払おうとする。
「ラプターはどんな様子ですか」
指先が机を等間隔で叩いていた。
落ち着きのない動きは、ノクティルカの胸の内を表していた。
不意に訪れた空白の時間に嫌な可能性ばかりを考えてしまう。
『眠っているよ。だが、あまりにも静かで……すまない。要領を得ない答えで』
「呼吸はあるんですね?」
『ああ。白いベールは見えていないものの、彼女がどんな状況か分からないんだ。
万が一……』
『言うな。彼女は助かる』
ダンデライオンの言葉を遮るウォークライの声。
誰もがそのまま押し黙った。
不安を殺し、祈るように。

ノクティルカは煙草をくわえ、窓の外に視線を転じた。
胸騒ぎに顔を歪ませる。
「私の命などいくらでも差し上げましょう。ですから帰って来てください、ラプター」
呟く声。
「いや、エニグマよ」
インカムの向こうで風の唸る声が聞こえる。
夜は明ける事を知らず、更に闇を色濃く漂わせていた。

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