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15-3 Memento mori

インカム越しのやり取りを聞きながら、ドアの近くにたたずむウォークライは空を仰いでいた。
聞こえるのは真雪とダンデライオンの緊迫したやり取り。
自分の背の遠くで行われているであろう光景は想像できない。
あるのは胸騒ぎと、
まるで深淵から何かが這い出してくるかのような不気味な感覚。
おそらく、この予感はあながち外れていないのだろう。
こんな時ばかり当たる自分の勘を恨みたくなった。
「目覚めつつある、か」
インカムに届かないほど小さな声で呟く。
それが何か、口に出来る勇気などない。
自分が口にすれば現実になってしまう可能性があるからだ。
例え無駄な足掻きだと知っていても、口に出す事で呼びたくはなかった。
――エニグマを。

それは長らく都市伝説と化していた稀有な特殊能力。
エニグマ、九蓮宝燈、13番目の死神等その呼び名は数多くあれど、見た者はいない。
死を撒き散らす『ヨイ』と、生を歌う『シノノメ』
この2人の能力を合わせて、そう称される。
2人は一つであり表裏一体。
謎が多いながら、何らかの野心を抱く者にとって強力な武器となる為に
それを利用したいとたくらむ者は多い。

自分を囲むのは月に支配された景色。
遠くで聞こえる葉ずれの音でさえも気にし始めれば全てが不穏な動きに感じる。
ほとんどの者にとっては、いつもと変わらぬ平穏な夜だろう。
けれど闇を知る者にとっては別世界に思えるほど異常だ、今日は。

ウォークライの伏せられた黒い瞳が持ち上がる。

音を忘れたかのような静寂の中で違和感を感じた。
姿を確認することは出来ないが男女のやり取りが聞こえる。
耳を澄ますと、それは自分の方へと近づいているらしい。
「お勤めご苦労さんだの。なんじゃ、お主は中に入らんのか?」
口調とは裏腹の若い女の声が投げられた。
靴音と共に姿を現したのは、2つのシルエット。
まるで地面に落ちた影が立体になったかのような。
5月も半ばに差し掛かる時期だというのに、そろってフード付の黒いコートを着ている。
ウォークライに話しかけてきた女はパニエで膨らませた
フリルのついた少女趣味の服――いわゆる『ロリィタファッション』で身を固めていた。
「ヴァンガード、無駄話をしている場合ではない」
「分かっておるわい。だが、こういう会話も必要じゃろう?」
ヴァンガードと呼ばれた女は隣の男を見上げると口の端を大きく上げて笑いかける。
一方、苛立った様子の男は肩に武器を乗せたまま深くため息をついた。
フードの下から見える鋭い眼光、手にした死神のような大きな鎌、隠そうともしない血の匂い。
ウォークライの目が2人を観察する。
この者達はエクスキューショナー。
それも、ノクティルカが名を挙げた人物だ。
「アブソルートとヴァンガード、か」
「おお、ワシ等の事を知っておるのか! なかなか有名人なんじゃのう」
「ヴァンガード」
嬉々とした声を咎めるように名が呼ばれる。
瞳だけを向けて隣を睨んだアブソルートの視線が、正面に注がれた。
空気が張り詰めていく。
「そこをどいてもらおう」
「……断る」
背にあるのは体温を奪っていく冷たい鉄の扉。
以前は子供達の声で賑やかだっただろうこの場所も、今は面影もなく。
ただ廃れていくのを待ち、静寂の中で佇む。
動くものはなく、音を出すのは自分達のみ。
睨み合い、互いの様子を窺っていた。
「中では俺の友人達が肝だめし中でな。部外者は入れるなと言われている。
通りたければ……」
「ふざけた事を言う。素直に仲間を救出中だと言ったらどうだ」
動きを止めたのはウォークライだった。
いぶかしげに片眉を潜めると、わずかに身を乗り出してアブソルートを覗き込む。
「どこでそれを?」
「我等は影。この世界で影の及ばぬ所などない」
「何故知っているか聞いているのだ」
「うぬに話す必要はなかろう」
等間隔で鎌の柄で肩を打つ仕草。
視線がそらされ、再び向けられた。
苛立ちを覚えているのはアブソルートだけではない。
ウォークライもまた同様だった。

エクスキューショナーがこの場所に来たのは、サーペントが情報を流したから。
そうだとしても何故、彼等はラプターがこの場所に居て
更にさらわれた事を知っているのだろう。
この事実を知っているのは限られた人間のみであり、
此岸に広がる程の時間があったわけではない。
一体どこから漏れたのか?
ウォークライは考えてみるものの、明確な可能性を見出す事は出来なかった。

「うぬ等の仲間の生死など知った事ではない。我等は我等の仕事を片付けるまで。
……そこを退け、死神」
「断ると言った」
「ならばこの場で切り捨てるぞ」
「勝手にしろ。ただし出来るなら、の話だが」
ウォークライがドアから身体を離して一歩踏み出す。
黒い瞳がアブソルートを覗き込み、笑う。
一触即発の危うげな空気。
小さな動作でさえ、相手の攻撃を誘ってしまう気がした。
アブソルートの手が武器を持ち直すのが見える。

「アブソルート」
空気を変えたのは、ため息だった。
人形のような顔立ちが呆れた色を顔に滲ませる。
「敵を間違ってはならんぞ。ワシ等の相手はこの若者ではないじゃろうて」
「邪魔者は排除するべきだ」
「そうかもしれんがのう……ほれ、そこの死神もじゃ。ケンカをしている場合ではないじゃろ?」
ウォークライの瞳はアブソルートからそらされる事なく、その言葉を聞いていた。
微動だにせず、目で射殺そうとしているのか。
ヴァンガードは2人の様子を眺めると視線を宙にさまよわせて肩をすくめた。
腕組みをする仕草。

「わしらの敵はチャリオット。お主等と同じモノを狙っておる」

その声と呼応するかのように風が騒ぎ立てる。
視界の端、スローモーションで木々が踊るのが見えた。
硬く閉ざされたドアの前でたたずむ3人もまた、景色と同じように凍る。
「ヤツは此岸全土に指名手配中。報奨金付じゃから賞金稼ぎ共が躍起になってるはずじゃ」
「部外者に情報を漏らす必要はない!」
「これしきの情報なぞすぐに分かる事。それに、こやつは実力行使では動かんタイプじゃ」
漏れる舌打ちを一瞥し、苦笑した。
今までウォークライに向けられていた殺気は
仲間であるはずのヴァンガードにも向けられている。
だが、それを気にする様子もなくまっすぐ前を見つめる瞳。
「わし等にも分からない事が多すぎての。ここを訪れたのはそれを探る為でもある」
「……と、いうと?」
「1、処刑許可が出ているにもかかわらず、ワシ等のボスは『チャリオットをこの場では殺すな』と言った」
相手の反応を楽しむかのように微笑む。
「2、チャリオットが動いている理由」
カールされた髪が月影に照らされ、自ら光を放つように。
「3、ワシ等でも把握しておらん輩が動いておる」
どこか苛立ちを含んだ声で不機嫌そうに言う。
睨むように見つめてもヴァンガードは視線を逸らそうとはせず、動じなかった。
「これで敵ではない事が分かったかのう? ……そこをどいてくれんか、死神」
考えるような無言の間。
「お主等にとっても損はないと思うんじゃが」
畳み掛けるような言葉に、ウォークライはため息をつく。
二つの視線が注がれる中で横に一歩ずれ、ドアの前から退いた。
アブソルートとヴァンガードが顔を見合わせる。
「感謝するぞ、死神」
靴音が再び周囲に響き、それはウォークライとすれ違った。
無関心を装いながら横目で眺める。
「エクスキューショナー」
「なんじゃ」
呼び止められ、動きを止める影。
背中合わせのままで交わされる会話の端々に緊張感が宿っていた。
「もう一度聞く。何故、俺達が仲間を助けようとしている事を知っている?」
訪れた沈黙は何を意味しているのか。
勘繰りたくなる。
「知っているはずじゃ。お主が思っている『まさか』じゃよ」
その言葉を残して、背後でドアの閉まる重い音が大きく響いた。
笑いながら発せられた言葉。
エクスキューショナーが消えてもウォークライはドアを凝視し続け。
「こちらウォークライ。エクスキューショナーが入城した」
インカムを指で押さえ、告げる。
再び、正面に顔を向けて佇む一つのシルエット。
自分の足元から伸びる影を見つめながら口の中で投げられた言葉を繰り返した。
「サーペント」
『なんだい?』
「調べて欲しい事がある」


何度目だろう、こんな風に眠ってしまったのは。
美冬は眠気に抗おうとしながら意識が遠のくのを感じた。
そして、思い出す。
『まだ眠っていて下され、姫君。起きる時間ではありませぬぞ』
この場所で眠りから覚める度に微笑む声が降りてきた事を。
ぼやける視界の中で見えたのは人の気配と、頬に微かに触れる白いベール。
目をこじ開け、何者であるかを確認しようとする度に
視界を遮るように手が置かれる。
誰だと問う声は言葉になっていなかったのかもしれない。
もう一度言おうと口を開くが強烈な眠気に襲われ、そうする事も叶わず。
眠りに身をゆだねる心地よさとは裏腹に意識が警告する。

眠ったら死ぬ。
ここで目を閉じたら駄目だ。
目を開けなければ。
目を――

「姫君」
その狂気含みの笑う声に我に返った。
自分がどこにいるか、どんな状況であるかを瞬時に思い出す。
夢か現実か分からない出来事を思い出している場合でない。
だが。

美冬が目を開けても、広がっていたのは闇だった。

「な……っ!」
目元に感じる布の感触に、目隠しをされている事に気がつく。
また自分は眠っていたのだ。
そして、その間に。
「こんな真似をするのは趣味ではないのだがな」
「あんた、何考えてんの?」
「言った所で理解できないだろう」
美冬が自由の利かない身体を動かそうと身をよじらせるたびに
足元から椅子を引く、耳障りな音が聞こえる。
手足に食い込むようにきつく巻かれた何か。
椅子に座らされ、手足を縛られている。
自分の状態に気付いて強く唇を噛んだ。
「あたしをどうするつもりよ」
「どうして欲しい?」
チャリオットの声が間近に聞こえる。
おそらく自分の前に立ち、顔を覗き込んでいるのだろう。
視界が遮られている分、他の感覚が鮮明になっていくのを感じた。
普段は聞こえないはずの音や、些細な気配の動き。
それらが自分に嫌と言うほど恐怖感を与えた。
「騎士殿が城に入ってきたぞ。ここに来るのも時間の問題だろう」
靴音が遠ざかっていく。
美冬は手足を動かしながら、それを聞いていた。

せめて手が交差された状態で縛られていたのなら、この枷から逃れる方法があるのに。
そんな美冬の考えを見透かしたように、
椅子の足にそれぞれ足首を固定され、手も触れ合う事が出来ない位置で。
動こうとする度に、軋むような痛みを感じる。
無駄な抵抗をするなという事か。
逃れる術が見つからなくても、抵抗せずにはいられなかった。

「離して! 離せ!」
「その状態でも威勢がいいとは感心だ」
「ふざけんな、何のつもりよ!」
恐怖心を隠すように怒鳴る。
その声に重なる椅子が移動する音。
美冬の声だけが部屋にこだまして廊下まで漏れていた。
無意識に呼吸が荒くなり、肩で息をする。
まるで呼吸の仕方さえ忘れてしまったかのように。
「目覚めよ、エニグマ。共鳴し、一つとなれ」
「何言って……」
目隠しの上から手が置かれ、そして空いた手は肩に。
美冬の顔の横にチャリオットがいるらしい。
肌に冷気が触れる。
「思考を、感覚を、景色を共有するのだ。見えぬものを見ろ、聞こえぬ声を聞け」
「はな、してっ! 離して! 離して!」
「お前は半身だ。一人では意味を成さず、もう一人の自分がいる事で完成する」
「触んないで! 触るなっつってんだろ!」
耳朶に触れた息に恐怖を感じる。
狂ったように怒鳴り、悶えるように暴れた。
けれどチャリオットは美冬の様子を見て笑っているらしい。
動じる様子もなく、いまだ触れたままで。
身体を屈め、同じ目線でどこかを見ている様が手に取るように分かった。

「美冬」

名を呼ばれ、動きが止まる。
今までが嘘のように静まる周囲の空気。
チャリオットの声に、真雪の面影を見た。
彼が呼ぶ声に似た響きに、美冬は息を上げながらも大人しくなる。
「いい子だ」
笑う声。
チャリオットは美冬の背後に立ち、肩に触れたまま顔を横に並べていた。
視線が美冬を一瞥し、それから何もない目の前の壁を見つめる。
「答えろ。何が見える?」
上下する美冬の肩。
小刻みの奥歯が震え、音を生んだ。
「……ロウソク、の火。廊下と、月」
「何を感じる?」
「怖い。焦ってる……早く、しなくちゃって」
美冬の唇が呆然と言葉を紡ぐ。
チャリオットが俯き加減に口を歪めて笑った。
その顔はどこか満足そうに、けれど目は不敵な笑みを宿し。
髪を撫でる死人の手。
冷たい風は、どこから入ってきたというのだろう。
窓はどこも閉ざされ、隙間などないはずなのに。
「真雪が」
そう呟く美冬の唇を触れるのは、チャリオットの冷え切った指。
その冷たさに現実に引き戻された美冬は、大きく震えた。
まるで幻が解けたように。
「は、なして!」
手が頬に触れ、耳へと移動していく。
「怖いのか」
「こ、怖くなんてない」
「震えているぞ?」
その言葉どおり、美冬の手は震えていた。
それを隠すように作られる拳。
歯を食いしばるが、小刻みに震えているのが分かる。
「……怖くなんて!」
「では、試してみようか」
ネクタイがシャツを上を滑り、地面に落ちる音が響いた。
青白い光に満たされる室内。
「どうする?」
シャツのボタンが外され、首元が自由になるのを感じる。
「お前は俺と二人きりだ」
全身を襲う寒気は、不安となり内側でのた打ち回った。
「手足の自由はなく、視界は遮られている」
声が鼓動で聞こえず。
「助けも来ない」
我を忘れたように暴れる美冬をチャリオットの手が抑える。
「そして」
胴を抱えるように置かれていた手が下へ移動していく。
呼吸が乱れ、怯え、引きつる声が短く漏れる。
寒気が手と連動し、動いていた。
「……お前は女で、俺は男だ」
「ひぁ、やだぁああ! やだ! やあああっ!!」
プリーツスカートをめくるように、膝の辺りから太ももを滑って上昇する感触。
耳に触れる声に美冬が椅子ごと逃れようと身体を揺さぶる。
自分の声だけがむなしく響く事に更に不安が加速した。
我を忘れ、こみ上げる嫌悪に叫ぶ声。
遮られた視界の中で一瞬だけ見える景色も。
痺れる死臭、プルメリアの香りも。
全てが消え失せ、感じる事も出来ぬままに取り乱した。
「死人の精を注いだら」
チャリオットの声があざ笑う。
漏れる嗚咽、聞こえる乱れた靴音。
「やだ! まゆ……やっ! 離して! はな……っ!」
肌に伝わる冷たさは死、そのもの。
「どんな子をなすのだろうな? 姫君よ」
頬に触れる唇が紡ぐと同時に。

轟く。
血を吐くような叫び声。
室内だけではなくフロアを、いや校舎内の空気全てを震わせるように。
それは名だった。
嗚咽の中で吐き出された名は。

「つぁあああ!」

離れた位置にいるはずの真雪の鼓膜を突き破る勢いで。
苦痛に歪む顔。
両耳を強く、手で抑えたままで床に膝をついて倒れこむ。
「く、ぁ……っ」
「レイヴン! レイヴン!?」
前触れなく倒れた背後の気配にダンデライオンが駆け寄り、掴む。
『どうしました!?』
「レイヴンが! ……レイヴン!」
両耳から聞こえる怒鳴り声に近い呼びかけは耳に届いてなかった。
ただ胸元を掻きむしるように、シャツを強く握り。
硬く目を閉じる。
深く刻まれる眉間のしわと、わななく唇。
震える指先を隠すように白くなるまで強く握り締める。
揺さぶっても反応はない。
「レイヴン!」
荒い呼吸だけが答える。
ダンデライオンが真雪の身体を起こすと。

彼の目は潤んでいた。

苦しげに細められた瞳は違う場所を見つめ、焦点は合わず。
意識を引き戻そうと体を揺さぶっても、力なく動くだけで。
「……泣くなよ」
漏れる声に動きが止まった。
「俺、お前が泣くのが一番嫌いなのに……」
俯く顔が絞り出すように言い、唇を噛む。
「レイヴン!」
この不穏な予感に飲み込まれまいと再度、強く名を呼ぶ。
背にのしかかるように不安が身を襲うのを感じた。
脳裏に浮かぶ一つの可能性。
ダンデライオンは、それを振り払うように。
「しっかりしろ!」
目の前の死神は、違う空気をまとっていた。
不安定で、今にもバランスを崩しそうな。
「親父」
真雪が不安げにダンデライオンを見つめた。
訴えるような強い眼差しとは裏腹に、唇が何度も声を発せられないまま動く。
「美冬は、ここにはいない」
「……何故分かる?」
言葉を選んでいるのか、視線が虚空をさまよった。
再び助けを求める視線が向けられ。
「呼んでんだよ」
「え?」
「呼んでるんだ、美冬が。あいつ泣いてて、俺の名前を呼んでる。
早く、早く行ってやらなきゃ。怖がってんだ。なあ、親父。急ごう。美冬が……」
「落ち着け、レイヴン!」
うわ言のように同じ事を繰り返す真雪の肩を強く掴む。
睨みつける深い青の瞳。
「聞こえたのか、声が」
頷く気配に、ダンデライオンが息を飲んだ。
自分には声はおろか他の音さえも聞こえなかった。
だが、真雪には聞こえたと言う事実。
それは――エニグマの共鳴。
闇の中から這い上がってくる悪寒を隠し。
「俺の中で美冬が叫んでる。ここにいるって」
天井を仰ぐ真雪。
半覚醒の状態で立ち上がる。
月夜に照らされる輪郭。
その横顔は遠くを、けれど一点を見つめていた。
切れた息を飲み込む仕草。
靴音が一つ、大きく聞こえる。


「……助けてって」

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