home > 小説 > > 15-2 兆し

15-2 兆し

耳鳴りが脳裏で響き渡る。
何かの音を聞いた気がして振り返るが、そこにあるのは静寂。
動いているのは自分と床に落ちるロウソクの光だけだった。
『レイヴン』
数分歩いた所でインカムが名を呼ぶ。
ノクティルカの声は何かを考えているのか、どこか上の空に聞こえた。
『先ほど言っていた姿が見えない誰かについてですが、彼はどんな人物で?』
真雪はその問いに、注意深く周囲を見渡していた視線を止める。
数秒の間。
「彼っつーか、ヤツが男だって決まった訳じゃねえけどな」
『それは性別すら分からないという事ですか?』
「ああ。後ろに隠れてたから姿も見てねえし、声だって男か女かハッキリしねえ。
聞き覚えのある声じゃなかったけど」
『手がかりなし、ですね』
自分の足音が幾重にも響き、遠くへ吸い込まれた。
ゆっくりとした足取りで廊下を歩くが、いまだ階段には辿り着いていない。
現在地を知ろうと、真雪の目が教室のドアに付けられたクラスの表示に向けられる。
「美冬が攫われた事と俺がエニグマだって事を知ってるってだけで充分じゃねえか。
それだけで随分と絞られるだろ」
『エニグマだと言ってたんですか?』
声音の色が変わった。
過敏すぎる反応、心なしか言葉に棘を感じる。
「『お急ぎ下さいませ、エニグマ殿。彼岸は思った以上に足がはようございます』とか
ほざいてたな。まるで全部見えているような言い草だった、気分ワリィ」
『なるほど、確かにそれはチャリオットの関係者という線が濃厚ですね』
「ああ。まぁ、ここにいるって時点で……」

前触れもなく真雪が口をつぐんだ。

それまで等間隔で聞こえていた足音も止まり、周囲から一切音が消える。
息を殺した。
『レイヴン?』
呼びかけに答える余裕はない。
真雪は視線をせわしなく動かして状況を把握しようとする。
先ほど聞こえた些細な物音は気のせいではなかったらしい。
自分以外が発した音が聞こえた。
それは何者かが近くに居ることを示している。
『レイヴン、どうしました?』
警戒感を滲ませたノクティルカに沈黙を促す、言葉にならない声を発した。

またヤツか? それとも別の?
真雪は渇いた口の中で唾を飲み込むといぶかしげに片目を細める。
確かに感じる人の気配。
向こうも自分がいる事を察知して様子を窺っているのだろうか。
何も音はせず、探り合う空気だけが漂っていた。
目の前はカーブしていて先が見えない。
壁に背を付けて視線だけを音の発生源へと向ける。
耳につく鼓動。
真雪が足を滑らせて少しずつ移動していく。
まるで間合いを詰めるように。
向こうに人がいるのは明らかだ。
けれど、それが誰かまでは分からない。
神経を研ぎ澄ますが感じるのは――

空気が揺れた。
長く続くと思われた膠着状態が動き出す。
見えたのは黒、残像、銀色の鋭い光。

真雪は唇を動かし、淡い光を放つ指先を気配へと向けた。
銀色が近づくのが早いか。
どうやら相手は武器を持っているようだ。
赤紫色の瞳が敵を視認する。
それと同時にスキルを撃つつもりだったが。
そこに居たのは。

「……手が滑るところだったよ」

投げナイフを指の間に数本挟み、切っ先を真雪へ向けたダンデライオンだった。
「何だ、親父か」
「お互い幸運に感謝しなければね。タイミングが悪ければどうなっていたか」
鋭い眼光がすぐに場違いなほど穏やかな笑顔に変わる。
それを見た真雪は伸ばした腕を引っ込めると、ため息をついた。
つられて浮かぶ笑み。
互いが互いの首元を狙い、腕を伸ばす姿勢が解かれる。
『どうしました?』
「ああ、何か気配があると思ったら親父だったわ。うっかり撃ち殺す所だった」
『それは惜しかったですね』
「この状況で洒落にならない冗談はやめてくれないか」
ダンデライオンがナイフを持っていない右手で髪に手をやり、苦く笑う。
地面に落とした視線は真雪に向けられ。
「無事なようだね、レイヴン」
「無事っつーか、誰もいなくて不気味なくらいだぜ?
こういう所ならイレギュラーの巣窟になってるのが普通だろ」
「うん。確かにここは異常だ」
笑顔が消え、めぐらせる視線。
死んだ空間に窓から溢れる月の光が降り注いでいた。
宙を舞う埃がそれを受けて輝く。
「イレギュラーが全くいないだけでもおかしいのに、ここにはロウソクが灯っている。
明らかに人為的な空間だよ」
「ああ」
「僕らが来るのを予感した誰かが用意をしたようにね。さながら、ここは舞台で」
死臭と花の香りが混じり合う中で紡がれる言葉。
ダンデライオンの表情はいつもと変わらなかったが、纏う空気は殺伐としていた。
常に周囲に注意を払っている様子で。
「僕らは役者なんだ、おそらく」
「誰かの手の上って感じがしてムカつくな。全部脚本どおりっつーかさ」
「確かに気分は良くないね。けれど今はラプターの救出を優先しなければ。
それが例え何者かの筋書き通りだとしても」
「分かってるよ、そんなの」
唇を噛み、顔をしかめる。
軽く頷く動作。
「さて、先に進もうか。そこに階段があるから2階へ向かおう」
後方を一瞥したダンデライオンがその言葉を残してきびすを返した。
彼の顔の先には黒い大きな穴のような階段がある。
どこに繋がっているのかと恐怖感さえ覚えそうな。
靴音と共に背中が遠ざかりかけ、立ち止まった。
動かない真雪を不審に思ったのだろう。
振り返り、首をかしげた。
「どうかしたかい?」
「今、何か言った?」
その顔に浮かぶのは怪訝。
真雪は片耳を抑えるポーズのままで眉間にしわを寄せる。
ダンデライオンは数回、大きく瞬くと周囲を見渡した。
「先に進もうかって」
「いや、その後だよ」
不審な視線同士がぶつかる。
お互いの言葉の意味を考える無言の時間だけが流れた。
違和感が広がっていく。
得体の知れない予感めいた物が周囲に立ち込め、膨らんだ。

不意に。

真雪が目を見開いた。
まるでダンデライオンの背後に何かを見たかのような。
振り返るが、そこに広がるのは闇。
気のせいだと笑う事も、その視線の理由を説明する事もない。
何かが見えている。
「……あ」
短く言葉を発するが、また押し黙った。
眼前の何かから逃れたいのか視界を手で覆う。
目を押さえる仕草。
「レイヴン?」
「な、んだ。これ」
真雪はうわ言のように疑問を口にするばかりで。
ダンデライオンの足音が彼に近づく。
肩を掴んでも反応はなかった。

真雪の視界に、まるでフラッシュのような黒い景色が広がる。
一瞬で消えるそれは錯覚かと思ったが。
どこかでそうでない事を知っていた。
息が上がり、視界がぼやける。
自分が見ているのは生気のない校舎内の景色か、それとも闇か。
幻はどちらかさえも曖昧になる。
「レイヴン!」

『やはり、この姫君は殺した方がいい』
『彼女等は装置の一つ。部品が一つでも欠ければ扉は開きませぬぞ』

耳元で叫ぶ声と何かが重なった。
朦朧とする意識の中。

何かが切れた。

まとう空気が変わるのを感じ、ダンデライオンが眉を潜めた。
インカム越しの声が何を言っているのか判別する事も出来ず、
ただ目の前の死神を見つめる。
「……ぐ!」
俯き加減の顔から吐かれる乱れた呼吸。
肩が大きく上下しているのが見えた。
「レイヴン、意識を保て! 呼吸を整えろ、飲まれるぞ!」
「あ、く……」
「返事をしろ!」
視界の端で真雪の手が震えている。
脳裏に浮かぶ『暴走』の二文字。
嫌な予感を覚え、耳元で呼んでも応答はない。
彼は必死で何かに耐えているように。
「……」
「しっかりするんだ!」

前触れなく、沈黙が訪れた。
苦痛にもがく真雪の動きが止まり、俯いた顔から見える唇が動く。

呼びかけるのも忘れ、直感的に異変を察知しつつも動けずに。
痛いほどの寒気が全身を襲う。
発せられる空気は危うげな殺気をみなぎらせているように感じた。
「……は」
わずかに顔を持ち上げ、睨む金色の瞳。
「ヨイはどこだ」
2人を囲む景色は、先ほどと何一つ変わらないというのに全く違って見える。
敵意をむき出しにした声に問われるが、ダンデライオンに答える事は出来なかった。
「ヨイはどこだって聞いてんだよ」
繰り返される言葉に苛立ちが滲む。

まさか、と真雪の様子を見ながらダンデライオンは心の中で呟く。
能力が不安定な彼は今までも幾度かスキルの暴走を起こしていた。
力を制御する事が出来ず、我を忘れる。
そして、今になって一つの可能性に気付いた。
聞こえない声を聞き、別人のような雰囲気を漂わせる。
彼が口にした『ヨイ』という名前。
――これは暴走ではない。

エニグマなのだと。

「答えろ」
けれど、目覚めさせていけない。
ダンデライオンは真雪を睨み返すと、彼の右手首を掴んで
壁に半ばたたきつけるように押し付けた。
刺激させる事も、臨戦態勢である彼に
攻撃に似た真似をする事も危険であると承知している。
下手をすれば自分に危険が及ぶかもしれない。
これは賭けだ。
「殺すぞ! 邪魔すんじゃ……」
「真雪!」
遮り、名を耳元で呼ぶ。
「起きろ!」
ダンデライオンを見据える真雪の瞳に正気は見えなかった。
歯を食いしばり、今にも噛み付きそうな形相で。
「エニグマを呼ぶな! 意識を保て!」
「はな……っ! 殺すぞ、てめえ!」
目の前にいるのは真雪であって真雪ではない。
同じ顔だというのに全く別の人間のように思えた。
掴む手から逃れる為に、のたうち暴れる姿。
彼がスキルを放つのは時間の問題だろう。

「美冬を助けるのではないのか! 起きろ、真雪!」

その声に動きが止まる。
正しくは一人の少女の名で。
全てが凍りついた。
音も、目に映る全ての物が。
「……あ。お、やじ……?」
「レイヴン」
「何……俺、もしかして」
「ああ、スキルに飲まれかけていたぞ。大丈夫かい?」
息切れの中、真雪は壁に押し付けられたままでダンデライオンの顔を見つめる。
呆気にとられた表情。
数秒の間の後、ようやく理解したのか深く息をついて目を伏せた。
青白い光に全てが塗り替えられ、ここは別世界。
金色に見えた真雪の瞳は赤紫色に戻り、そこには微かな疲労と憂いが宿る。
「こんな時に暴走とか勘弁してくれよ。悪い、怪我とかねえか?」
「僕は大丈夫だけれど……」
ダンデライオンは真雪から手を離すと言葉を飲み込んだ。

今、エニグマの事を言わない方がいいだろう。
全てを納得するには時間が足りない上に、やるべき事は他にある。
それ以前に真雪を刺激するのは何よりも避けた方がいい。
何の拍子にまた同じように『彼』が現れるか分からないからだ。
まるで時限爆弾ではないか。

「けど?」
「いや、何でもないよ。
どうしようか、先に進んでもいいけれど少し休んだ方がいいかな?」
「行こう。今は少しでも早くあいつの所に行きたい」
髪をかき上げながら壁から背中をはがす。
遠くで聞こえる咆哮に似た音は幻聴だろうか、それとも。
スラックスのポケットに手を突っ込んだ真雪の後姿が遠ざかっていくのを見ながら
ダンデライオンは、その場を動けずに。
全身を駆け巡る不安。
このまま何事もなく救出する事が出来れば。
けれど、そんな事は不可能だというのは漠然と分かっている事だった。
「レイヴン」
今にもかき消されそうな声で呼びかける。
数メートル先で振り返る気配を感じた。
外からの光に阻まれ、真雪がどんな顔をしているのかは見えなかった。
いつもは頼りないほど弱々しい月明かりが、今日は射抜くようにまばゆく。
「これから先、どんな事があっても冷静でいるよう心がけてくれ」
鼻腔をつく死臭が焦りを生む。
「君がラプターを助けなければならないのだからね」
「なんだよ、急に」
戸惑い気味の笑いを含んだ声が投げられた。
真雪はダンデライオンの顔を見ると、笑みを顔から消す。
自分に向けられた視線の強さと、深刻さに。
「例え、そこにあるのが死であっても」
「何言って……」

「死神がいたとしても、だ」

再び時は止まり、世界が凍りついた。
見つめ合う2人。
今は先を急がなければいけない。
そうは思っていても、ダンデライオンの言葉が呪縛となり
いつまでも真雪をその場にとどめていた。

新しい記事
古い記事

return to page top