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15. XYZ

天上からの光は、まるで自分達をせせら笑っているかのように。
真雪は月を仰いだ姿勢のままで固まっていた。
『ごきげんよう、僕のかわいい天使諸君。ダンデライオンだ』
耳に装着したインカムから聞こえた声。
動きを止め、耳を傾ける。
『これより作戦を開始する。ミッション【姫君救出】、
クリア条件はラプターを無事救出する事』
目の前にあるのは巨大な墓標のように見える茨に囲まれた城――もとい、廃校。
暗闇の中でそれが月光に照らされ、浮び上がって見えた。
その景色は不気味にも幻想的にも感じる。
『無益な戦闘は避けて……と言いたい所だが、今回は別だ。
遠慮は無用。我々の行く手を阻む者は全て握りつぶせ』
周囲に音はなく、小石を踏みしめる音でさえ響き渡りそうな錯覚。
ため息も誰かに聞こえてしまう気がする。
『では、始めようか。愛しているよ』

午前0時、天野区立岩戸小学校。
チャリオットによって拉致された美冬を救出する為、
真雪は人気のないこの場所に佇んでいた。
おそらく彼女はここにいるのだろう。
耳を澄ましても、目を凝らしても意味がない事は分かっているが
無意識にそうしてしまう自分がいた。
何をするべきかは分かっている。
だが、心の中には言いようのない不安が広がっていた。

『こちらはノクティルカです。
ナビゲートを担当、作戦終了までよろしくお願いします』
入れ替わるように聞こえた冷たさを帯びた声。
心なしか、言葉の端々に殺気が見え隠れする。
『現在まで作戦は予定通りに進行中です。
これよりダンデライオンとレイヴンは廃校に突入してラプターの元へ向かって下さい。
遠回りでも確実な道を、冷静な判断を心がけましょう。
それではご武運を。愛してますよ』
真雪はその言葉に軽く頷いた。
黒い革手袋を強く嵌め直す仕草。
前を睨みつける。
『良い夜だねェ、サーペントだ。
今回は情報収集とノクのサポートに回るとしようか』
神経を研ぎ澄ませると、感じるのはいくつかの気配。
まるで息を潜めて様子を窺っているようにも感じた。
何者かまでは分からないが普通の人間ではないらしい。
『ギムレットには情報を流してある。
どうやらエクスキューショナーの連中は情報に乗ったようだねェ。
向こうはアブソルートとヴァンガードが動いてるらしい。
少し前に天野駅で見たって情報が入ってきてるよ』
わずかに冷気を含む風がジャケットをひるがえす。
耳元で唸り、髪を巻き上げた。
『じゃ、楽しいダンスをね。愛してるよ』
『ウォークライだ』
サーペントの言葉を引き継ぐ、ウォークライの声。
インカムの向こうに聞こえるサイレンは叫び声に似ていた。
耳障りなノイズにわずかに顔をしかめる。
『現在、城の入り口付近で待機中。
周辺の監視と邪魔者のあしらいは任せておけ。
確かにこの辺は人の気配がないが微妙に警察が動いているのが気になるな。
まぁ、大した問題ではないか』
視線を持ち上げると見えるのは夜に溶けかけた校舎。
灯りのともっている部屋はなく、人の気配も感じない。
死角にいるのか、それとも闇が隠しているのか。
『彼女は必ず助けられる……以上。愛しているぞ』
真雪が校舎に向かって歩き出す。
足音が妙に大きく聞こえる。
背中に視線を感じ、目だけを動かした。
「こちら、レイヴン」
インカムを手で押さえながら短く告げる。
自分を取り囲むように存在する木々が葉ずれの音を響かせていた。
全てが黒に覆われたこの世界で。
「現在地、廃校入り口付近。見たところ敵らしきモノはいねえみてーだな。
ギャラリーはいるけど。まぁ、邪魔しなきゃ基本スルーの方向で」
周囲に視線をめぐらせていた真雪の視線が留まる。
数メートル先の駐車場に闇と同じ色をした人影が立っていた。
黒袴に長髪の小柄な少女――ウタカタ。
彼の視線に気付く事なく、ただ校舎を見上げる。
何もない広い空間にたたずむ姿は、どこか非現実的な光景に思えた。
「これから城に突っ込む」
足は昇降口へと向かう。
靴音は鼓動と重なり、身体の内側で大きく響く。
何かを思うように唇を噛む真雪。
一瞬の沈黙。
「絶対にアイツはぶっ殺す。俺はもう決めた」
『レイヴン』
「分かってるよ。美冬を助けるのが最優先ってんだろ?……けどさ」
たしなめる声に強く歯を食いしばる。
拳を握り締め、頭の中の考えを消そうとするかのようにかぶりを大きく振った。

「あんな真似されて黙ってられるかよ」

低く呟く声。
立ち止まった足が再び動き出す。
「どんな手段使っても美冬を助ける。愛してるぞ」
視界に写るウタカタはただ一点を見つめ続けていた。
視線の先は3階部分、教室の一つだろう。
もしかしたらそこに美冬はいるのかもしれない。
けれど彼女がずっと見つめている意味は?
あまり考えたくない事だった。
「死兆星」
ウタカタと並んだ真雪が立ち止まり、名を呼ぶ。
二人の間を通り抜けるのは死臭混じりの空気。
お互い顔を見合わせる事なく、正面を向いたままで。
「お前、あいつ連れて行くんじゃねえぞ」
吐き捨てるように言うと、真雪の後姿は校舎の中へと吸い込まれる。
それはまるで異界への扉。
ウタカタは依然として仰いだままの姿勢で微動だにせず。
唇を動かすものの、それは声になる事はなかった。
青白い光で満たされた世界と、静止した景色。
音もなく。
その中で、一つの影だけが蠢いていた。

自分の背で大きく響く、重いドアの閉まる音。
もう引き返せないと心の中で呟く。
そんな気はないというのに。
息を潜めて周囲を窺うように視線をめぐらせた所で、動きが止まる。
見つめるのは正面。
目を見張っていたが、すぐに表情に嫌悪が滲んだ。
「ふざけてやがる」
歯軋りの隙間から発せられた声。

そこにあったのは、ただの暗闇ではなく。
緩やかなカーブを描く廊下に等間隔に並ぶロウソクの火。
肌に感じない程の微風に光が揺らめく。

「行き先はこちらってか? どこまで人をバカにすりゃ気が済むんだ」
軽い舌打ちと共に真雪が呟く。
まるで道標のように並ぶ無数のロウソク。
窓から差し込む月の光と日差し似た色のロウソクの灯りが、周囲を非現実に塗り替えていく。
『どうしました?』
「バカにしてるぜ。校舎に入ったら、すぐに道案内が用意されてんだけど」
『どういう事ですか?』
耳元でノクティルカが戸惑い気味に問うた。
こみ上げる苛立ちを押し殺して唇を噛む。
「廊下にロウソクがずっと並んでんだ。まるで姫君はこっちだって言ってるみたいに」
灯りがなく、暗いと思われた屋内は予想以上に明るかった。
足元に並ぶ小さなロウソクは張り詰めた空気など知らない様子で踊るように。
鼻につくのは陰鬱な死臭と、まとわりつくような花の甘い香り。
「死臭と花の匂いがすげえな。匂いを辿ってチャリオットの所まで行こうと思ったけど、
これじゃ鼻がバカになって分からなくなっちまいそうだ」
『なるほど。ちなみに何か気配は感じますか?』
「いない、と」
言いかけて止まる。
臭気に顔をしかめながら口元を隠す仕草。
神経を研ぎ澄まそうとしているかのように目を閉じた。
声は消え失せ、静寂が漂う。
「いや、いるな」
目を開くと素早く視線を左右に動かした。
「遠巻きに見てる奴等を除いて、ずーっと俺の事を見張ってる野郎がいやがる」
『姿は見えないんですね?』
「ああ。しかも、俺の気のせいじゃなければ一度会ってるはずだ」
思い出すのは死臭と読経の声。
チャリオットの葬儀での背後からの射抜くような視線に酷似していた。
「このいやらしい視線は覚えがある……なあ、『ナナシ』さんよ?」
何処かへ向かって声を投げるが反応はない。
真雪は苦笑すると一歩踏み出した。
それにあわせて小さな炎が、その身をくねらせる。
床に光の影が舞った。
「わりィけど、お前に構ってる暇はねえんだよ」
靴音が幾重にも響く。
「とりあえず進むわ」
『了解です。お気をつけて』

不気味な静寂で耳鳴りすら覚える。
こんなにも音のない空間が存在するのだろうかと。
歩いても同じ景色が続き、この廊下は無限に続いているのではないかと疑いたくなる。
真雪は息を殺し、どこかにあるであろう階段を目指した。
数十分前に見た校内地図では昇降口の反対側に階段があるはずだが。
けれど、弧を描く廊下は終わりを告げようとしない。
「なあ」
不意に、真雪が足を止めた。
一つだと思われた靴音は二つであったらしい。
忍び足で自分の後方を歩く足音もまた、彼と共に静止する。
「何のつもりだよ。さっきからコソコソ後つけやがって。
今気ィ立ってるから、あんまりしつけーと殺すぞ?」
視線だけを後方へと投げる。
目を細めるように睨むが、そこに広がるのは閑散とした景色。
けれど、確信はあった。
見えなくても絶対に何者かが潜んでいると。
「帰れ。ついて来たって面白いモンなんざ何にもねえよ」
感じる気配は一つ。
おそらく斜め後ろにある教室のドアの陰に隠れているのだろう――真雪は
警戒の中で心中、呟いた。
校舎内を漂う死臭の中で微かに別の匂いを感じる。
今までスラックスのポケットに突っ込んでいた右手を出した。
「それとも何だ? 俺の邪魔しようとしてる?」
注意を周囲に張り巡らせ、右手に精神を集中した。
殺気は感じない。
けれど相手がどういうつもりか分からない以上、無視して進むわけにもいかず。
だからと言って、こちらから確かめるような真似をするのは危険すぎる。

「そう警戒なされますな」

笑みを含んだ声が聞こえた。
真雪の眉間に皺が深く刻まれる。
目を凝らすが、この位置からは見える物は何もない。
距離にして後方数メートル。
男にも女にも聞こえるアルトの声音からは、相手が何者か知る事は出来なかった。
「道行の邪魔をしました事、お詫び申し上げます。どうぞ私に構わず先をお急ぎくださいませ」
「誰だ、お前」
「名乗る名を持たぬ者でございます」
窓から差し込む光が銀色の帯のように伸びる。
止まる景色。
尋ねる声に隠しきれない怒気が滲む。
まるで真雪の様子を楽しんでいる風の声は笑いをこらえていた。
「もう一度聞くぞ。俺の後をついて回って何のつもりだよ?」
「この城に人がいるのは珍しく、興味がございまして」
「一度会ってるよな。前もこうやってジロジロ見てただろ」
「さあて。人違いでは?」
些細な動作にもロウソクの火が反応し、揺れる。
いつでも相手の動きに反応できるように、足の位置を少しづつ動かすが。
「聞こえませんでしたか、『私に構いますな』と」
どうやら相手からは見えているらしく、わずかに強い調子の言葉が投げられた。
真雪は唇を噛んだままで微動だにしない。
ただ、右手だけはスキルが詠唱できる状態で。
「あのな、お前……」
「よろしいのです?」
声を遮断する言葉。
意味が分からずに口をつぐんだ。
顔も見えないこの状態で相手の動きや感情を読むことは出来ない。
唯一の手がかりは声。
だが、その声でさえ笑みを浮かべて隠すように。
「こんな所で油を売っていては貴方様の姫君に危険が及ぶやもしれませぬぞ?」
「な……っ!」
「死人に食われ、彼岸にさらわれ……かなしゅうございますなぁ」
愕然とした真雪は目を見開いたまま、口を数度動かした。
金縛りにあったように動かない身体。
口を動かしても言葉は発せられず。
自分の内側で何かが沸き立つように、何かが暴れ狂う。
「てめえ、どういう意味だ!!」
『レイヴン、どうしました? レイヴン!?』
開いた教室への扉を振り返り、怒鳴った。
インカムの向こうで名を呼ぶノクティルカの声は耳には届かない。
真雪が声の方向へと駆けようとした瞬間、見えた。
白いベール――まるで天使のような。

「お急ぎ下さいませ、エニグマ殿。彼岸は思った以上に足がはようございます」

ベールがひるがえり、黒い残像の断片が幻のように写る。
一瞬の事だった。
真雪がきびすを返し、まるですがるようにドアを掴んだ時には声の主の姿はどこにもなく。
目の前に広がるのはがらんどうの部屋。
今までの会話はまるで夢であったのかと思ってしまう。
たった数秒のうちに姿を消した何者か。
自分をせせら笑う反応、何もかも知り尽くしたような口調。
『大丈夫ですか!?』
真雪は何もない部屋を睨んだままで壁を殴った。
噛み切りそうなほど唇を強く噛み、怒りで荒くなった呼吸を整えようとする。

幻ではない。
声の主はここにいて、確かに自分を見ていた。
そして相手は自分の事を知っている。
いや、それだけではない。
美冬の事も、何故自分がここにいるのかも。
真雪は心の中を整理しようとするが思考は苛立ちにかき乱される。
考えれば考えるほど平静は失われ、焦りばかりが生まれた。
自分がどこにいるのかも忘れそうなほどに。

『レイヴン!』
ノクティルカの何度目かの怒鳴り声で我に返る。
「……は」
肩で息をしながら、ドアにかけた手を額に当てた。
指の隙間から見える景色は死んだように眠る部屋。
再び、言葉を忘れそうな沈黙が漂う。
『大丈夫ですか?』
「ん、ああ」
『どうしました? 何があったんですか?』
その問いに真雪はもたれかかった身体を起こすと深く息をついた。
周囲を見渡して髪をかき上げる。
自分を囲むのは闇と、重く立ち込める嗅ぎなれた死の匂い。
「俺達の他に誰かいる」
『何ですって?』
「姿は見てない。知らねえ声で、ニヤニヤしながらムカつく事だけ言って消えやがった」
真雪の瞳に怒気がはらむ
「ヤツは俺を知ってる。俺の事だけじゃねえ、美冬の事も」
『まさか』
「ああ。チャリオットの関係者だろう、おそらく」
ため息混じりの声。
俯き加減で乱暴に頭を掻くと、手袋をきつく嵌める仕草で止まった。
「どっちにしろ時間はねえ。急ぐぞ」
『了解です』
「美冬が待ってる」
『ええ』
身を翻し、足早に歩く。
進むたびに香りは一層強くなり頭痛を誘った。
いつもなら夢心地にさせるような花の芳香が今日ばかりはまるで毒のように。
伏せた目が持ち上がり、前を見据える。

「俺の相棒に手ェ出したらどうなるか分かってんだろうな」

呟く声に宿る殺気。
遠くへ消えていく靴音は、まるで時を刻む秒針のようにフロア全体に響いていた。

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