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14-2 He said...

まるで色が変わったようだ。
目の前の男が滲ませていた狂気は影を潜め、今あるのは『チャリオットという名の何か』
「誰?」
美冬は彼に視線をこびりつかせたままで後ろに手をついた。
それは後ずさろうとしているようにも見えたが、小さな動作で真紅の手袋をはめている。
悟られないように息を殺して。
静止した世界で聞こえるのは自分の鼓動、耳鳴りを誘う沈黙。
そして、目の前の男の荒い呼吸。
「分かってる事を聞くな」
「あんたなんて知らないわ」
「俺は俺だ。チャリオットだよ」
「嘘」
警戒心を全身からみなぎらせる美冬がはき捨てるように言う。
素早く瞳は動き、些細な動作も見逃さないように注意深く観察した。

確かに目の前の男はチャリオットだ。
けれど彼とは別人であり、今まで発していた危うさは微塵もない。
一体何が起こったというのか。
美冬は攻撃する事も逃げる事も忘れていた。
今、自分が何をすべきかを考える一方で消えていく思考。
ただ胸騒ぎばかりが自分を支配する。

「なんと言えばいいか」
チャリオットは口を手で押さえたままで視線を横に投げる。
空いた手で頭を掻くと、軽く息をついた。
「二重人格なの?」
「そうなら気が楽なんだが」
美冬が恐々と投げた問いに軽く首を振ると苦く笑うように口元を歪める。
地面に座り込む美冬と、膝をつき彼女を見つめるチャリオット。
何も動かない室内で彼らのシルエットも静止する。
「残念ながらアレもコレも俺である事に変わりはない。
内側で暴れるのを抑えられなくなるんだ」
「暴れる?」
「生きる為に必要なエネルギーが足りなくてな」
ため息ですら聞こえる静かな室内。
美冬は言葉の意味が分からずに、わずかに眉間にしわを寄せた。
「人間が飯を食うように、死人は魂を食わなければ生きられない。
動くにはエネルギーが必要だろう? それを欲して、あんな風にトチ狂う」
言葉の端々に血の匂いを含んだ咳が混じる。
苦痛で歪む顔。
「人を食らい、何かの拍子に我に返っては罪悪感で吐く……それの繰り返しだ。
また人を殺してしまったと悔やみながら、もう何人殺すのも同じだとも思う」
美冬はわずかに目を見開いて息を飲んだ。
聞いた言葉を口の中で繰り返す。
何かを考えるように視線はせわしなく動き、無言のまま。
「狂った時の記憶も感触もあるからな。
いっそ自我を失うほどに狂えたらどんなに楽だろうと」
「……あんたが」
チャリオットの疲労が滲んだ瞳を向けられ、見つめあった。
そらす事なく強い視線で問いただす。
押し殺した声に感情はない。
「あんたが突然死の原因なの?」
「突然死?」
「花持って、変なコト言って何人も死んでるじゃない。あれは皆、あんたがしてる事?」
今見ている景色に動く物はなく、全てに命がないように感じる。
無言の時間だけが流れていた。
チャリオットは強い語調の問いに答える事なく、俯くと小さく笑う。
持ち上がると再び向けられる視線。
「レイヴンそっくりだ」
そう言うと視線を窓の外へと向けた。
蒼白の顔に生気の幻が見える。
美冬はチャリオットの横顔を見つめたまま固まったように動かなかった。

「ある所に1羽の小鳥がいました。小鳥に恋をした狼は
その想いの深さを伝えようと、毎日花を摘みます」
怪訝な瞳に気づき、微かに笑いながら言葉を紡ぐ。
「彼女の為に、そして自分が生きる為に」
わずかに上がる口角。
「狼は来る日も花を摘み続け、小鳥の幸せを願いました」
殺風景な部屋にチャリオットの声だけが響いていた。
唇を噛んだまま聞いていた美冬が見上げる。
「小鳥って誰?」
「さあ?」
「これは、あんたが突然死の原因だって言いたいワケ?」
「どうだろうな」
肩をすくめるように言う言葉に美冬が鋭い視線を向けた。
唇を噛み、睨む。
握られた拳が床を叩いた。
「とぼけないでよ! ちゃんと答えて!」
「とぼけているつもりはない」
「嘘! あんたは……!」
不意に。
チャリオットは自分の背から大型の軍用ナイフを取り出すと、2人の間に置いた。
床を殴るような音。
その動作に反応した美冬は、咄嗟に武器を取り出そうとするが。
「さあ、寝言はここまでだ」
チャリオットの声に阻まれた。
「頼みがある」
その瞳の奥には覚悟に似た何か。

「俺を殺せ」

空白。
口を開きかけた美冬の思考を遮る声。
一瞬、その言葉の意味が分からなくなる。
短く発されられた有無を言わさない強い口調に
ただ、見つめるしか出来なかった。
戸惑ったようにナイフとチャリオットを見比べる美冬は薄く口を開いたままで微動だにしない。
「時間がない。頼む、美冬」
鞘からナイフを抜き取る音に辺りが張り詰めていく。
チャリオットは美冬にナイフを握らせると自分の首元に刃を突きつけさせた。
自分の手ではない感覚。
日差しに暖められた空気の中で、チャリオットの体温だけが氷のように冷たく。
「俺が人であるうちに」
首元に、ナイフを当てるポーズの美冬。
穏やかに発せられる声に呆然と首を振った。
「……出来ない」
「人の姿で、人の言葉を話すモノは殺せないか?」
「違う、あたしは何でも殺せる。害を与える可能性のあるモノなら何だって殺せるわ」
「俺は害を与えるイレギュラー……いや、それ以下。ただの亡者に成り果てた」
斬ろうと強く押し付けるチャリオットの力に抗う。
目の前の男は自分に、そして他の人間にも危害を与えていた。
突然死の原因は彼なのかもしれない。
けれど、ためらう。
力の均衡の中で、美冬はもう一度かぶりを振った。
「でも」
「何故殺せない?」
見下ろす強い眼差しと苦しげに見上げる視線。
何度か唇が動き、迷った素振りを見せた。

「真雪の友達だから」

一瞬動きが止まる。
その言葉に目の前の顔は、驚きから次第に笑みを広げた。
わずかに困った色が浮かぶ。
「あんたは友達だから、死んだら真雪が悲しむよ」
「こうして生きている方が悲しむだろう」
「でも、あたしは彼の辛い顔は見たくないの。だからそんなコト出来ない」
切なげに瞳を細める姿にチャリオットは苦笑した。
「他の奴等が何人も死んでもか?」
その言葉に唇を噛む。
「レイヴンの為なら、多くの人間を犠牲に出来るのか?」
自分達以外の物が全て色を失ったような錯覚。
時は止まり音は消える。
美冬は何か言いたげに唇を数度動かすが、それは言葉とならず。
ただ、すがるように視線を返すのみ。
「終わりにしたいんだ、もう。これ以上罪を重ねたくはない」
「でも」
「分かっているだろう? それしか道は残っていないんだよ」
言い聞かせるような響きの言葉。
ナイフが首筋に触れ、そこが赤く細い線になっていた。
埃っぽい空気の中で視線を合わせる。
「死ぬべき人間が生き、生きるべき人間が死ぬ――こんな事が許されては……」

言葉は続かなかった。

何故か聞こえた鼓動。
目の前の男は死んでいる。
鼓動など聞こえるはずもない。
けれど美冬は聞いた、脈打つ音を。

チャリオットは肩で息をしたままで静止していた。
突然訪れた変化に美冬は戸惑い、ただ見つめるしかない。
無理矢理ナイフを握らせる彼の手が不自然なほど震えているのを感じて胸騒ぎを覚える。
「……ろ」
俯き、歯を食いしばったままで発せられた言葉は聞き取れなかった。
周囲の空気が変化していくのが分かる。
目の前の男は、まるで何かに耐えていた。
「え?」
聞き返した、その時。
チャリオットが美冬の手を振り払う。
何が起こったか分からず、呆然とした。
目を剥いたままで見つめる。
視界の隅で、振り払った拍子に弾かれたナイフが地面を滑っていくのが見えた。
開けっ放しの引き戸を越え、廊下に転がる。
壁にぶつかる金属音だけが大きく響いた。
「な」
「避けろ」
「え!? 何……」
「いいから避けろ!」

刹那。

わずかな沈黙の後、耳元で風が唸る。
美冬は強く掴まれたと思うと同時に壁に叩きつけられ。
背中に、全身に衝撃が走った。
何が起こったか把握できず、混乱のままで懸命に自分を掴む力から逃れようとする。
「ん、ぐぁ!」
「……捕まえたぞ」
歯軋りの隙間から漏れる、憑かれた笑い。
こみ上げるそれを抑えきれない様子のチャリオットは美冬を壁に押し付けたままで
顔を覗き込んだ。
飢えと殺気の入り混じる目に悪寒が走る。
死臭で意識が遠のきかけて美冬は咄嗟に数度頭を振った。
「言ったはずだ、避けろと」
話す度に血の匂いのする息が肌に触れて嫌悪を顔に広げる。
今までの平穏は奪われ、室内は一気に張り詰めていった。
立ち上る狂気に戦慄する。
笑う、目の前の顔。
これこそが美冬の知るチャリオットだった。
おそらく『今までの彼』は、こうなる事を感じてナイフを遠くへ投げ
避けろといったのだろう。
「なるほど、これがトチ狂ったって状態ね」
平静を装いながら美冬が呟いた。
頭痛と鼓動が同調し、周囲の音を掻き消していくように。
「狂ってる? それは俺だけじゃない。お前もだろう」
美冬の手首を掴んで壁に押し付ける。
額をあわせるような顔の距離、密着させようとする身体。
「世界が狂っているのに正常な奴などいるものか。
みんな狂ってるのだ。俺も、お前も、世界も、全てが」
目を細め、歌うように言った。
細い手首を潰そうと強く握るチャリオットの手。

美冬は前を見据えたまま空いた手をジャケットのポケットに突っ込んでいた。
片手の自由を奪われている以上、武器を出すことも出来ず
また、この状況で交戦するのは得策ではない。
なら自分はどうするべきか?
答えは左手につかんだ物――携帯電話。
どうにか自分の状況を伝えなければ。

「チャリオット」
美冬はこみ上げる吐き気を飲み込むと眉間にしわを寄せた。
手を振りほどこうと身体をねじりながら、左手を影に隠す。
チャリオットに悟られないように慎重な動作で携帯電話を取り出し。
「あんたの目的は? 生き返った理由は何?」
「さっきも言ったはずだ」
「小鳥?」
「ああ」
視界の端に今にも泣きそうな雲の海が見えた。
それとも、もう降り出しているのだろうか。
二人の位置からは見えないが風だと思っていた物は雨なのかもしれない。
「恋だよ」
窓を叩く音。
「恋が俺を狂わせた」
言葉を頭の中で何度も繰り返すが意味を捉える事が出来ずに。
チャリオットの開いた手が美冬の腰に触れる。
服越しだというのに冷たさを感じて身体を縮ませ、間近の顔を睨みつけた。
「触らないで。放してよ」
抵抗しようにも片手は掴まれ、もう一方は携帯電話を持っている。
全身を駆け巡るのは嫌悪か、恐怖か。
美冬は顔をそむけようとしながらもチャリオットを見据えたままで。
「そんな顔をされると食いたくなる」
「放して」
息のつまる沈黙に叫び、もがき暴れたくなる衝動。
奥歯が震えで鳴りそうになるのを必死で堪えた。
そんな様子を楽しむようなチャリオット。
手が美冬の身体のラインをなぞるようにゆっくりと撫でていき
胸の丸みに触れる地点で止まる。
聞こえるのは喉を鳴らすような小さな笑い。
「お前の半身を呼ぶのだ、エニグマ」
「触んないでって言ってる!」
「呼び、共鳴するんだ。見せてみろ、エニグマである証拠を」
「触るなっつってんだよ、バケモノ!」
美冬は身体をよじるように暴れ、手を振りほどこうとするが微動だにせず。
唇を噛んだままで嫌悪感をあらわにした。
動けば動くほど手首に痛みが走る。
けれど、抵抗しないわけにはいかない。
「口だけは威勢がいいな」
「ふざけんな! 放せ!」
チャリオットの手のひらが美冬の胸に触れたまま弧を描くように動く。
指先の些細な動きですら寒気が身体を支配する。
噛み付く勢いで吐く言葉はチャリオットに聞こえていないらしい。
彼は美冬の顔を見つめたままで目を細めていた。

「ハーメルンの街に一人の笛吹き男がやってきた」

耳を疑った。
思わず動きを止め、息を飲む。
「ネズミの被害に悩む人々に彼はいう『残らずネズミを退治しましょう』」
忘れる訳がない。
チャリオットが口にしているのは、美冬が目の当たりにした突然死の現場で聞いた言葉。
歌うような声が静寂を壊していく。
どんな言葉よりも明確な証拠。
美冬は死臭でもうろうとする中で意識を保とうとしていた。
「お前、お前やっぱり!」
「……さすがだな。唱えただけではどうという事はないか」
夜の公園で対峙した時、そして今。
死臭の中で嗅いだ微塵の違和感はプルメリアの香りだった。
美冬は数度、何かを言いかけて唇を動かす。
視線は虚空とチャリオットの間をさまよっていた。
まるで混乱の中で思考を巡らせているかのように。
「お前が突然死の原因か!」
「だったらどうする? 殺すか?」
肩を揺らして笑うチャリオット。
もはや答えなど必要ない。
全ては状況が物語っていた。

美冬は携帯電話を注意深く開くと指の腹でボタンを探る。
窓の外を一瞥しながら考える、必死に。
なんとしても連絡を取らなければならない。
せめて、この場所――いや、自分がチャリオットと一緒にいる事だけでも。
霞んで見える都庁の大きさからいって、ここは天野区。
この視界の高さは、それなりに高い建物だろうか。
しかも室内の様子からすると学校のように見える。
最後に電話をかけたのは誰だっただろう?
真雪、いや比良坂事務所か。
なら――

美冬が息を殺して携帯電話のボタンを押す。
何のボタンであるかなど分かるはずもなく、祈るように。
話すことは無理だろう。
交わされる会話から相手が何か察知してくれれば。

この部屋に立ち込める静寂は敵だった。
相手を呼び出す微かなコール音でさえ響き渡る。

「何をしている? 姫君」
その言葉と共に美冬の左手首を掴み、壁に叩きつけるように。
美冬の両手の自由はチャリオットが握っている。
壁に押し付けられたままで悔しげに唇を噛むと睨み上げた。
地面に落ちる無機質な音。
目の前の死人の足元に転がった携帯電話の通話は既に切れている。
「助けを乞う気だったか? それは賢明な判断だ」
不意に土砂降りの雨音が耳に飛び込んできた。
その音は重苦しい沈黙を更に濃くしていく。
暗い室内。
外の外灯からのわずかな光に照らし出される顔は飢えた笑みを浮かべていた。
美冬は自分を覆う体躯から逃れようとするも。
ただ睨む以外、成す術はないと知る。
「だが、電話など使わなくても伝わるだろう?」
まるで子供に言い聞かせる口調。
逆なでされ、身体の内側で怒りが熱をはらむ。
蹴り上げたくても身体を押し付けられ、自由が利かない状態で。

突然、足音から聞こえてきた場違いなほど軽快な旋律。

どちらからともなく顔を見合わせた。
埃と湿気、そして死臭の充満する空気の中で。
美冬はわずかに顎を引いて携帯電話を一瞥したが
この位置からでは発信者が誰かは確認する事が出来ない。
だが、何故か確信はあった。
電話をかけてきたのは真雪だ、おそらく。
「相手は騎士殿か」
チャリオットは低く呟くと掴んでいた右手を美冬の首に移動させた。
わずかに力を込める指。
息苦しさで顔を歪ませる美冬を凝視しながら足音の携帯電話を拾い上げる。
「は……っ」
死臭と苦しさで力が入らず、自分の首を絞める手をほどこうにも掴むことしか出来ない。
脳裏をかすめるのは想像したくない可能性。
「は、なせ……!」
その言葉は声になっていたのだろうか。
体を襲う恐怖感を懸命に振り払おうとしながら両手でチャリオットの手から逃れようとする。
目の前にあるのは、携帯電話を耳に当てる死人の姿。
けれど、こめられ続ける力に視界がぼやけかけた。

「いい夜だな、死神」
どこからか入り込んだらしい温度を感じない風が肌を撫でる。
灯りのない闇の中でチャリオットが笑うのが見えた。
何もないこの部屋は、まるで誰かの心象風景のようだ。
「忘れたのか、俺を」

内側にあるのは恐怖心、怒り、得体の知れない不安。
美冬は背に冷たく固い壁の感触を感じながら、唇を噛んで睨み続けていた。


「一向に姿を見せない美冬、彼女の電話に出る死人。さて、ここから考えられる可能性は?」

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