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12. 夢を見る才能

真雪がソファベッドに寝転ぶと視界に広がるのは白い天井。
何もないはずなのに、つい見つめてしまう。
どこか憂いを漂わせた瞳がゆっくりと瞬いた。
「よっこいしょーいち」
空気が動く気配と共に自分を影が覆う。
視線を動かすと、美冬が薄手の羽毛布団をめくってベッドに入ろうとしていた。
「何やってんだよ。やめろって」
「おお、押すな押すな」
ため息混じりの制止が聞こえないのか、身体をぶつけながら割り込んでくる。
気がつけば真雪の身体に密着させる格好で、隣に寄り添って寝る美冬。
その顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「ったく、遊びじゃねえんだぞ。こっちはこれから仕事なんだっつーの」
疲れた表情を浮かべる。
夜の時刻、世界を支配していのは沈黙だった。
気味が悪いほど静かで思わず息を潜めたくなる。
全てのものが眠りについているのだろうか。
「前の死亡宣告の時、泣いてたクセに何で今回も一緒にいるんだよ」
「だーってぇ」
「だってじゃねえ。辛いなら無理して付き合ってくれなくていいから」

抱きつくような形で寝転ぶ美冬は拗ねたような瞳を向けていた。
彼女の心遣いは分からない訳ではない。
死亡宣告の度に落ち込み、副作用のような反動に
悩まされる自分を心配しているのだ、おそらく。
彼女が一緒だと確かに気持ちの面で負担が少ない事は確かだが
真雪は出来るだけ、死神の仕事と彼女を関わらせたくなかった。
それは美冬自身も辛い事をよく知っていたから。

「あたし、死神の仕事は手伝えないけどさ」
手が真雪の腕を掴み、強引に横を向かせる。
向かい合う形。
顔が近づいたと思うと額同士が触れた。
「こうしてれば少しは真雪の痛みをもらえるかもしれないでしょ」
間近で微笑む。
真雪は一瞬動きを止めた後、大げさに息をついて眉を寄せた。
けれど、その表情はどこか照れている風にも見える。
「……バカか」
「やだ、もしかして照れてる?」
「照れてねえよ。顔近づけてるとキスすんぞ」
「返り討ちだ。そんな事したら噛み付いてやるんだから」
同時に吹き出すように声なく笑った。
顔に広げた笑みは波が引くように消えていき、言葉もなく見つめ合う。
口の端を上げたまま。
この部屋の空気に重苦しさはなく、どこか穏やかだった。
「じゃ、ちょっと行ってくるわ」
「うん。気をつけてね」
真雪は目を閉じた。
今日は不思議と、死亡宣告前に感じる憂鬱さはなく。
瞼の裏に広がる闇は優しかった。

漆黒の中で体温を感じる。
美冬が手を握っているのだろうか?
身体中の自由がなくなり、まるで浮遊するような感覚に襲われる。
けれど、その一方で深いどこかへ沈んでいくような。
現実と夢の境界が曖昧になっていく。
何かに誘われるように意識が遠ざかる。
そして――


「……うわ」
目を開けた時、真雪は小高い丘に立っていた。
魅入られたように眼前に広がる景色を見つめたままで呆然と呟く。
ここは夢だ。
今回の死亡宣告のターゲット、尾上祐一の夢の中。
これから自分がしなければいけない仕事を考えると憂鬱であるはずなのに
この景色を眺めていると自然と心が躍った。

まるで見えない何者かが駆けているように風が通り過ぎる。
それと共に聞こえるのは草の揺れる音。
見れば丘を埋め尽くす草は波を思わせ
眩しさに空を仰ぐと、頭上には目にしみるほどの青空が広がっていた。
遠く霞んで見えるのは都庁だろうか?
丘の下にはミニチュアのようなビルの群れが見える。
「ここは東京、か?」
緑と青のコントラスト、わずかに草と水の香りを含む丸みを帯びた風。
真雪は桜と思しき大樹を背に目を閉じた。
聴覚が鋭くなっているのか、周囲のざわめきが鮮明に聞こえる。

無意識のうちに歌っていた。
初めは唇だけが歌を口ずさんでいたがそれは次第に音となり。
声は風にかき消され、空に吸い込まれていく。
ゆっくりとした伸びやかな旋律を紡ぐ横顔は嬉しそうだった。
歌声は囁くようなもので大きくはなかったが、まるで丘に響くように。

不意に。
真雪は自分の背後のあたりに気配を感じて動きを止めた。
振り向くとそこにいたのは20代前半の青年。
細身のパターンのシャツにジーンズ、キャスケットを被った彼の顔には
人懐っこい笑顔が浮かんでいる。
事前に知らされていたターゲットの年齢は23歳だったはずだ。
おそらく彼が尾上祐一だろう。
「うまいねー。音楽やってんの?」
草をかきわける音と共に近づいてくる。
真雪は気恥ずかしさを隠すように表情を引き締めて会釈をした。
彼と向かい合うように、身体を向ける。
「尾上祐一様でいらっしゃいますね」
「そう、だけど……あんたは?」
表情と声に怪訝が混じる。
真雪を観察する遠慮のない視線。
「失礼しました。私は本日、貴方様の死亡日の件で伺いました死神でございます」
「死神ィ?」
「はい」
真雪の顔から感情は消えうせていた。
ゆっくりと瞬きながら目の前で呆気に取られた祐一を見つめる。
この景色の中で死神は異質だった。
生気溢れる色に囲まれた中にたたずむ、ただ一つの死の色。
「尾上祐一様、貴方様は去る5月2日に死亡が予定されておりましたが
何らかの手違いにより死亡日を過ぎました現在も生存が確認されております。
つきましては5月17日、20時23分に死亡処理をさせて頂きます事をお知らせいたします」
唇が事務的に死を宣告する。
そこに感情はなく、まるで機械のように。
「当日は確認に伺いますのでご了承下さい」
祐一に言葉は届いているのだろうか。
彼は呆気に取られた様子で見つめてくる。
動揺している素振りもなく、ただ呆然と。
真雪はひそかにため息をついた。
また取り乱し、絶望する人間を見る事になるだろうと。
しかし、祐一は笑っていた。

腹を抱えるようにして前かがみになって肩を揺らしている。
にわかに強く吹いた一陣の風の中、彼は堪えきれずに笑っていた。
「そりゃすっげーな。どんだけだ、俺!」
笑いの中で吐かれた言葉。
真雪は戸惑いを隠せず、眉間にしわを寄せる。
今まで泣く者、怒る者など様々な人間を見てきたが
死を宣告されて笑う者は皆無だ。
自暴自棄になっている風でもなく、彼は偽りなく笑っているように見えた。
「俺、マジで死ぬの?」
「はい」
「で、本当は先週死んでるハズだったって?」
「左様でございます」
一帯に笑い声が響く。
音がないこの場所では、どんな小さな音でも不気味なほどに大きく聞こえた。
「ああ、ごめん。死ぬって言われて爆笑するとかありえないよな」
祐一は笑いを引っ込めると、軽く息をつく。
真雪の顔には怪訝な色が浮かんでいたのだろう。
肩をすくめて見せた。
「いやー、俺さ。音楽やってて、よく五条の駅前で歌ってたりするんだよ」
強い視線から逃れたいのか、辺りを落ち着きなく歩き回る。
「そんで先々月あたりに声掛けられて、デビューとCD出す事が決まってね。
もう超嬉しくて死んでもいいって思ったんだ。ずっと夢だったから」
「……」
「そしたらコレだよ」
目を伏せて、苦笑する顔。
伸びをするように身体をそらした姿勢のままで空を仰いだ。
「あんたが来て、えーと……17日に死ぬって? ほとんど笑い話じゃん!
もー運がいいんだか悪いんだか分からねーな! 死んでもいいって本当に死ぬか、フツー」
視線が動き、真雪を見つめる祐一。
その視線の先に何かを見つけたのか片眉を上げる。
「何? 俺、変なコト言った?」
真雪はその言葉に我に返った。
無表情を貫いていたつもりだったが、戸惑いが相手に伝わっていたらしい。
前で手を組み、直立不動の姿勢を保ったままで祐一を見つめる。
「いえ、失礼しました。貴方は他の方とは違う気がしまして、不思議に思っておりました」
「違うって?」
「大抵の方は死を宣告された場合、泣いたり絶望される方がほとんどなのですが
貴方はどれとも違います。かと言って、死を望まれているようにも見えませんので」
「あー、なるほど。そっかそっか」
祐一は身体を起こすと苦笑を浮かべた。
首を傾げ、宙を睨むような仕草をすると。
「俺、よく緊張感ないって言われんだよね。それにホラ、実感沸いてないし」
「なるほど」
「なんつーの? マジだって思えないって言うか、変な夢みてる感じだもんね。
これで目が覚めたら『変なの』って思いながらバイト行って、メシ食ってって」
急に祐一の顔から笑顔が消えた。
何かを考えているのか。
真雪が黙ったまま、遠くを見つめるように彼を眺める。
「……でもまぁ、何で俺なのかなーとは思うけど。だって俺なんて超生きる気マンマンよ?
俺より死にたがってる奴だって、死んだ方がいい奴だって腐る程いるじゃんか」
まるでこの場所は草の海だ。
どこかで生まれた風が遊びながら、すり抜けていく。
遠くで聞こえる鳥のさえずりに耳を澄ませた。
「俺、このまま生きられたら毎日すっげー感謝して頑張るんだけどな。
一生懸命歌作って、もーボランティアとかもやっちゃうんだから」
唸り声と共に伸びをして、天上へ掲げた拳を下ろす。

祐一は何かに思いをめぐらせているかのように遠くに視線を投げていた。
漂っているのは悲壮感ではないものの、どことなく沈んだ色が見え隠れする。
「なんでだろ。こんなの嘘に決まってるとか、ありえねーって思ってんのに
微妙にヘコんでる」
無理して笑おうとしているのか口の端を歪ませた。
そして数秒の間の後、真雪に顔を向けると満面の笑み。

「でも、俺は負けない!」
宣言のように言い放つ。
「まだどうなるか分からねーし! 諦めたらそこで試合終了だって言うじゃん!
ヘコんでるとか超俺らしくない!」
真雪は何かを思い出したように口元に笑みを浮かべた。
同じような事を言う人物がいた、すぐ側に。
きっと眠っている自分の隣に寝転んで、待っているはずだ。
「ホントのコトを知ってるお前は、俺の言うことなんて
ただのバカに聞こえるかもしれないけどさ。信じてるもん。
どんなちっちぇー可能性だって俺は信じてる。その可能性をモノにしたんだぜ?」
祐一は自分の言葉に頷く。
その動作はまるで自分に言い聞かせているようにも見えた。
不意に訪れた空白の時間。
「……貴重なお時間をありがとうございました」
わずかな間の後、真雪は一歩退くと軽く頭を下げる。
「それでは死亡日にお会いしましょう」
きびすを返し、自分を見ているらしい祐一の視線をそのままに丘を去っていこうとする。
遠くで聞こえる木々や草の笑う声を背に。

「あのさ、死神!」

呼び止められ、振り向く。
光の加減でシルエットだけが浮かんで見えた。
「お前、死神なんかより歌う方が向いてると思うぞ。もっと歌えよ」
「……」
「お前が歌えば幸せになれる奴、いっぱいいると思うんだ」
真雪は驚いたように祐一を見つめ。
ややあって、目を細めるようにして笑った。
答える言葉はない。
けれど、その笑顔が答えだった。
もう一度会釈をすると、背を向けて歩き出す。
遠ざかっていく死神の姿を眺める祐一。
丘の上、取り残された彼が空を見上げて歌う。
それは死神が口ずさんでいた旋律だった。


目蓋を開くのにも力が入れなければならないほど疲弊した身体。
その感覚に現実と意識がつながっていく。
真雪が目を開くと、目の前にあったのは。
「……寝てるのか」
手をつないだまま、自分にもたれて眠る美冬の姿だった。
指を動かすのもだるく、痛みでこめかみが脈を打つ。
等間隔で繰り返される小さな呼吸を聞きながら真雪は再び目を閉じた。
こみ上げる吐き気を飲み込み、沈黙に耳を傾ける。
いつもよりも辛さを感じないのは、この目の前から流れ込む体温のおかげなのだろうか。
真雪は眠りに身を投じながら小さく笑った。


「やっちまった……」
2つ分の靴音が聞こえる夜道、美冬が肩を落として言葉を漏らした。
隣には苦笑する真雪の姿がある。
「ありえない。ありえないよ、自分。
真雪を待っている間に爆睡してた上に、具合が悪い人に送ってもらうとか」
緑ヶ丘駅に続く道は人通りもまばらで、街は既に眠りについていた。
周囲の家やビルからは灯りが漏れている。
「あああ、あたしのバカ!3回くらい死ねばいいのに!」
「別にいいじゃねえか。俺が送るって言ったんだから」
「でも真雪辛いでしょ? 顔色悪いし、無理しちゃ駄目だよ」
「だから大丈夫だって。こんなの毎回だから慣れてる」
歩調はいつもより遅く、重い足取り。
片眉を上げる真雪を何度も心配そうに見上げる。

美冬が目覚めた時、隣にいた真雪は笑って自分を見ていた。
待っている間に眠っていた事に気付いて自己嫌悪に陥る。
その上、起きているのも辛そうだというのに
彼は美冬を駅まで送っていくといって聞かなかった。
少しでも手助けが出来ればと思っているのに、これでは逆効果ではないか。
そう思うと自分に腹が立ってしまう。

「俺もお前と一緒に寝てたから、それなりに回復したしな」
「でもまだダルそうだもん。あたし、夜歩くのは慣れてるから……」
「駄目だ」
真雪が言葉を遮って、軽く睨んだ。
すぐに視線をそらしまっすぐ前をみつめる。
そこにあるのはまぶしい光に包まれた駅。
暗い一帯の中で、そこだけがひときわ明るさを放っていた。
「いくらお前が普通の奴より強いっつっても女だろ」
日中は暖かいといっても夜の時間は少し肌寒さを感じる。
美冬は身体をわずかに縮めるようにしながら、驚いたように横顔を見た。
「……なんだ、その顔は。自分が女だって知らなかったのか?」
「ちっがーう! 真雪が女の子扱いしてくれたから驚いただけだよ」
「いつもしてねえみたいに言うなよ」
「してないじゃない」
拗ねた目で見つめてくる顔に真雪が吹き出すように笑う。
そして、駅の階段の前で立ち止まった。
終電間近のこの時刻ともなれば、いつもはにぎわっている駅も閑散としている。
階段の周辺には2人を除いて数人の姿しか見えない。
「送ってくれてありがと。真雪も気をつけてね」
「気をつけるのはお前だろ。あっちに着いたらタクるのよ」
「もう心配性なんだから。タクシーなんて使わなくても大丈夫だってば」
「馬鹿、用心するに越した事ねえだろーが」
咎めるような口調と共に手が伸びる。
その手から逃れようと美冬は首を傾げるが、乱暴に頭を撫でられて眉間にしわを寄せた。
「……じゃあ帰るね。真雪、本当に大丈夫? 送っていこうか?」
「意味ねえだろ、それ。大丈夫だっつーの」
真雪は苦笑を浮かべる。
笑いながら背を向ける彼女に軽く手を挙げて。
「じゃあな。気をつけろよ、誰か襲わねーように」
「あたしを何だと思ってんのよ! 失礼ね」
階段を上る靴音が聞こえる。
頭痛の中、翡翠色のポニーテールが遠ざかっていくのを見ている時。

美冬は足を止めた。
何かを忘れたのだろうかと真雪は怪訝に思う。
静止。
駅の構内放送だけがむなしく響いていた。
「……真雪」
小さく名を呼ぶと振り向く。

「ありがと」

目を伏せた後、視線を上げると照れたように微笑んだ。
数メートル離れた位置。
「何だよ、急に」
わずかに驚いた顔に、笑みが広がる。
それを見ていた美冬もつられるように。
「ホントにね。どうしたんだろ? あたし」
肩をすくめる仕草。
そして再び靴音が階段を上っていく。

真雪はしばらく誰もいない階段を見つめていた。
その目にだけ何かが映っているかのように。
瞬き、苦しげにうつむく。
やがて黒いスーツ姿の人影は闇に飲まれるように駅から姿を消していた。


そこに残るのは、微塵の死臭。

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