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11-2 迷子

呼吸の仕方も忘れてしまったのかと思うような息苦しさだ。
今日、何度目かのため息。
美冬は机に突っ伏して、事務机と頬をくっつけていた。
頬に硬く冷たい感触が伝わる。
体温を少しづつ奪われていくのが分かった。
視界には窓越しの東京の夜が見える。
明日からまた連休が始まるというのに気持ちは沈んだままだった。
「美冬」
けだるそうに指先でリズムを取る美冬。
呆然とした瞳は本当に見えているのか定かではない。
その顔は気が抜けたようでもあり、今にも泣きそうにも見える。
「おい、美冬?」
窓から染み込むパチンコ店の会話を奪うような音量の音楽も耳をすり抜けていく。
自分は抜け殻だと心の中で呟いた。
けれど、この正体不明の切なさをどうする事も出来ずに持て余してしまう。

ゆっくりと瞬きをする美冬の目の前に。
何の前触れもなく丸い何かが置かれた。
ぼやけた茶色の物体。
目を凝らすとそれは透明のセロファンに包まれた饅頭だ。
手が伸びては、数を増やす。
何かの境界線のように饅頭が何者かによって並べられていた。

「何これ」
寝言のように呟く声。
美冬が億劫そうに小さく呻きながら身体を起こすと
隣に黒いスーツ姿の真雪が立っていることに気がつく。
顔を向け、疑問の視線を投げた。
「饅頭」
「そうだね」
「上の階の不動産屋さんが持ってきてくれたんだわ。草津土産だと」
美冬を凝視していた真雪は大きくため息をつくと彼女の隣の席の椅子に座った。
背もたれを抱えて、身を乗り出すように覗き込む。
「どうしたんだよ。最近、マジで変だぞ」
「変じゃないよ」
「そう思ってんのはお前ぐらいだっつーの。呼んでも返事しねえし、メシ残すし。
ずっとボーっとしてるじゃねえか」
「そんな事ないよ。全然元気だって」
「そんな顔で言ってても説得力ねえよ」
軽く睨む視線。
指が軽く美冬の頭をつついた。
「本当に何かあったんだったら相談乗るからな」
「ありがと」
そう言ったきり、美冬は黙る。
椅子にもたれて机の上に投げ出された携帯電話に触れる。
もてあそぶように開閉を繰り返していた。
等間隔で聞こえる無機質な音が静寂を濃くしていく。
「でも、大丈夫だから」
美冬は苦笑を浮かべると、立ち上がる。
きびすを返しかけた所で。

何かにぶつかった気配。

「っと、すみません」
どうやら応接セットの方から歩いてきたノクティルカとぶつかったらしい。
間近に黒いスーツが見える。
美冬は見上げた視線を咄嗟にそらした。
「あ、や。うん、あの。ごめん、なさい」
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫」
顔が赤くなっているのが分かる。
俯いたままで何度も頷き、鼓動を隠そうと息を殺す。
心配そうな目で見つめてくるノクティルカに曖昧に微笑みかけて足早に立ち去る。
真雪は怪訝な表情を浮かべたまま、2人を見比べていた。
洗面所のほうへ消える翡翠色の髪と
身体をねじるようにしながら振り返ってそれを見つめる姿。
「何だありゃ」
自然と口から言葉が漏れる。
「もともと変だとは思ってたが、そろそろ修理に出さなきゃいけねえな。なあ?」
机に頬杖をつき、真雪がノクティルカに言葉を投げたが。
返事は戻ってこない。
目の前で唇を噛んだまま何かを考えるように押し黙っていた。
「ノクティルカ?」
「あ、はい! なんでしょう?」
「話聞いてた?」
「え? ……すみません。もう一度言って下さいますか?」
眉間にしわを寄せた顔を見て、取り繕うように。
真雪は何かを考えるように美冬が消えた方向を見つめていた。


「変だよ、あたし」
洗面所で声が聞こえる。
美冬は洗面台に手を付いて呟いた。
けれど鏡を見つめると、もう1人の自分に何かを指摘されそうな気がして
直視する事が出来ずに。
俯く。
「絶対変だ」
ノクティルカを見るたびに穏やかではいられなくなる。
原因は分かっていた。
けれど、どうしてこんな状態になってしまったのか分からない。
息苦しさと動悸、顔が赤くなるのが分かる。
もしかして、これは。
けれど。

「何してるんだい? こんな所で」
不意に斜め前から声が聞こえて美冬は顔を上げた。
見れば入り口をふさぐ形でサーペントが立っている。
「ああ、便所でする事なんざ限られてるか」
キセルを唇に当てたまま楽しげに微笑む顔。
視線は彼女を一瞥した後、後方に向けられた。
「えーと」
「ねえ、ラプター」
必死で言葉を探していると、それを遮るかのように言葉が重ねられ。
不思議そうに見つめる。
「ちょいと外の空気を吸いたくなってね。散歩に行こうと思うんだが」
狭い空間で声がこもるように響く。
白いタイルに囲まれた、この閉ざされた空間は冷たさに満ちていた。
「こんなイイ女が一人で出歩くのも危ないだろう? 付き合ってくれないかねェ」
わずかに驚いたように見つめていた美冬が小さく笑う。
悪戯っぽく微笑んでみせるサーペント。
「姐さん、あたしも女なんだけど」
「アンタは色んな意味で強いから何の問題もないさね」



事務所から歩いて2分ほどの位置にある、線路に寄り添うようにして作られた駅前の公園。
ビルや店舗ばかりのコンクリートで塗り固められた界隈の中で
異質といえるほど木々の多い場所だ。
等間隔に並んだ外灯が緑を浮かび上がらせる。
線路を挟んで向こう側の光の群れが木立越しに見えていた。

カーテンのように長く伸びる木々の垣根を背にして
ベンチにサーペントと美冬は並んで座る。
周囲に人はない。
他にも人がいるのかもしれないが、薄暗さも手伝って姿は見えなかった。
「ね、姐さん」
美冬は微かに夜の匂いの漂う風に目を細めて切り出す。
瞳は離れた位置にあるイルミネーションを見ていた。
「その人の事を考えただけでドキドキするのは恋?」
膝の上におかれた手が握られる。
「ずっと一緒にいたいって思うのも恋?」
尋ねられたサーペントは言葉もなく、隣に顔を向けた。
背から電車がせわしなく行き来する音が聞こえてくる。
声はそれにかき消されそうになり、会話をしばしば飲み込もうとしていた。
「あのね。この前、ノクティルカさんがあたしの事を好きだって言ってくれたんだ。
あたし、全然そんなコト想像もしてなくて本当にビックリしちゃってさ」
「うん」
「あたしはね、ずっと真雪の事が好きなんじゃないかって思ってたの。
真雪は恋愛対象として見てくれてないって分かってたけど」
暗闇の中で靴音が聞こえる。
公園の前を歩く人のものだろうか。
「でもあんな事があって、ノクティルカさんを急に意識するようになっちゃって。
まともに見れなくなっちゃった」
途切れ途切れにつむがれる言葉に耳を傾けるサーペント。
その唇はかすかな笑みを浮かべ、空へと伸びるようなビルを眺めていた。
「もうどっちが好きだとか、自分の気持ちが分からなくなっちゃったよ」
「……」
「自分はどう思ってるのか結論出さなきゃいけないし、ちゃんと返事だってしなきゃ。
ずっとこのままってワケにはいかないよね。
分かってるのに、心のどこかでは結論を出すのを避けてるの」
痛さを伴う声音は、どこか泣いているようにも聞こえた。
暗闇の中では表情は見えないが俯いたのが分かった。
「最低、あたし。どっちとも距離が出来るのが嫌だなんてムシが良すぎるよ」
拳が更に強く握られる。
何かを言おうと口を開いた所で、ふと気付いたように横を向いた。
「あ、ごめん。あたしばっかり喋っちゃって」
申し訳なさそうに謝る美冬に、サーペントが彼女の肩にかかる髪を手で柔らかく払う。
そして、首を横に振る。
「ねえ、お嬢」
「ん?」
「結論ってのァ、『出す』モンじゃなくて『出る』もんさね」
目を細めて、言い聞かせるように。
「焦って無理に答えを出して後悔なんざしてたら馬鹿みたいだ。
時間をかけて、納得いく答えを探した方がいいんじゃないかと思うがねェ」
「でも、ずっと返事待ってるの辛いんじゃないかな」
「返事をせかされてる訳じゃないんだろ? だったら、ゆっくり答えをお出しよ」
頷くのを見て、つられるように頷くサーペント。
キセルを唇から離すと、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
「まァ、お嬢が悩むのも分かるよ。
坊主とノク、どっちもいい子だ。どっちかなんて簡単に選べやしないさ」
「……うん」
「だからって、アンタが負担に思うこたァないんだからね。気楽にいきな」
見上げた先にあるのは細い三日月だった。
このまま夜に溶けてしまいそうなほどの。

「ノクはね」
会話が途切れ、沈黙が続いた時。
サーペントが前を向いたまま話しはじめた。
「ずっと悩んでいたんだ。好きだけど、気持ちを伝えれば迷惑がかかるって」
「そう、なの?」
「ああ。あの子は何でもないフリをしているが、ああ見えて
後悔したり心配したりしているはずさね」
「どうして?」
驚いたように身体を向ける美冬にサーペントが視線を投げる。
風に袂が揺れた。
「自分が言った事でアンタを困らせたって」
「あたし……」
「分かってるよ」
美冬の手の上にサーペントが手を重ねる。
その動作はまるで彼女を落ち着けようとしているように。
「思いつめなくていいんだよ。難しく考えずに自分に素直になりゃアいいのさ」
視界の端で木々が揺れるのが見える。
闇と同化した緑は風にその身を踊らせた。
「ほら、笑いな。アンタは笑ってる顔が一番可愛いんだから」
サーペントの指が美冬の口の両端に触れ、持ち上げる。
「むぐー」
「ずーっとそんな顔してたら戻らなくなっちまうよ?」
その言葉に美冬は曖昧に笑う。
不意に、遠くから聞こえていた靴音が二人の前で止まった。

「あら偶然」
目の前に立っていたのは髪をかきあげ、肩をすくめて笑う真雪。
美冬はその姿に驚いたように数度、大きく目をしばたたかせた。
「おや、レイヴン。お嬢が気になって探しに来たのかい?」
「んーなワケねえじゃん。俺はコンビニで買い物だ」
「遠回りしなくたって、事務所の下にだってあるじゃないか」
「……うるせえな。細かい事はどうだっていいだろ」
口ごもり、拗ねたように言う真雪にサーペントが笑う。
そして何か言いたげに美冬の顔を一瞥した後、腰を浮かせた。
「さて、と。それじゃ後は若い人にお任せしようかねェ」
「何だよ、そのやり手ババアみてえな発言は」
「誰がババアだい、このクソガキ」
そんなやり取りの後、顔を見合わせて笑う。
サーペントは立ち上がると空いた手を軽く振って見せた。
「それじゃア、お嬢。あたしゃ先に戻ってるからね」
「あ、うん。ありがと、姐さん」
「坊主、お嬢泣かしたらタダじゃおかないよ?」
「泣かすかっつーの」
呻くような声に笑いが漏れる。
黒い着物が次第に遠ざかり、人工的な光の中へと消えていった。
残された真雪と美冬は無言で見送り、どちらからともなく顔を見合わせた。

「ったく、そんなに俺は頼りねえのかよ」
美冬の隣に座った真雪は、数分の沈黙の後呟く。
それまで俯いたままだった美冬は意外な言葉に顔を上げた。
「相談に乗るって言ってんじゃん」
「だって」
「まあ、こういう問題は俺なんかより姉御の方が相談しやすいんだろうけどな」
駅のホームから聞こえるアナウンスと電車が通り過ぎる音。
動きを止めて見つめてくる視線に、真雪は思わず笑いを漏らす。
「知ってたの?」
「そりゃね。俺を誰だと思ってるんだよ」
足を組む動作。
「好きだって言われたんだろ? ノクティルカから聞いた」
言葉につまった美冬の視線がさまよう。
それは、どんな反応をしていいか迷っている風でもあった。
「つーか、聞かなくても薄々気付いてたんだけど」
「嘘」
「嘘じゃねえよ。大体ね、お前ら揃いも揃って分かりやすすぎるんだよ。
アレで何も気付かなかったら相当バカだぞ」
苦笑混じりの声。
お互いに目を合わせようとせずに、それぞれ違う方向を向いていた。
真雪が視線だけで美冬を一瞥する。
「お前はどうなんだよ」
「どうって?」
一瞬、空白が訪れた。
「ノクティルカの事、好きなの?」
二人の間を割り込むように通り過ぎる一陣の風。
周囲は静寂で満ちている。
ここは駅前で、少し歩けばすぐ近くにうるさい位の喧騒があるというのに。
見つめ合ったまま黙った。
「分かんないよ」
耐え切れなくなったのか、美冬が消え入るような声で答える。
「急にあんなコト言われて、驚いて。もう自分の気持ちも分かんないんだ。
まさか、ノクティルカさんが好きだなんて思ってもみなかった」
「鈍いんだよ、お前は」
真雪がため息混じりで、俯いた美冬に言葉を投げる。
髪をかきあげ、呆れた表情を浮かべた所で。

「だって! あたし」

美冬が顔を上げて思いつめたような声を出した。
思わず動きを止める。
「……あたし、真雪が」
複数の靴音が聞こえ、視線も感じる。
けれど、それらを気にする余裕はなかった。
驚いて見つめる視線と何かを訴える視線。
言いかけた言葉の先を待つが、美冬は固まったままで。
何かを迷っているようにも見える。
フェンスと木を隔てて、間近で電車が轟音を上げながら通っていく。
視界の端で光がスローモーションで走っていた。

「ノクティルカさんとデキてると思ってたから」

頭が真っ白になりかける。
言葉を聞いた側から忘れていくように。
一瞬理解できずに唖然とした。
口は空気を求めるように開き、目は状況を判断しようと落ち着きなく動く。
「は」
さまざまな事が頭の中を駆け巡るが、どの言葉を口にしたらいいか分からず
パニックになりかけた。
無意識のうちに眉間に深く刻まれる皺。

「はぁあああああああ!? なんだそりゃぁあああ!?」

深夜、人の目がある事も忘れて真雪は思わず叫んだ。
「んなワケねーだろ! どこをどう考えてそうなる!?」
「だって、妙に仲いいし」
「仲いいヤツは全員ホモか!? おかしいだろ!」
「真雪、怖い」
美冬は目の前で怒鳴るように尋ねる真雪を恐る恐る伺った。
肩を掴みかかりそうな勢いだ。
「確かに仲いいですよ。ええ、仲いいですとも。けど、お前は邪推しすぎなんだよ!」
「違うの?」
「当たり前だ! 俺とノクティルカができてるワケねーだろ!」
「否定するところが怪しい」
「否定しねえワケにはいかねえだろうが!」
真雪が睨むように美冬を見つめ、ややあって深いため息を吐く。
まるでそれと共に力も抜けていくようにうなだれる。
「……一気に疲れた。もう帰りたい、俺」
疲労感を漂わせた口調。
美冬は困った表情で、目の前で力尽きたように座っている真雪を眺めていた。
「だって、そう思っちゃったんだもん。悪気はないのに」
「お前は俺を女だとかホモだとか、一体どんな目で見てんだよ……」
「ごめんってば。そんな落ち込まないでよ」
「落ち込むわ」
再び吐き出される、ため息一つ。
真雪は美冬を一瞥した後、立ち上がると軽くスラックスを手で払った。
見上げる視線に口の端を上げる。
「とりあえず戻ろうぜ、美冬」
「え?」
「ノクティルカがすげー心配してるから。な?」
そう言うと俯き加減で苦笑を浮かべる。

「なんつーかな」
風でジャケットの裾がひらめいた。
闇に溶ける風貌の死神は遠くを見つめる。
「お前は悩んでんの、似合わねえって。お前だって悩む事はあるとは思うけどさ」
美冬はベンチに座ったままで、その横顔を眺めていた。
「俺もノクティルカも、他の奴等もお前には笑ってて欲しいワケよ」
笑うような声。
「お前が笑ってれば大抵の事はどうにかなっちまう気がするっつーか」
木々に閉ざされた空間は、まるで自分達にしかいないかのように。
「ま、いうなら比良坂最強の武器ってヤツだな」
眉を上げて悪戯っぽく笑いかけられ、つられて笑みを浮かべる美冬。

「笑えよ」
「そうすりゃ、俺達も笑う事ができるから」

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