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10-2  ENIGMA

ソファに座るダンデライオンは
口元を片手で隠したまま思案し、一点を睨む。
それと向かい合いように座った真雪と美冬は、無言で何かを待っているかのように。
街は深夜と呼ばれる時間。
窓の外には何の変哲もない夜の景色が広がっていたが
事務所は重い雰囲気に満たされていた。
「なるほど、状況は分かった」
苦々しく発せられた声に、思わず座りなおす。
聞こえるのは、やむことなく流れるタイピングの音のみ。
「討伐に行ったらチャリオットがいて、イレギュラーを既に処理していたという事か。
それなら君達の百鬼夜行の列に突っ込んだような酷い死臭にも説明がつく」
肘掛けに置かれていた指が一定のリズムを刻んでいた。
それは、どこか怒っている事を表している風にも見える。
「けれど、何故チャリオットがいる事に気付いていながら連絡をしなかったんだい?
危ないという事は分かっていたはずだよね」
「だーかーら。そういうんじゃねえって言ってんだろ。
俺達は気付かねえで公園に入って、そこで初めてヤツだって分かったんだっつーの」
「……それは嘘だな。君達はそんなに鈍感じゃないだろう?
仮にも一度チャリオットと会っているんだ、彼独特の強い死臭に気付かないはずがない」
「買い被りすぎだって。まあ、交戦したのはまずかったと思ってるけどさ」
真雪が天井に視線を向けながら、ため息をついた。

チャリオットと遭遇し、事務所に帰ってきた真雪と美冬の異変に
瞬時に気付いたのはダンデライオンだった。
異常なほど濃い死臭と血の匂いのしない様子に違和感を感じたらしい。
事情を聞くとダンデライオンの表情は一変した。
いつもの穏やかな様子はどこにもなく、何かを考えているようにも見える。

天井から吐き出される乾いた微風が、灰皿の上のタバコの紫煙を揺らした。
溜息一つ。
「まずいというレベルではない。いいかい? 軽はずみな判断は命取りになるんだ。
君達に何度もそれを伝えているつもりだったけれど、どうやら分かっていないようだね」
「そうかもしれないけど、目の前にいるのに見逃すなんて……」
「彼を殺す事は僕らの仕事じゃないだろう、ラプター」
「でも!」
「前にどんな会話があったのかは知らないけれどね。
万が一、何かあったらどうする? そうなってからでは遅いんだ」
ダンデライオンの目が睨む。
有無を言わさぬ視線の強さと、冷たさを帯びる声音に反論しかけた言葉を飲み込んだ。
「とにかく勝手な判断、軽率な行動は避けてくれ。いいね?」
「ああ」
真雪が数回軽く頷き、窓の外を眺める。
少し離れた位置でサーペントとノクティルカがパソコンのディスプレイを見ながら
話しているのが見えた。
さすがにこの時間となれば人の流れは減ったらしく、街の声も静かになりつつある。
「まったく、何かあったらと思うと気が気じゃない。
僕がどんなに危険な目に遭わせないよう注意を払っていても
君達が無茶をしていれば意味がないじゃないか」
「だから悪かったっつってんじゃん。これから気をつけるって」
「本当かなぁ。前も同じ事を言ってて大変な事になった記憶があるんだけれど」
今まで睨んでいたダンデライオンの表情が緩む。
うなだれるようにため息をついて苦笑を浮かべた。

「しかし珍しいじゃアないか。お嬢はともかく坊主が独断で動くなんて」
「そうですね。ラプターはともかく」
「ちょっとぉ! 何で二人して、あたしはともかくって言うの!?」
近づいてきた足音がかすかに笑みを浮かべて言った。
見れば、ダンデライオンの後ろにサーペントとノクティルカが立っている。
不満そうに頬を膨らませる美冬。
「ラプターの戦闘スタイルは闘牛だからね。牛の方だけど」
「むー。何よ、人を敵に突っ込むしか脳がないみたいに!」
「その通りじゃないですか」
「きぃいい! 真雪、聞いた!? みんな酷くない?」
一瞬の沈黙。
何かを考え込んでいたらしい真雪は突然話を振られ、我に返る。
数度瞬いて自分を見つめてくる瞳を見返した。
「……え? あ、ああ」
ぎこちなく微笑む。
「良かったな、美冬。褒めてもらって」
「褒められてねーっつーの! ちょっとぉ、話聞いてなかったでしょ!?」
睨んで、隣にいる真雪の腕や背中を軽く叩く。
しかし彼はそんな美冬をなだめるように頭に手を置くと、顔を正面に向けた。
真剣な面持ち。
まるで意を決して何かを切り出そうとしているようにも見える。
目を伏せ、再び視線を持ち上げた。
「なあ、親父。聞きたい事あるんだけどさ」
「なんだい?」
ためらう空白に、穏やかならぬ気配を感じる。
そして。

「エニグマって何?」

その言葉が一切の音を消し、世界を停止させた。
今まで聞こえなかった空調の音が響き始める。
質問を投げかけられたダンデライオンの顔から笑みが消えていく。
顔はこわばり、驚きや困惑を隠そうとせず。
ただ言葉を失う。
「……何故、その言葉を知っている?」
数秒後、やっと絞り出した声は聞き取りずらいほどに小さかった。
呆然と呟く。

まさか、こんなにも過敏な反応をするとは。
真雪は目の前の光景を眺めながら心の中で呟く。
タブーを口にしてしまったのかと思うほどに。
ダンデライオンだけではなく、サーペントとノクティルカも普通の反応ではない。
一様に動揺し、愕然としているように見える。
彼らは何かを知っているのだ。
そして、それは良い意味を持っていない事は明白だった。

美冬と真雪は思わず顔を見合わせる。
エニグマという単語が事務所の空気を一変させた。
まるで強烈な一撃のように。
三人は押し黙り、何かを考え込む。
「何故、エニグマの名を?」
「チャリオットが言ったんだよ、俺達はエニグマだって」
戸惑いがちに言葉をつむぐ。
何故だろうか、無言の驚きが肌を刺すように伝わってくる気がした。
更に空気は何かを含み、重くなっていく。
息を飲む気配。
誰かのため息を聞いた。
「確か……そう」
真雪が宙に視線をさまよわせ。

「生と死、夜と朝。エニグマは対であり、一つである」

真雪と美冬の声が重なった。
驚いた視線で睨まれ、思わずすくみそうになる。
言葉が地面に落ちる音さえ聞こえるような静寂。
「チャリオットがそう言ったの。
意味が分からないんだけど、何だか確信してるっぽい言い方だった。ね、真雪」
「ああ。無自覚ながら覚醒するエニグマだとかワケ分かんねー事言ってたな。
なあ、エニグマって何だよ。知ってんだろ?」
その問いに、サーペントとノクティルカが険しい表情のまま
目配せし合っているのが見えた。
「単なる戯言だ。君達は気にしなくていい」
「嘘つけ。言えないような事なのかよ」
「いずれ分かる事だ。今、君達が知る必要はない」
「あんたはいっつもそうだ。大事な事は隠して俺はいつだってカヤの外だよな」
ダンデライオンの言葉に真雪が身を乗り出すようにして睨んだ。
静かな口調の中に苛立ちが宿る。
時計が等間隔で時を刻み、それが静寂を更に引き立てた。
「そういう訳じゃないよ。本当かどうかも分からない事で君達を振り回したくないだけだ」
「じゃあ俺達が何も分からずにイライラしてるのはアリなの?」
「レイヴン。分かってくれ、これは……」
無機質な物に囲まれた生気を感じない室内。
不意に窓の外で何かの咆哮のような音が響く。
こんな時刻に飛行機でも飛んでいるのだろうか、それとも夜の住人の声か。

「本当だと思うよ」

ダンデライオンの言葉を遮る美冬の声。
驚いたように周囲の視線が集中しても、それに気付いていない様子で小さく頷く。
自分の言葉に納得するかのような動作に見えた。
「ノクティルカさんは知ってるけど今週の火曜日にウタカタに会ったの。
その時に彼女も同じような事を言ってたから、あながち間違いじゃないんじゃないかって」
「死兆星が? どういう事だい?」
「夜と朝の狭間に在るのはあたしだって言ってたんだ。あたしが人を殺したのかって
……また人を殺すのかって」
向けられる視線に耐え切れずに、俯いて途切れ途切れに話す。
蘇ってくる無感情な声に心が騒ぎ出すのを感じた。
落ち着きなく髪を触り、指に絡める。
「同じ様な事を違う人から言われるなんて普通はありえないよ。
どんな意味かは分からないけど、多分あたしや真雪がエニグマと関係してるんだと思うの。
だから、あたし達は知る権利がある」
まっすぐに見つめてくる瞳にダンデライオンは視線をそらした。
灰皿に置かれた火の付いたタバコをもみ消すと、微かなため息を漏らし。
「あの死兆星までそんな事を言うとはね。困ったものだ」
窓の外を見つめる横顔が独りごちた。
首を静かに横に振る動作の後、真雪と美冬を見つめる。
「まったく、この世界はどこまで人をもてあそべば気が済むのだろう」
ダンデライオンを後方から見つめるノクティルカ。
彼は黙りこくり、鋭い眼差しのままで何かを考え込んでいるようだった。
話を聞いているにもかかわらず心は何処か違う場所にいっている。
「そんなの今にはじまった事じゃアない。ダンデライオン、話しておやりよ。
お嬢と坊主はエニグマの話を聞くまでテコでも動かないだろうし?」
「そうだな。では、エニグマが何かをお話しよう」
苦笑するサーペントの声に頷き、まるで宣言するように言う。
真雪と美冬は、どこか緊張したような面持ちで正面を見つめた。

「エニグマはジョーカーだ。有益であり有害、使いようによっては毒にも薬にもなる」

その意味を把握しきれず静止する。
この場にいる人間は皆、申し合わせたように苦々しい表情を浮かべていた。
思案するように忙しく視線を動かす美冬と、微動だにせず目を伏せて聞いている真雪。
「ジョーカー?」
「そう。そして……」



ダンデライオンが屋上のドアを開けると
まず飛び込んできたのは街の灯と湿気を多く含んだ空気。
にわかに強く吹く風に目を細める。
不意にかすかに死臭を嗅いだ気がした。
何処かでイレギュラーが発生しているのだろうか。
「やはりここにいたのか、ノクティルカ」
漆黒の中に紛れる黒いスーツ姿の青年は手すりにもたれかかって
タバコを吸っているようだった。
小さく赤い灯が浮かんでいる。
「君の姿が見えなくなったから、屋上で考え事でもしているのかと思っていたよ」
靴音が止まり、ノクティルカと並んだ。
口角を上げて顔を向けると、そのまま小さく苦笑を浮かべる。
ノクティルカはタバコをくわえたまま、まるでダンデライオンがいる事さえも
気付いていない風で。
見えない敵を睨むように、ただ前を見据えていた。

「嬉しいですか」
表情を変えず、唇だけが動く。
怒りのこもった声を怪訝に思って顔を向けると視線がぶつかった。
「貴方の探していたエニグマが見つかって」
自嘲的にも不敵にも見える笑みを浮かべ、静かに言う。
手すりに置かれた灰皿に灰を落とす仕草。
「良かったですね。まるで世界が味方をしているようではありませんか。
長年探していた物はすぐ近くにあり、しかも貴方を慕っている」
街の灯りがまるで死に行くように数を減らしていく。
けれど、微かに聞こえる人の声と街の息吹。
「とんだ笑い話です」
「ノクティルカ」
ダンデライオンは手すりに背を預け、睨むように目を細めたまま空を仰いだ。
今にも落ちてきそうな空を見つめる。
視界の端でノクティルカが見ている気配があった。
「君は、僕がこの状況を楽しんでいるとでも?」
「……」
「僕はそんなに血も涙もない男に見えるのかい?」
その声は、どこか寂しげに響く。
靴に視線を落としたダンデライオンの表情は見えない。
後頭部を掻くように手を当てたまま動きを止めた。
「確かに長い間エニグマを探していたよ。けれど、こんな事を望んだ覚えはない」
湿気が肌にまとわりつく。
目を凝らさなければ見えない闇の中にたたずむ二人は、どちらからともなく黙り込んだ。
ダンデライオンがスーツの内ポケットから取り出したタバコをくわえると
隣から手が伸びる。
闇に浮かぶ小さな火。
空へ細く伸びる煙と微かに笑って見せる顔に
ノクティルカはわずかに目を細めてライターをしまった。
「二人がエニグマ? そんな事がありえるのか?
かつて僕は彼らを奇跡に例えた。けれど、本当に奇跡だとでもいうのか」
「チャリオットと死兆星の発言を考えると可能性は高いですが、私は認めたくありません」
「それは僕も同じだ。もし仮に彼らがエニグマだったとしても
その力を知る事なく生きていて欲しい。僕の勝手な願いかもしれないが」
指にタバコを挟んだまま、溜息混じりに言葉を吐く。
自分の脳裏に浮かんだ考えを振り払うように首を横に振った。
「彼らをこれ以上暗い場所へ追い込みたくない」
目を伏せたノクティルカの口から漏れる呟き。
メガネを押し上げ、そのままの姿勢で固まる。
そして、視線を上げた彼の目に宿るのは殺気を帯びた何か。

「俺は何としてでもラプターとレイヴンを守る」

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