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1-2 inner voice

研ぎ澄まされた空気が頬に触れる度に痛みを覚える。
コートの裾や髪を揺らして風が通り過ぎた。
『ギルド発表、22時現在のイレギュラーステータスをお知らせします』
周囲にあるのは、両側から迫るビルの壁面と取り残された外灯だけであるはずなのに
暗くは感じない。
建物の輪郭が燃えている錯覚。
見ればそれは大通りから溢れた光の洪水のせいである事が分かった。
『クラスに変更はありません。物理・スキル共に有効。
出没地域は久光東公園との事でしたが、先ほどエリュシオンモールに変更がありました』
「久光の公園からエリュシオン? なんだ、移動したのかよ」
『そのようですね。エリュシオンモール付近は人通りが多く、繁華街ですので注意して下さい。
一般の方に被害が及ばないよう、イレギュラーを誘導する必要がありそうです』
「久光から今のポイントまでは5分くらいだけど、よく事故が起きなかったね。
車も人も死ぬほど多いのにさ」
美冬が目の前の漆黒のビルをすり抜けて遠くを見ている。
耳を澄ませても幹線道路を行き交う車の騒音は聞こえなかった。
だが、視線はその一点を睨んだままで動こうとしない。
「だな。クラス的には大した事ねえけど、早めに動いた方がよさそうだ。
これで一般ピー巻き込んじまったら目も当てられねえ」
『仰るとおりです。一歩間違えば大惨事になりかねません』
「んむー、じゃあ急ぐかぁ。とっとと片付けちゃわないと面倒な事になりそうだし。
こういう動き回るタイプは人の多い方に行きたがる習性が……」

突然、口をつぐんだ。

肩にかかる髪を払う仕草のままで固まり、動きを止める。
薄く開いた唇を噛み締めた。
『どうしました?』
どちらからともなく目配せをして、周囲を注意深く見渡す。
揃って表情は険しかった。
「……ノクティルカ、外見の特徴教えて」
声をひそめるとインカムを睨む。
二人は狭い路地に並んで佇んでいた。
時折、視線が後方を一瞥する。
まるでその動作は誰かに悟られるのを恐れているかのように。
数秒の沈黙。
街が歌う賑やかなざわめきも一切耳に届かず、重い空気だけが流れていた。
『お客様ですか』
「ああ。こりゃ、もしかしなくても討伐対象っぽいな。どうやらお迎えに来てくれたらしい」
『今、お二人はどちらに?』
「エリュシオンの大通りから一本入ったトコだね。
映画館と繋がってるゲームセンターあるでしょ? あそこの近く」
真雪の手が美冬の肩を軽く押し、歩く事を促す。
硬質な二つの靴音に混じってアスファルトを蹴る爪音が混じっていた。
顔を見合わせて無言で頷く。
背中に強い視線と殺気がこびりついているのを感じながら平静を装った。
人とは違う、得体の知れない気配がある。
『なるほど、それは件のイレギュラーが動いた可能性が高いですね。
それでは、特徴をお知らせします』
二人が歩く速度落とすと、背後も歩調をあわせた。
通りすがりの他人であれば今にも止まりそうな速度で歩いている二人を追い抜くだろう。
だが、その様子もない。
無言で機会を窺っているのか。
わずかに見えるシルエットは人のそれとは異なっていた。
『イレギュラー認定番号Dマイナス・12030024。俗称【ヘルハウンド】
体長約2メートル、大型犬に似た外見。体毛は黒、青い炎を纏っているという情報があります』
視界の端に炎の揺らめきが映る。
漆黒の中に浮かぶ青白い色に顔をしかめた。
美冬はジャケットに入れた真紅の手袋を取り出すと、周囲を警戒しながらきつく嵌める。
隣で聞こえたのは押し殺したため息。
「ビンゴ。やっぱり俺達の獲物だわ」
「うん。外見の特徴の一致してるし、ほぼ間違いないね」
『そうですか。しかし、そんな場所では……』
「ああ、それが問題だ」
真雪が渋い表情のままで頷くと辺りに視線を巡らせた。
この周辺は霧島区の中心にあたり、最も賑わっている場所だと言ってもいい。
駅からエリュシオンモールと呼ばれる巨大商業施設までは多くの人通りがある。
それだけではない、街の中を走る血管のような道路はどこも車の往来が激しかった。
「ヤツをどこに誘導するか。まずそれを考えなくちゃな」
「駅にもエリュシオンにも近寄らせるワケには行かないよね。
だからって久光の公園に戻すのも無理だし」
「ああ。エリュシオン前を通って幹線道路突っ切るなんざ、何が起こるか分かったもんじゃねえ」
背後の犬を模したイレギュラーは低い唸り声を上げていた。
どうやら、わずかずつ間合いを詰めようとしているらしい。
暗闇で蠢く影が3つ。
夜を忘れた繁華街の華やいだ雰囲気とは裏腹に、ここには重く張り詰めた空気が漂っていた。
「ここでさっさと片付けちゃうのは? 人がいないのを見計らって」
手を揉みながら尋ねる顔を真雪が軽く睨む。
「馬鹿、危ねえだろうが。誰かが来たらどうするんだよ」
「そんなの、どこだって一緒じゃんか。急所を一撃で仕留めれば大丈夫だって」
「狭い所はリスク高いだろ。突き当たりまで追い詰めてんならいいけど、
ここで戦って駅方面に逃げられたら、どうなるか分かったモンじゃねえぞ」
「そうだけどさ! でも時間ないし、ずっと放っておくワケにはいかないじゃん」
靴が苛立ったリズムを響かせた。
視線を投げると、炎をはらんだ獣の瞳とぶつかる。
双方が動きを止めて睨み合った。
警戒する真雪の手が、淡く光をまといながら強く握られている。
時間が消え失せ、周囲の景色も目に入らずに。
『レイヴン、ラプター。中五条公園はいかがでしょう』
口を開きかけると同時に飛び込んで来た言葉に美冬が眉を寄せた。
聞き慣れない言葉を口の中で何度も繰り返す。
「中五条? どこだ、それ」
『現在地から北へ1ブロック進んだ所にある公園です。区役所の南西にあります』
「ああ、役所の建物が多い所ね」
真雪は髪をかき上げる仕草のままで身体をひねり、横へ伸びる道路の先を見つめた。
何かを考えているらしく、軽く唸る。
「駅から近いのがネックだけど……まあ、仕方ねえか」
「うん。この辺で公園って言ったら、あそこ以外ない気がする。
多少人の目に付きやすいかもしれないけど夜だから何とかなりそうかな」
『それ以外と言いますと南五条公園がありますが、大通りを渡る必要がありますので危険ですね。
まさか、空き店舗のガラスを割って入る訳にも行かないでしょう?』
「イレギュラー狩りどころじゃなくなるね。警察にお泊まりする羽目になっちゃう」
美冬が苦笑を浮かべて肩をすくめた。
窺うように隣に立つ死神を見上げると、首を傾げてみせる。
それを見て頷く顔。
息をする事もためらうほどの沈黙を靴音が破った。
「よし、じゃあ行くか」
『了解です。お気をつけて』
美冬の腰を手のひらで軽く叩くと、真雪はイレギュラーの方へ振り返る。
それはまるで『ついて来い』とでも言いたげな視線だった。
熱に浮かされた空気を背に、眠る景色の方へ足を向ける。
アスファルトを叩く二つの靴音と、一つの足音。
冷たい空気のせいか、それらはどこまでも響いていく気がした。
 
 
駅に近く、四方を道路に囲まれた中五条公園は静寂と車の騒音が混じり合っていた。
建物の隙間からライトとテールランプの河が見える。
背の低い生垣で仕切られたこの場所は見通しがよく、人の行き来もそれなりにあるようだ。
それでも見えない『何か』と対峙する二人を誰も気にしないのは、
暗闇が隠しているせいかもしれない。
「こちらレイヴン、公園に到着。イレギュラーも一緒だ」
『ノクティルカ、了解です』
「結構人通りが多いな。あまり派手な事は出来なさそうだわ」
『そうかもしれませんね。その周辺も飲み屋や風俗店が多いですから』
遊具の類はなく、あるのは縁取るように置かれたベンチのみ。
ビルや数多くの店の中心にある公園らしく、ここを利用するのは大人達ばかりであるらしい。
日付が変わろうとしている時刻。
ここにいるのは『追跡者』チェイサーと、『狩られる者』イレギュラーのみだった。
「この辺にいるのが全員此岸の人間だったら気ィ遣わなくて楽なんだけど、そんなワケねえか」
『あまり目立つ真似はしないで下さいね。またギルドから言われてしまいますよ』
「分かってるっつーの。最小限、最短時間で片付ける」
苦笑した真雪が表情を引き締めて前を見据えた。
目の前に広がる景色がどこか幻想的に見えて、思わず見入る。
月の下、青白い炎を身にまとう大型の獣とそれと向き合う少女。
微風に鮮やかな色の髪が揺れた。
「美冬、いつもみたいに突っ込むんじゃねえぞ。周りにバレねえように一発で仕留めろ」
真雪が黒い皮手袋をはめた手に視線を落としながら言った。
イレギュラーの低い唸り声に、酔っているらしい男女の嬌声が重なる。
反射的に視線をその方向へ向けた。
「本当だったら俺が片付けるのが一番いいんだけどな。お前、納得しねえだろ?」
獣との距離は約10メートル。
赤紫色の瞳がせわしなく周囲や獣を観察している。
その口調はどこか上の空だった。
「おい美冬、聞いてるか?」
先ほどから何の返答もない目の前の背中に、わずかに苛立った声を投げる。
ため息混じりに眉間にしわを寄せた。
おそらく他の事に気を取られているのだろう――そう、真雪は思ったが。

それが違う事に、すぐに気付いた。

今まで感じなかった寒気を感じる。
靴底を通して足元から全身へと悪寒が駆け巡っていた。
ただの外気の冷たさではないと直感し、脳裏では何かが叫んでいる。
鼻腔を突く、嗅覚を麻痺させるほどの死臭が辺りを飲み込んでいた。
重くのしかかる威圧感に似た空気。
不気味な沈黙に鼓動が早まる。
真雪は視線だけを動かして周囲を窺うが、変わった様子はない。
死臭を辿った先にあったのは。

「……美冬?」

恐る恐る声を掛ける。
だが、返って来るのは堪えきれない様子の小さな笑い声のみ。
見れば肩が揺れているのが見えた。
声は確かに美冬だ。
しかし、それはいつもの彼女のものではない。
真雪は得体の知れない不安を感じていた。
『ラプター、どうしました?』
異変を感じていたのはノクティルカも一緒であったらしい。
感情を殺した声が遠慮がちに問いかける。

『止めなければ』と思った所で、真雪は我に返った。
何を止めなければいけないのだろう?
何をこんなにも恐れているのだろう、と。
 脳裏に浮かぶのはいつかの光景。
東京タワー、地面に広がる血だまり、倒れるイレギュラー、目の前に立つ美冬。
振り返った彼女の瞳の色は――

「美冬!」
真雪は大きく一歩踏み出すと後ろから美冬の手を掴んだ。
まるで何かに突き動かされたように。
引き止めるように。
「は……っ!」
引きつる声が短く発せられると同時に、全身が一瞬大きく震える美冬。
目を見開いたままで呼吸を荒くしていた。
ぎこちない動作で振り返ると、真雪を驚いた表情で見つめる。
「大丈夫か?」
「あ、まゆ……」
何もない公園の中央で佇むコート姿の男女の姿は奇異に映るらしい。
公園を通り過ぎる人々は一様に二人を一瞥し、すぐに無関心を装っていた。
美冬はそれを気にする様子もなく、言いかけた言葉を飲み込む。
「どうした?」
怪訝と不安を滲ませた問いが投げられた。
数秒の間。
美冬はそれに答える事なく、口を固く結ぶと大きくかぶりを振った。
その横顔はこわばり、目は何かに怯えている。
「ううん、何でもない。イレギュラー、片付けちゃわないとね」
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫だよう。ちょっとボーっとしちゃってただけだから」
凝視する真雪の視線から逃れたいのか、きびすを返すと拳を強く握り締めた。
その背中はかける言葉を拒絶している風に見える。
勤めて明るく言う様子に違和感が滲んだ。
土を踏みしめる音が大きく聞こえる。
一帯に漂う静けさは離れた位置の音さえも飲み込み、かき消していた。
「一発で仕留めた方がいいよね。騒ぎになっても面倒だし」
「そうだな。つーか、スキルの方が都合いいから……」
「ううん、あたしがやる」
強い意思が宿る声。
その言葉に、何かを感じた真雪が押し黙った。
そして、美冬は手袋を嵌めた左手に右手を突っ込むと一対のショートソードを取り出す。
背後の外灯に照らされて刀身が鋭くきらめいた。
「確かめたい事があるの」
ゆっくりと前方へ歩きながら両手に持った武器を握り直す。
誰ともなしに低く呟いたそれは、どんな表情で言ったのだろう。
だが、俯いた顔を髪が覆って窺い知る事は出来なかった。
「分かった。無理すんなよ」
「ありがと。何かあったらフォロー、よろしく」
振り返る悪戯っぽい笑顔に中に垣間見えた、どこか思いつめた色。
真雪は唇を噛んで隠すように息をついた。
前触れなく、美冬の足が止まる。
目の前にいるのは頭を低くし、牙をむくイレギュラーの姿。
強く睨み、口の端を上げる。
一瞬、止まる時間。
片足をわずかに後退させると、力を込めるのが見えた。
地面を蹴り、詰める間合い。
止まった景色の中で黒いシルエットが空気を切り裂くように駆ける。
そして。
 
 
 
2階建ての駐車場は車が通る度にタイヤが擦れる、耳障りな音を響かせていた。
時折鉄板に何か落ちた衝撃を感じたが、それは車が段差を踏み越えたせいであるらしい。
動く物は一切ない凍った景色の中。
手すりにもたれる二つのシルエットがあった。
「ふうん、アレがエニグマ? なんだかガッカリだな」
白い羽織袴に外套といった風貌のミロクの隣で、眼下の景色を眺めながら不満そうに言う少年。
火焔に似た赤い色の髪を高い位置で一つにまとめた彼はあどけない顔を歪める。
少女のような顔立ちには似合わない目元と頬に走る傷と、それぞれ色の違う瞳が目を惹いた。
歳は10代――おそらく15歳あたりだろうか。
「トリプルシックスが褒めてたから期待してたのに、ただのザコじゃないか。
遊び相手にもならないね。10分で片付けられる」
「ふふ、ヒルデマールは相変わらず手厳しいですね」
「別に。僕は本当の事を言ってるだけだよ」
手すりに頬杖をついて退屈そうに欠伸をしてみせる。
下にあるのは道路の中に浮かぶ、殺風景な公園。
そこには2つの黒い人影と青い炎が見えた。
「確かに今は未熟な存在かもしれません。けれど、彼らはれっきとした死神にございますよ。
あの方が恋焦がれた、無二の才能を持っております」
「どうだかね。周りが騒いでるだけでしょ? 第一、あんなゴミ倒すのに
こんなに時間かかるなんてエニグマ以前の問題だよ。馬鹿みたい」
「いずれ仲間になるお方にそんな事を言ってはなりませんぞ、ヒルデマール。
彼らは成長し、本当の力を見せてくれるでしょう」
ミロクは首を傾げながら隣のヒルデマールを見ると、微笑む。
周囲は漆黒に塗り替えられていた。
間近に迫る木々や静まり返る建物が夜に溶けている。
遠くや背後に毒々しい色のネオンが見えたが、どこか作り物めいていて
人の気配を感じなかった。
それどころか、逃げ水のように近付く度に遠ざかってしまう気さえ。
「大山鳴動してネズミ一匹。僕にはそう感じるけど」
ミロクに笑顔を向けられ、ヒルデマールは鼻を鳴らして顔をそむけた。
その時、近くからの鋭い断末魔が耳をつんざく。
犬にも似た獣の声と共に血の匂いが立ち込めた。
「あー、やっと倒した。遅いなぁ」
ヒルデマールが手すりにもたれかかると、大きく身を乗り出す。
それを見たミロクは苦笑を浮かべて、ヒルデマールの背に手を乗せた。
「落ちてしまいますよ」
「大丈夫だってば。僕はそんなに馬鹿でも、運動音痴でもないよ」
「分かっておりますが心配なのです」
にわかに強く吹いた風に葉ずれの音が幾重にも広がっていく。
ヒルデマールは頬に触れる髪の感触に目を細めると月を仰いだ。
「ねえ、トリプルシックス」
匂いを楽しんでいるのか、口元に笑みを浮かべたままで目を閉じる。
近付いて来るサイレンと、聞こえる男女の会話に耳を澄ました。
「僕は花畑や小鳥なんて、どうでもいいけどさ」
「はい」
「あのエニグマはちょっと興味あるな」
薄く目を開くと、視線だけを動かして笑うヒルデマール。
濃紺のロングコートが風で大きくはためく。
「ヒルデマールもお好きですか、あのお二方が」
「うん、確かめてみたい。あのオジさんがあそこまで執着するエニグマが
どんな奴等なのか会ってみたいんだ」
笑いを含む声が言葉を紡ぐ。
目に宿るのはどこか不敵な色。
「すぐに会えますよ。願って叶わぬ夢などありません」
ミロクは言った。

「夢の叶わぬ世界など、死んでしまえばいいのです」

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