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1. 月と踊る

「いつもみたいに、嫌いって言わないのかよ」
真雪は悪戯っぽい瞳で覗き込んだ。
降りてくるのは冗談めかした口調。
美冬は、頬に触れる手の温もりにぎこちなく目を伏せる。
何か言いたげに口を開くものの、数度むなしく動くだけで言葉は紡がれずに。
体の内側で響く鼓動が相手に伝わってしまう気がして息を殺した。
「馬鹿……」
居心地悪そうに身体を縮めながら口の中で呟く。
見上げてもすぐに視線をそらした。
漆黒の空に浮かぶ半月から美冬を隠すように、目の前に立つ真雪。
彼は視線を落としたまま目を細めて笑う。

耳を澄ましても何も聞こえない夜、放置された建設途中のマンション。
天上から降り注ぐ光は世界を青白く染め替えていた。
骨組みの影が地面に模様を作る。
「あの」
美冬は鉄骨に背をつけたままで意を決したように顔を上げた。
思いつめた色が漂う。
身体の横に下ろされた手が何かを掴もうとした後、握り締めた。
言葉を選ぶ沈黙が二人の間をすり抜けていく。
「あたし……」
「言わなくていいよ、別に」
遮られて口をつぐんだ。
笑う声に微量の寂しさに似た感情が混じる。
頬を数回軽く叩く仕草。
それを残して真雪が離れると視界が明るくなった。
「何も言わなくていいから」
念を押すように重ねられた言葉は気遣う響きがあったが、
その一方で有無を言わせない強さが潜んでいる。
瞬きもせずに見上げてくる翡翠色の瞳を見て、真雪は軽く頷いた。
「ただ『そういえばそんな事もあったわね』位に思ってりゃいいよ。
俺はこうして、いられれば充分なんだからさ」
「ううん、真雪。聞いて」
「無理に返事しなくてもいいって。結論が欲しいワケじゃねえんだし、
本当の事言われて辛くなるんだったら今のままでいい」
まっすぐ向けられた視線から逃れたいのか、真雪が背中を向ける。
歩き回る靴音だけが大きく聞こえた。
無機質な景色の中で黒いスーツ姿だけが動いている。
空を仰ぐシルエットが美冬を見て、困った顔に笑みを広げた。
「あのね」
「だから、もう少し片思いでいさせ……」
どこか自嘲気味にも聞こえる言葉。
美冬は戸惑った表情で眉間にしわを寄せていたが。

「いいから黙って聞きなさいよ、人の話!」

眠る住宅街の中で甲高い怒鳴り声が響いた。
それは何かを恐れて、言葉を取り繕う真雪に向けられている。
美冬は腕を組んで軽く睨んだ。
「何で怒るんだよ。つーか、あんまデカい声出すと色々面倒だからやめろって」
「あんたが話聞かないのが悪いんでしょ!?」
「だから、別に俺はさ」
今までの息の詰まる、重い空気が交わされる会話で消えていく。
静止した世界の中で生きているのは二人だけであるかのような錯覚。
全てが聞き耳を立てている気分になった。
「うるさい! 人の話を聞け!」
「お前も話聞けよ」
「大体真雪は自分の事ばっか言って、あたしの気持ち考えてないじゃん!
あたしはどうでもいいの!?」
「いや、そういうワケじゃねえけど」
困り果てた表情のままで髪をかき上げると、歯切れの悪い言葉を口にする。
唇を尖らせた顔を一瞥した。
「返事聞くのが怖いから言わなくていいとか、ビビッてんじゃねえ!」
「すいません……って、だから何で怒ってんだよ」
不意に訪れた沈黙の中、睨み合うように視線を交わす二人。
どちらからともなくため息が漏れる。
それまで怒っていた美冬は表情を和らげた。
目の前の青年を静かに見上げる。
「返事しなくてもいいって言うけど気持ちは言っておきたいの。
このまま黙ってたら、あたしが辛くなりそうだから」
地面に落ちる影。
淡く、弱々しい印象の月明かりでさえ今は眩しく感じた。
どこからか漂う異形の者の気配も、得体の知れない視線も全てが消え失せる。
真雪は押し黙ったまま、美冬から視線をそらせずにいた。
「もしかしたら分かってるかもしれない。でも、ちゃんと伝えたいんだ」
伏せられた目が再度持ち上がる。
動く唇。
数秒が長い時間に思えた。
「あたしね、真雪を」

瞬間。
足元から脳天を寒気に似た感覚が突き抜ける。
間近に感じる気配、肌に突き刺さる殺気。
身体の中で警告音が響いている気がした。

この感覚を何度も味わっている。
――『敵』だ。

薄く口を開いたままで美冬が真雪を見つめた後。
「あああああああ! どいつもこいつもー!!」
一瞬の沈黙の後、地団駄を踏みながら声を荒げた。
鋭い眼光で周囲を見渡すと一点を睨む。
「こっちは大事な話してんのよ! 空気読め、ばかたれ!」
「まぁ、ある意味空気読んでるよな」
「何でそんな冷静なワケ!? 雰囲気ブチ壊されといて、よく平気ね!」
「いや、そもそもコレ片付けんのが目的だろ……つーか、いい加減慣れた」
全身から怒りを発散している美冬に反して、真雪は脱力した様子で空を仰いでいた。
黒い靴が転がった石を蹴る。
「ほら、話は後で聞くから仕事しようぜ」
「もう二度と言わない。絶対言わないから」
「拗ねんなよ。帰りに甘いパン買ってあげるから機嫌直せって」
「子供扱いするな!」
喚く様子に苦笑しながら、真雪が黒い革の手袋を嵌めた。
促すように背中に軽く触れると不満そうな顔が見上げてくる。
無言で交わす視線。
正面を向いた美冬の顔から感情が失せ、険しくなる。
手がポケットをまさぐって真紅の手袋を嵌めていた。
その間も瞳は、ある地点を凝視する。

静止した景色が、何者かに鷲掴みされたかのように歪んだ。
肌に感じる殺気と圧迫感が見えない『何か』の存在を饒舌に語る。
立ち込める獣の似た匂いは人外生物の証。
地響きに似た重い足音が迫るのを感じた。
等間隔のそれは鼓動と重なり、次第に大きくなっていく。
距離にして十数メートル。
頭上から息が漏れる音は幻聴か。
「敵は結構でけェ野郎だな。ギルドの話じゃ物理もスキルも有効らしいから、いつものパターンでいくか」
「そうだね。あたしが突っ込んだ後、真雪がスキルをぶち込むと」
「ああ、得意だろ? 何も考えなくて済むもんな」
「一言余計だよ。後で絶対殴ってやる」
うごめく気配が次第に大きくなっていくのが分かる。
透明だった『それ』は月の光を反射し、輪郭が鮮明になった。
姿を表したのは見上げるほどの巨岩。
人の形を模したそれは、遺跡のような骨組みの中で二人を見下ろしていた。
「前方一体、イレギュラー。出没地域、特徴共に事前情報と一致」
真雪が前を見据えたままで告げた。
周囲を観察する視線がせわしくなく動く。
「ラプター了解」
胸の前で祈るように両手を握っていた美冬が、左手のひらに右手を突っ込む。
ゆっくりとした動作。
まるで水に手を入れるかのように。
そして左手は一本のグリップのついたナイフ――ジャマダハルを吐き出した。
「あんたがヤる気なら相手になってあげる。売られた喧嘩は買う主義なの」
ゆっくり開かれる翡翠色の瞳。
そこには不敵な色が宿る。
隣に並ぶ真雪を一瞥すると視線がぶつかり、同時に頷いてみせた。
まるで無言のまま会話をするように。
そして。

「行くよ」

その声は合図。
美冬は巨岩に向かって駆け、一気に間合いを詰める。
耳元で唸る風。
足音が途絶えると同時に地面を蹴って身体を宙に躍らせた。
「つっかまえた!」
嬉しそうに笑う声。
美冬が塊の上に着地すると、すぐさま振りかぶりジャマダハルを突き刺す。
塊の咆哮が耳鳴りを誘った。
重い手ごたえと剣身が分厚い肉の間に割り込む感触。
噴き出し、顔や服を濡らす生温かい鮮血に眉一つ動かす事なく。
美冬はジャマダハルを握った拳に奥へ刺し込む。
そして、肉塊の中で剣身を動かすとえぐった。
「真雪!」
顔を向けることなく叫ぶ。
「『朱』をもって『制裁』を!」
離れた位置から投げられる真雪の声。
空気を震わせるような悲鳴を上げる塊から美冬がジャマダハルを抜き、蹴る。
舞い散る赤い飛沫。
ゆっくりと景色が流れ。
身を翻し、着地したと同時に聞こえた衝撃音。
足元には振動、周囲の鉄骨がざわめく様に揺れた。
美冬が地面に膝をついたまま背後を伺う。
耳をつんざく爆発のような音の後に訪れる沈黙。
塊は動かず、美冬もまた微動だにしなかった。

「こちらレイヴン、敵の沈黙を確認。お疲れ」
真雪の声が足音と共に近づいてくる。
数分前の静寂を取り戻した月光に満たされた空間。
「どうした?」
立ち上がった美冬が地面に沈む塊をずっと見つめている事に気が付いて尋ねた。
身にまとった黒いスーツや髪、顔に浴びた返り血を拭く事もなく。
ただ凝視する。
「……ちょっと気になったのよね」
「何が」
「こいつ、全然抵抗しなかった。本当にイレギュラーだったのかな」
美冬が唇を噛み、眉間にしわを寄せた。
イレギュラー――それは『人間に被害を及ぼす可能性のある人外生物』を指す。
怪異、妖怪、悪魔など、さまざまな呼び名はあるが
現代社会では迷信という一言で片付けられ、人々の記憶から消された生き物。
「ううん。むしろ、本当に生きてたのかなって」
ジャマダハルの切っ先から血がしたたり、地面に赤い染みを作っている。
「どういう意味だ?」
「うまく説明できない。できないけど、おかしいの」
考えを巡らせているらしく、どこか上の空の言葉が紡がれた。
「生きてる感覚はあったし、動いてた。叫び声も聞いたし血だって見たわ」
「ああ」
「でも、違和感があるの。まるで魂が抜けちゃってたみたいで」
戸惑い気味に言った美冬を眺めながら、いぶかしげに目を細める。
二人の間を通り過ぎる風が静寂を生んだ。
「気分悪い。抵抗しない敵を殺すなんて、ただのヒト殺しだわ」
「美冬」
吐き捨てられた言葉と、迷った末に呼んだ名前。
自分を見上げる顔についた鮮血を真雪が指で静かに拭う。
「とりあえず帰って報告だ。親父に話してみよう」
「……そうだね」
「それと」
付け加えられた言葉に美冬は首を傾げる。
「返り血くらい拭けよ。結構怖いんだぞ、それ。そんなモノ見せられる俺の身にもなれよ」
「面倒なんだもん。どーせ、こんなの他の人には見えないんだから問題ないじゃん?」
呆れた口調は、平然と吐き出された言葉で投げ返された。
真雪がため息をつき、口を開きかけた時。

「ホント、信じられないよね。こうして確かに存在して
血の匂いも温度だってあるのに、周りの人には見えないなんてさ」
美冬は俯き、唇が自嘲気味に歪んだ。
「周りの人には見えてなくて、敵かどうかの線引きも曖昧で。
あたし達は一体何と戦ってんだろう?」
目の前に手をかざし、空を仰ぐ。
深い水底に落ちた夜。
真雪は美冬を見つめ、言葉もなく寂しげに笑ってみせた。
その視線に気がついたのか、月を見ていた翡翠色の目が照れたように細められ。
「帰ろう、美冬」
「そだね」
月光が地面に触れる。
辺りは、闇に音を飲まれたように静かで。
並んだ二つの靴音が、ゆっくりと遠ざかっていった。

「とりあえず返り血だけは拭いてくれ、マジで」
「だから面倒なんだってば。どうせ帰ったらお風呂入るんだし、洗い物も増えるじゃん」
「……お前、女だろ」
「だから何よ」

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