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プロローグ

桜を見る度に死に思いを馳せた。
一年でたった数日、狂ったように咲き誇る。
跡形もなく散る花弁。
この花は人々に愛されながらも、常に死がつきまとっていた。

「あ」
桜の木を見上げていた美冬が視線に気付いて顔を戻す。
靄のかかる周囲の中でただ一点、存在する黒。
その不気味な雰囲気に総毛立つのを感じた。
「いつも側にいて、あたしを見てるよね。貴方は誰?」
数メートル先にいたのは袴姿の少女。
年齢は十歳前後だろうか。
艶のある長い髪と服は漆黒だが、肌は雪を連想させるほどに白い。
瞳に感情は浮かんでいなかった。
けれど、不安を抱く程に視線は強く。
「貴方は」
語尾が震えている事に気付いた。
助けを求めるように視線をめぐらせるが、他に見えるものはない。
あるのは傍らにある桜の大樹、重く立ち込める空気。
そして、美冬と目の前の少女のみだ。

彼女を知っている、と美冬は心の中で呟く。
いつからかは忘れたが常に自分の側にいた。
問いかけても返事はせず、ただ物言いたげに強い視線で見つめてくる。
『夢でも見ているのではないか』
黒袴の少女の話をする度に繰り返し言われた言葉。
彼女は他の人間には見えず、誰も信じようとしなかった。
美冬は脳裏に蘇る記憶の中で思った。
皆の言うとおり、自分は夢を見ているのだと。

『吾は ウタカタ』

にわかに木々が踊り、強くざわめく。
その中で聞こえた声は風にかき消される事なく耳の間近にあった。
美冬は思わず耳を塞いで、目の前の少女を睨むように見つめる。
唇は動いていない。
だが、彼女が喋っていると直感的に分かった。
『意識には 消え 無意識には 写る』
めまいを覚えて、意識が遠のきかける。
軽くかぶりを振った。
『死 近し者に 死期を 歌う』
耳を塞いでいても声は頭の中で大きく響く。
指の間をすり抜けた音か、それとも。
あどけない声が発せられる度に肌に息が止まる。
温度を感じていないはずが、足元から脳天まで悪寒が駆け抜けた。
「死、近し者? あたしは死んだの?」
『君は 死に 魅入られる』
「魅入られるって……」
美冬がそこまで言いかけて息を飲む。

そこにはあるのは、至近距離で少女が顔を覗き込む姿。

「……っ!」
叫びそうになるのを口を押さえて食い止める。
震える奥歯が小刻みに音を生んでいた。
数メートル先にいたはずの彼女が目の前にいる。
今まで見ていたものと今見ているもの、どちらが幻なのか。
視界の端で薄紅の花が舞うのが見えた。
『夜を撒き 夜を呼ぶ』
瞬きも忘れて目の前の無感情な顔を見つめる。
全てが曖昧になっていく。
ここは何処なのか、自分は誰なのか。
考えようとするも穴が開いたように、頭は真っ白になっていた。
『彼岸に 焦がれても 辿り着く事は 許されない』
身体の内側で何かが暴れるような感覚を覚える。
無感情な少女の黒い瞳が笑った。
『死を 忘れ 死と 共に 生きる』
地面を埋め尽くす花弁の屍。
美冬の唇がわななくように何度か動くが、言葉は伴わない。

その時。
今まで微動だにしなかった少女の手が動いた。
美冬の頬に触れ、胸元に置かれる。
「な、何?」
その冷たさに一瞬、大きく震えた。
身構えるが、少女は微笑むように唇を歪ませるだけで。
美冬は半ば無意識に膝を曲げる。
彼女自身、何故そんな事をしたのか分からなかった。
まるで引き寄せられるように。
操られるかのように。
鼓動が加速していく。
沈黙に不安を覚えて逃げ出したい衝動に駆られた。
そんな意識とは逆に、身体は固まったままで動かない。
ただ少女を見つめた。

『吾は いつも 君の そばに いる』

その言葉と共に氷のような温度が唇が触れる。
暗くなる視界、全身に痛みに似た何かが走った。
美冬は目を見開いたままで静止。
少女の顔が離れてようやく、彼女に口付けられた事を理解する。
『死と 共に 生きろ』
突風に舞う花弁が視界を遮った。
その中で聞こえた声。

気付けば、美冬は真っ白な空間に立ち尽くしていた。
どのくらい時間が経ったのか、ここは何処なのかも分からない。
呆然と見上げた先にあるのは空を隠そうとするように広がる桜。
春独特の酔った空気の中で、少女の言葉を口の中で繰り返していた。

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